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もう一度エンカウント④

 アトロポスは、目についた書店に入っていった。

 迷うことなくブルーレイのレンタルコーナーの棚に滑り込み、あたりを興味ありげに見渡した。


「とある異次元世界があった。今の現代科学を魔法と呼べる域まで高めた世を想像してほしい。そこにはお前たちのような人間がいて、この現代からすればSFやオカルトと称する事象を技術として再現することができた。人体の複製や機械化、物質転送や外宇宙への進出は言うに及ばず。月や他の星の環境を作り変え定住する人間は珍しくなく、遺伝子書き換えによる疾患の治療、個人の能力や造形、性別まで思いのままに変更可能。過去や未来を時間旅行したり、層のずれた異次元世界に侵入したり、他者と精神を交換したりもできる。面白そうだという理由でグレイ型の高次生命を造り出し、いずれ人間世界を侵略するよう命令をインプットして、他所の銀河に解き放ったことまであるのだ。わかるか。人間というものは、困難、夢、絵空事……、どのような荒唐無稽であろうとも実現する力を秘めている。その願望を達成したいという意思と意志さえあればな」


 アトロポスは指でブルーレイのケースをなぞり、棚から一本抜き出した。

 アメリカのスペースオペラ、船で宇宙を飛び交い、光の剣と超能力を武器に闘う超人気作品の四作目(実際は第一作目)だ。


「お前たちの世界も遥かな遠い未来、この物語のような世界が現実になる」

「ホントですか」


 言いたいことはわかる。

 人が空を飛べなかった時代に有人動力飛行を行った伝説のライト兄弟が良い例だ。

 彼らの空に対する情熱と意志が飛行機という形となった。

 夢はいつか叶う、という常套句の究極系だ。


 アトロポスの話はすごく夢がある。

 SF映画のような世界になるには、どれくらい時が経てばいいんだろう。

 生きてる間にタイムスリップ旅行をしてみたいし、能力や造形の変更というのも面白そう。

 数学が苦手過ぎる頭をどうにかできたら嬉しい。


 でも、自分が生きていたら、そんな夢のような世界は永遠に来ないかもしれない……。


「そして、これから話すことは少年の身にも関連してくる」

「俺に?」

「その前に、また一つ問題を出そう。科学技術極まる夢のような世界にあって、唯一実現できないことがあった。なんだかわかるか?」


 アトロポスは後ろ手に組んで棚の周りを歩き出した。


 できないこと? 物凄い科学力を持った世界でも不可能なことってなんだろ? ちょっと想像できない。

 時間や次元を超えるより難しいことってなんだ?

 アトロポスがちっちと指を振る。


「時間切れだ。正解は、人間の寿命を延ばすことだ」

「え? そんなことですか?」


 なんだかえらくスケールが小さいような。


「少年の違和感はもっともだ。不老不死ならともかく、寿命の延長だけなら容易。わたしが生まれた世界の誰もがそう考えた。生物の寿命を延ばすには、老化を抑制し、病気や疾患の元となる形質を封じる。生命倫理の観点から忌避された改造を施し、あとは健康的な生活を送ることができれば達成可能。計画初期の試算では、最大寿命は若い肉体を保ったまま二百歳まで延長可能だったのだ」

「二百歳! それはスゴイですね」


 今のご長寿のほぼ倍か~。しかも若いままなんて!

 そんなに生きてもやることが無さそうだ。


「寿命に関わるゲノム解析は完了している。ウイルスや細菌による感染症も恐れるに足らない。寿命を延ばすことは難しくないはずだった。しかし……」


 アトロポスは投げ売りされたワゴン台から古いDVDを取った。

 凄惨な飛行機事故を予知して回避した若者たちが逃れられない死の運命に次々とさらされる恐怖を描くアメリカのホラーサスペンスものだ。


「人間は死を克服できなかった。どれほど遺伝子を弄り、病気を予防し、頑強な肉体を保つよう細心の注意を払っても予想外の要因で死ぬ。多くは偶然の事故であり、死因不明の突然死も多数だ。計画は六百年という膨大な月日と多くの人間が関与していたが、最低目標値であった百三十歳にすら到達できず、被験者である男女の平均値は約八十四歳。要するに、技術の未発達な現代とほとんど差が無いということだ」

「なんか……まるで見えない死神がズルするなって言ってるみたいですね」


 死の女神であるアトロポスが死神の映画を取ってるせいで余計にそう思う。


「科学者チームは、計画の抜本的な見直しを求められた。長寿命に特化した肉体へ改造することはできるのに、非被験者と比較して事故死の割合が増えすぎている。確率論から見てまずあり得なかった。延ばした分の寿命を縮める力が働いてるかのようだ。寿命とは、遺伝子や病気で決まるものではない。論理や科学を超えた未知の力によって左右されるものと認識せざるを得なくなった」

「それが運命だっていうんですか」


 アトロポスは静かにうなずいた。


「やがて時は過ぎ、量子生命科学の領域において小さな発見があった。人間の体内に、身体を作る設計図であるDNAとよく似た物質を検出したのだ。それはDNAの二重らせん構造の影に隠れるように存在し、高度化した精製技術がなければ捉えられないものだ」


 DNAに関しては授業で習った以上のことはわからない。

 ミクロの世界で二本の鎖がぐるぐると絡み合ってるイメージだ。

 そこに未知の物質が含まれてたとしてもたいして不思議じゃなさそうに思える。


「研究者の間では、DNAを生命の糸と呼称するものもいる。検出した物質はDNAと比較してシンプルな構造であり、長大な線を球状に丸めたものに見える。DNAになぞらえ便宜的に"糸"と呼ばれ、どんな物質か研究が行われた。DNAは膨大な遺伝情報を記した書物の如き物質だが、糸は何の情報を記しているのか。当初、研究者にとっては良い暇潰し程度のものだったろう。しかし、その糸こそ、人間を絶望の淵へ突き落とすものだった」

「絶望って……何だったんですか、その糸って?」

「運命の書物だ。糸の両端にそれぞれ時と座標が指定されており、始まりと終わりを暗示している。すなわち、人間が何時何処で生まれて死んでいくか。生まれた瞬間どころか、生まれる以前から決まる。これがどういう意味かわかるか。人間は、万物の支配者などではなかったということだ。指定された死へ向かい、わけもわからず生きる憐れな家畜に成り下がったということだ。自分たちの生きる世界が地獄に変化した瞬間だった。なぜなら、人間たちの技術では再現不可能だったからだ。たとえば、ある個体の体内に仕込んだ毒を指定された時間に放出するといった自滅プログラムを組み込むことは容易いだろう。しかし、先天的に生と死のタイミング・場所を指定することはどのような技術をもってしても不可能なのだ。この宇宙を覆っている黒く淀んだ力を運命と呼んでもおかしくないだろう」

「それは確かに……うすら寒い話かもしれませんね」


 絶望というにはピンと来ない感じでもある。

 別世界の人たちにとっては重要だったかもしれないけれど、何時何処で生まれて死んでいくかなんて、普通は考えないだろうし。

 知らなければ良いこともあると楽観的に受け止めるしかないと思う。


「あれ……? ということは、運命の女神って何なんです? アトロポスさんは死の女神で、人の死を決めてるんじゃないんですか?」

「それこそが、わたしを含む女神たちが創られた理由だ。わたしの世界の人間たちにとって、得体の知れない運命に支配されるのは認められなかったのだ。人に寄り添い、見守り、運命を客観的に読み解いてくれる支配者が必要だった。女神という名目の支配者……、フッ、せめてもの慰め。幼稚で稚拙で憐れな自慰行為そのものだと思わないか」

「あの……冷ちゃんの体で、そういう品の無い言葉は控えて頂けると……まわりに人もいますので……」


 アダルトコーナーから出てきた髭を整えたダンディなおじさんが居たたまれないような目で去っていった。

 アトロポスは苦笑した。


「わたしに人の運命を決定する力などない。運命の糸に刻まれた情報を読み取り、人の言語に置き換えて収集するのみ。先ほどの公園で見た幼子と父親、店内にいる人間たち、少年やこの娘も含め、わたしは人の内に刻まれた運命を観ることができる。そして、彼らの運命を正確に履行させ、世界の構造を維持させるためにこれからも動く」

「構造?」

「言っただろう。人間の運命は、その者が生まれる以前に決まる。それは神が定めたことであり、神とは生命を内包する宇宙全体のことを指すのだ。そして、人間は、過去・現在・未来に渡り宇宙を支える構造の一部だ。例えるなら、この建物の構造である基礎や骨組みを想像してみるといい。基礎に不備があれば建物は歪み、強固な骨組みでも災害規模によっては倒壊してしまう」

「その例でいくと……俺ってまさか」


 あんまり口に出したくないな……。

 アトロポスは流し目を送った。


「そうだな。少年は、この宇宙が生み出した不備であり災害だ。または歪み、欠点、欠陥、綻び、傷、難点、間違い……言葉は何でもいい」

「そうやって不備とか災害とか欠陥とか、マイナスなワードばっかり言われると傷つきます……」


 これ以上にないくらい人間否定の言葉をあげつらってくれますね!

 もしかして俺って、生まれたこと自体まちがいだったのか?


「その答えは、わたしにもわからない。わたしに言えるのは、少年の糸は機能不全を起こしているということ。事故死、病死、自然死、定められた死を無視できる稀な存在。運命に従ってもらわないと、少年の意思に関わらず爆弾のスイッチが押される。少年の残り日数は三十三日、総時間にして七百九十二時間。猶予期間を超えて生存すると、災厄の未来を創りだすことは説明した。あとは少年自身で選んでほしい」


 ……そんなこと言われましても!

 選べる選択肢なんて一つしかないじゃないか……。


「自分には関わりのない未来だからと目を背けるか。それとも、自らの運命を受け入れて死を選ぶか。わたしは、少年の心が善だと知っている。他者だけでなく、自らの命も含めて不合理を受け入れる度量がある。賢明な判断ができると知っている」


 死の女神の嘘だと笑い飛ばせたら幸せだったろうな。

 見せられたVR映像のせいで、そんな考えは吹っ飛んでしまった。


 クロトさんは、生き残れと言ってくれた。

 苦しくても、辛くても、なにがなんでも生きろって。

 ……なんでそんな無責任なことを言ったんだろう。

 自分が生き残ったら、未来に災いをもたらすと知ってるはずなのに……。


「なぜクロトが少年に肩入れするのか予想はつく。少年の境遇を憐れんだのだろう。クロトは生きることを是とする女神だ。生を肯定し、生の尊さを優先する思考パターンが組まれている。大多数の命を生かすために死んでくれなどと言えるはずもない。あまり奴を責めてやってくれ」

「そうですか……わかりました」


 一度は実際に死んで、二度めは諦めかけた命だ。

 俺が死なないとまわりに無差別な不幸をまき散らすというのなら、今度こそ本当に死んだっていい。

 幸い死ぬのはちょっとだけ慣れてる。

 でも、ただで死んでやるのはゴメンだ。


「ひとつだけお願いがあります」

「この娘のことか」

「クロトさんが言っていました。冷ちゃんが死ぬ運命なのは変わってないって。……俺は違う世界から来た人間です。冷ちゃんの身代わりに死んだから、こっちの世界に来ることができました。なんでそんなことになったのか、アトロポスさんなら分かると思いますが、そんなことはどうでもいいんです。とにかく、冷ちゃんのことだけは助けてください」

「知っているはずだ。この娘の運命は、一月後の事故で終わりを迎えると。これは予言や予知ではなく、宇宙の構造なのだ。だから、約束はできない」

「いや、約束してください! 慶太くんのときみたいに、死の運命をずらせるんでしょう。だってあなたは、運命の女神なんだから。俺はあなたの言うことを聞くつもりです。だったら、俺のお願いを聞いてくれてもいいじゃないですか」

「わたしは、先ほどレース場のコースを例に出したが、レース場は万人共通ではない。ずらせる先がなければ、変えることはできない」

「変えてください。そうじゃないとあなたのお願いは聞けません! お願いです。冷ちゃんには夢があるんです。アナウンサーになるって夢のために、毎日寝る間を惜しんで勉強して、一生懸命がんばってます。冷ちゃんには……、生きていて欲しいんです」


 ここが最後の砦なんだ。

 俺が何をしても運命は変えられない。

 人の死を動かせるアトロポスに頼まないと、冷河は救えないのだ。


 アトロポスは押し黙ると、後ろの本棚からゆっくりと一枚のブルーレイディスクを取り出した。

 子供のころ、冷河と一緒に観たロマンス映画だ。


「少年は覚えているか。わたしは今、この娘の記憶から読み取った。難破する豪華客船から逃げ延びた女の物語だ。女は船で出会った恋人に救われるが、代わりに恋人は命を落とした。女は、恋人の死後八十年余りを生きることになる。時は流れ女は別の男と結婚し、子をもうけ、最後は形見の品を抱いて永遠の眠りにつく。娘はこの物語が好きだった。いや、正確にいえば、少年とともに観る物語が好きなのだ」


 映画の内容は覚えている。

 飽きるくらい一緒に観ていたやつだ。

 主人公と顔が似ているからと、性格や立ち居振る舞いの手本にしろって何度も言われた。


「女の物語では、恋人の死後、幸福な人生を送ることができた。果たしてこの娘に同じことができるだろうか。愛するものを奪われ、それでも幸福に生きていくことができると思うか」

「それは……」


 自分の死後、冷河がどうなるかはわからない。

 一時的に悲しむことはあっても、彼女はしっかり者だ。

 いつかは立ち直ってくれると信じていたから。


 アトロポスは返事を待たずに繋げた。


「わかった。約束しよう。この娘を救うため、わたしは動こう。この娘の幸福を優先しよう。少年の死後も、この娘を見守ろう」

「……ありがとうございます」


 "悪人は約束を必ず守る"。

 今は女神のことばを信じるしかない。


「"恋人"が引き鉄を引くはめにならなければよいがな」

「……どういう意味ですか」


 引き鉄って、最初の心理ゲームのこと?


「いや、忘れてくれ。そろそろ戻ろう。あまり時間が経つと、この娘に勘ぐられそうだ」

「わ、わかりました」


 冷河は二十分程度で起きるつもりだったのだろう。

 すでに四十分近く過ぎている。

 マンションに戻り、アトロポスは、冷河が横になっていたソファに寝そべり言った。


「未来を垣間見た人の子よ。どうか忘れないでほしい。蜘蛛の巣に引っかかった存在がもっともしてはならないのは、がむしゃらにもがくことだということを」

「わかっています。変にあがこうとは、もう思えませんから……」

「それでいい。今日の話は、この娘には伏せておけ。わたしが来たのは、少年を救うためだと信じている」

「はい……」


 アトロポスは恵太の首根っこを掴み、すごい力で顔を引き寄せた。

 鼻と鼻が触れ合う寸前だ。


「うわっ。なんですか」

「もう一つ留意してもらいたいことがある。少年はこの娘になぜ嫌われるのかと悩んでいたな。はっきり言っておく。この娘の心にあるのは、少年への愛だけだ」

「あ、愛ですか? あんまりそうは思えないんですけど……」

「相当な天邪鬼ではある。なにせ自分の心さえ偽るからな。娘の言うことはすべて逆に変換しろ。嫌いと言ったら好きという意味で、帰れと言ったら一緒にいろという意味だ」


 いやいやいやいや。

 顔も見たくないほど嫌われてるとは言わなくても、好きに振り切れてるというのも違うでしょう。

 冷ちゃんはそれほど単純な人じゃないと思うし……。


「女神は嘘などつかない。娘が目覚める時はそばにいてやれ。手を握る、頬に触れる、抱きしめて起こす。どれでもよい。娘が悪態をつくかもしれないが無視しろ。すべて逆だ」

「それセクハラっていうんですよ!」


 俺は一体なんの助言を受けてるんだろう……。

 ていうか思ってたような真面目で厳かな女神さまと違う!

 アトロポスが手を放して目を閉じた。


「冷ちゃんが目を覚ましても、アトロポスさんはその、憑りついたままなんですか」

「いや、しばらくの間わたしは消える。女神というものは多忙なのだ。いつまでもお前たち二人だけに構ってはいられない」

「そうですか……。あの、冷ちゃんのこと、ありがとうございます。助けてくれて……」

「礼には及ばない……遠く過ぎ去りし者のエコーを受け取っただけ……定めであるならば……せめて愛する者の腕の中で──」


 言葉が途切れ、呼吸が止まった。

 そして、朝自然に目覚めるように、冷河の目がゆっくり開いた。

 彼女はまぶたをパチパチとさせて、恵太と目が合った。


「……なにしてんの?」

「いや……冷ちゃんが中々起きなかったから、少し寝顔をね?」

「ふ~ん。起こすんじゃなくて、ただ黙って見てるだけなんだ」


 あ、ヤバイなこれ。完全にゴミを見る目だよ!

 アトロさんに引っ張られたおかげで顔がめっちゃ近いし。

 おまけに知らないうちに彼女のお腹をまさぐるように触っていた!

 こりゃダメだ。

 どう見ても致そうとしてる犯罪者だよ俺!


 冷河は顔を紅潮させ肩を震わせた。


「このクズが! ド変態! スケこましのファッキン野郎っ! 女の寝込みを襲えなんて教えた覚えはないわ! どうやら補習以前に、容赦のない制裁と再教育が必要だったみたいね!」

「なにもかも俺が悪うございました! どうかお怒りをお鎮めください!!」


 恵太は、脱兎の勢いで床に頭をこすりつけた。

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