もう一度フレンズ①
色々想定外はあったものの、アシリアとのデート以降の夏休みは、前世の行動をなぞることができた。
家にいて課題をやるとき以外は女子の友だちに誘われてお茶したり、買い物に付き合ったり。
自分は女子の誘いを断れないんだなということを、前世をなぞっていて改めて意識した。
忙しいとき、しんどいとき、誰にも会いたくないときでも、なにか頼まれるとどうしても断れない。
せっかく誘ってくれたのに、断るのは悪い気がしてしかたなかった。
ほんの少し自分の時間を割くだけでいい。
ほんの少し白馬の王子様役をこなすだけで、女の子は喜んでくれるんだから、それでいいと納得していたのだ。
そのうち、自分を頼ってくれる人を助けることが俺の人生なんじゃないかな、と悟ったようなことも考えた。
それが、前世で死んだ滝沢恵太という人間だったと思う。
でも、今世の自分は、それでいいのだろうか。
もし仮に、運命の日を生き延びられたとして、それより先の自分は、今日までの自分と同じでいいんだろうか。
ここのところ、眠る前にそんなことばかり考えている。
同じ人生を繰り返してみると、少しだけ別の人生を考える余地が生まれるのかもしれない。
◇ ◇ ◇
夏休みが過ぎ、九月も終わりに差し掛かった。
あれからもアシリアとの付き合いは継続中だ。夏休み中も何度か一緒に課題をやろうと誘われ、町の図書館で合流していた。
勉強のためというより、理由をつけて会おうとしてくれるアシリアには頭が上がらない。
アシリアと一緒にいると不整脈を疑うくらいに動悸が安定しない。
ぐんぐんと体温が上がってしまうようだ。
艶々の黒髪、あどけなさの残る瞳、魅力的な声……。
彼女のすべてが気になって気になってしかたないのだ。
そうなるとおとなしく勉強に集中できるはずもなく、どうせ図書館にいるのだからとおすすめの漫画やライトノベルを聞き出して、少しでも好みを知ろうとあがいてみたりした。
「恵太ー、アタシがいうのもなんだけど、ちゃんとベンキョーしろし」
いたずらっぽく笑うアシリアに、思わずくらりときそうになる。
これまでも彼女の両親の事、思い出の場所、夢中になった事、個人的なことを聞こうとすると、内緒とばかりにかわされてしまう。
一筋縄ではいかないミステリアスなところがたまらないのだ。
一方で、心のどこかで警戒している自分もいる。
こんなに人懐っこくて、素晴らしい人なのに……。
表面上は何年来の友人に見えるくらいに打ち解けたようでも、彼女の本心がどこにあるのかわからない。
そして、アナザー恵太がアシリアをどう思っていたのかも、今の自分には知りようがない。
同じ家に住む美夏とは、姉弟としてだいぶ慣れてきたように思えた。
言ってみれば、二人目の母みたいだ。
生真面目で、洗濯物は裏返して入れろだの、靴は綺麗に揃えろだの、何かにつけて生活面の小言が飛ぶ。
挙句の果てに、恵太が食事中に口元を汚すと、美夏が指で拭おうとしてくるのだ(幼児扱いか!)。
美夏の得意不得意はだいたい分かった。
姉はパソコンの操作が苦手だ。
もはやわざとやってるんじゃないかと思えるほどITリテラシーがない。
ノートパソコンから音が出ない! と呼び出された際、単にプレーヤーの音量レベルがゼロだっただけの時は脱力した。
かと思えば、スマホには妙に詳しいんだから不思議だ。
このところ自分が読んでいないはずのLINEが既読になってしまうバグ(おかげですぐに返信できなかった)に悩まされていると、突然、美夏が部屋に飛び込んできて、こちらの端末を奪って弄りだしたことがあった。
「よっし、これでいいわ。今度から気を付けるから、たぶんもう大丈夫よ」
すると美夏の言葉通り、以降の既読問題は解決した。
スゴい! いったいどうやったんだろう?
困ったことがあると、まるで見張ってるようなタイミングで助けてくれるし、素晴らしい自慢のお姉さんである。
九月二十八日 月曜日
その日の授業が終わり帰り支度をしていたとき、恵太は、友人の遠山達也に呼び出されていた。
放課後に呼び出しとは珍しい。
しかも三階の空き教室という念の入れよう。
普段から歯に衣着せぬ言い方ばかりしているのに、今日はよほど人に聞かれたくない話でもあるのか。
「恵太ー、一緒に帰ろ」
スクールバッグを肩にかけたアシリアがいった。
ここ最近、彼女とは一緒に帰ることが多い。
「ごめん。今日は友だちに呼ばれてて」
「友だち? ……もしかして女子?」
「違うよ。遠山達也って、うちのクラスにいるでしょ」
「達也が? なんで?」
達也も呼び捨てか。
どうもこの世界では、単なるクラスメイト以上の知り合いらしい。
「わからない。教えてくれなかった」
「まったくもう……アイツはホントに……用があるなら帰るとき以外にしてってば」
アシリアが虫の羽音のような声でいった。
「アッシー、今日は付き合えよ~」
クラスメイトの武村恵麻が割り込んで、アシリアの後ろから抱き着いた。
「抱き着くな! てかアッシーやめろし。パシリみたいじゃん」
「まあまあ、よいではないか。滝沢くん、今日はアッシー借りてもいい?」
「どうぞ。恵麻さん、どうせ俺がなにいったって離す気ないでしょ?」
「はは、バレた?」
「ねえ、アタシの意見無視なん?」
恵麻がアシリアの腕を引っ張った。
「ごめん。また明日ね」
恵太はそういって手を振りながら教室を出た。
廊下を歩きながら漠然と考えていた。
よく思い返してみれば、前はタツから呼び出しなんてなかったよな、と。
……なにかマズい予感がする。
「あら滝沢くん、まだ帰らないの?」
恵太のクラスを受け持つ、副担の冴子先生が踊り場で声をかけた。
いかにもインテリっぽいメガネをかけていて、学校で不純異性交遊なんてダメですと日頃から公言しているような人だった。
新任として雑用をこなさねばならないのか、大量の書類を抱えている。
「はい。友達に呼び出されまして」
「友達? 滝沢くん、あまり個人の付き合いにとやかくいうつもりはないけれど、ほどほどにしておきなさいね」
「……はい?」
おそらく冴子先生の頭の中で、友達=女子の図式ができている。
メガネの奥の目に軽蔑の色が浮かんだのを恵太は見逃さなかった。
冴子先生とは相性が悪いのだ。
入学して早々亜麻色の髪が地毛か染めてるかで揉めて、地毛だとわかってもらうのに苦労したことがある。
それ以来目をつけられていた。
先生の通ってた大学にもあなたみたいな性格の人がいたのよ、とため息交じりに忠告されたこともあった(もちろん前世で)。
どうもこの先生、初対面の頃からこちらを女たらしかなにかだと思ってるフシがある。
「先生、ちがいますからね。俺にだって男友達くらいいます」
「あら、そうなの。ごめんなさい、私てっきり……」
「まったく……。あの、先生、その書類、運ぶの手伝いましょうか?」
ヒールを履いた先生には大変だと思い、恵太は書類を受け取ろうとした。
「ひゃっ! た、滝沢くん、だいじょうぶよ。これくらいなんてことないわ」
「そうですか」
「でも、ありがとう。それじゃあね」
慌てて持って行こうとする先生。あんまり慌てていたので、予想通りに転んでしまった。書類も派手にまき散らしながら。
階段の下まで飛び散った書類を集めるのを手伝った。
また転ばれては大変なので、このまま職員室まで書類を持っていくことにした。
呼び出された三階の空き教室では、指で眉間を抑え機嫌の悪そうな顔をした達也が待っていた。
西日が差し込み、表情に影が濃くなっている。
今にも殴りかかってきそうな雰囲気だ。
「わざわざ悪かった。べつに電話でも良かったんだが、やっぱこういうのは直接がいいと思ってな」
「ああ、ぜんぜん大丈夫」
数秒の沈黙があった。
遠くで鳴る吹奏楽部のラッパ音だけがやけに明瞭に聞こえる。
「妙成寺のことだ」
「アシリアの?」
「ああ。あいつ、あれで結構繊細っつーか。まあ、人並みに細かいこと気にするタチなんだよ」
「そう、か」
「だからよぉ。滝沢にも付き合いってもんがあるのはわかってる。断りづらいってのもな。断るって、相当エネルギー使うもんなあ」
「……ええっと、タツ。話がよく」
「ああ、すまん。どうも柄にもないこと言おうとすると遠回りになっちまう。単刀直入にいうと、他の女どもとの付き合いを止めてほしいと言いたかった」
どうしてタツが、アシリアのこと気にしてるんだ?
「まさかタツは、アシリアのことが好きなの?」
「はあ?」
達也は、呆気にとられたように口を開けた。
「待て、全然違うぞ。今はお前さんの話だ。お前と妙成寺の話!」
照れ隠しには見えない。
達也には、真意が伝わっていないという苛立ちが感じられた。
「そもそも、お前が言い出しっぺだろうが。マジでわかんねえって顔してんな。八月の頭もそんな感じだった」
おっとこれはまずい。
アシリアには微妙な変化を察知されていたが、彼女だけじゃなかったようだ。
元々、達也は凄まじい秀才だ。
少年期のエジソンかってくらい白黒はっきりさせたい執念が並外れている。
些細なことでもこいつは見逃さないだろう。
いつもと態度がちがう、お前らしくない、なにを隠してる?
ひとつ疑問が出るたびに答えを求められる。
答えに納得が行かなければ、さらに掘り下げられる。
少なくとも恵太には、達也の追及に耐えられる自信がなかった。
「ごめん。今日はちょっと門限があったのを思い出した」
「待てや。連れないこと言うな」
素早く逃げ出そうとした恵太の腕を、達也は、顔に似合わない強い力で掴んだ。
「それだよ。鳩が豆鉄砲食らったみてーな、その表情! ずっと引っかかってたんだ。なぜ妙成寺にそんな顔をしていたのか。今もなぜ逃げようとするのか」
「タツ、頼むから落ち着いてくれ!」
「じゃあ言え。何を隠してる?」
答えがなければ達也は納得しない。
しかし、答えが荒唐無稽すぎると頭の中身を疑われる。
万人に受け入れられやすいウソが必要だ。
「……わかった。正直にいう。実は俺、ところどころ記憶があやふやになってるんだ。これまで身近にいた人ですら思い出せないんだよ。あれだ、記憶喪失!」
「記憶喪失……? いやあ、それも違うな。少なくともお前がそう思ってねえだろ」
「なんでそんなのわかるんだ」
「お前さんの顔見りゃ一目瞭然だ」
「そんなに? でも……絶対にわかりっこない。正直に話したら、タツだって俺の正気を疑うと思う。だから言いたくないんだよ」
「いいから言っちまえよ。ホレ言え。心配しなくても、俺は絶対に笑ったりしねえし、お前がイカれてるとも思わねえから」
そういうと、達也は手を離した。
俺は天才じゃない、もしそう思うのなら、それは俺以外が大したことないだけだ。
達也はよくそんな嫌味を言ったりするが、たぶん謙遜も入ってる。
地頭の良さに驕らず、理解できない問題には蛇のようなしつこさを発揮する人間だ。
授業の腰を折りまくっては「もう勘弁してくれ」と教師に泣きつかれるほどの質問魔。
下手なごまかしもすぐバレるとあってはどうしようもない。
……観念するしかないか。
どこから……話せばいいのか。
正直なところやっと人に話すことができるとほっとする気持ちはあった。
一人で抱え込むには、あまりに重すぎた。
恵太はあるがままを話した。
自分が一度死んだこと、目覚めたら一年前に戻っていたこと、前世には存在しない人たちのこと。
頭がおかしいと思われるか、それとも笑い飛ばされるか。覚悟の瞬間だった。