もう一度エンカウント③
「……そんなことより、本題に入ってもらえませんか」
「そうか。ならば単刀直入に言おう。この世界のため、生きようなどとは考えず、少年には死んでほしいのだ」
「直球、ですね……」
「難しいことはない。少年が知っているとおり、来るべき時と場所で好みの車両に突撃してくれればいいのだ」
そんなトラックに挽かれて異世界転生しろみたいな軽いノリで死ねっていうのやめていただけます?
というかたった今、人を幸福にするために存在するって言ってませんでした?
生の女神であるクロトには生き抜けといわれて、死の女神であるアトロポスには死んでくれといわれる……。
いったいどっちなんだよ!
大雑把すぎる理由で死んでと頼まれてもさすがにいやだ。
「クロトのことを教えてやろうか。わたしの姉はとてもいい加減な奴だぞ。楽観主義、能天気、安直な大馬鹿者。しかも怠け癖まである。誠実さなど持ち合わせておらず、ふらりと消えてはわたしに仕事を押し付けるような奴なのだ。そんな奴の言うことは皆、全て、いずれも、ことごとく、見事なまでに間違っているから真に受けなくていい」
清々しいくらい容赦ないですね!
普段の姉を知っている身からすると、大体合ってる気がするのがなんとも。
「安易に納得しがたいのは理解している。今すぐというわけではないし、心して聞いてもらいたい。わたしには未来を見通すことができて、少年には死んでもらわねば厄介なことになるのだ。人は誰しも持っている力に応じて壊せるものが異なる。幼子は砂の城を壊すことができ、成長すればより強固な物を壊せるようになる。あるいは、科学技術を駆使して一度に何億という生命を奪うことも可能だ。だが、少年は他のなによりも破壊の規模が深刻すぎる」
「言ってることがよくわかりません。俺が一か月後に生き残ったらどうなるっていうんです? 核ミサイルのスイッチでも押すんですか」
「カタストロフィのトリガーを引くという意味では正しい。核程度で済むのなら御の字。たとえ世界中の核が起爆したところで人類は滅ばない」
そういうとアトロポスは、机に置かれた恵太のスマホを指差した。
一瞬、青白い火花が散ったように見えた。
「いま、なにをしました?」
「口で伝えるより実際に観てもらうほうが早い。端末を見てみよ」
「……スマホを?」
何かの映像を見せようとしているようだ。
スマホ画面には『READY?』の文字だけが浮かんでいた。
アトロポスは学習机の引き出しから、ゴーグルのようなものを取り出した。
「ついでに使ってみるか? よりリアルに感じられるぞ」
「これって……スマホ用のVRゴーグル?」
「没入感は大切だ。直観で理解してもらうためにもな」
アシリアとVRゲームで遊んだことを思い出した。
あっちは本格的な機器を使ったVRシューティングゲーム、かたやこっちはスマホを使ったよくわからない簡易VR……。
恵太は受け取ったゴーグルにスマホを入れて頭にかぶった。
それにしても……なんでスマホなんだ?
微妙に女神さまらしくない?
美夏姉さんといい、女神って皆こうなのかな。
スマホに魔法を込められるんなら直接脳内に映像を送るとかあってもよさそうな。
「できなくはないが、人の脳に直接映像を送り込むのは視神経への負荷が大きい。失明してもいいのならそうするぞ?」
「い、いえ。こっちを使わせてもらいます……」
「では始めよう。これより見せるのは、百年後の未来の映像だ。少年がDNAの限界まで生きた世界。つまり少年が死の運命を拒否した未来の姿」
「DNA? 運命? 百年先の未来?」
頭につけたVR映像の「READY?」が消えた。
「どうか賢明な判断を願うぞ」
映像が始まると、チャチなVRとは思えない、宇宙から見た地球が眼前に広がっていた。
宇宙から見た地球というものを以前テレビ番組で見たことがある。
全体は青白くて、地球の約70パーセントを占めているのは海だ。その上に綿をかき混ぜたような雲が広がり、余った部分に茶色の陸地が広がっている。
それが、自分の知る地球という星の姿だった。
目の前に広がる地球の姿は違っていた。
陸地が極端に少ない。全体の90パーセント近くが海になっているように見えた。陸地の減少と反比例するように、海は美しい群青色やコバルトブルーに輝いている。
「地上に降りよう」
アトロポスが言う。
まるでロケットシャトルが大気圏突入するような勢いで視点が移動した。
大気の熱で赤く染まったかと思うとすぐに雲の中へ突っ込んだ。
雲を抜けた先には、かつて日本だったと思われる、大部分が海に沈んだ大地が広がっていた。
「見てのとおり大地は海に沈んでいる。原因は、空気中に大量の二酸化炭素が放置されたことによる温暖化だ。極地の融解、永久凍土の軟化、それによりさらに二酸化炭素が放たれて温暖化は極限に達した。百年後、地表の86パーセントは海だ」
ニュースで聞いたことはある。
温暖化の危機、とか、SDGs(持続可能な開発目標)、とか国連が声高に叫んでそうな内容だ。
アトロポスの声がアナウンスみたいで、環境保全のPVを見てる気分になった。
「少年の住んでいた地域は現存している」
超高速ドローンのカメラ映像のように、大地と海が早送りのように流れて行った。
仮想空間に降り立った人型アバターのような視点で景色をみることができた。
映った街の映像は、百年という時間の経過を感じさせるものだ。
沈んでいないまでも地面は冠水状態。
蔦や木、草が生い茂り人の手がまったく入ってないのがわかる。
いったいどういう仕組みかわからないけれど、種々様々な植物の匂いがする。
宇宙人に侵略されて文明崩壊が起こったとしたら、案外こんな感じになるのかもしれない。
見渡す限り一面の緑だらけで、足元のアスファルトは無残にひび割れ、所々焼け焦げた黒炭の煤があり、空襲を受けたみたいに建物は倒壊しかかっているものばかりだった。
百年経っているにしては、建築のデザインは変わり映えしないように思える。
近所のコンビニはボロボロになった以外はそのままで、遠くに見える学校も校舎の角が崩れているのを除けば同じだ。
百年後の未来というより、現在の街を百年放っておいたらという映像なんだろう。
「あの……この仮想映像ってアトロさんが作ったんですか」
「仮想ではない。わたしに観測できた異次元世界の一つ、現実の映像だ」
「異次元? それっていわゆるパラレルワールドってことですか」
「お前たちの言葉でいえばそうなる」
「……実際の映像だとして、人はどこに?」
映っているものといえば植物と倒壊した建造物だけで、犬や猫の一匹すら見かけない。
地上が減ってしまった以上、相当数の人が犠牲になったのは想像できる。
「人間ならすでに映っている。もっと寄ってみようか」
アトロポスの声に合わせて、元々コーヒーショップだったと思われる店の壁に映像が寄っていく。
そこにあるのは人間大くらいの細長く階段状に折れ曲がった黒い煤のような跡だ。
「正確には、かつて人間だったものだ」
……それは煤ではなかった。
肉体を焼き尽くすほどの凄まじい熱線を受けると、人はその場に影だけを残すことがあるらしい。
影には頭・胴・腕・足があるとわかった。
テーブルについて飲み物を飲むところだろう。
頭の部位には目や鼻、口となる空洞もあった。
凝視していると、あるはずのない瞳が見えた。
白く濁って、意思の感じられない死者の目。
突然、瞳がこちらを見て口が動いた。
声は発していなくても、こう言っていた。
『どうして、こんなひどいこと、できるの?』
恵太は、胃液がこみ上げるような吐き気を催して、ゴーグルを外した。
……幻覚だ、ただの幻覚に決まってる!
わかっているはずなのに、どうしてここまで気分が悪くなるんだ?
耐えきれずにトイレへ駆けこんで吐こうとしたが、唾液しか出てこなかった。
「理解できたか。未来に人間は生き残っていない。かろうじて影を残した者もいるが、大多数は痕跡すら残さず消滅した。三十五億年以上をかけて紡がれた生命の糸が例外なく断ち切られたのだ。すべては少年が招いたこと」
トイレの前までついてきたアトロポスが言った。
「意味が……わかりません! 未来の世界が荒れ果てていたのはわかります……。人がいなくなったというのもわかりますが、それがどうして俺のせいなんですか。こんなひどいこと、誰にもできやしません!」
白濁の瞳を見たときから悪寒が止まらない。
ショッキングなホラー映画を観て生理的に受け付けないのとはわけが違う。
アトロポスの言っている意味はわからないのに、一つだけはっきりしていた。
影は、他の誰でもなく、俺を責めていた。
「荒廃した環境は、管理する人間が消滅したためだ。日本だけではない。アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、ドイツ、ロシア、中国。国や人種は関係なく、人間・動物の区別もない。まるでスイッチを切られたように、生命は終局を迎えた」
「なんでそんなことに……。俺になんの関係があるっていうんですか」
「少年が運命に逆らったからだ。人の生死は秒刻みのスケジュールで定められており、軽んじれば罰が下る。死の運命にある者は、立ち止まらず、次の世界へ旅立たねばならない。未来の情報を使って誰かを救うなどもってのほかだ。言っておくが、少年に見せた未来は良いケースだぞ。もっと悪ければ破壊は連鎖し広がる。人から星へ……星から銀河へ……さらに悪ければ──」
「納得できません! 俺は去年、火事に巻き込まれた子を助けました。その子は今だって元気にしているし、世間はいたって平和なんです。運命に逆らうだなんて……」
「死の運命とは、例えるならレース場のコースに設けられたチェックポイントだ。コースはいくつかの区間に区切られ、それぞれの区間で死の試練がある。稀に試練をかいくぐり、次のチェックポイントへ進行する者もいる。あの幼子に関しては、少年の決死の行動に免じて先送りさせた。幸いにして、未来への影響が軽微であることも観測済みだった」
「そんなのって」
それじゃ女神のさじ加減次第じゃないか。
あの火事の時、自分と達也の決死の覚悟に何の意味もなかったのか。
「そんなことはない。少年の驚嘆に値する執念が、新しい未来世界を観測させたのだ。ただし、少年が生き続けていたら全て元の木阿弥となるぞ」
この先誰かを救ったとしても、自分が生きていたらこの世がひっくり返ってしまうってことか。
「……どうして俺なんです? 俺が何だっていうんです? あり得ないでしょう。俺なんて、ただの高校生じゃないですか。なんの権力も持ってないし、もちろん魔法みたいな力だってない。例えあったとしても、誰かを傷つけたりなんて絶対にしません……」
「あり得ないと思うのは、少年の常識が正しくないからだ。人間は、この宇宙の常識など何も持ち合わせていない。五百年前まで天動説を信じていた人間が、たった数百年でどれほどアップデートしたというのだ」
「わからない……ちっともわかりません……俺は人間じゃないっていうんですか」
「普遍的な人間とはいえない。祖先から連綿と受け継がれたDNA、赤い血、生きる意思、人間愛。不足はないように思えても、たった一つの欠点が致命的だった。こう考えてほしい。地球に人類が発生して以来、その数は累計で約千億人にものぼる。少年の他に、九百九十九億人の生命があったのだ。人間が一万人いれば、必ず一人は特異な個体が発生する。学習能力や運動能力に著しく秀でた者、あるいは劣る者。そして、少年は千億人に一人の、ある種の爆弾を抱えた人間だったのだ」
「爆弾?」
「例えるならそれがもっとも近い。少年は持つことを定められた。人を焼き、星を焼き、この宇宙すら焼き払ってしまう爆弾だ」
「そんなバカな話……」
「しかし、幸いにして、起爆のスイッチは少年の手にある。少年に壊滅的な破滅願望がないのであれば、どうするべきかはわかるはず」
「そんな話を信じろっていうんですか。俺が史上最悪の人間爆弾だなんて話を?」
「本当は、少年に話を聞かせるつもりはなかった。わたしが影で動き、少年の命を断ち切ってしまったほうが早い。たったそれだけで、わたしの愛する世界を護ることができる」
アトロポスは部屋のドアを開けた。
「少し外を歩かないか。心拍が乱れているぞ。気持ちを落ち着けたほうがいい」
「……わかりました」
恵太は、相変わらず不自然な足取りのアトロポスの跡を追った。
外の空気を吸って歩いてるだけで、少しだけ気分は落ち着いた。
「歩き方……ちょっとおもしろいですね。ふつう、同じ側の腕と脚が同時に出たりしませんよ?」
「仕方ないだろう。わたしの処理能力にこの娘の肉体が追いついていないのだ」
わたしの体を支えろとばかりに手を差し出してきたので、恵太は手を取った。
指摘された不自然さを直そうとしていたが、今度は極端に大股だ。
「しかし、この娘の肉体と精神は好ましいと思っている。下々の人間を睥睨するかの如き威圧感を生まれながらに備え、人の上に立つものに向くフェミニズム的資質がある。運命の女神の器として非常に優秀だろう」
なんか地味に冷ちゃんのことディスってません?
「アトロポスさんは、普段どうしてるんですか? 女神なら女神としての体があるんでしょう?」
「今のわたしは煙のような存在だ。わたしの本体はこの世界にはなく、別の異次元世界に置いてきてある」
「それって、もしかして天国ってことですか」
小さな公園の前を通りかかり、アトロポスの歩みが止まった。
父親連れの男の子がオモチャのドローンを飛ばして遊んでいた。
アトロポスは宙を飛ぶドローンに指先を向けると、まるで操るように複雑怪奇な軌道を描きだした。
男の子は、操作が思うようにいかずに涙目になっていた。
「あの、もしかして遊んでます? あの子が泣きそうなんでほどほどに……」
「む。そうか」
言われて気づいたように、アトロポスは手を下げた。
コントロールが戻ったらしく、男の子に笑顔が戻った。
「人間は理解が及ばないとすぐに天国や地獄、天使や悪魔、呪いや魔法といった非現実的で非科学的なものを持ち出す。稲妻を神の怒りだと恐れていた時代から何も進歩していない」
「でも……あなたがその神様でしょう?」
「本当の神が、同じ次元に存在し、こうして少年と同じ目線に立って、言語を解して意思疎通を計れると思うか。そんな都合の良い話があるわけあるまい。わたしは人工の女神に過ぎない。神話にある運命の女神の名を与えられ、神の役割を果たすよう創られた一つのシステムだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。神の役割? それに人工ってことはアトロポスさんって……誰かに作られた機械ってことですか?」
なんだかすごいことを聞いてる気がするぞ。
女神というからてっきりオカルトな存在だと思ってたのに、非常識界の常識者だったのか!
つまり女神の本質は、ターミネーターのようなマシーンだったということ?
「また妙な想像をしているな。ネジや金属の骨格は使われていないぞ。高密度かつ微細化した生体素子を用いた量子演算独立管理機構。少年にわかりやすくいうなら、わたしの本体は完璧に近い生物であり、コンピューターでもあるといったところか」
「え~と、つまりあなたを生み出した人がいるって理解でいいんですか?」
「個人ではない。わたしを生み出したものは、自分たちを見守ってくれる神を必要とした人間たちの総意だ」