もう一度ブライトネス③
午後五時に差し掛かるあたりで、デート行事に参加していた全員に遊び疲れが見え始めた。
冷河と久しぶりのデートとして、まあまあの及第点だったはずだ。
間が開かないようにアトラクションコースは前もって予習しておいたし、昼食のタイミングもベストだったはずだし、冷河が好みそうなエスコートも欠かさなかった。
少なくとも今までデートしたことのある女子であれば、五段階評価の四以上は固いところだ。
「ふーっ、さすがにけっこう遊び倒した気がするしー」
「明日から学校もあることだし、今日はこの辺でお開きにしましょうか?」
笑顔の中に疲労感を滲ませたアシリアを見て、冷河がスマホの時刻を確かめていた。
「できれば次は遠山くんとゆっくりお話ししたいかな。特にあなたの勉強法とか聞いてみたかったの」
「……そりゃべつに構わないが。勉強法つっても、俺は特別なことしてるつもりはねえぞ? それに最近はヒマがなくてな……」
「あ、そうだ。そういえば仁美も成績が伸び悩んでるって言ってたし、良かったら今度みんなで一緒に勉強会なんてどう?」
「喜んで協力させてもらう」
スゴイ、あっさりその気にさせちゃった。さすがの観察眼だな~。相手の弱みをしっかり把握してる。
帰りのバスに揺られながら、冷河が話しかけてきた。
「ところで滝沢くん。あなた、デートのときっていつもこんな感じなの?」
「……? いつもこんな感じっていうと?」
「完全にどっかから持ってきたテンプレートってこと。男の子が車道側を歩くとか、女の子のファッション褒めるとか、食事のスピード合わせるとか、ほかにも色々わたしに気を使ってくれたわよね?」
「う、うん……」
凛々しい目つきが汚らしい盗賊を見るような目になってきた。
「あ、あの、今日の俺、どこかマズイところあった……?」
自分では高得点だと思っていたのに!
理由が思い当たらないので、素直に聞くしかなかった。
「どこか? 全部に決まってるでしょ! 今日のあなたの、どこに自分があるっていうのよ! 無難すぎてつまらないし、そつがなくて面白みもないわ。まるで恋愛指南本のマニュアル通りって感じ。前もって想定したことをその通りこなすだけの人に魅力を感じるとでも思うの? わたしはね、男の子との交際には胸が高鳴るようなドキドキを期待してるのよ。男の子が余裕ぶってるよりも慌てふためいて必死になってるところが見たいのよ。でも、あなたはわたしが求めてる感情なんてちっとも与えられないじゃない。こういう価値観の差で相性の悪さってわかっちゃうのよね!」
後部座席の二人が小声で反応した。
「俺にはイチャモンつけてるようにしか聞こえねえな……」
「マジかー。アタシはいつも大満足してたのに、あれでダメなんだ。冷河って超レベル高いしー」
「レベルどうこうの問題かあ?」
恵太は素早く思考を回転させ、答えを導き出した。
「なるほど! 冷ちゃんが求めてるものが欠けてたんだね! よっし、できるかぎりやってみるね!」
恵太は冷河の右手を引き寄せた。
「ちょっと。何する気?」
「冷河……俺のものになれよ」
「……ちょっ!?」
冷河の頬が鮮やかに紅潮した。
もう少し低音を聞かせた声音にしたら冷河の琴線に響くかもしれない。
命令系は苦手だが、女子の希望だから仕方ないと思ってレッツ俺様!
この調子で彼女の腰に手を回し、もっとパーソナルスペースも詰める!
「ちょっと、そんなに寄らないでよ。そんなとこ触んないで!」
「やめてほしかったら、そのカワイイ口で、俺のものになるっていえよ」
「誰がなるか! そのとってつけたような俺様キャラ、ムカつくし気持ち悪いからやめなさい!」
「……そっか~。ダメか~」
慣れないことしたバチがあたった。本気でキモがられていそうなので、壁ドンはやめとこ……。
「あのねえ。いつまでもルックスでごり押しなんかしてると、歳取ったときなんにも残らなくなるわよ?」
「でも、大いなる力には大いなる責任が伴うんだから、生まれ持った長所を活かさないのは悪いことだって冷ちゃんが……」
アシリアが座席をまたいで顔を出した。
「なにそれ? もしかしてスパイダーマンのセリフ?」
「なんでもないわ! 滝沢くんも、そんな昔の話は忘れちゃいなさいよ」
「え~。でも、冷ちゃんのおかげで今の俺があるようなものなんだから、忘れられるわけないよ」
「い・い・か・ら!」
強引に話題を打ち切られたが、今度は冷河の方から耳打ちしてきた。
「ところでさ……、アレってなに?」
「なんのこと?」
「バスの最後尾に座ってるサングラスした女の人。気付かなかった? 映画館のときからずーっとつけてきてるの。館内でもサングラス外さないから気になってたのよ」
「女の人? そうなの?」
直接見るのも失礼な気がして、恵太は、前にある運転手用のバックミラー越しに問題の人物を確認した。
黒髪のショートカットに黒のレザージャケットを羽織った女性が長い脚を組んで座っていた。
たしかにチラチラとこちらを伺っているように見える。
遠目にもほっそりした美人であるのはわかった。ついでにあの女性が誰であるかも明白だった。
(なにやってんだろう、姉さん……)
去年の暮れにつけてたウィッグまでかぶって変装のつもりかな?
こないだ冷ちゃんとの仲を取り持とうとしてたからその件かな?
「滝沢くん、身に覚えあるんじゃないの? どう見たってあなたのストーカーでしょう。普段から身綺麗にしとかないからヘンなのに付きまとわれるのよ」
「あのー、ええっとですね……」
うーん、耳が痛い。
確かにどう見ても不審者っぽい。
どうして悪の女幹部みたいなコーディネートで来たのか理解できない!
去年の火事で多大な心配をかけてしまったせいか、以前にも増して構ってくるし、基本的には家族想いで心優しいお姉さんなんですよ。
ただし、大切は大切でも、大切なオモチャ扱いかもしれないが。
「あの人のことは気にしなくていいから!」
アシリアが勢いよく答えた。
「妙成寺さん、あの女の人知ってるの?」
「うん、よく知ってる人だし。とにかく、危ない人とかじゃないんで。本人はいたってマジメに忍んでるつもりだから、どうか見逃してあげてほしいかな」
「ま、まあ、そこまでいうなら……」
アシリアも美夏のことに気付いていたらしい。
「二人ともスゴいね。俺、ぜんぜん気付かなかったよ」
そういうと冷河とアシリアが冷ややかな目を向けた。
「鈍感で、愚鈍で、本っ当にいい加減なひとね」
「恵太って、マジ白々しいし」
女子二人になぜか責められると、より一層胸がえぐられた気がした。
デートの去り際には必ずやっておくことがある。
次のデートの約束を取り付けることだ。
相手の迷惑じゃないかなとか、断られたらへこむとか、そんなネガティブな考えは頭から追い出してしまうべし。
男はどんな状況であろうとも自ら誘いをかけていかねば成長できないものなのだ。
「ふたりとも、帰り道は気をつけて。特に横断歩道では渡る前に車が来てないかちゃんと確認しなきゃダメだし。前後左右はもちろん、上空からのいん石、地下からのドリル。あとあと、宇宙から降り注ぐ有害な紫外線とか、よくわかんない異次元からの侵略者とかが襲いかかってくるかもしんないし。とにかく全力で気をつけて!」
アシリアとの別れ際、彼女に言われたことである。
理由はともかく、彼女には前世の死亡理由を知られているんだから、忠告はありがたく受け取っておきたい。
「途中から交通事故の範囲超えてんだろうが……」
呆れ顔の達也がアシリアを引っ張って帰ったのがほんの数分前だ。
恵太は、横断歩道の信号待ちのあいだに冷河へ声をかけた。
「今日は本当にありがとうね。冷ちゃんさえ良かったら、また来週も遊びにいかない?」
「無理。来週からはずっと塾だから」
スマホでニュースサイトを見ながらのそっけない返事だった。
「塾に通ってたの! まだ高二なのに大変だね」
「なに言ってんの、もう高二じゃない。目指す目標があるのなら、早めに動くほうがいいに決まってるわ」
「すごいな~もう目標も決まってるんだ」
「なにを呑気な。あなただって大学に進学したいとは思ってるんでしょ?」
できればそうしたいが、今は生き残ることが最優先なので。そうでなくとも……
「正直、進学は厳しいかな~って思ってるんだ」
「なんでよ? ……そんなに成績がキビしいってわけ?」
「というより費用的な問題が……」
「奨学金制度があるでしょ。大学通いながらでもお金は稼げるし」
「実は、今の時点ですでに結構な額の借金が……」
主に穂高先輩の世話になりっぱなしの二百万円分という意味で。
「は? なにそれ? あなたの家って、家計が火の車ってわけ?」
珍しく冷河の瞳孔が開いた。
「冷ちゃんが転校してくる少し前に、入院してたことがありまして。その、思ったより治療費が高くついちゃって……」
「入院!? ちょっと待って。滝沢くん、なんか重い病気でも患ってたの?」
動揺したようすの冷河に、両方の腕をがっちり捕まえられ、恵太は動けなくなった。
「いや、ただのケガだよ。もうぜんぜん大丈夫だし、今はこのとうり」
「……大丈夫ってことね。治療費ってどれくらいよ? 日本の医療制度で、そこまで高額になるの?」
「ええと、正確にいうなら差額ベッド代っていうのかなあ? ほら、一部の偉い人じゃないと入れないような豪華な病室ってあるじゃん。そこに一ヶ月ほど入院してたせいで信じられないくらいの請求になっちゃって」
「一体全体どうしてそういうことになんのよ……。くわしく話してみて」
冷河にせがまれ、恵太は話した。姉の友だちである穂高の厚意で、事故の治療に便宜を図ってもらい、彼女に対して大きな借りがあることだ。
「ああ、そういうことね。金にモノいわせるような女まで引っかけて……」
冷河はうなだれて額を抑えた。
「要するにただの口約束じゃない。そんなもの払わないでいいから突っぱねなさいよ」
「ええっ、そんなのダメだよ。受けた恩はちゃんと返さなきゃ」
「あなた……、詐欺師に騙されるタイプね。そういうのは恩の押し売りっていうのよ。そもそもあなただってその女の知り合いを助けたんでしょ? そのせいでケガしたんだから、あなたの受けた恩は正当な報酬っていうの」
「でも……、穂高先輩や彼女のお父さんにも就職先に困ったらウチに来なさいって、言っていただいたし……」
「滝沢くん、悪いこと言わないから、その女とは一刻も早く縁を切りなさい。断言するわ。その女はあなたを雁字搦めにして愛人みたいに囲いたいだけよ。罪悪感植え付けて、恩を着せるやり方で洗脳する手口なんて。まさにメス豚の所業ね」
「だ、ダメだよ冷ちゃん。そんなこと言っちゃ。冷ちゃんも会ってみたら、そんな人じゃないってわかるから」
「フンッ。どうだか」
冷河は怒りが収まらないといった様子だった。
「と、ところで冷ちゃんの目標や夢ってなんなの?」
「滝沢くんにだけは教えない」
「ええ、そんなぁ……」
それ以上聞くなというオーラが出ていたのでもう一度話題を変えてみる。
「アシリアとは思ったよりも打ち解けてるみたいでよかったね」
「べつにそうでもないわ」
「そんなことないと思うよ。そういえば、仁美さんとはどう? 休みの日に遊んだりしてない?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「冷ちゃんが転校してから、だいぶ気を落としてたことあったから。仁美さんにとって、冷ちゃんは大事な人なんだよ」
「大事な人だなんて大げさよ。もちろん仁美とは仲良くしてるわよ」
「そう? なら良かった」
冷河が横断歩道の向こう側を興味ありげに見つめていた。
「どうかした?」
「いえ……道の向こうに」
「向こう?」
向こう側では四人の年配の男女が信号待ちしてるだけだ。
「知ってる人でもいる?」
「……あれ?」
冷河は不思議そうに首を傾げた。
「さっき、たしかに……」
冷河は、赤信号を無視してふらふらと進もうとしていた。
「ちょ、ちょっと、まだダメだよ!」
前世の光景が脳裏をよぎって、恵太は無我夢中で冷河に抱き着いた。
とにかく同じ轍を踏ませるわけにはいかない!
「あなたねえ……っ!!」
冷河はプルプルと小鹿のように震えながら耳を真っ赤にして叫んだ。
「公衆の面前でえっ、抱き着くなバカッ!」
「おうふっ」
膝で金的、肘打ちでみぞおち、平手で頬を打たれる三連コンボで、恵太は悶絶するのだった。