我が家は代々悪役令嬢〜婚約破棄されるのがお役目なのに王子の器がデカすぎる〜
「殿下! その悪女とは早くお別れください!」
「ふははは! 何故そのようなことをする必要がある! たとえ悪女とて、隣に置けば俺の寛大な心を示し得るであろう!」
私の肩を抱きながら、高らかにそう言い放つのは王国第一王子シリウス様だ。
金髪金眼、逞しくも引き締まった体に、天才の頭脳が詰まった頭を乗せている。文武両道、眉目秀麗、夜会に出ればどんなご令嬢も虜にしてしまう完璧な王族だ。
そして向かいにいるのは彼のお付きのカストル。彼はこちらを目の敵のように睨みつけて私の悪事をあげつらっている。
つまり私は絶賛罵られ中、という訳なのだが、私の心に一切のダメージはない。何故なら………、
シリウス様の反応以外は全て打ち合わせ通りだからだ。
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私、アルキオネの生家、キオン女公爵家には限られた者しか知らない密命がある。
それは、王位を継ぐものへの試練を与えること。
つまり、継承権を持つ王子を試し、王となるに相応しいか判断するのである。
その為にはどんな誹りを受けようとも、徹底して悪女になりきる。私は、王子が真の正義を見つけるための道具に過ぎないのだ。
今回の条件は二つ。私を悪女と断じさせること、そして、聖女との婚約を成立させることだ。
協力者はカストルと聖女アトリア、そして国王陛下と私の母。
それ以外はこの密命を知らず、私を本当の悪役令嬢だと思っているはずだ。
「いつもごめんなさいね」
「いいんです、アルキオネ様も大変ですから」
「こちらこそ、不躾な口を」
今日も今日とて王城の誰も訪れない寂しい一角で、カストルとアトリアと打ち合わせをする。
「いっそ、今日は私を階段から突き落とすとかはどうですか!?」
「ええ!? そんなの、危なくないかしら」
「受け身の練習はしています、大丈夫です!」
とんでもないことを言い始めたぞ、この聖女。目が輝いている。楽しんでいるな、こやつ。
「本当にアルキオネ様が突き落とすと大事になった場合に言い訳が立たないので、アトリア様が自ら倒れる方向で…………」
「さ、採用の方向なの!?」
カストルも止めないのかよ、と内心で叫ぶ。どうなっているのだろう、この国の安全教育は。
「僕が殿下を誘導するので、そこで実行を。殿下に受け止めていただきましょう」
「あ、それは良いですね!」
…………両方のミッションを進めるには好都合か。渋々ながら了承する。
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階段の踊り場でアトリアに目配せをする。
カストルのよく響く声が聞こえてきた。
「ですから殿下、供もつけずに毎日どこへお出かけになっているのかお教えくださいと申し上げているのです!」
「はーっはっはっはっ、王家の人間たるもの、尋問に軽々しく口を割る訳にはゆかぬのでな! つまり秘密というやつだ!」
「殿下ーーーーッ!!!!」
何を話しているんだか。
とにかく今がチャンスだ。アトリアが階下に向けて一歩踏み出す。そして息を吸う。
「きゃあああああああ!」
聖女は凄まじく完璧なフォームで落ちた。
そしてシリウス様は─────────。
「む?」
避けた。
「殿下!?」
カストルが思わず声を上げてしまっている。いや、私もまさか避けるとは思わなかった。
アトリアは無事受け身を取り、特に怪我はなく済んだようだ。
「どうした聖女よ。素晴らしい受け身だったな。褒めて遣わすぞ」
「あ、はい、ありがとうございます…………」
予定が狂ったが、カストルが助け船を出してくれる。
「殿下! 上をご覧ください」
「おお! アルキオネではないか!」
私を見て破顔するシリウス様。いやそういうことじゃないです。
すると、周りにいた野次馬たちが口々に囃し立てる。
「もしかして……アルキオネ様が突き落としたんじゃ……?」
「おい、誰か見てなかったのかよ」
「でも二人が一緒にいたっていうなら、そうなんじゃないか?」
この流れになったならまあ良い。ちょっと思っていた構図とは違うが。
「殿下! これでもアルキオネ様を庇いますか!」
カストルが畳み掛ける。…………あわよくばここで婚約破棄に持ち込みたいところだが。
「しかし証拠はあるまい」
「状況証拠がございます! アトリア嬢、貴女は誰かに突き飛ばされた感覚はなかったか!?」
ナイス機転。
「あ、あったような…………?」
「ではアルキオネよ。お前は聖女を突き飛ばしたか?」
こちらに話が飛んでくるとは思わず、一瞬何と返事すれば良いのか躊躇う。しかし、何とか頭の整理をつけてわざとらしく叫んだ。
「い、いいえ! やっていませんわ!」
目を逸らし、誤魔化すような態度を取ってみせれば、周囲の人々は疑惑の目をこちらに向けてくる。私の演技は完璧だ。
シリウス様は尚も問う。
「では今この場にいる者たちよ。この二人の意見を聞いてどう思った?」
ざわつく衆人たち。顔を見合わせて、話し合っているようだ。
「うーん、聖女様が嘘を吐く訳がないしなあ」
「実際突き落としたとして、やったって正直には言わないだろ……」
「やっぱりアルキオネ様が怪しいんじゃないか?」
よし、雰囲気は私が悪だと決めている。寂しくないと言ったら嘘になるが、これで良いのだ。
「そうか……ならば俺はアルキオネの側に立とう」
「………………え?」
シリウス様の言葉に体が固まる。
「周りから責められ、誰も味方がいないのは恐ろしいものだ。それが誰であれ俺は味方になるが、そこに立っているのが俺の許嫁ならば尚更放ってはおけない」
彼は演説じみた口調で語る。皆が圧倒され、誰も反論できなかった。
「正式に判断を下そうというのであれば、より精密に捜査を行わせるが、必要か? 聖女アトリア」
「………………いえ、私の勘違いだったかもしれません」
アトリアが項垂れる。
実際に私は突き落としていないから、捜査をすれば我々の計画が露呈してしまう。アトリアが引き下がったのも無理はない。
こうして、今日も私の任務は失敗に終わったのである。
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夕方、城内を一人で歩いていると、後ろから声をかけられる。
「アルキオネ」
「…………シリウス様」
殿下は一人だった。口煩いカストルは撒かれてしまったのだろう。いつものことだ。
「今日は災難であったな。労ってやろう」
「優しき御心に感謝します」
「未来の王として当然の務めを果たしたまでよ」
私の気持ちにつゆほども気づいていないシリウス様は、私の前に立つと何かを取り出した。
「ところで、半年ほど前になるが、髪飾りが欲しいと言っていたな」
「ええ……」
確か、一緒に出た舞踏会での話だ。人の物を欲しがる女の振りをして、どこぞのご令嬢が付けていた髪飾りをねだったのだったか。
「そら、くれてやろう」
「えっ?」
ぽんと渡されたのは、紛うことなくあの時欲しがったデザインの髪飾りだった。銀細工に珊瑚の飾りが散りばめられている。
「これは……どうやって手に入れたのですか?」
まさか、彼女から取り上げた訳ではあるまい。良くて国庫から資金を出させたのかもしれない。しかし、これでは彼の玉座への道が遠のいてしまう。
私は頭が冷えるのを感じながら返事を待った。
「当然、働いた」
「ええ!?」
働いた………………?
この殿下が…………?
「この俺に汗水垂らさせたのだ。今すぐ、つけて見せてくれるよな?」
「汗水って、何をなさったのです」
慌てて尋ね返す。すぐにはつけてくれないと見て口を尖らせたシリウス様だったが、快く答えてくれた。
「王都の東で行わせていた、河川の灌漑工事に出向いたのだ。無論、忍びでな」
王都の東の工事といえばつい最近終わったばかりの国家事業だ。何度も氾濫する川を見かねて、国王が命じたものだ。
しかし、そんな肉体労働を殿下にさせてしまうとは。これは計画でも想定外だった。
「民草の暮らしを垣間見るのも興味深いものであった。しかし、賃金というのはあれほど少ないものだとは思わなかったな。これは対策を考える必要があるぞ」
けらけらと笑う殿下に言葉も出ない。
「……よって半年もかかってしまったが、こうして手に入れた訳だ。さあ、つけてみよ」
再度の要求に手元の髪飾りを見る。
カストルが言っていた、「供もつけない外出」はこれのことだったのか。彼が知ったら卒倒するだろう。
「ありがとう、ございます……」
そっと頭に挿す。ゆっくり顔を上げると、彼は満足げに笑った。
「うむ。良い眺めだ。アルキオネよ、笑え。それだけで千金の価値があろう」
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「という訳で、失敗してしまったのです。お母様」
「そう…………」
邸宅に戻り、お母様に報告をする。お母様もかつては悪役令嬢として今の国王に婚約破棄された、この道のプロだ。
「殿下にも困ったものね。こうと決めたらてこでも動かない」
溜息を吐いてお母様は額に手を当てる。
「…………髪飾りを頂いた、と言ったわね」
「はい」
「壊しなさい」
動揺で思わず前に一歩出る。駄目だとは思っていながら、反論の言葉が口をつく。
「それは…………っ」
「売るでも捨てるでも何でもいいわ。殿方の想いを無下にする女だと見せておやり」
お母様の厳しい目つきが私を貫いた。今までの厳しい悪役令嬢教育が思い出される。
「でも…………」
煮え切らない返事をする私に、お母様ははっきりと言った。
「このままでは、シリウス様は王として認められない。しかし、そんなことはあってはならないのです」
彼が、王になれない。
それは、駄目だと分かっている。
「わ、かりました……」
了承し、部屋を出る私のことを、お母様は最後までじっと見つめていた。
自室のベッドに腰掛けて、私は貰った髪飾りを握り締める。
「こ、壊すって、そんなことっ……」
できない。だって、私は────。
「シリウス様が、好きなのに………っ」
初めて出会った日、その笑顔に魅せられた。いつでも頼りになって、格好良くて、自分に自信がある彼が大好きだった。
彼のためだと思えば、絶対に結ばれないことだって我慢できた。
だけど、駄目だ。
彼の気持ちを、彼との思い出を、なかったことにするなんてできない。
私は────どうすれば良いんだろう。
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次の日、私は王城にある塔に登り、呆然と外を眺めていた。手には髪飾り。どうしても、手放すことができなかった。
お母様の言葉が頭を巡る。
「このままでは、シリウス様は王として認められない。しかし、そんなことはあってはならないのです」
私に幻滅してもらわなくては、彼は王になれない。
頭が割れそうだ。もう何も考えられない。
衝動的に、開いた窓へ向けて髪飾りを握った右手を振りかぶった。
途端に、力強く掴まれる。
「何を、している」
「シリウス様…………っ」
シリウス様の綺麗な顔が険しく歪んでいる。
ぼたぼたと涙が零れ落ちる。
そうだ、彼はいつも、こうやって現れてくれる。
私が悩んでいるとき、私が困っているとき、私が泣いているとき。
私を、助けに来てくれる。
そんな彼が、本当に格好良く見えて。
「わ、私っ……私はっ……………」
嗚咽を漏らしながら、彼にすがりつく。みっともない姿だ。それこそ幻滅させてしまうかもしれない。
「どうした、ゆっくり話せ」
先程までの剣幕とは裏腹に、酷く優しい声だった。
私はたまらなくなって、だだをこねる子どものようにわめいた。
「シリウス様っ! 早く、はやく、婚約破棄、してくださいよお…………っ!!」
「………………は?」
「じゃないと、私、私、わたし、あきらめっ……られない…………!」
彼の息が詰まる音がした。
「そうか…………」
彼は静かに笑う。
「すまなかったな」
私をぎゅうと抱き締めた。苦しいが、息苦しいのが、心地好い。
「アルキオネ。分かってくれ。俺はお前を愛しているんだ。たとえどうしようもない悪女であっても、その笑顔に惚れたのだ」
その言葉が薬のようで、毒でもあって。心がズキズキと痛んだ。
「婚約者だから、ではない。たとえ敵国の姫であったとて、国を捨ててでも、俺はお前と添い遂げたい」
私の返事も聞かないまま、彼は続ける。
「だが、お前にその気がないのなら、俺は喜んで手を離そう。何故ならお前の幸せこそが、俺の歓びだからだ」
待って、と言いたいが、言葉が上手く出ない。
「う……うぇっ………」
嫌だ、別れたくない。
「ううっ……シリウス、さま、ちがうんです……」
「違う?」
「私もっ、あなたのっ、ことが、だいすきで……! でも、だめなんですっ」
彼の表情が変わる。
「どういうことだ……?」
私は、とうとう全部話してしまった。悪役令嬢失格だ。でも、もうそれくらいしか、彼にしてあげられることがなかった。
全てを知った彼は静かに呟いた。
「…………全て、茶番だったか」
「シリウス様……?」
「父上に直談判する。それでも許されぬ結婚ならば、俺は全てを捨てよう」
そんな、と言いかけた私を遮って、重厚な声が響く。
「その必要はない」
「…………父上?」
国王だ。どうしてここに。
「全て、聞いていた。やれやれ、老体に階段を登らせるでない、カストル」
「も、申し訳ありません…………」
続いてカストルとアトリアも現れる。
状況が飲み込めない私たちは、抱きしめ合ったまま、続々と現れる人々の姿を見ていた。
「カストル? 何故……」
「塔に向かう殿下が見えまして、もしや……と思い陛下にご報告さしあげたのです」
うんうんと頷いているアトリア。それから国王陛下が言った。
「今朝、キオン女公爵からもアルキオネ嬢について相談があってな。もしや二人は両想いなのではないか、と」
後ろにはお母様の姿も見える。バツの悪そうな顔だ。私は恥ずかしくなって、そろそろと体を離した。
「シリウスよ」
「は」
シリウス様が陛下に向き直る。陛下は、全てを見透かしたような目で問うた。
「お前は、我が王国とアルキオネ嬢が天秤にかかっているとき、どちらを取る」
「アルキオネだ」
即答。カストルとアトリアがガッツポーズをしている。
「そうか…………」
国王は髭を撫でたまま、思案しているようだった。そして、とうとう口を開く。
「異例だが、合格とする」
シリウス様の肩を叩き、言い聞かせるように言った。
「国はお前一人のものではない。だが、アルキオネ嬢を守れるのはお前だけだということを心に刻め。お前も一人の人間なのだから」
「心得た、父上」
シリウス様が改めて私の隣に立つ。私は、そのとき初めて全てが終わったことに気がついた。
「もう、この儀式も終わりの時なのかもしれませんね」
お母様が小さく呟いたのが聞こえる。
「ごめんなさいね、アルキオネ。……良かったわ」
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それから、私の生活は変化した。
もう悪役令嬢としてのお役目は終わり、本来の自分を明かせるようになった。まだ評判は悪いが、これから挽回できれば良いだろう。
カストルは何かにつけて謝罪してくる。……演技なのだから構わないというのに。
「本当はずっと、アルキオネ様のような方が王妃になっていただければと思っていたのです! 本当にすみません!」
「や、やめてくださる、恥ずかしい……」
アトリアとも白昼堂々友人として接せられるようになった。二人で城下に繰り出しては、人気のスイーツを楽しむのである。
「本当に、おめでとうございます! 私も、ようやくお友達らしいことができて嬉しいです!」
「ありがとう。これからも、よろしくね」
それから、シリウス様。とはいっても、彼との関係はあまり変化がない。彼が変わる、なんてことはないからだ。
ただ、いつも通り、髪飾りをつけて会いに行く。
「シリウス様、おはようございます」
「おおアルキオネ。俺のほうから会いに行こうと思っていたところだ」
彼の笑顔は今日も眩しい。だが、その光に応えられるようになったことは、とても喜ばしいことだ。
「さあ、アルキオネ。今日はどんな話を聞かせてくれる?」
我が家は代々悪役令嬢…………だったけれど、私の子どもはそうならなくて良さそうだ。