もう一度フレンズVer2②
夕方、穂高に案内された別荘は、恵太の想像とは違っていた。
木造りのログハウス、もしくは小奇麗な戸建てかと思っていたら、巨大な洋館だった。両開きの大扉には獅子風のクラシックなドアノッカーがついていて、左右のステンドグラスからは広い玄関ホールが見える。
管理の手が行き届いていないのか館の壁には植物の蔦がびっしりと張り付いていた。
ホラー映画の舞台になりそうな、近代的とは程遠い雰囲気だった。招いてくれた穂高に申し訳ないのを承知で言うと、幽霊屋敷にしか見えない。
「なんつうかこいつは……地下に物騒な研究所でもありそうだな」
達也の感想は誰もが言いたくても言えなかったものだ。
穂高はサバサバした調子で笑う。
「すっごいでしょう~! ここでいっちばん広くて、いちばん古いお屋敷なの! わたしのお父様とお母様の馴れ初めの場所らしくて、お気に入りの別荘! 昔はドラマの撮影で貸し出したこともあったらしいですよ」
「ふ~ん」
「……まあ、雰囲気は出てるし。ミステリーサスペンス向きっていうか」
横で美夏が眠そうに目を細め、アシリアが値踏みするように言った。
「そ、そうなんですね。なんかもう、すごすぎて、言葉が出てこないです……」
ブルジョワにとっては普通なんだろうか。
この洋館は別荘の範疇に収まってない気がする。
「恵太、空いた口を塞ぎなさい」
美夏が呆れて言った。
いかん、一年前とまったく同じ注意を。
「あ、でも安心してください。怪しいのは見た目だけで、館内は綺麗にしてますから。さあどうぞ。……よっ」
穂高は重々しい大扉を小さな身体で押し出すように開けた。
「本当、すごいとこに来ちゃったわね」
「……大きなシャンデリア」
後ろからついてきた冷河と仁美は玄関ホールに入って感嘆のため息をもらした。
高価そうな彫刻品や陶器などが並んでおり、中央の大階段には赤絨毯がひかれている。階段の脇には中世の騎士の甲冑まで飾っていた。夜中に動き出しそうだ。
「さあ皆さん。お部屋へご案内いたします。お疲れでしょうから、ゆっくりと休んでください。ディナーの準備が整いましたらお呼びいたしますわ」
そう言って、穂高は洋館の奥へ手招きした。
山の風景を一望できる温泉のあとに夕食を終え、一日目が終わる。
個室のベッドに寝そべって、恵太は目を閉じた。
色々なことがあって疲れた。美夏の前世であるクロトの助言通り、エコーと呼ばれる予知夢(白日夢)を見た。長谷川慶太のときと合わせてこれで二回目。内容は彼らの死に関わっている。知ってしまった以上、素通りできるようなものじゃなかった。
クロトがいうには、こういった予知夢に変えられない運命を変える鍵があるらしいが……もういい。自分の生存は諦めた。これ以上勝手な行動を取ってしまうと、もう一人の女神であるアトロポスの不信を買いかねない。彼女のおかげで冷河を救う目が見えたというのに、自分が約束を守らないでは筋が通らない。
もう一度アトロポスに会って弁解したい。そして、もう誰かの死に関わるようなエコーは見たくなかった。知らなければ約束を破らずにすむ。知ってしまったら、無視することができなくなる。自分の人生のタイムリミットはあと一週間を切った。粛々と運命を受け入れさえすれば、すべて丸く収まるはずだ。
ドアがノックされた。
「おい。ちょっといいか」
返事をする前に、達也が恵太の部屋へ入ってきた。
「お邪魔しまーっす」
ゆったりしたスウェット姿のアシリアも一緒だった。風のようにすばやく奥のソファに寝転んだ。
「二人とも、どうかした?」
「どうかした、じゃねえよ。先生のお嬢ちゃんもそうだが、お前さんだって死にかけたんだぜ。計画もクソもねえ。今日生き残れたのはラッキーだったにすぎない。妙成寺の助けも期待できない状況だったんだ」
「アタシはべつに、自分に特別な才能があるとは思わないけど……それでも頼りにはしてほしいかな」
「……そうだよね。本当にごめん」
二人にはアトロポスのことは話していない。異世界の女神や人類の消滅などは伏せてきた。これからも話すべきではない。自分たちにこれ以上できることは何もない。かといって、自分の生は諦めたと彼らに伝えることもできない。せっかく協力してくれてるのに、裏切るようなことは言えなかった。
だから、時が来るまで、作戦会議と称した話し合いを淡々とやるだけだ。
達也は、自分の知らないところで何かの準備をしてくれているみたいだが、彼は多くを語らない。運命の日を楽しみにしておけ、と自信たっぷりな様子だった。
「さて妙成寺。今まで黙っててすまなかったが、今日は滝沢に関して重大なことを伝えておく」
「やっとかよ」
「すでに俺にできる準備は終わった。だが、俺のプランでもこの先の運命を変えられない場合の備えが必要だ。よって妙成寺にはバックアッププランになってもらう」
「ちょっとタツ」
どこまで伝える気?
アシリアを巻き込みたくなくて、ずっと黙っていたのに。
達也は手で制した。
「まず一つに、滝沢の命についてだ。ぶっちゃけた話、こいつは六日後、つまり八月一日に交通事故で死んじまう……予定だ」
「……うん。それは知ってた。てか、あと一週間もないんだね」
「そう。まさにケツに火がついてるわけだ」
「というか二人とも、なんか軽くない?」
あの世へ旅行にいってらっしゃいみたいなノリで語られても。
「いや、アタシは深刻にとらえてるよ? それよか恵太のほうこそ根性据わってるよね~。もっと怯えたっておかしくないのに、ぜんぜんそんなふうに見えないし」
「これでもけっこう怖がってはいるんだよ」
「そっか……まあダイジョーブだって! 希望はあきらめた時点で絶望に変わっちゃうんだから。だから絶対にあきらめないこと! 必ず光は差すと信じて。アタシもできるかぎりのことはするから」
「よ、よろしくお願いします」
いつかどこかで聞いたことがあるような言葉。何かの台詞だったかな。
せっかくの申し出も、あまり期待はできそうにない。
「実際のとこどうなんだ? 妙成寺は未知の才能で滝沢の運命を知ったみたいだが、それは予知能力か? ……サイキック、神通力、未来視、過去視、アカシックレコードアクセスでもなんでもいい。やろうと思えば滝沢の生命を守ることは可能か? つうかそもそもの話、お前はいったいどこの誰なんだ?」
「アカシック……ってなに? 予知、といえば予知だとは思う。白日夢っていうの? ふいに脈絡のない情景がふわ~っと頭に浮かんできてさ。恵太が車に轢かれて血だらけになってる場面が見えたりしたよ。自分自身なんでこんなことできるのかサッパリだよ。何者かなんて言われても、哲学的なことなんてわかんないし。とりあえずアタシはアタシ。賢くて優しくて健気な元子役で良いっしょ」
自分が見てきたエコーというものに似ている気がした。
達也は腕を組んで。
「お前の言うとおりだな。クソ生意気かつドマヌケ恋愛脳の妙成寺で十分だな。何者かなんて今はどうでもいいや。じゃ、次」
「うっさい! 仁美の前じゃチェリーボーイ丸出しのやつに言われたくないし!」
掴みかかってくるアシリアを達也は軽くいなす。
漫才を見てる気分だ。
「これもけっこう重要なことなんだが、滝沢の中身についてだ。ざっくり言うと、こいつは滝沢恵太であって、滝沢恵太ではない」
「? なにそれ?」
「マルチバースって知ってるか。並行世界や多元宇宙と呼ばれるものだ。ようするに俺らの宇宙とほぼ同一な別の宇宙があって、そこには俺らと寸分変わらない同一人物がいたりするわけだ」
「……アンタが二人もいるとか、想像するだけで気持ち悪いし」
「話の腰を折るな。とにかく、いまここにいる滝沢は、そういう別の宇宙から来たやつだ。そっくりな別人っていえばいいか」
アシリアはうまく飲み込めないのか、恵太と達也の顔を交互に見つめた。
「……ええっと、いまいちよくわかんないなぁ。別人も何も、どこからどう見たって恵太じゃん」
「そう、まぎれもなく滝沢恵太本人だよ。ただし、異世界の別個体。例えるならクローンみてーな遺伝情報と能力を有し、同じような人生を送ってきた人間。いってみりゃあ、アナザー滝沢といったところか」
ついに言っちゃったか。
アシリアには特別な才能があるみたいだから、頭ごなしに否定はされなさそうだが……。
「……アナザーでごめんなさい」
アシリアがパチパチと目を激しく瞬かせていた。
「アナザー?」
「より正確にいえば、こいつの肉体そのものは俺らの知る滝沢のもんだ。ようするに中身……魂が別の滝沢なんだよ。アナザー滝沢は時間軸上俺たちの世界より一年ほど先の世界から来ているらしい。ほら、創作物でよくあるだろ? 未来の記憶を持ったまま過去の世界に飛ぶ話。あれと似たようなもんだ。去年の火事で子どもを救えたのも大した秘密じゃない。アナザー滝沢が記憶してたからだよ」
「……ん~? ちょっと頭ん中こんがらがってきちゃった。一年先? つまりその……それっていつからそうなの?」
「去年の八月一日からだ。登校日のこと覚えてるか。お前、どことなく様子のおかしい滝沢に違和感を持っただろ。そりゃそうだ。中身が変わってんだからよ」
「じゃあ……アタシの知ってる恵太っていうか……それ以前の恵太は?」
「それはわからんが、よその世界にブッ飛んじまったんでなければ、今も頭ン中の可能性大ってとこ」
ノックするように達也は恵太の頭を叩く。
アシリアは、ソファの上で胎児のように丸くなって考え込んでいた。
「重要なことはまだある。同じような宇宙から来ているとはいえ、違う部分もあるんだ」
「違う部分?」
「お前のことだよ」
「へ?」
「アナザー滝沢は、妙成寺が存在しない世界から来てるってことだ」
達也は犯人を言い当てるような勢いで指差すと、数秒の後、アシリアはゆっくりと仰け反っていき腕をばたつかせながらソファからひっくり返った。
「いたっ」
恵太は床に転がったアシリアを抱き起こした。
「……黙ってて、ごめんなさい」
相変わらずアシリアの瞬きが激しい。
恵太の口から、改めてその中身について事情を説明した。
「じゃあなに!? 初デートのときから、アタシのこと知ったかぶりしてたってコト?」
出会ったときからウソをついていたせいで、アシリアは怒り心頭だった。
「……はい。結果的にはそうなりました」
「じゃあ、アタシとはじめて会った日のことは? ほら、教室での自己紹介のあと、アタシをナンパしに来たじゃん。アホみたいにしつこかったじゃん。でもってゲームに勝ったら話させてとか言ってたじゃん!」
「しつこい? ゲーム? 冷ちゃんのときみたいに? 俺ってそんなこと言ったの?」
恵太は、黙って聞いていた達也に尋ねた。
「前にも言ったろ。意地になってシカトしてた妙成寺を根負けさせてたぞ」
「そっか~。たしか、アシリアが落ち込んでるみたいだったから元気づけようとしたんだっけ?」
「かいつまんで言ったらそうだな」
「たしかに……俺だったらそうするかな」
ダウナーな女の子ってどうしても元気づけたくなるし。
アシリアがおそるおそる口を開いた。
「じゃあアレは? 恵太の秘密を黙ってる代わりに、アタシと付き合えってのは……?」
「ああ、それなら知ってるよ。ごくたま~にこっちの俺の記憶がのぞけるから。俺って美夏姉さんのことが好きだったんだよね」
「あっさり言ったーーー!!」
アシリアは勢いよく立ち上がった。
「ふーん、そいつは知らなかったぜ。滝沢って、美夏さんが好みだったのか」
「アンタ反応うっすいな!」
「俺は兄弟いねえからよくわからんが、あるんじゃねえの? 姉弟つったって、あんな美人の姉ちゃんと四六時中一緒にいりゃあ」
「そういう問題じゃないだろー! ないだろーーっ!!」
胸ぐらを締め上げにかかる。相当にご立腹だった。
「やめ、やめろバカ!」
「おいこら、このこと絶対ミカに言うなよ?」
「なんで?」
「なんででもだよ! わかんないほどアホか!」
達也が咳込んでいたので恵太は割って入った。
「まあまあ、その話はたいして重要じゃないし、いまは置いといて……」
「置いとかれたーーー! アタシの知ってる恵太なら、情けないくらい顔まっ赤にして超うろたえまくってたとこなのに!」
「オルタネイトの滝沢恵太ならそうだったろうけど、ものすごく客観的な立場でとらえてるんだよ。ざっくり言ったら他人事みたいな感覚かな」
「……釈然としないなあ。そりゃあさ、今日までの付き合いで、キミが恵太だってのは十分わかってるし。わかってるだけに釈然としないんだよなあ。まったくもぉ、なんなの? 未来から来たアナザー恵太って。なにがどうなったらわけのわかんない入れ替わりなんて起こるの?」
アシリアが首を捻っているとふと思いついたように。
「恵太が事故に遭ったときって、近くに誰かいた?」
「……うん。いたよ」
ところどころ記憶は飛んでいても今は思い出せる。朝の通学時間で同じ高校の生徒や通勤中の人が多かった。
倒れた自分を見つめる冷河の虚ろな目が一番印象に残っている。
その後彼女がどうなったのかだけが気がかりだ。
クロトによれば、冷河の死の運命は変わっていないという。
慶太や美冬のように九死に一生を得た人はいるのに、なぜ冷河は違うんだ?
「それってさ、ひょっとしてレイカ……正確にいったら異世界のレイカもいた?」
「そんなことまでわかるの?」
「じつはアタシ、レイカの視点を借りて恵太の姿を見ていたんだ。事故の様子とか全部」
「ホントに!? だったら教えてほしいんだ。俺が倒れたあと、冷ちゃんは?」
本当なら驚きだ。誰かの目を通して異世界の様子を見るだなんて。
この際、理屈は後回し。
自分の死後、冷河はどうしていたのか知ることができそうだ。
「そこまではわからなかった。すぐに現実に引き戻されちゃったから。ただ、終わり際、意味不明なものなら見た」
「意味不明?」
「物の怪か悪霊か。全身が太陽みたいに眩しくて、はっきりとは見えなかったけど、片方だけ翼を生やした女の人だったと思う。まるで天使みたいな」
「ほう。そいつは興味深いね」
達也は咳き込んだ。
「お前よ、女神と聞いてなにか思い当たることはないか?」
「……女神?」
虚を突かれたような顔。
「……?」
「う、うん」
返事を求められて恵太はうなづいた。
美夏は女神の生まれ変わりだ。いくつか得た手掛かりとアトロポスの存在から、これはまちがいないだろう。
アシリアは、姉さんと同じように女神の生まれ変わり(あるいは冷河のように憑りつかれてる?)なのかもしれない。
女神の正体とは、異世界の人造生命。異世界の人間が作ったシステムであり神だ。
運命という抗いようのない力が存在し、それを科学的に実証してしまった人間が運命に絶望しないための創造神……。
アトロポスの告白を聞いたときは、女神様を作ってしまう人たちの気持ちがわからなかったが、今は少しだけ理解できる。何時何処で死ぬのかわかっていても変えられないのだとしたら、知らないほうがマシだろう。
死を告知されて平然としていられる人間は稀なはず。
たった一人で迫りくる死に怯えるなんて悲惨もいいところだ。
女神とは、運命に縛られた暗黒の世界に人々が切望したものなんだろう。
……あなたの心は純粋で素晴らしいものだ。
……あなたの生命には意味がある。
……あなたの死は無意味じゃない。
人知を超越した存在に見守られ、寄り添ってもらい、自分の価値、自分の存在を肯定してもらえたら嬉しいに違いない。
夜、子どもが眠るとき、暗い部屋に一人でいると怖くなることがあるけれど、母が一緒にいてくれれば、闇の中であっても恐怖はない。
闇を吹き飛ばすほどの加護で包んでくれる存在がいてくれたら、恐れる必要はなくなる。
あいにく加護を施されるどころか、宇宙の害悪と断定され、サジを投げられる憐れな人間もいるが……。
アシリアは人を小ばかにしたような声で言った。
「うっわ気持ちわる! え、なに、アタシに言ってる? 女神のように可愛くて賢くて非の打ちどころがないって? てかさ、アンタに褒められても胸が超ムカムカしてオエって気分になるし。安い褒め言葉ってこんなにも滑稽なんだなって。会話の脈絡を無視する男って生物として純粋に気持ち悪いと思うし、背筋にうすら寒いものが走るっていうか。仁美に惚れられる可能性を0.00000001%でも上げたいんなら、マジで言わないほうがいいって心に刻んどいたほうがいいから」
「うるせえぞ。グダグダと盛りまくったあげくダメ出ししてんじゃねえよ」
おお、ここにも人として全否定される男がいたのか! 我が心の友よ。
アシリアには、女神に関する心当たりはまったくないようだ。
「とにかくだ。当人であるお前の意見を聞かせてくれよ。アナザー滝沢の生きてきた世界に、妙成寺と美夏さんの二人だけが存在しない。この事実にどんな意味があるのか」
「そんなの知るわけないじゃん。異世界の自分なんて考えたこともなかったし。それパラレルワールドってやつでしょ? たまたまアタシとミカだけが不在な世界ってだけなんじゃないの」
「たまたま、か」
そういうと達也は窓の外の闇に目を向けて黙り込んだ。
数分したのち、再びドアが控えめにノックされた。
「滝沢くん……起きてる? 寝てるなら返事しないでね」
冷河の声だ。
「まだ起きてるよ」
ドアの外には、げっそりした表情の冷河が立っていた。
「あら、妙成寺さんに遠山くん? もしかしてわたし邪魔だった?」
「いや、ぜんぜん! よかったらどうぞ」
彼女は入室をためらっているようだった。
「ちょっとだけ、ふたりで話したいことがあっただけで。……その前に滝沢くん、いまヘンな気分になってたりしない?」
「ヘンな? ヘンってどういう?」
「どうって……ヘンっていうのは、たとえば身体が燃えるみたいに熱いとか……何かに猛烈に打ち込みたいっていうか……ああもう! とにかくヘンな気分と言ったら普通ではありえないようなヘンな気分ってことよ」
ヘンな気分の意味を掘り下げすぎて逆にわからなくなってきた。
残り時間わずかな命を考えて、穏やかに眠れそうにないのは確かだ。
「レイカが恵太とふたりっきりになりたいってことなら、アタシら席外すよ?」
「おう。お邪魔虫は消えてやらあ」
先客二人が重い腰を上げた。
「ごめんなさい。ほんの少しだけだから……。終わったらまた声をかけるから」
「いいって、いいって! ごゆっくり~」
達也が退室したあと、アシリアは軽く手をふって出て行った。
冷河は後ろ手に組んで入り口から奥へ入ろうとしない。
薄い青柄のパジャマを彩るように顔は赤い。
「冷ちゃん、そんなとこに立ってないで、どうぞ?」
恵太が声をかけると、踏ん切りがついたように。
「……いいこと? こんなことはこれっきりだからね? 今日は特別なんだからね? 次も同じこと期待なんかしないでよ。二度目はないからね。したら本当に絶交だから」
冷河は早歩きでシングルサイズベッドの端に座った。
「ちょっとこっち来て」
隣のスペースをぽんぽんと叩く。
「え……?」
「はーやーく!」
恵太には察しがついた。
そこまで鈍いほうではないと自負しているつもりだ。
女性が瞳の奥に強い決意を宿らせベッドに誘うことの意味……。
どう考えても言葉通りの意味。
それ以外あるのか? いや、ないだろう!
いかん、うまくできるか心配になってきた。
女子と付き合った経験は多いほうでもソッチの経験は皆無。
なんとなくそこまで持ち込むのに心理的な抵抗がある。(母親の教育のせいか?)
そもそも、そういう関係に至るまでにフられてしまうという大問題があるが。
恵太は言われるまま冷河の隣へ座った。
できるだけ平然を装ったものの彼女にはどう見えただろう。
だいじょうぶ俺に任せて……的な大人の男の雰囲気を漂わせられれば成功である。
虚勢を見透かされないよう祈るだけだ。
冷河にカッコ悪いと思われるのは可能な限り……というより絶対に避けたい。
「ちょっと近いわよ。もう少し間隔とって」
あれ? いきなり予想外。
これからイチャイチャするのに間合いを取るってなんで?
指でこっちへ来いとハンドサインされた。
「頭貸して」
「……あたま?」
頭を貸すという行為がわからず、恵太は固まった。
「相っ変わらずニブいわね。頭を貸すっていうのは、こういうことよ!」
冷河は、恵太の首に手をかけて、力ずくで引き倒した。
自身の太ももに頭を預ける格好……膝まくらだった。
やさしく頭を撫でてくれた。
なぜ甘やかしてくれるのか。
この世にこれより勝る枕は存在しないだろう。
太ももから優しくて甘い匂いがする。
夕食後に女子だけで疲労回復に効果があるとかの温泉に入っていたらしいから、その成分?
「怖かったでしょう。それによくがんばった」
「……なにが?」
「手を離さなかったじゃない」
「手?」
「まったく、本当に頭悪いわね。美冬ちゃんを助けたことよ」
「ああ……そのこと?」
美冬が展望台から転落しかけた時、小さな手を掴んだことを言っているようだ。
「柵が折れて二人とも落ちちゃったとき、美冬ちゃんの手を離していれば、少なくともあなたは落ちなかったかもしれない。それでもあなたは手を離さなかった。手を離さなかったから、遠山くんがあなたの手を掴むことができた。消えかけた命をつないだのよ。これってすごいことでしょう」
「いやあ、そんな大したことじゃ……とにかく無我夢中だっただけだよ」
「でしょうね。生来の甘ったれで、人一倍臆病なあなたが無我夢中になるほど一生懸命にがんばったんだから。今日だけは褒めたげる。よしよし」
「……かなわないなぁ」
カッコ悪かったころの自分を知る幼馴染に、一体いつまで気取っていればいいんだろう。
自分でもよくわからない。
いつからか人前ではカッコつけることが当たり前になっていた。
好男子を気取らなきゃいけない。
義務みたいなものだと思い込んでいた。
そうしなきゃ女の子はガッカリするからと教え込まれていた。
他でもない冷河にだ。
彼女が言ったことはすべて実践してきた。
俺はいつから俺なんだと聞かれたら、それは冷河に出会ったときからだ。
彼女に教えられたことはすべて今に生きている。生かされているし、生きていけた。
女神にはいらない子扱いされた。
あと一週間でそんな命も尽きるわけだが、冷河の寿命を伸ばせるのなら本望だ。
自分の命には明確に意味があったじゃないか。
決して無意味な死に方じゃない。
大好きな人を助けて命尽きるなんて、冷静に考えたらものすごくロマンチックだし!
たしか冷ちゃんはこういったシチュエーションの映画が好みだったはず。
映画になぞるなら、その後の彼女の人生には幸せが待っているはずだし、気に病むことなんて何もないじゃないか。
「……あなたにだけ幻想を背負わせたのは悪かったと思ってるわ。本当はそういう子じゃなかったのに、わたしの都合でいい加減な思いつきばかり言い聞かせてしまった。でも、もういいから。誰にも言えないとこまできちゃったんだとしても、いまこの瞬間くらい、幻想を捨てて素直になっちゃいなさいよ」
「素直もなにも、俺は元からこんなで……」
「素直ってことばの意味がわからなかったみたいね。辞書で引いてみなさい。考え、態度、行動がまっすぐなことって書いてあるから。ウソばっかりなあなたのどこがまっすぐなのよ」
「そう言われましても、俺は俺だから。ウソなんてついてないよ」
冷河は、恵太の額にそっと触れた。
「額の汗、すごいびっしょり。指先は震えてるし、足も貧乏ゆすり。ぜーんぶ無意識でしょ。いくら涼しい顔してたって、身体はあからさまに怖がってるじゃない」
今の冷ちゃんは、本当に俺の知ってる冷ちゃんなんだろうか。
また冷たい女神さまに入れ替わってたりしないだろうか。
でも、そうじゃないんだろうなってわかってしまう。
あの女神は、どこを切っても切り口が同じ金太郎飴みたいだった。
俺の心情なんて構いもせず、冷たく痛いトゲを突き刺してくる。身も心も痛くてたまらないようなことばかり。
それに比べたら冷ちゃんは暖かい。いつも厳しく、至らない点を諫めてくれる。心にじんわりと熱を帯びていくように。
同じトゲでも大違いだ。
「もう怖いことは終わったんだから。ゆっくり落ち着くの」
落ち着けと言われるほど指先が冷えてくる。
隠せないほど動揺が広がってしまう。
まだ終わってない。本当に怖いのはこれから始まるのだ。
「怖くなんてない……俺は怖くなんてないよ」
「だから、そういうのはいいから」
もうやめて。
それ以上優しくされたらダメになっちゃうよ。
違う世界のキミが教えてくれた。
この世界のキミだってきっと教えてくれたはず。
ハッタリは一生続けたらホントになるって。
だから今もそうしてる。
気取られないよう笑うことを覚えた。
それになのにどうしてウソつくなっていうんだよ。
とっくの昔に覚悟してたのに。
どんどん揺らいでくる。決心が崩れてしまう。
怖いことなんてないって思おうとしていたのに。
冷ちゃんのために死ぬのは男らしいことなんだって言い聞かせてきたのに。
いまさら死ぬのが怖いなんて男じゃない。
他の誰より、冷ちゃんにカッコ悪いと思われるのは耐えられなかったのに。
「素敵な男の子だって自分に言い聞かせて、まわりにもそう振舞って。今じゃ誰もあなたがそういう人だって疑わない。クラスの女子も、男子も、先生も、実の家族だって……超天才の子役だった妙成寺さんすら欺けるんだから大したものよ。……疲れることばかりだったでしょ。当然よね。もともとが臆病で泣き虫の男の子なんだから」
「違うよ。それは子供のころの俺で……今の俺とは違うんだ」
ああ……もうダメっぽい。目頭が燃えるように熱くなってきた。
冷河が言っているのは、過去の自分だ。今とはまた異なる自分。ある意味でアナザー恵太と言っていい。
冷河と出会う前の自分は臆病で泣き虫だった。友だちは一人も作れなかった。母は仕事が忙しく、こちら側のように姉はいなかったから、教えてくれる人もいなかった。
……教えてくれたのは、冷ちゃんだけだった。
期待を裏切るかもしれないけど。
昔みたいに甘えてたらバカにされるかもしれないけど。
今だけは素直に、情けないアナザー恵太に戻っていいっていうなら。
「冷ちゃん……今だけだから。明日からは……またいつも通りにするから」
「そうね」
口はからからに乾き、目の奥が熱くてたまらない。
涙と鼻水で彼女の膝を汚したくなかった。
鼻をすすりながら泣くことだけはすまいと必死に抑え込んだ。
「すごく怖いよ。なにもかもが目まぐるしくて……、自分でもなにをやってるのかわからなくなる。俺は…………、ぼくは、取り返しのつかない、絶対に許されないことをしたんじゃないかって、たまらなく怖いんだよ……」
「バカね。どこの世界に人を助けちゃダメだなんて決まりがあるのよ。あなたはすばらしいことをしたに決まってるでしょ」
どうしても嗚咽だけは抑えきれなかった。
今日まで我慢していたものが、堰を切ったように溢れだした。
……やっぱり死にたくない。
泣き顔を見られたくなくて、恵太は、女神としか思えないの人の太ももに顔を埋めた。




