もう一度プリクエル
七月三十一日 土曜日 午前十一時一四分
この一週間でセミの大コーラスが勢いを増していた。
「バイバイ、美冬ちゃん。元気でね」
恵太は、駐車場のバスに乗り込もうとする美冬に言った。
「バイバイ、若パパ~……と、おねえちゃん」
冴子に抱えられ、美冬がバスの窓から小さな手を振った。頭のネコミミカチューシャが虹色にピコピコ点灯している。先日ショップに売っていたネコミミを欲しがっていたのでプレゼントしたのだが、お気に召したようで昼間はずっとつけてるらしい。
連日遊び相手をしていたのに、けっきょく最後まで「おにいちゃん」とは呼んでもらえずじまい。
そんなに美冬のお父さんと自分は似てるんだろうか。子どもを日本に残して海外を飛び回ってるらしいお父さんのことが気になって、あるとき美冬に「お父さんはなにをやってる人なの?」と聞いてみたところ──
「おふねを売ってるよ」
と教えてくれた。
ふね? 船? 船を売るってなんだ? そんな仕事があるの? 小型のボートを売ってるってことか。
奥の座席から冴子が声を上げた。
「あなたたちも帰るときは気をつけなさいね。明日は登校日なんだから余裕を持って行動するように!」
バスが発進してからも、美冬は窓の隙間から見えなくなるまで手を振り続けていた。
佐々木冴子と美冬の一週間のバカンスは終わり、彼女たちは一足先に東宮市へ戻るのだ。
思えば不思議な縁だった。
学校で毎日のように会っていた冴子先生の姪。前世では会うことすらなかった女の子。
この子に会うため俺はここに来たんじゃないかとさえ思える。
(最後にはしたくないなあ……)
恵太は、発進していくバスを寂しい気持ちで見送った。
「ちゃんとお兄ちゃんできてたじゃない。でも、いたいけな女の子にネコミミプレゼントしちゃうセンスは改善の余地ありね」
美夏が満足げに恵太の肩を叩いた。
「え?」
「そんなにガッカリしなくても大丈夫よ。きっと近いうちにまた会えるから」
「なんで? 隣町に住んでる子だから? それとも美冬ちゃんと会う約束でもしたの?」
「そういうわけじゃないの。ただ……予感がするのよね。我が家に近づこうとするアンノウンな気配をひしひしと」
美夏は、ライバルに勝負を挑むような面持ちで拳を握っていた。
「姉さん、なにか隠してない? ここのところ変だよ。それに夜中アシリアといっしょになにかやってるでしょ」
「な、なにも隠してないし! やってないし!」
ぷいっとそっぽを向かれた。
二日前の深夜、熱さに目が覚めて夜風に当たりに外へ出たとき、美夏とアシリアが屋敷の庭に出ているのを目撃した。
剣道の素振りのように小さな棒を振り回したり、魔法少女アニメのヒロインのように必殺技の名前を叫んだり、背景で大爆発が起こりそうな決めポーズを練習していたり。
熱心なのは美夏だけで、アシリアの恥辱に満ちた表情が忘れられない。
本人が楽しければいいとはいえ……もう高三なんだから少年漫画のような修行ごっこはできるだけ人目に触れないところでお願いしたい。
姉さんは女神の生まれ変わりなのできっとそれに関係する重要な儀式か! と一瞬考えたりもしたがぜったい違うだろうな(確信)。
そもそも姉は女神の存在を憶えてないらしいし、その事実に一縷の望みをかけるのもまちがいだと思う。女神というのは異世界の超文明やら超技術の産物。どういうふうに生み出され、どんな仕組みで人間として生まれ変わったのかは想像もつかない。
それよりも姉にはいつも通りでいてほしかった。俺にとっては美夏姉さんは大切な家族の一員だ。
中学生のころ高額なアクセを欲しがったり、弟の世話と称して無茶苦茶やったり、友だちの穂高と会うたびはしゃいだり。スマホに詳しいわりにパソコンオンチ、テレビの情報を真に受けて一喜一憂しがちな忙しい人。どこにでもいる普通の姉さんだ。
「だいたいね、隠し事が多いのは恵太のほうでしょ。すっごい大きな問題抱えてるんだって、ちゃんとわかってんだからねわたし」
「いや、べつに俺はそんな……」
思わず苦笑いしそう。
隠し事が多いのは否定できない。中身は違う恵太だし、実は俺明日死にそうなんです、とはとくに言えないし。
ここまできたらぜったいに悟らせたくなかった。
泣いても笑っても残された時間は最後。できることはすべて今日のうちに済ませたい。
思い返してみると、生き残るためのあがきなんてなにもやってない。この一年の間にやったことといえば、前世で出会わなかった子供二人を助けたことと、校外問わず女子の悩み相談を受け付けたくらいだ。
前者はともかく、後者のために前世以上に忙しい日々だった。"前世にない人間関係が生き残るルートを作る"そんなわかるようなわからないような達也の案のため女子友増やしに奔走した。
冷静になって考えてみたら……意味があるかないかで言ったら、まちがいなく死の運命をはね返す役には立ってないと思う。
思うけれど、それならそれでいいか。少しでも誰かの役に立てたなら、誰かに喜んでもらえたなら、自分が生きてきた意味はあったはず。たぶん。
一六歳という若さで白血病にかかり一年の余命宣告をされた少女のニュースを思い出した。「やりたいことがありすぎて時間が足りない」とよくボヤいていたらしい。なんとなく気持ちがわかる気がする。一年という時間は旅立ちの準備期間としてはあまりに短い。たとえ十年時間があっても足りないかもしれない。きっとみんなそうだ。なぜなら旅立ちの準備を徹底すればするほど未練が出てくるのだから。
母さんにはまた親不孝しそうだ。美夏姉さんにも……。協力してくれるアシリアや達也にどう感謝したらいいかわからないし、冷ちゃんにはカッコ悪いところばかり見せた。穂高先輩には色々とよくしてもらったのになにも返せず、無理言って連れてきた仁美さんも気がかりだ。
いくら考えても未練、未練、未練だ。
みんな幸せになってほしい。今日まで一緒に生きていてくれた人たちには、これから先も幸せに生きていてほしかった。
「ちょっと顔見せなさい」
「え?」
恵太は、美夏の手で頬を挟まれ顔を向きあった。今年の一月に病院を退院して以来、謎の検診を受け続けている。
「姉さん、いつものこれって、何の儀式なの?」
「わたしオリジナルの健康診断よ。静かにしてて」
便秘と格闘するときのような顔で睨まれる。この体勢だと黙っている以外やることがない。
いったい何を見ているんだろう……顔を見ているようで見ていないっぽい。その奥にある何かを凝視しているのか。
いつものパターンだった。最後には決まって気を落としながら「やっぱり変わってない……」とつぶやくのだ。
今回もいつものようにがっかりするのかと思いきや──
美夏の目が驚愕に見開かれた。
「あれれ? なんでまんまる? わたしまだなんにも……」
「……まだ? まんまるって?」
美夏の手が離れた。
頬に指を当てなにやら考え込んだと思うと唐突に笑いだした。
「あの~、なにかいいことあった?」
「まあ……、いいことといえばいいことよね。輝く未来に近づけた気がするわ」
「そうなの?」
「いや~、とにかく心配事がひとつ減ってよかった~! あとは恵太をいっぱしの男性になるまで面倒みるだけね。ママに任せられたミッション達成まであと少しよ! あっはっはっは」
不気味なくらい上機嫌だった。
その後、美夏と一緒に洋館に戻った。
ホールに入ったところで、恵太は、穂高に呼び止められた。
「恵太くん、ちょっとよろしいですか?」
警戒心をあらわにして美夏も着いてこようとすると。
「美夏ちーは遠慮してね。恵太くんと二人だけでお話があるの」
「……あっそ。わたしはお邪魔虫ってわけね」
美夏は不機嫌ながらも従い、ホール脇のお手洗いへ行った。
「少し気が早いかもしれませんが、次はいつにしましょうか」
「え、つぎ?」
「次の旅行のお話しです。夏休みはまだ中盤に入ったばかり。今度は富士山鑑賞できるスポットを楽しみにしててください」
穂高は柔らかい笑顔で提案してきた。
そういえば来て早々富士山もいいな世間話をしたことを思い出した。
穂高は本気に思っていたらしい。
今日で帰る予定なのにもう次の計画とは本当に気が早い……!
「そうですね……みんなの都合もありますし、中々すぐとは……」
「ご安心ください。今度はわたしと恵太くんの二人きりですから。八月の後半くらいはどうでしょう」
「夏休みの課題がまだたくさん残ってまして」
「一緒にやりましょ。わたしこれでも成績はそこそこいいですからお手伝いしちゃいます」
「…………………」
ごく自然に腕を絡められた。
穂高の目は笑っているのに、絶対に逃がさないという執念に満ちている。
熱心に誘ってくれるのは嬉しい。普段なら深く考えずに即オーケーしてるとこだが、今回ばかりは本当にマズイ。なにせ明日にはこの世から退場している。できもしない約束をしたところで穂高先輩の心に暗い影を残すだけだ。だからこそはっきりノーと言わなきゃいけない。
言うんだ俺! 言わなきゃダメなんだ俺! 今でなきゃもう次なんてないんだぞ俺!
……でも断りにくいなあ。断るってことは女子の期待を裏切るってことなのに。とんでもなく悪いことなのに。冷ちゃんの期待を満足に満たせなかったうえ、同じことを繰り返して許されるのか。かといって無難な約束はウソをいうのと変わらない。ウソをいうことと期待を裏切ることってどっちがより悪いことなんだろう。この場合、穂高先輩にどう伝えるのがベストなんだろう。
みじめで、ぶざまで、見苦しいマネはするな。必死に考えるときはいつもこれが思い浮かぶ。子供のころから母親にキツく叩き込まれた鉄の掟。
人をだましたり、欺いたり、態度を変えたりせず一本の筋を通せ、てなことを母は言いたかったらしい。
そうでなくとも自分に好意を持ってくれる人にウソはつきたくない。
「すみません。穂高先輩と二人きりでは行けません」
寂しそうな顔をさせてしまった。
「わたしとはお嫌ですか」
「いいえ、そんなことは……。好きです。でも、俺には他にも好きな人がいます。その中にはとても困った状況に立たされている子もいて、その人の問題が解決するまで穂高先輩だけを考えることができないんです。だから、今はあなたの気持ちに応えられません」
「そう……ですか」
穂高はうつむきかげんに床の一点を見つめ、目元を隠すように顔をそらした。
「そういえば、はっきりと言っていませんでしたね。わたしがなんで恵太くんのことを好きになれたのか。覚えてますか。去年、わたしがお見合いから逃げ出したときのこと。あなたに言われたこと、けっこう衝撃的だったんですよ。だって、普通だったら『いやなら行かなくていい』って言いそうじゃないですか。でも、恵太くんは、逃げずに行けっていったんですよ」
「ああ……あのときはすみませんでした。生意気なこと言って」
「いえ、結果的には正しかったんと思います。もし、あの時、一時の気持ちに負けて逃げたりしていたら、きっとわたしは、何事からもまっすぐ向き合えない人間になってたと思いますから。ちょっと大げさかもしれませんが、あなたには立ち向かう勇気というものを教えてもらった気がします。でなければ、叶わない恋だと知りながら、こうして旅行に誘ったりはできなかったでしょうね」
「……穂高先輩が思ってるほど大したことは考えていません。ただ、先輩みたいなすばらしい人と会うこともできず断られるお相手の方がかわいそうだと思っただけです」
「ふふ。それだけじゃなくて、わたしの世界が広がったとも思います。元お見合い相手の方とは、今でも懇意にさせていただいていますから」
それを聞いて報われた思いがした。
自分の行動で人と人を繋げられたというのは嬉しいものだ。
「役に立てたようで良かったです。穂高先輩にもったいない思いをさせずに済みました」
「もったいない、ですか?」
「縁ってすごく貴重だと思いますから。どんな出会いが可能性を広げてくれるかわかりませんし、せっかくの出会いに気づけないことだってあります。そう考えたとき、自分にできることといったら、迷ってる人の背中をほんの少し押してあげることだと思うんです」
「では、恵太くん自身には可能性を広げるような出会いというものはありましたか」
「はい。子供のころ、冷ちゃんにたくさんのことを教えてもらいました」
「霧生さんが……そうですか。ちなみに、恵太くんにとってわたしとの出会いは貴重なものになりましたか?」
「そうでなければ俺はいまここにいないように思います」
言葉につまったのか、穂高は手をもじもじさせた。
そして、美夏がトイレから戻ってきた。
「じゃあ、またあとで……」
穂高は小走りで館の奥へ入っていった。
「あ、ところで恵太~」
ハンカチで指をふきながら美夏が軽快に口を開いた。
「穂高と二人きりで旅行なんてのは未来永劫許しませんから。どうしても行くっていうなら、そんときはわたしも同伴するのでそのつもりで」
「なんで知ってんの!?」
姉の地獄耳に戦慄を覚えそうになった。
部屋に戻ると、恵太は、キャリーバッグに荷物を詰めた。
自分の分が終わって別室の達也の様子を見てみると、彼はベッドに仰向けになり何かを反芻するようにブツブツと呟いていた。
「タツ、自分の荷物はまとめた? あとで穂高先輩の会社の人が車に積んでくれるらしいから、ホールに集めておいてって言われたでしょ」
「あとで。俺は明日のシミュレーションで忙しい」
「……ああ、そう」
他のことは一切やる気がないらしかった。
仕方ないので、恵太はついでに達也の荷物もまとめておいた。
作業が一段落して自分の部屋に戻ろうとすると、廊下でうつむいて歩く仁美とすれ違ったので声をかけた。
「仁美さんたちは、もう帰り支度できた?」
「あ……あっ! 滝沢くん」
声をかけられるまで気付かなかったみたいだ。
「いまさらだけど、無理言って来てもらってごめんね。今回の旅行は楽しめた?」
「い、いや、わたしのことよりも……ごめんなさい。冷ちゃんと滝沢くんの仲をうまく取り持てなくて……」
一週間前にぶざまを晒して以来、冷河には塩対応を貫かれた。
時間をかけて許してもらい、ようやく最低限の会話に付き合ってくれるようになったのが昨日のことだ。
恵太は、首を横にふった。
「仁美さんのせいじゃないから気にしないで。俺が冷ちゃんの前で情けないところばかり見せたせいだから」
「で、でも」
「それよりも、頼みがあるんだ」
「頼み? わたしに?」
自分がいなくなったあと一時的ではあっても冷河のメンタルにダメージを与えるだろう。
冷河の大学受験に影響するかもしれない。
その時のフォローを任せられるのは仁美しかいないと思えた。
仁美は他の誰よりも冷河のことを見てきただろうから。
「もしこの先、冷ちゃんが落ち込むようなことがあったら、そのときは仁美さんが助けてあげて」
仁美は怪訝な顔を見せた。
「え……、な、なんでわたしに?」
「俺、仁美さんのことは友だち以上にライバルだと思ってるんだ。仁美さんになら安心して任せられるから」
「ライバルって……、え、ええっ」
仁美は顔を真っ赤にしてうろたえだした。
「た、滝沢くん……もしかして、気づいてたの!?」
「うん。小学生のときから」
気持ちの落ち着くさわやかな匂いが漂う。
二階バルコニーに据えられた大きなプランターに青紫のハーブが育てられていた。ラベンダーの菜園だろうか。一週間近く泊まっていて菜園の存在に気付かなかったのはもったいなかった。
「よお。ここだったか」
達也が後ろの窓枠にもたれかかっていた。
「参考までに教えてほしいんだが、人生最後の日になるかもしれない前日ってのはどんな気分がするもんなんだ」
「聞くなよ。せっかくここのハーブの香りで忘れかけてたのに」
「なるほど。やべーハーブ吸いまくって時を駆け戻ったりしないかと淡い期待をしていたと」
「いや、やばいもなにもただのラベンダーだし」
達也は咳き込むように笑い、バルコニーの柵に腕をかけた。
「気楽にいこうぜ。この一年、俺たちができる準備は全部やってきたんだ。すでに二人の人間を救いもした。きっとお前だって生き延びられるさ」
「そういわれてたって不安なものは不安。俺がやってきたことって、以前よりも女友達が増えただけだよ? どう考えても生き残りとはまるで無関係な気がするし、タツの準備とやらに関してだってなにも教えてもらってないしさ」
「それは前にも言ったろ? 滝沢は滝沢の思う通りにガンガン動けてりゃいい。お前の記憶にない行動のすべては、こっちの世界では変数になりうる。なにせ敵は運命だ。人間の浅はかな計算だけで太刀打ちできるわけがねえ。俺たちに必要なのは、計算を超えたところにあるカオス。そのために、お前は前の世界線とは異なるようにデタラメをやってきたんだ。例えるなら、以前の滝沢は街灯に照らされた夜道を目的地に向かってまっすぐ歩いてたようなもんだとして、今のお前は数センチ先も見えない暗闇の荒野を全力で走るようなもんだ。どうやったって以前と同じ目的地には行けない。必ず知らない場所に辿りついちまうだろう。そうなったらこっちの目論見通り。滝沢にとってのニューワールドが広がっているって寸法よ」
「うーん、相変わらずわかるような、さっぱりわからないような……」
「だが、何事も万が一ってことがある。暗闇の荒野をデタラメに走ってきたハズなのに以前と同じ場所に出るのはまずい。それはきっと猿がキーボードをタイプして傑作小説を書きあげるよりは高い確率で起こりうるだろう。そこで俺の準備が役に立つ。死の運命が滝沢に追いつこうとするんなら、俺が力づくでさえぎってやる」
「さえぎるって……どうやって?」
「そのための魔法を用意した。どうやったって交通事故なんぞ起こせないようにな。まあ、明日を楽しみにしとけ」
交通事故を防ぐ魔法ってなに? そんなことは道路を塞ぐか、世界中の車を一台残らず壊さないと無理だろう。
「それって、今のうちに教えてもらうわけには──」
「ネタを知ってると、お前さんのデタラメに俺の計算が含まれちまうだろ。それはつまるところ不純物でカオスじゃねえ。知らないからこそデタラメのままでいられるんだ」
「……やっぱり、タツの言ってることがぜんぜんわからない」
「わからないでいいんだよ。とにかくお前は明日の朝、霧生を連れて例の交差点を通過してくれればいい。……ところでよ、話は変わるが俺はいま難問を抱えている」
達也は真剣な表情で顔を近づけてきた。
「俺はこの一週間、何度か宝多へアプローチを試みた。しかし、どうもうまくいかない。いつも霧生がそばにいたり、美夏さんから用事を頼まれたりでぜんぜん二人きりになれないんだ。どうすればいい?」
「ええ~、色んな意味で最終日なのに今ごろ聞くのか。というかまだ諦めてなかったの。まあ、この度はご縁がなかったということで……」
「勝手に終わりにすんな。なあ、俺はそんなに不可能なことを言ってんのか。宝多はそんなにも高嶺の花なのか。たいがいの男が好む女ってのは、美人でスタイル抜群で頭脳明晰、それでいて慈愛の精神に溢れ、自分にだけ弱みを見せたり甘えたりおっぱい揉ませてくれる処女だと相場は決まってる。そうだろ?」
「そういう都合の良い子なんているわけないし、いたとしても人生一回満了したくらいじゃめぐり会えないと思うんだ……」
恵太のツッコミもむなしく達也は無視して続けた。
「それを考えたら、俺の希望なんて慎ましいもんじゃないか。宝多みたいに大人しくて可愛かったら問題なし。頭の出来が悪くても、おっぱいやケツが小さくても関係ない。繰り返すぜ。大人しくて、可愛いければ問題なし。たったふたつだけだぜ? 妥協しまくってるはずなのにどうしてうまくいかないんだ。たまたま間が悪かったかもしれねえ。女心の理解が足りないのかもしれねえ。だが、なによりも宝多のデータが足りてないっつうのが深刻だ。データなしで効果的な戦略なんか立てられないからな」
頭痛が……痛い!
なんてこった、こんな身近に重症患者がいたなんて……。
自己評価が高いうえ相手に理想求めすぎのダブルコンボは本当にやばい。
「お願いだから、そういうことは思ってても絶対口にしたらダメだからな」
「滝沢が答えてくれたらその心配はねえよ。お前は『俺にできることはなんでもする』と言ったはずだ。いいかげんハッキリ答えろ。お前が以前に、俺にはチャンスがねえと言ったのは、俺に問題があるからか?」
「今ごろになってタツにヤバすぎる問題があったのはわかる……」
正直にいうべきか悩む。
仁美のプライバシーに関わるから。
男の初恋は本当に厄介で、IQの下がる呪いも同然。
別の新しい恋を探せと言いくるめるのも限界か。
達也に教えてやれるのは今日で最後かもしれないのだ。
「いや、仁美さんに関しては、タツに問題があるわけじゃないよ」
「じゃあ他に好きな男がいるからか? つかそれってお前のことか」
「それも違うよ」
達也は頭を掻きむしった。
「じゃあなんなんだよ。俺には問題がないし、宝多には好きな男もいない。なのになぜ俺にチャンスがないという結論になるんだ」
「好きな人がいないとは言ってないから。タツがそうやって意固地になるように、仁美さんだって一生懸命だから他の人のことまで気が回らないんだ」
百聞は一見に如かず。口で言うより実際に見てもらったほうが早いか。
恵太は、バルコニーから出て達也を手招きした。
一階下のホールでは、女子が集まっていた。帰り支度のため旅行用のトランクを一か所に集めているところだ。
「ほら、あそこに冷ちゃんと仁美さんいるでしょ。タツにはどう見える?」
「どうって、仲良く肩を並べてるだけだろ」
内容までは聞き取れないが、はにかむ仁美が冷河に話しかけていた。
「この一週間、仁美さんが冷ちゃんから離れたところ見たことある?」
「俺が知る限りではほとんどなかったと思うが?」
「でしょ。それが答え」
間が開いた。頭にハテナマークが浮かんで見える。
「意味がわからん。それがどうしたってんだ」
「だから、仁美さんは冷ちゃんのことが好きなんだよ」
「……ん?」
達也は顎に指を当てて固まった。さらに長い間があった。
しばらくすると合点がいったように。
「つまりナニか。ライクじゃなくてラブ? 女子だけど女子が好きってことか? 宝多が?」
「たぶん性別は関係ないんじゃない? 単純に霧生冷河っていう人が好きなんだよ。冷ちゃんは昔から面倒見良かったからね」
達也は首をふった。
「ウソだろ、オイ……。本人からそう聞いたのかよ?」
「いや、仁美さんの様子を見てたら気づいただけ」
「つまり俺にとってのライバルは霧生で、霧生に勝てなきゃ宝多の心は勝ち取れないってことなのか」
「そう考えると厳しいよね。今のタツじゃあ冷ちゃんの人間力には及ばないんじゃないか」
「なんだ人間力って……。な、納得いかねえ! 霧生をディスるつもりはねえが、面倒見がいいからってのがとくに納得できねえ。そもそも俺の知ってる霧生はお前にヒスってばっかで、人に優しくしてるところもまったく想像できねえ!」
「たまたま偏ったところばかり見ただけだって。冷ちゃんは女神みたいな人だから。厳しい先生みたいっていうのかな。本当に優しい人って、無難なことばかりじゃなくて、人のためにキツイことが言える人だと思わない?」
「あれを女神と言い切れるお前の神経、心底理解に苦しむぜ……。まあいいや。お前さんにとっちゃそうなんだろうよ」
達也はがっくりと肩を落とした、
まったく予想していなかった仁美の本心を達也の中で消化するには時間がかかりそうだ。
「とにかく、そういうわけなんでいますぐ仁美さんと親密になりたいっていうのは難しいと思うよ。それでも諦めたくないんなら、長い目でゆっくり時間をかけてアプローチしていくしか。タツは誰からも天才って言われてるんだから、いつかいい方法を思いつけるかもしれないしね」
「おい、その呼び方やめろ。天才ってのはある一分野に驚異的な才能を発揮する一方でとんでもない欠点を併せ持ったやつのことだろ。だったら俺は違う。俺に致命的な欠点なんかねーからな」
「そのよくわからない自信の程は欠点だと思うんだよね……」
達也からひときわ大きなため息が漏れた。
「ま、なんにせよ、教えてくれてありがとよ。少なくとも俺が嫌われてるわけじゃねえってわかっただけで十分だ」
「どういたしまして。今日の話は、ぜったい誰にも言っちゃダメだからな」
「わーってるよ」
真実を知ってもあきらめるつもりは毛頭ないらしかった。
自分が彼の立場でもそうだったかもしれない。諦めずにあがこうとする先行きの見えない姿を見ていて思った。
「参考までに聞きたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「仮にだよ? 仮に、俺が明日を生き延びたとして、それが遠い未来にものすごい不幸をもたらすとわかってたとしたらどうする? 俺が生き残ることで他のみんなが不幸になるとしたら、それでも俺は助かろうとすべきだと思う?」
「なんだそりゃ。遠い未来のものすごい不幸って具体的にはなんだ。天高い空からドでかい隕石でも降ってくるのか」
誰も生き残れない、という点では当たらずとも遠からずだ。
滅亡のメカニズムはわからなくても、運命に逆らった末路だけは知っている。
「まあ、そんなとこ。人類滅亡クラスの不幸だと思って」
「『ある人を助けるために他人を犠牲にするのは許されるか』という倫理学問題みたいだな。ふむ。たしかに決められた未来を変える行動が後に予想もつかないような影響となって現れる可能性はある。滝沢が生き延びると大多数の人間が滅びるが、滝沢が死ねば大多数の生命が保証される。そういう前提でいいのか」
「タツの思う答えを聞きたいんだ」
合理的に考えたら、自分は助かるべきではないのだろう。
それでも迷い続けている。本当にそれでいいのかと。
冷河のおかげで、死にたくないという自分の本心を認めることができた。
生きるべきか、それとも諦めるべきか。
明確な答えはすでに出ているとしても……誰かにはっきり言ってもらえれば納得できるかもしれない。
達也が呆れたようにため息をついた。
「…………くっだらねー。考えるまでもねえや。お前は意地でも生き残れ。以上」
「即答!? ちゃんとはなし聞いてた?」
てっきり深い考察の末に答えてくれると思ったのにたった一言でぶった切られた。
なんでそう率直な結論になるのか、納得いく説明をプリーズ!
「俺一人の命でみんなが助かるんだよ? 普通にかんがえたら、俺に生き残れってのはおかしくない?」
「なにいってやがる。お前一人割を食えってほうがおかしいだろが。いいか。お前が言ってるのは、最大多数を生かすことが正しいっつう功利主義でしかない。自分の命は自分のために使えってのが俺の意見さ。他人のために死んでやる義理なんかどこにもないし、むしろ助かる方法が残されているのに助かろうとしない奴は人間のクズだな」
「ええー、まさかのクズ呼ばわり……」
「気に入らねえのさ。自分の命と自分以外すべての命が等価である、なんてのはクソみてえな独裁者の発想だぞ。誰に何を吹き込まれたとしても、たとえ滝沢の選択がみんなの命運を分かつ結果になるんだとしてもだ。そんなもんは個人のせいにしていいことじゃねえんだよ」
「……もし俺が生き残って悪い未来を呼ぶ結果になったとして、それで被害を受ける人たちは許してくれるのかな」
「生きようとあがいたことの結果なんだ。許すも許さないもないだろ。かつて地球を我が物顔で闊歩してた恐竜はおよそ六千万年前に絶滅した。人間だってそうさ。たとえこの先半永久的に生き延びたところで、五〇億年後には太陽が燃え尽きて、太陽系は生物が住むのに適さなくなるんだ。遅かれ早かれ人類滅亡は確定済みってわけよ。そうと知っていれば、たかが五〇億年ぽっち滅亡が早まったくらいで文句たれるのは筋違いだとわかる」
「なんか……一から十までめちゃくちゃで、凄まじいまでの屁理屈じゃない?」
あまりにも可笑しくて笑いそうになった。
すごく遠回りで無茶苦茶な理屈をひねり出してでも「生きろ」と主張するのが達也らしい。
「いずれ終わるとわかっているからこそ、それまでは全身全霊で食らいつけってことさ。生きてさえいりゃあ最悪の道以外だって見つけられるかもしれないしよ」
「生きてさえいれば……か。そっか。たしかにそうかもしれない」
「第一、お前に死なれでもしたら、俺が宝多をモノにする可能性がなくなるじゃねえか」
「他力本願もそこまで堂々と言われると清々しいよね」
ある意味運命よりも手強い問題だと思えた。




