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もう一度エンカウント①

 二〇××年×月×日


 交差点の真ん中で、再び最悪の時が来てしまった。

 一年前とまったく同じだ。

 車にはねられるのは、何度経験したって慣れそうにない。


 身体の内側で何かが爆ぜた。肉体は冷えていくのに反比例して、溢れ出る血は炎のように熱く感じる。


「救急車ッ!」


 通行人の悲痛な叫びが耳に入った。

 二度目だから理解している。

 自分は間もなく死ぬのだろう。

 構わない。冷河さえ救えればそれでいい。轢かれるギリギリのところで突き飛ばすことはできた。


 地面に伏せて霞んでいく眼に映った冷河の表情は、無に包まれていた。悲しみも怒りも見えない。あまりにも突然のことで、理解が追いついてないのかもしれない。


 目的は果たしたし、悔いはない。

 さて……死ぬとしますか。


 柔らかい風が吹いた。風は渦を巻いていて、やがて昇り始める。まるで入道雲を作ろうとする上昇気流でも起こってるみたいに。


「こんにちは。死に際のところゴメンね」

「……姉さん?」


 姿は見えないが、美夏の声だ。


「お姉さんじゃないよ~。わたし、クロトっていうの。生と現在担当、運命の女神よ」

「女神さま、ですか?」


 どうりで声が同じなわけだ。そういや女神の生まれ変わりって聞いてたっけ。

 女神と聞いたとたん痛みが和らいできた気がする。むしろ心地よくなってきたし、きっと女神さまが光のオーラかなにかで苦しみを緩和してくれてるんだろう。


「あ、それ出血によるショック状態なだけだから。知ってる? 人が死ぬ寸前って、ドーパミンドバドバで、脳みそふわふわになって快楽に包まれるんだよ」


 そこはリアルに徹さなくていい気がするんですが! ウソでも女神オーラだと言っといてほしかった!


「あなた、間もなく死ぬわ。わたしにできることがあれば、今のうちに聞いとくよ」

「だったら、冷ちゃんのこと、よろしくお願いしていいですか?」

「……ゴメンね。それは無理なの。あの子が死ぬ運命なのは、まだ変わっていない。あなたは死のタイミングを一時的に入れ替えたに過ぎないのよ」

「そんな」


 じゃあどうすればいいんだ? 俺はもう冷ちゃんを守ってあげられないんだ。女神さまにも頼れないなら、どうしようもないじゃないか。


「そんなことないよ。あなたが助けてあげればいいんだよ。何度だって。ヒロインのピンチに現れるスーパーヒーローみたいにね」

「だから……それは無理だって……」

「ふふ。やっぱり、あなたの愛は変わらないのね。アトロが危険視するような人とは思えないな~。なのに、生まれたことがまちがいだからエラーだなんてひどいよね」

「アトロ? エラー?」

「ああ、こっちのことだから気にしないで。そうね。迷えるあなたに、運命の女神が進むべき道を照らしてあげましょう」


 あの、俺、もう死ぬ寸前なんですが……。


「死の間際ってね、意志と意思がもっとも強くなる瞬間なのよ。あなたの願い、あなたの愛が純粋で汚れのないものであるのなら。この泡沫の世……過去と未来が交わる庭での経験は、遠く過ぎ去りし者のエコーとして伝えることができる。時を超え、次元を超え……自らの運命すら超えてね。それは夢だったり、既視感や使命感だったり、色々な衝動として受け取れるの。気づいてないでしょうけど、あなたはずーっとエコーを受けて動いてきたんだよ。あとほんの少しで、変えられない運命だって変えられるかもしれない。だから、がんばって! もう一息よ!」


 俺にはまだ、できることがあると?


「ええ、そうよ。あなたの”心”を受け継ぐあなたに託すの。死は出口であり、入り口でもあるからね。さあ、そろそろあなたの新しい目覚めよ。時が近づくにつれエコーは大きくなっていくから、見逃さないようにしてね!」


 意識が途切れそうになり、息苦しくなってきたように思う。


「最後にひとつだけ。絶対に生き残ってね。苦しくても、辛くても、なにがなんでも生き抜くの。誰も観たことのない新しい未来を創るために。あなたがこの世に生まれた意味を、わたしたちに教えて」


 柔らかいものを顔面めがけてぶつけられてる感触があった。


「ほーら、さっさと起きんかーい! 土曜日だからって昼過ぎまでグースカ寝てんじゃないわよ!」


 女神さまの声だった。たしか名前はクロトさん?

 起こしてくれるのはありがたいんですが、もう少し優しくお願いできませんか?

 死んでから起きるのってすごくしんどいのであとちょっとだけ死なせててほしいんです。


「女神さま……もう少し……あと五分だけ待ってくださ……」

「……ああん? なにそれ? あんたまさか、出会う女の子みんなに女神さまとかクッサいこと言ってんじゃないでしょうね?」


 なんかヘンだな。不機嫌なあたりが姉さんっぽいぞ。

 まだ夢の中にいるのかもしれない。


 ベッドから身体を起こし目を擦った。

 美夏の顔をじっと見つめながら。


「姉さんって、本当はクロトさんっていうの? 運命の女神さま?」


 姉の目が一瞬で灰色になった。

 はあ? 誰そいつ、てな呆れ顔。

 無言のまま胸ぐらを掴まれて、平手三連発をお見舞いしてきた。


「痛い痛い痛いっ」

「まあ、なんて嘆かわしい……。実の弟の殺し文句がクサすぎて絶望しそうよ。いっぱしの男性にするどころか、ただの病人に仕上がるかもしれないわね。……あのねぇ、わたしだから笑ってやれるだけで、わけわかんないこと他の子に言っちゃダメだからね。ドン引きだっての。そりゃわたしは女神のよーに美しくて褒めずにはいられないでしょうね~?」

「ああ、いつもの美夏姉さんで良かった。よし……目も冴えてきた」

「いいから、とっとと着替えて支度する! 寝ぐせも直して。今日は冷ちゃんの家で勉強するんでしょうが」


 たしかにそうだ。

 数年ぶりに街に戻ってきた冷河のご両親に挨拶したくて、お邪魔したいと頼んだんだった。


「ほら、ママからのお小遣い。わざわざ時間割いて勉強見てくれてるんだから、菓子折りの一つくらい持ってくのが礼儀よ~」


 紙幣数枚を置いて、美夏は部屋を出て行った。

 恵太は、出かける準備をしながら考えていた。


 ただの夢なはずはない。

 これまでも何度かあった。意識が曖昧なときに限って、重要な事柄が脳裏に流れ込んでくるのだ。


 前世での火災事故やアナザー恵太の声もそうだったんだから、先ほどの夢も啓示みたいなものだろう。

 生と現在? を担当してる運命の女神さまで、名前はクロトさん。

 美夏と同じ声をした女性はたしかにそういった。


 なんとなく死の女神とは対っぽい感じだ。

 同じ女神のカテゴリーに属していてお互い知らないということもないはず。

 アトロ、というのがおそらく死の女神の名前なんじゃないかな。

 あちらの無機質で機械的な喋り方に比べたらごく自然で、生気が漲ってたように思えた。


 女神とはなんぞやとか、アトロさんやクロトさんの目的とか、わからないことはたくさんある。

 諸々の不明点は置いといて、今は考えることを一つに絞るべきだ。

 色々なことをいっぺんに考えると頭がこんがらがってしまう。


 目下最大の問題は……このままでは冷河を救えないらしいということ。

 たとえば前世のように、自分が冷河の身代わりに車に挽かれたところで、彼女が危ないことに変わりない。

 以前達也が言っていたように、目の前の危機を回避したところで、また別の危機が訪れる。

 ループものの創作によくある、歴史の修正力みたいな話だ。


 じゃあどうすればいいんだ? 答えが見つからない。命かけても無駄だっていうなら、他になにができる?

 思い出せ! クロトさんはなんて言ってたっけ? ……なんかどんどん忘れていってる!

 夢にありがちな時が経つほどに記憶が薄れてくからすごく困るぞ。


 たしか……エコーを見逃すな、と言っていた。

 エコーというのは、ざっくり言ったら、アナザー恵太とはまた異なるアナザー恵太(面倒なのでアナザー恵太ベータとする)の残響ってことかな。

 オルタネイト本来のアナザー恵太がいたんだから、またさらに別の世界、別の自分がいても不思議ではないか……。

 あんまり深く考えると頭が痛くなるので、単純に予知夢みたいなものだと思っておこう。


 結局、具体的にどうすればいいのか不明という結論にいきつく。

 手がかりを求めてもっと寝まくるか?

 次は役に立つ情報を得られるかもしれない。

 

 ……今すぐはまずいか。冷ちゃんとの予定があるし、美夏姉さんに見つかったら大目玉食らうぞ、絶対。


 着替えを終え、一通りの勉強道具をバッグに詰め込むと、インターホンが鳴った。


「恵太~、あなたにお客様よ~」


 誰だろう。

 美夏に手招きされて、階下の玄関口にいたのは、長谷川慶太の父親である長谷川裕二だった。

 彼は穂高のボディーガードでもある。

 黒いスーツの上からでもはっきりわかるほど盛り上がった筋肉が目を引く。


「どうもお久しぶりです。お元気でしたか」

「ええ、おかげさまで。慶太くんは元気にしてますか?」

「元気が有り余ってて困るくらいですよ。これはつまらないものですがどうぞ」


 長谷川は、菓子折りの袋を差し出した。


「ありがとうございます。……あの、よかったら中へどうですか」


 見たところ長谷川一人で、穂高の姿はない。


「いえ、こちらで結構です。お時間は取らせません。今日は穂高お嬢様の言伝で参りました」

「言伝、ですか」


 メールとかでいいのに。相変わらず穂高先輩は律儀だな~。


「お嬢様は社長の会合に同伴されていますので、代わりに自分が。恵太さんは、来月七月二十四日から三十一日までの一週間、ご予定はおありでしょうか」

「予定ですか? 差し当って特にはありません」


 あえていえば生き残るために無い知恵を振り絞るくらいか。


「ではよかった。お嬢様から、ぜひ一緒に旅行に行きたいとのことです」

「一週間の旅行ですか。いったいどちらへ?」


 もしこの申し出を受けたら、旅行明けが運命の日になるな。

 何この図ったようなタイミング。最後の晩餐のように思えて不吉だ。


「県外にある、別荘付きのレジャーランドですね。なだらかな高原の約二百万平方メートルに及ぶ敷地に、テニスやアスレチック、レストラン、プール、源泉など様々な施設があり、夏休みを楽しく過ごすには良いところですよ」

「な、なんかすごいですね。俺みたいなただの学生が行くには場違いな気が……」


 確実にお金持ちや会員様御用達ですよね、そのレジャーランド。

 運命の日も近いし、正直遊んでる場合じゃないんですが。


「費用の面はどうかご心配なく。恵太さんの分は、自分が持ちます。あなたは命の恩人でありますから」

「とてもありがたいんですが……すみません。こちらにも事情がありまして、今回はお断りさせてください。長谷川さんには、もう十分良くしてもらいましたから、これ以上お世話にはなれません」


 入院しているとき、長谷川には火事の件でとても感謝された。

 退院後もなにかと便宜を図ってもらい、大企業の社長である穂高の父親には過剰にアピールしてくれたらしい。


 愛と勇気に満ち溢れた素晴らしい青年だとか、将来必ずや我が社の宝になる優秀な人材だとか、架空の人物をプレゼンしちゃったんですかと突っ込みたい!


 おかげで将来の就職先には困らずにすみそうなのだが……。

 ただ、見返りが欲しくて行動したわけじゃないし、一番ダメージを被ったのは火災で家を失った長谷川自身のはず。

 これ以上身を切るようなことはしてほしくないと思う。


 長谷川は首を横に振った。


「とんでもない。あなたの勇気ある行動がなければ、自分は家族という一番大切な存在を失っていたはずです。命あっての物種ともいうでしょう。この恩は一生かかっても返しきれませんよ。お金のことは自分と会社に任せてください。どうか穂高お嬢様のためにも受けていただけないでしょうか」


 ううん、参った。そう言われると断りにくい。


「お嬢様は今年で高校を卒業されますからね。恵太さんと少しでも思い出を作りたいのでしょう。例えあなたに大切な人がいるとしても。それだけあなたを大切に想っているのです」


 それが本当ならすごく嬉しい。

 できれば楽しい思い出の一つくらい残してやりたいが、旅行明けに自分が死んだりしたら苦い思い出になりそうだ。


「すみません長谷川さん。その旅行って、わたしもついて行ったらダメですか? うちの弟が失礼なことしやしないか心配ですし」


 廊下の奥で話を聞いていた美夏が言った。


「もちろんです。言いそびれましたが、ご友人の方も招待してくれて大丈夫ですよ。別荘の就寝スペースの都合があるので、多くて八人程度になりますが」

「やったやった! てことで恵太~、せっかくだからご厚意に甘えときましょう。お願いだから、わたしに恥かかすのだけはやめなさいよ」

「しないって、そんなこと」


 美夏は喜びのあまりジャンプしていた。

 旅行参加に決まりみたいだ。

 そうなると自分・美夏・穂高を含めてもあと五人は誘えるか。


 遊んでる場合じゃないとはいえ、運命の日が近いからこそ冷河のそばにいたいと思う。

 どうせ一緒にいるのが目的なら、ついでに楽しむのも良いかもしれない。

 とりあえず、まずは冷河を誘ってみよう。


 未来の不幸に備えて思い出を作ろうなんてつもりじゃない。

 後ろ向きな気持ちじゃなくて、みんなで生きる未来のためだ。

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