もう一度カインドネス②
一軒家としてはだいぶ立派な感じのアシリアの家まで彼女を送り届けると、恵太はその足で自宅への道を急いでいた。
ここから自宅までなら徒歩で二、三十分というところだ。
アシリアの家とは案外近い場所にある。
帰り道の途中、前の歩道に見覚えのある少女が歩いていた。
たしか遊園地で彼氏に置いていかれた子だ。
あれからずいぶん時間も経つのに、こんなところでどうしたんだろう。
恵太が不思議に感じていると、少女は歩道のでっぱりに足を取られて転んだ。
「だいじょうぶですか!」
恵太は反射的に駆け寄っていた。
「だ、だいじょうぶです。……あの、滝沢恵太くん、ですよね?」
「は、はい、そうです。失礼ですが、あなたは?」
知り合いだったかな。たしかに顔に見覚えはあるものの名前が出てこない。
「水城舟穂高です。あなたのお姉さんの、美夏さんとはお友達で……。このあいだ滝沢くんが二年の教室にきたとき、声をかけました」
「……ああ、あのときの!」
きみは一年生でしょ、そう教えてくれた可愛らしい子だった。
ということは先輩じゃないかこの人。
「立てますか?」
「はい」
「暗くなってきましたので、足元に気をつけてください」
手を取って立ち上がった穂高に、気になっていた疑問をぶつけてみる。
「あの、差し出がましいようですが、今日、西スクに来てましたか?」
「え?」
穂高は、意外そうな反応を見せた。
「……ええ」
力なくそう返事をすると、穂高の瞳から唐突に涙が零れた。
しまった! 俺はなんて無神経なことを!
この穂高さんは彼氏に置き去りにされた人だ。失恋したばかりで、まともな人なら悲しんで当然なのに。
一度涙がでてくるとそこからはもう止まらなかった。
いけない、これでは自分が泣かせたようにしか見えない。
人に見られたら誤解されるだろうし、歩道の真ん中で泣かせておくのも忍びない。
恵太は、近くにあったバス停のベンチに穂高を座らせた。なんとか落ち着いてほしい一心であった。
穂高の顔は赤くなり、涙でぐちゃぐちゃだ。
できれば拭いてあげたかったが……。
「すみません。今日、ハンカチの持ち合わせがなくて」
「……いえ、いいんです。こちらこそすみませんでした。はしたないところをお見せして」
そういって穂高は上品な仕草でハンカチを取り出すと涙を拭いて笑った。気丈なところが素晴らしい。
これはもうなにも聞かないほうがいいような気がする。
失恋の辛さはよくわかってるつもりだ。あれはいけない。好きな人に認めてもらえないというのは、シャレにならないほど辛い。失恋に勝る痛みなんて他に知らないくらいだ。
一見どんなに魅力的と思われる人でも、相性の悪い人はいるもの。
どれほどがんばっても好かれないことだってある。
穂高を見ていると、あなたが悪いわけじゃないとどうしても伝えてやりたい!
「「あの」」
声がかぶった。
「水城舟先輩からどうぞ」
「はい……あの、私……実は今日、お付き合いしていた方に、振られてしまいまして」
「それは……大変でしたね」
「実は私、今日、滝沢くんも遊園地にいらっしゃるのに気付いてまして。お声をかけようかと思っていたら、それがお相手の気に触ったみたいで」
「そうだったんですか……。すみませんでした。気付かなかったとはいえ、俺のせいでご迷惑をかけて」
なるほど、デートの時に他人に関心がいったのが許せなかったと。
いくらなんでも心が狭すぎるぞその彼氏。
それにしても、穂高は本当に素晴らしい人だ。とても平静でいられる気分ではないだろうに。
柔らかで気品ある声は聴いていて心地よく、言葉遣いもていねいで、努めて冷静に話そうとしている。
本当に見る目のない彼氏だと思う。こんな素敵な女性を振るなんてどうかしてるとしか。
節操がなさすぎるので本日は自重するものの、平時であればぜひ仲良くなっていただきたい。
「水城舟先輩、お辛いでしょうが気を落とさないでください。あなたが悪いわけじゃありません」
穂高にはどうか立ち直ってほしいと願わんばかりであった。
なんだか濃い一日だった。
デートの経験は多いほうであっても、さすがに情報不足の相手では精神がすり減る。
まるでゴールの見えない山を登っているかのようだった。
自宅の玄関に入ったところで、急に一日を総括したい欲求が沸いてきた。
というより、今日一日心の隅で薄々思っていたことがある。
……俺って、もしかしてバカなの?
靴箱の上に野球のバッターを模したミニチュア人形がある。
できればそのバットで尻を思い切り殴ってほしいところだ。
運命の日に向けて、余計な行動を控えなければならない時期なのにこの体たらく!
なにせ今日だけで前世の記憶にはない二人の人間と繋がりを持ってしまった!
大いに反省しなくては。一年後には人の命がかかっていることを魂に刻みこむべきだ!
恵太が今一度決意を新たにしたとき、玄関から美夏が入ってきた。手には帽子と黒のレザージャケットを持ち、ひどく疲れた顔をしていた。
「美夏……姉さん。どこか行ってたの?」
「ええ、ちょっと大事な任務……じゃなくて、我が家の平和を守りに」
「うん……?」
よくわからなくて首をかしげると、美夏は恵太の肩をがっしり掴んだ。
「あとはあなた次第だからね。しっかりやるのよ!」
なにを? と聞きたかったが、美夏の尋常じゃないほどの目力に気押され、なにも言わせてもらえなかった。