霧生冷河は認めたい①
滝沢恵太という人間は、最初からあんな性格ではなかった。
初めて出会った小学一年生の頃は、けっこうな泣き虫であった。
六月の中旬、学校の帰り道、河川敷の隅っこで泣いている滝沢を見かけて声をかけたことがあった。
「どうしたの?」
「あ……霧生さん?」
「ほら、みっともなく泣いてないで」
ハンカチを差し出して、ポロポロと涙を零しつづける滝沢をなだめた。
話を聞くとクラスメイトの男子たちに髪色をからかわれたらしい。
「でも、本当のことだからなにも言い返せないよ。みんなが言うみたいにぼくがおかしいんだ。どうしてぼくはこんななんだろう。みんなと同じように生まれていたら嫌われなかったのに……」
二言目には泣き言ばかり。
齢六歳にしてすでに人生を諦めてそうだ。
からかった男の子たちは、悪意があったわけでなく、見たままを言っただけなんだろう。
滝沢はお父さんが外国の人で、金色の糸のように明るい茶髪だ。
女子の間でも滝沢は話題になっている。
顔立ちが整い過ぎて女の子みたいな男子がいる、と。
できれば仲良くなりたいとみんな思ってるのに、滝沢がいつも無表情でなに考えてんだかわからないから、腫れ物にさわるような扱い。
見事にボッチ生活まっしぐらだ。
「嫌ってなんていないって。あなたが可愛いから思わず構いたくなるんだよ。わたしを見てみなさいよ。滝沢くんが嫌われるなら、目つきキツくて可愛くないわたしなんて、もーっと嫌われてるはずでしょ」
「そ、そんなことないよ。霧生さんは……すごく可愛いと思う」
恥ずかしがってる滝沢が持って帰りたいくらい可愛い。
だけど……男子としてみたらイライラするタイプだな。
「ぼくみたいなダメ人間とはぜんぜんちがうよ……」
またこれだ。ウジウジモジモジと。
後ろ向きで自信のない男ってこの世でもっともみじめじゃないだろうか。
「滝沢くんさあ。あなたこのままでいいの?」
「え?」
「ダメ人間とか、嫌われてるとか。それをわたしに言ってどうするの? ふ~ん、可哀そうだね、って慰めてもらえたら満足なの? ピーピーと幼稚なワガママ言ってるヒマがあったら、これからどうするか考えたほうがいいんじゃない? もっと自信持ちなさいよ」
などと言ってみても滝沢は力なく首を横に振るばかりだ。
宝の持ち腐れってやつね。
せっかくキレイな顔して生まれたんだから、もっと相応しい中身になって良いはずでしょ。
成長したら素敵な男の子になるでしょうし、そうなったときに根暗な性格のままじゃつまらない。
少女漫画に出てくる男子みたいに、自信満々で、優しくて、キザで、時々生意気で、理想の王子様キャラだったら面白いのにな。
一人くらいクラスにアイドルみたいな子がいたら、学校にいくのも楽しめるってものよ。
特に女子は。
(そうよね。この子、どうみても甘ったれたガキんちょだし。可愛すぎて親が叱れないんだろうなぁ。この軟弱が治るだけでも、けっこういいセンいきそうよね)
日頃から「弟が欲しいから産んでほしい」とお母さんにねだり続けてきたものの、お父さんが転勤族だから無理だと言われた。
お父さんの転勤が多いこととお母さんが産めないことの関連がイマイチわからなかった。
まあ、大人の事情というやつなんだろう。
なんであれ血のつながった弟は諦めるしかないのだから。
でも、目の前にいるじゃない。鍛えがいのありそうな弟キャラが!
ちょっとなよなよし過ぎなのが気になるが、磨けば光る原石だと思えばぜんぜんいけるわ!
わたしは、下の子の面倒を見て、見守り、諭し、時には叱ってやれる理想のお姉ちゃんになりたいのだ!
よその家で同年代の子なのは、この際だと思って目をつぶっとこう。
同じ小学校に通ってるから最低六年間は一緒だろうし、毎日顔を合わせることになるのだから、実質家族で問題ないっしょ。うん。
「まったくしかたないわね。このわたしが一肌脱いで、あなたを叩きなおしてやろうじゃない!」
わたしは意気揚々と宣言した。
「……一肌脱ぐってなに?」
なにやら滝沢の顔が赤い。
「あなた、言い回しってものを知らないわね。もっと文化というものに触れて、感性を磨きなさいよ。そうね……まずはかたっぱしから恋愛映画を見て、あなたが見習うべきキャラってものを探しましょうか」
そして、わたしと滝沢の長い付き合いが始まった。
「違う! わたしの肩に腕を回して、耳元で『愛してる』って優しくささやくの! なんでこんな簡単なことができないの。こういうのは恥ずかしがったら負けなんだから!」
「む、無理だよぉ……」
滝沢は、まるで悪魔から逃れるように部屋の隅に寄ってイヤイヤするばかり。
嫌がる滝沢を霧生家に無理矢理連れ込んで、レンタルした恋愛映画を観ながら、特訓中の出来事だ。
一緒にいてよくわかったが、滝沢恵太は卑屈すぎる。たぶんわたしじゃなくてもイラつくと思う。気は小さいし、声の大きさはまるでフェレットの鳴き声。全身から自信のなさが溢れていて、人に話しかけようという気概も、そのための話題すら持ち合わせてないとかないわ。
残念美少年という表現がぴったりだ。これほど見た目と中身が乖離してる人も珍しいんじゃないだろうか。
他にも問題は山積みだ。
「まず人と話すときは相手の目を見るようにしなさいよ。今だってそう。下を向いたり、横に逸らしたり。情けないったらないわ。そういうのって相手に伝わるもんなんだからね!」
「だ、だって、相手の目を見るって恥ずかしいんだよ」
「あなた、その神経の細さ……たぶん血液型Aでしょ? どう考えてもA。ぜったいAに決まってるわ。まったく、そんなに臆病なままでこの先どうやって生きてくつもりなの?」
「いや、ぼくはO型……」
「しかも口答えするとか! わたしがAっていったらAなの! 事実はどうでもいいの!」
「そんなぁ……理不尽だよぉ」
「なにいってるの? 生きてくって理不尽なことだって、うちのお父さんが言ってたんだから。ほら、そんなことより最初の続き。わたしの肩に腕を回して言うことがあるでしょ」
「イヤだよぉ。こんなことしたくないよぉ……」
プルプル震えながら涙目で訴える滝沢ってけっこうそそるものがあるわね、などと思いつつわたしは言い含める。
「よく聞いて。あなたは本当は輝く宝石みたいな人なの。でも、今は磨かれてない濁った原石みたいなもの。早いとこその輝きにふさわしい人にならなきゃダメ。それに男の子ってのはね、女子に求められたらやらなきゃいけないの。あなたの好き嫌いなんてどうでもいいの。そのためにも、人に近づきたがらないその性格を直さなきゃなの!」
「でもでも……ぼくのお母さんは、女子には近づいちゃダメだし、触ってもいけないし、褒めるなんてもってのほかだって……」
なにその見るな触るな関わるなの三か条は。なんで母親からそんなこと言われてるんだろうこの子?
よくわかんないけど、親の教育がまちがってるのは確定的に明らかね。
「……残念なことに、滝沢くんのお母さんは、あなたの才能に気付けなかったみたいね。お母さんのいうことを真に受けちゃダメよ」
「でも、霧生さんはお父さんの言うこと真に受けて……」
「また口答えした! そんな子に育てた覚えはないから!」
「ぼくも育てられた覚えないよぉ!」
初めの頃は、滝沢にずいぶん手を焼かされたものだ。
わたしの教育を受け始めて一週間も経つと、少なくとも滝沢の目が泳ぐようなことはなくなった。
元々美少年で素直な滝沢がまっすぐな眼差しをするようになるだけで、人は敏感に察知するものだ。
女子の間で滝沢という存在が本格的に目立ち始めた。
思った通り本人の筋が良かったようで仮の姉としても非常に鼻が高いわ!
「滝沢くん、これからは自分のこと『ぼく』っていわずに『俺』って言いなさい」
「え……どうして?」
「だって情けないじゃない。わたし、自分のことを名前で呼んだり、ぼくっていう男の子には虫唾が走るのよね」
「あの……ムシズガハシルってなに?」
「ムカつくってことよ」
「……つまり冷ちゃんの好みに合わないからってこと?」
「そうよ。……なに? もしかして口答えする気?」
「いいえ、教えてくれてありがとうございますっ」
「それと人の目を見て話せるようになったのはいいけれど、まだ少し表情が固いわね。もっと笑顔を心がけなきゃ。あなたの思う笑顔が上手な人を参考にして練習してみなさいよ」
「はいっ」
規律正しいボーイスカウトのように正しい背筋の伸び。
滝沢の物分かりもずいぶん改善できたようでわたしも嬉しい。
滝沢大改造計画を施して数十日が過ぎたある日のこと、わたしは滝沢の家に出向いた。
「もうあなたに教えてあげられることはすべて教えたわ……。わたしから最後の宿題よ。わたし以外の女子と見事仲良くなってみせなさい」
武術の達人が弟子に試練を与えるみたいなノリで伝える。
「無理だよぉ……。俺、冷ちゃん以外の人とうまく話せないよぉ……」
滝沢は跪き、わたしの腰にしがみついて鼻をかんでいた。
ちなみに滝沢はけっこうなダメンズである。
元が臆病なぶん、気を許した相手にならとことん甘えて頼る癖がついている。
さんざん親に甘やかされた、とても人には見せられない情けなさ満点の子の姿がそこにあった。
「甘えないで! あなたはもう生まれ変わったのよ。いつまでも人に頼ってちゃダメ。百獣の王ライオンは、あえて我が子を谷へ突き落とし、這い上がったものだけを育てたというわ。……這い上がってくるの! 這い上がって、一回りも二回りも成長した姿をわたしに見せて!」
人に好かれそうな柔らかい話し方を胸やけしそうなくらい頭に叩き込んでやった。
話題を合わせるため流行りの芸人のジョークも教え込んだ。
良いお手本を見つけたのか、爽やかな笑顔もだいぶ様になっている。
あとは的を絞って狙い撃ちするのみだ!
「女子をとことんおだててチヤホヤして、あなた無しでは泣いたり笑ったりできないカラダにしてやるの! それができて初めて、あなたは一人前になれるの! 昨今、日本男子の草食化が著しいとニュースでもいってるわ。あなたは時流に逆らう無敵のラブソルジャーとしてこの乾ききった時代に君臨してやるの!」
「あの……ソウショクカってなに?」
「草を食べるってことよ。嘆かわしいってお父さんも言ってたわ」
「草を食べることと、俺が女子と仲良くなることにどんな関係があるの?」
滝沢は目を丸くして尋ねた。実のところわたしだって意味がわからないので応えられるはずもなく。
「……うるさいわね。そんなことどうだっていいの! 大事なのはあなたが自分の持つ素晴らしい才能に目覚めることよ。こないだ一緒に見たスパイダーマンにもあったでしょう。大いなる力には、大いなる責任が伴うって。生まれ持った才能を活かさないのは大いなるムダ。とっても悪いことなんだから」
「でも……やっぱり俺なんかじゃ無理だよ……」
「自分を嫌いなままで一生を送りたくないでしょう。今変わらなくていつ変わるっていうの? いいことを教えてあげるわ。男の子に求められる一番大事なもの。それはハッタリよ!」
「ハッタリ?」
「あなたがどう思うかは重要じゃない。あなたが人にどう思われるかが大事なの。こないだ見たマフィア映画にもあったでしょう? スパイから情報を聞き出すとき、そのまま聞いたんじゃウソを吐かれるかもしれない。でも、ウソだとわかったら指を切り落とすって脅しておけば真実をいうかもしれないでしょう。ハッタリは強ければ強いほどいいの! あなたが素敵な男の子だってハッタリをかましていれば、人に好かれるようになるし、あなた自身も自分が大好きになるのよ!」
「冷ちゃん、例えが怖いよっ」
「それにね、ハッタリは何回言ってもハッタリだけど、一生続けることができたらそれはホントになるの。さあ、勇気を出して。弱音を吐くのはもうお終いにしなきゃ!」
「う、うん。なんか……、俺でもやれそうな気がしてきたよっ」
その時、部屋のドアが勢いよく開いた。
「あー、冷ちゃんだ! 来てたの気付かなくってゴメンねっ」
このムダに愛嬌を振りまくテンションの高い茶髪の少女は美夏といって、滝沢恵太の実の姉だ。
初めて会ったときは、髪の長さでしかこの姉弟を区別できなかったくらい滝沢とよく似ている。
いつも滝沢にべったりの姉で、彼が軟弱だった要因のひとつは、この実の姉にあるのではと思っている。
むしろ諸悪の根源?
はっきり言ってわたしにとってはすごく邪魔な存在だ。
こういう弟をダメにするタイプのダメ姉より、わたしが本当の姉であれば軟弱者になんてさせなかったのに!
「ほら恵太、お客様が来たんだから冷たいものでも持ってきてあげて。外暑いんだから」
「う、うん」
いそいそと滝沢が部屋を出て行った。
「まったくもー気が利かなくってゴメンねっ。いつも女の子には気をつかえって言ってるのに、何回言ってもわかんないやつだからっ」
「そ、そうなんだ……」
すっごいニコニコ顔の美夏に、わたしは舌打ちしそうになった。
困ったことに、わたしまで妙に懐かれていたりする。
滝沢の家に来るに当たって、もっとも大きな悩みは、このお気楽な姉の相手をしなければならないことに尽きる。




