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その瞳を孤独にさせはしない

「それではみなさん、旅行も本日で最終日となりました。一時間後にはバスで出発して、夜の十時くらいにはお家に着いてることでしょう。夏の旅行の最後の思い出ということで……花火大会を開催しようとおもいまーす!」


 館前の庭で桜色の華やかな浴衣に身を包んだ穂高の宣言とともにクラッカー音が炸裂した。


「なにが花火大会だよ……まだ明るいのに。それに打ち上げ花火ならともかく線香花火とかしょぼいやつばっかだし」

「でもアシリア、けっこう楽しみにしてたっぽいよね」


 言葉と裏腹にアシリアは子どものような笑顔を見せていた。


「べつに楽しみじゃないし。子供のころこういうのやる機会なかったから、慣れてないだけだし!」


 アシリアと美夏は、穂高の用意した紺と水色の浴衣を着ていた。

 アシリアは腰回りがキツそうに、美夏は恥ずかしいのかしきりに胸やお尻のあたりを手で触って確認している。

 冷河と仁美はまだ姿を見せておらず、着付けに時間がかかっているらしい。


「浴衣姿、よく似合ってるね」

「先輩が着付けできるっていうんで任せたらさ、アタシんときだけめっちゃ腰紐締め付けてくんだよね。しかも一番地味な紺を押し付けるし。最後の最後まで嫌がらせの心は忘れないってカンジ。花柄は超可愛いからギリ許すけどー」


 アシリアは自慢気にくるりと身を翻した。


「それよりミカが大変だったよ~。なかなか浴衣着る気にならなくてさー。思い出の記念にって、アタシと先輩で着させてやったし」

「浴衣を嫌がったの? なんでだろ」

「『わたしはからだのでっぱり薄いから浴衣似合わない』って、かたくなだったんだよねー」

「そういうことか。姉さんって卑屈なとこあるんだよね」


 子供のころ容姿を弄られた思い出があっていまだに自信がないらしい。

 おかげで姉のご機嫌取りに苦労させられた。

 アシリアが不思議そうな顔で言う。


「ねえ。キミの認識だと、ミカとは一年前にはじめてあったんだよね?」

「うん。そうだよ」

「それなのにキミはミカのことよく理解してるみたいだし、ミカもキミのことまったく疑ってない。そのままの恵太だって信じてる。不思議だよねー。過ごした時間の長さがぜんぜん違うはずなのに、それでもちゃんとした家族なんだから……」

「俺も初めのうちはけっこう戸惑ったよ。美夏姉さんだったから、なんとかなったんだと思う」


 アシリアが悔しげに地面の小石を蹴る。


「あーあ、いいな~。恵太のお母さんもすっごくいい人だったし。ホントに羨ましい家族だよ。アタシのお母さんなんて毒親もいいとこだからさー」

「アシリアのお母さんはきびしい人だったの?」

「きびしいってもんじゃないし。だってアタシにお芝居やらせることしか頭にないんだもん。娘の意思はカンゼン無視。稽古して撮影して取材受ける、これの繰り返しばっか。小学校にも満足に通わせない親だったんだよ」


 想像するに余りあるハードな生活だったのだろう。

 一般人なら体験できた日々をことごとく飛ばしてきたとあっては親を恨みたくなるのもわかる気がした。


 自分の母親も人並みに教育熱心ではあった。挨拶は欠かすな、つねに礼儀正しくしろ。当たり前のことを耳にタコができそうなくらい言われた。いいかげんな人間に育てたくないという想いが強い母親だった。


 アシリアのお母さんは違ったんだろうか。母親の愛情には違いがあるんだろうか。

 彼女の話を聞いてるかぎりだと──


「きっとアシリアのお母さんは、すごく期待してたんだろうね」

「期待? どこが?」

「気にさわったらごめん。うちの母さんは、躾には厳しくても、俺に無理強いしたりはなかったんだ。テストでいい点取れとか、いい学校入れとかね。自分の子どもに不相応な期待をしなかったんだよ。そういう意味じゃ、アシリアのことが羨ましいって思う。俺とちがって信頼されてたってことだから」

「……キミはほんっとうにさあっ」


 アシリアは顔を背けた。


「どう考えたって歪んで捻じれて曲がってるだけなのに、それでもまっすぐ解釈しようとするよねえっ。お人よしっていうか、ただのバカっていうか。そういうトコ、やっぱり恵太だね」

「本当の恵太は、違う考えかもしれないけどね」

「いや……たぶんアタシの知ってる恵太も、そういうバカなこと言いそう」


 そういうと口をへの字にして肩でぶつかってきた。


「本当の恵太とか言わなくっていいよ。まるでキミが偽物みたいじゃん」

「……そうだよね。ごめん」


 後ろで罵声が響いた。


「この口かっ、この口かっ。悪いこというのはこの口かあっ」

「痛い痛いっ。痛いから。もう言わないから許してっ」


 美夏が金切り声を上げながら、穂高の頭に拳グリグリ攻撃をしていた。


「け、恵太くん、助けてえぇ」


 恵太は駆け寄って、美夏を引き離した。


「やめなよ姉さん。穂高先輩、痛がってるじゃない」

「わたしの心は穂高以上に痛いの! こいつはね、スタイルにメリハリつけようと思って胸とお尻にタオル詰めたわたしの努力を爆笑したのよ!」


 聞いた瞬間こっちも笑いそうになった。

 解放された穂高が頭をさすりながら。


「だって、おかしいんだよ? からだの凹凸少ない方が着崩れしなくて綺麗になるって言ってるのに、美夏ちーったらぜんぜん言うこと聞かないんだもん」

「わたしを笑ったことだけじゃないんだからね。穂高があんたとアオカ…………、口に出すのも憚られるお下劣な願望垂れ流してたからよ。頭にうんと詰まった煩悩を抜いてあげるからっ」


 グリグリと側頭部に中高一本拳を捻じり込まれ、穂高は悲痛の声をもらした。


「タ、タオル詰めたって……どうりでさっきからお尻抑えてると思ったら」


 無情にも美夏の裾から詰めていたタオルが落ちた。

 涙ぐましい工夫しなくても十分魅力的だと思うのに。


 アシリアはその様子を見て笑っていた。


「ミカは相変わらずだよね~。小事にこだわって大事を忘れるっていうか」

「家でも自分には魅力がないって思い込んでてしょっちゅうヘコんでるよ」

「それウケる。でもま、そんなミカだから、恵太も好きになったのかなあ。そこんとこ、キミはどうなのかな~?」


 アシリアはゆっくりしゃがみ込んで頬杖をついた。


「もちろん俺だって姉さんのことは好きだし大事な人だよ。ただ、アシリアが思ってるような形じゃなくてもっとマイルドな方向でね」

「ホントかな~。実はミカのこと考えてこっそりエロい妄想してたりしない?」

「そ、そんなことするわけない」


 風呂場で背中を流されたことを思い出した。

 美夏の白い脚を見て変に意識してしまったのだ。

 アシリアが目を細める。


「ほら~、またエロいこと考えたっしょ。キミってそういうの超わかりやすいし」

「いやいや、考えてないよ! そんなことより……」


 恵太は、アシリアの隣に腰を下ろした。


「深夜、姉さんといっしょに館の庭で剣道の素振りみたいなことやってたよね? あれってなんなの? 姉さんに聞いてもまともに答えてもらえなくて」


 末代までの恥のように苦い顔をされた。


「……くっ、アレを見られてたとか」

「だいじょうぶ。アシリアが乗り気じゃなかったのはわかってるから」

「なにやってたかって言われるのが一番困るし。あえて言うなら予行演習的な?」

「予行?」


 棒を振り回したり、決めポーズを取ることが?

 アシリアは、手持無沙汰に下駄の鼻緒を触っていた。


「うまく言葉にできないんだけど、これは明日のキミのために必要なことだって思ってる。アタシとミカにはどういうわけか変な力があって、見えないはずのものが見えたりするんだよね。でも、それだけじゃないハズなんだよ。練習して使いこなせたら、もっとすごいことができる。そしたらキミの未来を変えることだって……」

「アシリアは、姉さんも同じように俺の未来を知ってるってこと?」


 あの謎の健康診断もそうなんだろうか。

 アシリアは首を横に振った。


「わかんない。お互い暗黙の了解ってやつ。アタシといっしょで、ミカ自身はっきりわかってるわけじゃないよ。『できることはできる、あるものはあるで認めるしかないよね』ってミカは笑ってたっけ。そんなアタシたちを繋げてくれたのはコレ」


 そういうとアシリアは、浴衣の袂から古代の象形文字のような模様が刻まれた小さいモノを取り出した。


「それって……メジャー?」


 わずかな出っ張りといい手のひらに収まる大きさといい、ちょっと独特なデザインの巻き尺に見える。

 アシリアはメジャーを袂に戻した。


「普通のメジャーみたいには使えないんだ。いくら帯を引っ張っても伸ばせなくて。きっと使い方が特殊なんだと思うし」

「でも、それがどうしたっていうの?」

「この旅行に来る前に、いつの間にかアタシの家にあったの。このメジャーと小っちゃい銀の棒……。見た瞬間ピーンときてね。このメジャーはアタシ、銀の棒はミカのモノだって。しかもこの世界のモノじゃないってことも知ってた。なぜって言われても説明できない。太陽が西から登って東に沈むみたいに、知ってて当然のことのように感じたんだよ」

「ここのモノじゃない?」

「笑っちゃうよね~。ぜーんぜん論理的じゃないし、この世界じゃなきゃドコなんだよって感じだし。でもね、キミが異世界の恵太だって聞いてからは、そういうものだって受け入れることができたんだ。これをうまく使えればきっとキミの助けになるってことも」


 アシリアは気丈に笑っていたが表情に影があった。


「何なんだろうね。キミのいたところにはアタシいなかったっていうし、自分のことがよくわかんないや」


 彼女が本当はどんな気持ちかわかる気がした。

 宙ぶらりんの状態で放置されると誰だって不安になる。

 異世界のモノを認めるということは、そんなものを持つ自分は何者なんだという疑問に行き着く。


 美夏は女神の生まれ変わりだ。

 アナザー恵太がいうには、幼いころ遠くの出来事を言い当てることができたという。

 アシリアにも似たような力があるということは、きっと彼女も同じような存在なんだろう。


 真実を伝えたほうがいくぶん気持ちは楽になるかもしれない。でも、彼女を後戻りできないところまで追いつめてしまうようにも思えた。


「……不安なんだったら、俺のためにムリなんてしなくていいんだよ」

「アタシの不安なんて、キミに比べたら大したことないし。そういうそっちは不安じゃないの? 下手したら明日死ぬかもしれないのに」

「もちろん不安だった。誰にも言えない間ずっと怖かったよ。だけど、俺には助けてくれるみんながいたから。タツやアシリア、姉さんがいてくれたおかげでずいぶん救われたよ」

「で、一番救ってくれたのがレイカってこと?」


 一転して、アシリアがニヤニヤと笑う。


「レイカに色々教えてもらったんだ。恵太って昔本当に地味でダメダメなやつだったって。ちょっと想像できないよね。レイカへの尽くしっぷりを見てたらマジみたいだし」

「もうバレてるなら……、恥ずかしながらぜんぶ事実です」

「ちょっと悔しいな~。その頃の恵太も見てみたかったのに」

「いやあ、その頃の俺ってなんにも良いとこなかったし、アシリアを幻滅させてただけだと思うよ」


 女子の期待を裏切るから死ぬまで王子様やってろと言われるくらいなので。

 アシリアは遠い目で空を見つめていた。


「アタシね……、レイカのことがすごく気になってた」

「気になる?」

「しかも悪い意味で。ライバルだからってことじゃないよ。アタシとレイカがはじめて出会った映画共演のころから、あの子には胸騒ぎを感じてた。アタシにとってレイカは、セリフすらキャンセルされたエキストラだったはずなのに、どうしても目が離せなくなった。演技ができなくて落ち込んでたレイカに声をかけてみても理由がわからなくて。高校で再会してからもあのときの胸騒ぎは消えてない」

「うーん、それはたぶん冷ちゃんのことが印象深かったからじゃない? あるいは、アシリアの役者としての嗅覚が冷ちゃんの素質を見抜いたからとか……?」

「そういうのとは違うかな。きっとキミの未来と関係あるんだと思う。レイカがキミの死の場面に立ち会ってたっていうのなら、それはアタシの胸騒ぎと無関係じゃない……」

「もしかして、俺が死んだあと冷ちゃんがどうなったかわかったの?」

「どうなったかまではわかんない。でも想像はつくよ。レイカはキミのことが大好きなんだから、そんな人が目の前で死んじゃうのはこの世の終わりといっしょでしょ」


 この世の終わり。それは比喩としての表現なのか。それとも現実に起こる災厄か。

 この場合どっちなんだろう。


「キミのことだから、最悪レイカを助けられたら自分はどうなってもいい、みたいな考えはまちがってるからね。キミは死んじゃいけない。なにがあっても生き抜かないといけないんだ。そうじゃないと、レイカを助けることは永久にできなくなっちゃうかもしれない」

「永久にって……、それってどういうこと?」


 アシリアが祈るように口を開きかけたとき、洋館のほうから浴衣に着替えた冷河と仁美が来た。

 姿を見かけなかった達也も、彼女たちについてきていた。


「ごめんなさい。腰帯の結びに手間取っちゃって。こんなことなら水城舟先輩にお願いすればよかったわね」


 冷河はそういって、仁美の結び目を直していた。


「……タツ、どこ行ったと思ってたら冷ちゃんたちと一緒だったんだ」

「ナイト役が一人くらいいたほうがいいだろ」


 良い心がけだ。

 その調子で少しでも仁美の好感度を稼いでほしい。


 アシリアがふるふると首をふりながら恵太の腕を引いた。


「ごめん。わけわかんないこと言っちゃった。いまのは忘れて」


 本人も確証のないことを言った自覚があるようだった。


「……わかったよ。ただね、ひとつ大事なことを言わせていただくと」

「なに?」

「俺、ついこないだも冷ちゃんに嫌いだってはっきり言われて……。冷ちゃんが俺を大好きというのは怪しいかな」

「なにいってんの。そんなの典型的な好き避け。プロレスみたいなもんじゃん。そう言っとけばキミが放っとかないからレイカも安心してキライっていえるだけだし」

「いや、でも冷ちゃんってそういう本音を裏に隠すタイプじゃないっていうか……」

「アタシの見立てがまちがってるとでも?」


 アシリアは、人を見る目だけはあると言いたげに、恵太の背中を力強く押した。

 小さな花火大会は長く続かなかった。

 時計は午後七時を回っている。

 きらきら輝く光の飛沫が消えていく。線香花火の最後の一本をアシリアが嬉しそうな笑顔で楽しんでいた。決して派手とはいえない小さな催し。それでも各人の心に刻まれる大切な記憶となるだろう。


「あ~あ、終わっちゃった……」


 名残り惜しそうにアシリアは唇を尖らせ、穂高が小さく手を叩く。


「それではみなさん、楽しい花火のあとはお片付けしましょ。ここのお庭は施設側の所有でもありますから、散らかしたままだと後日来る方たちの迷惑になります。もうすぐバスの出発時間ですのでテキパキとね」

「それだったら、後片付けは俺とタツでやっておきますから、みんなは先に戻っていていいですよ」


 無造作に開けられた花火の袋を広いながら恵太は言った。

 達也は異論無しと片手をあげる。

 女性陣には着替える時間が必要だった。


「では、お言葉に甘えさせてもらいましょう」

「着替え終わったらわたしも手伝うからね」


 美夏が箒と塵取りを恵太に手渡した。


「じゃあ、わたし、これ持っていくよ」


 仁美がよろめきそうな手つきで水入りバケツを持ち上げた。

 その様子を見ていた冷河が、達也のお尻を引っ叩いた。


「いてっ。なにすんだよ」

「黙って行かせてないで、バケツ持ちは遠山くんが代わってあげなさい。こういうとこでしっかり稼ぐの」


 玄関へ向かっていく仁美の背中を見ながら、達也は滝のような汗を浮かべていた。

 そんな達也の頭をアシリアが後ろから叩いた。


「ばーか」

「いてっ。んだとコノヤロ!」


 アシリアが仁美に追いつくといっしょにバケツを持ち始めた。


「いや、でもよぉ。そういうベタな親切はあざとすぎて逆に嫌われそうじゃねえか。それにほら、ああして妙成寺のやつが手伝ってるしよ」

「どれだけ拗らせたらそういうバカな思考になるのよ。あざとい親切なんてもんはね、どんどんやっちゃっていいの。強引に割り込んでいいの! 優しい人が嫌いな子なんていないわ」

「…………女のいう優しい人が好きってセリフほど信用できないものはねえんだが」

「うるさい。グダグダ言ってないでさっさと手伝う!」

「はいっ」


 覇者の一喝に気圧された達也が仁美たちのあとを追う。


「まったく、ホントにしょうがない人ね。優秀なんだからその能力をもっと恋愛面に活かせばいいのに」


 文句を言いながら、冷河は後片付けを手伝い始めた。


「ここは俺だけで大丈夫。冷ちゃんも着替える時間がいるでしょ」

「気にしないでいいわ。わたし、このまま帰るから」


 冷河は嬉しそうに浴衣の裾を伸ばす。


「その浴衣って穂高先輩が貸してくれたものだよね?」

「先輩にお願いしたら、しばらく借りてていいって言ってもらえたの。せっかく綺麗な浴衣なんだから、うちの両親にも見せたいしね」

「そっか。きっとご両親も喜ぶよ」


 数日ぶりに機嫌が良さそうだったので、なんだかこっちまで嬉しくなってきた。

 それから二人で空の袋を集め、花火の残骸を集めた。


「あら。一本だけ残ってたみたい」


 冷河がくしゃくしゃの袋から線香花火を取り出した。


「余らせるのもなんだし……せっかくだから最後に点けてみる?」

「それじゃあ、旅行の最後の思い出に」


 最後の一本の花火に小さな火が灯った。

 せめてもう一本残っていれば二人で楽しめたのだが贅沢は言えない。

 冷河は不機嫌そうに手招きした。


「ちょっと。最後の一本、わたし一人で使わせる気? せっかくだからあなたも」

「え? 冷ちゃんが楽しんでくれれば俺はべつに……」

「いいから。ここ。端持って」


 花火を端っこをちょっぴり握らせてもらえた。

 パチパチと煌めく火花より、冷河の横顔のほうが綺麗に見えた。

 今日は本当に機嫌が良さそうだった。


 二人きりで花火という絶好のシチュエーション。欲を言えばついでにこの前の汚名を返上したい……。

 ぶざまな誤解をされたままじゃ死んでも死にきれないんだ。

 なにか。冷ちゃんの俺への悪印象を払拭できるような一発逆転の策は。

 なにかないのか。 

 といって余計なコトするとこれまでの経験上失敗しそうなのがなんとも。


 そもそも彼女の本音がどうしてもわからないんだ。

 一番よく知っているはずの人のことが、一番よくわからないというこの矛盾をどうしたらいい?


(だってあなた、小学生のころからずっとわたしの期待を裏切ってるんだもの)


 ずっと考えていたが答えは見つからなかった。

 冷ちゃんのいう期待とは、俺が才能に見合った人間になること。

 冷ちゃんのいう才能とは、俺が女子の王子様役を完璧にこなすということ。


 ハリウッドスターみたいな才能があるとは思わないが、学校のアイドルくらいにはなれたと思える。

 ウケの良い子もいれば悪い子もいた。相手を楽しませられなかったときは悪かった点を反省して次の糧にしてきた。

 そうしていけば、いつか冷ちゃんに認めてもらえると信じて。

 それでもまだ足りないらしかった。


「ねえ。聞いていい?」


 恵太ははっとして、現実に引き戻された。


「うん。なに?」

「旅行の一日目にみんなでテニスしたじゃない。あなたその時、水城舟先輩の胸ばっかり見てなかった?」


 心臓が飛び出すかと思った。

 ……なぜバレたし。

 でもそれは決していやらしい気持ちで見てたわけじゃなくて。

 心配になるくらいバインバインだったのでつい……。

 いや、エロい気持ちがぜんぜんなかったとはいえないか。

 からだをジロジロ見られて嫌がる子は多いのに、そんなことをしてしまう男はぶざまだしカッコ悪い。

 冷ちゃんの言ってた期待を裏切るとは、女子をエロい目で見るなということか。


「……ごめんなさい。先輩の胸が気になって、つい見てしまいました」


 ごまかさず素直に謝ったほうがいい。なじられるのは覚悟の上。


「ふーん。まあいいんじゃない? そもそも水城舟先輩はわざとそういうふうにアピールしてたみたいだし。あなたが謝る必要ないと思うわ」

「……あ、はい。そういっていただけましてなによりです」


 意外にも怒られずに済んだ。


「滝沢くんって、わたしがいない間も何人かの子と付き合ってたんでしょ。どういう子が好きなの?」

「ど、どういう子っていうと?」

「好みのタイプくらいあるでしょう。顔が可愛い子がいいとか、性格がいいとか。あなたの場合は、胸の大きい子がいいのかもね」


 冷河の目つきが鋭くなった。

 眩しくて目を細めたのではなく、『これだから男は……』という本能への軽蔑が混じってそうだ。


「俺は、相手をえり好みするような身分じゃないよ。むしろ俺でいいと喜んでくれる人には感謝してるくらい」

「優等生みたいな回答ね」


 花火の端を持っていた手が冷河の手に当たる。少し汗ばんでいた。


「美夏ちゃんのことどう思う?」

「どうって……姉さんはいつもの姉さんだよ」


 何が言いたいんだろう。


「ふと思っちゃったのよね。あなたにお姉さんがいなかったら、わたしたちの関係って変わってたのかなって。わたしは滝沢くんと出会ったころ、どうしても弟が欲しくてね。そんなとき河川敷でわんわん泣いてるあなたを見つけたの。ちょうどいい弟候補がいたって嬉しかったな。おあつらえ向きに鍛えがいのありそうな感じだったし」

「お、弟か~。……できの悪い弟でごめんなさい」


 しかたないとはいえ最初は男として見られてなかったことにへこむ。

 冷河は火の消えた花火を置き、恵太の手を握った。


「滝沢くんに本当のお姉さんがいるって知ったとき、美夏ちゃんに言ってやりたかったんだよね。『あなたが甘やかすから、弟が軟弱なんじゃないの』って。結局、文句いってやる機会は逃しちゃった……。あなたはどう思う? もし、美夏ちゃんがいない人生を生きていたとしたら、あの日あなたは河川敷で泣きべそかいてたのかな」


 冷河の瞳は憂いを帯びていた。


 美夏がいない世界を生きていたとしたら。そんな仮定は考えなかった。

 なにせ自分は、本当にそういう世界を生きてきた自分だから。


 結論を言ってしまえば、何も変わらないのだ。

 あのころの自分は、この世でもっとも劣ってると信じて泣いてばかりの子どもだった。

 そして、冷ちゃんと出会って、男としての生き方を教わった。

 理想の自分になろうという目標ができた。

 異なる世界だったとしても、この出会いはまぎれもない真実だ。

 本当の意味での「運命」だった。


「たとえ、俺が泣き虫じゃなかったとしても……、それでも冷ちゃんと出会ってたはずだよ」

「どうしてそう思うの」

「……俺たちの出会いは、運命だと思うから」


 どこか遠くから打ち上げ花火の音が聞こえた。

 冷河は、恵太の目を覗き込んできた。


「……で、その運命の相手だと思う人に対して、あなたはどうしたいの?」

「それはもちろん……」

「わたしもね。そう思ってくれる人になら、こうして欲しいって思ってるわ」


 言うなり冷河は、黙って目を閉じた。

 向かいあった相手に目を閉じる行為の意味はひとつしかない。

 ……これはキス待ちか!

 機嫌が良いどころじゃなかった。いつの間にか弟から男へ。

 唇を許す段階まで進展している!


 旅行中に冷ちゃんの機嫌が直るとは思っていなかった。

 バクバクと心臓が高鳴る。肝心なときほど焦るのは悪い癖だ。とにかくまずは落ち着くんだ。

 アシリアの時のように興奮しすぎてはいけないんだ。

 ここでしっかりカッコつければ今までの失態も十分プラス収支にもっていける!


 難しくはないはず。

 勢い勇んで踏み込まない限り、出血沙汰にはならない!

 そもそもアシリアとのアレは、レアケースだろう(ダメなほうの)。


 集中しすぎて我を失うから失敗するんだ。

 慌てず、騒がず、気づかって、クールに決めればいいんだ。

 簡単なことだ。

 頬へのキスと変わらない。

 変わらないはず…………。


 恵太は、冷河の肩をそっと掴んだ。


(でもこれ……、もし失敗しようものなら、今まで以上に嫌われる流れでは?)


 悪い想像をしてしまうと思うように体がスムーズに動かなくなった。

 死ぬような目に遭うよりも冷河に嫌われてしまうほうが遥かに嫌だ。

 大げさじゃなく、ここを空振りしてしまったら後がない。

 この人だけは失敗したくない。

 俺は試されている!

 ここは是が非でも百点満点を取らなきゃいけない場面なのだ。


 気分は勢いよく、動きはエンジンブレーキをかけたような慎重さで唇を重ねようとすると──


「待って」


 冷河の指が恵太の唇をさえぎった。


「……そういうことする前に、なにかわたしに言うことがあるんじゃないの?」

「い、言うこと?」

「ちゃんと口にしてくれたら、わたしもあなたの気持ちに応えてあげる」


 確かにそうだ。

 危うく大失敗するところだった。

 冷河の好みを考えたら黙ってキスするのは悪手。

 気持ちはしっかりと言葉にすべし。


「好きだよ」

「…………それだけ?」


 いかん。嬉しすぎて語彙力が低下していた。

 改めましてもう一度。


「冷ちゃん、大好きです」

「そこまで難しいこと求めてないでしょ?」

「あ、愛しています!」


 抱き合えそうなくらい接近していた体が離されていく。

 ないわーコイツ、みたいな拒否が胸に刺さって痛い!


「…………ふぅ。きっとあなたは、いつでも誰にでもおんなじことを言うんでしょうね」


 露骨にため息まで吐かれた。


 ……………………? ? ? ? ?????????????(絶賛混乱中)


 ちょっとお待ちいただいてよろしいでしょうか。

 好きだという気持ちをこれ以上どうやって表現したらよいのでしょう。

 そういう気持ちの最上級って「愛してる」じゃないのでしょうか。

 ウソではないのです。本当に冷ちゃんのことを心から想っているのです。

 本当に彼女のためなら命かけるのも惜しくないのです。


「俺は冷ちゃんのためなら死ねます!」

「そんなの迷惑なだけでしょ。本当にわからないの? たった一言だけなのに。もっと常識的に考えてみて」


 これもダメなんですか。

 冷ちゃんの望んでるたった一言って何なんですか。

 本人に聞いたら幻滅されるだろうし、聞かなかったら本当にわからないし……。

 どうしよう。断崖の絶壁に片手でぶら下がってる気分になってきた。


 じれったくなった様子で冷河が言い放った。


「もおっ! 本当に頭の悪い人ね。わかったわよ。最大のヒントをあげる。あなたには好きな人がいっぱいいるんでしょう。これまで色んな子と付き合ってきたし、わたしより断然きれいな妙成寺さんとも付き合っていたんでしょう。その中からわたしを選んだ理由はなんなのよ。その理由を一言で言ってみて」

「一言で?」


 考えれば考えるほどわからなくなってきた。

 難解すぎる。好きや愛してる以外の一言ってなんなの?

 一言……一言……一言……一言……一言……一言……一言……一言!

 ぐるぐると同じ単語が頭をまわってゲシュタルト崩壊しそうだ。

 冷ちゃんを愛しているから。

 どこまで考えてもこれ以上の理由が見当たらない。


 辛辣なところも。

 目つきがきついところも。

 しっかり者なところも。

 努力家なところも。

 お姉さん肌なところもすべて。


 そして、誰よりも優しい冷ちゃんが大好きだ。

 だけど、どんなに言葉を重ねても不足だという。


 ホワーイ、どーゆーこと? 自分の国語能力のなさに絶望しそう。一言にもう一言足せってこと? それって一言じゃなくない?

 この世に恋愛の女神様がいるんなら、この憐れな男にいますぐ叡智を授けてほしい!


 このままじゃ大失敗は確実だ。

 窮鼠猫を噛むの精神で攻めに転じるしかない!


「俺と結婚してください!」

「バカいわないで。飛躍しすぎよ」

「家事はぜんぶ俺がやるから!」

「結婚の前提から離れてくれない?」

「俺の血と肉と骨はすべて冷ちゃんのためにあります!」

「怖い。しかも重いわ」

「冷ちゃんのATMになりたいです!」

「わたしがお金目当ての卑しい人間だと思ってるの?」

「……………………」


 全滅。

 これ以上女性の心に響きそうなセリフが思い浮かばない。

 発想の転換が必要だ。


 冷ちゃんにはテンプレートな言動は通じない。

 守破離の離の段階に進んでいないと苦言を呈していた。

 離とは己の殻を破り、新しいものを創造するということ。つまりどういうことか。

 これまで培った『白馬の王子様』のもう一歩先へ進んでみろということでは。


 逆に考えるんだ。普段の俺がやらないことをやればいいんだ。

 白馬の王子様ならぜったいに言いそうにないセリフを冷ちゃんは求めてるのでは……?


「はあ。そうよね。いまのあなたには、わたしの求めてることって難しいのかもね」


 冷河の瞳が寂しそうに潤んでいた。

 愛する人にこれ以上寂しい目をしてほしくなくて必死に考えた。


 ……………………思いついた。

 これしかないという会心の答えを。

 あまりに品が無さすぎて普段なら絶対言わないことだ。

 唯一の問題は、自分たちはまだ高校生なのでそういった施設を利用できるかは運しだいというところか。


「戻ったら……、ふたりきりになれるホテルで休憩しない?」


 数秒の沈黙が流れる。

 意味が理解されたのか、冷河はニッコリと素敵な笑顔で微笑んでくれた。

 情熱的に互いの指を絡ませて……逃げられないようロックされた!


「いやらしい! この、からだ目当てのド変態がぁぁっ」

「はううっ」


 回避不能の強烈なビンタだった。

 冷河はわなわなと肩を震わせる。


「わたしは、今日ほど情けないと思ったことはないわ。学校では愛想よくできてても、肝心なところでカッコつけられないんだったら、そこらにいる顔だけのクズ男となにも変わらないじゃない。あなたはそんな人じゃないはずでしょう」

「は、はい」

「……やっぱり成り行き任せじゃダメね。やっぱりわたしたち、適度に距離を置くべきよ。そのほうがあなたのため」


 打たれた頬の痛みも忘れるくらいの通告だった。


「それだけは絶対に嫌です!」


 恵太は、冷河の手を包んだ。


「ごめんね。俺がバカだから……。いまは冷ちゃんの不満がわからないけど、いつか必ずわかってみせるから。だからもう少し、もう少しだけ……」

「わ、わかったわよ。わかったから、手をはなして。顔近いわよ」


 困ったような表情を見せて冷河は立ち上がった。


「さ。ムダ話はおしまいにしましょ。これ、捨てに行かなきゃ」

「待って」


 恵太は、ゴミ袋を抱えて洋館に戻ろうとする冷河の肩を引き留めた。

 このまま行かせたくない。

 失敗のあとに何もしないことを大失敗というのだ。


「どうしたの。……むぐっ」


 恵太は、冷河の柔らかな唇を奪っていた。

 それはほんの一瞬で、触れたか触れないかも曖昧なキス。

 冷河は目をぱちくりさせ、ゴミ袋を地面に落とした。


「明日の朝、冷ちゃんの家まで迎えに行くね。いっしょに学校行こ」

「……いらないわよ! 恥ずかしいじゃない」

「そんなこと言わずに……ね?」

「……………………」


 恵太は、落としたゴミ袋を拾って冷河の手を引いた。


「……そこそこ上手になったじゃない」


 その声は小さすぎて、恵太には聞こえなかった。

 彼女の指は感触を確かめるように、ずっと唇に触れたままだ。

第三章終了です。

三章で完結予定でしたがもう少しかかるので結は第四章に持ち越します。

中々思ったようにはいきませんでした。

ここまで読んできてくれた方には本当に心から感謝します。

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