もう一度ソフトネス
「なんかよお、俺が想像してた女と違うんだよな」
達也がベッドの上であぐらをかき、口を尖らせた。
「なにが?」
「悲劇のヒロインっていうよりは、めんどくせーっつうか。俺が勝手に想像しただけだろって言われりゃそれまでなんだが、まず気になってんのは……お前さん、何でああまで拒否られてんだ?」
「ああ……そのことね……」
恵太と達也は、滝沢家の一室にこもっていた。重要な事柄が起こった際は作戦会議を行って今後の方針を確認する必要がある。霧生冷河への接近作戦はとりあえずの成功を収めた。強引なやり方だったが、恵太と冷河に残された時間はあと三ヶ月ほどしかなく、手段を選んでいる余裕はなかった。
三ヶ月、という期間すら希望的だ。死神が猶予を与えてくれないのなら、事が起こるのは今この瞬間かもしれないのだから。
「二人してまとまってくれてたほうが、いざって時に手が回るとはいえ……お前ら、このオルタネイトじゃ久方ぶりの再会だったんじゃねえのかよ。なんだありゃ? 鞭打ちでもかましてきそうな剣幕は」
「それが前世のときと同じなんだよね……。恥ずかしながら、冷ちゃんに嫌われてる理由が皆目見当つかなくて……」
「なのに言い分は全部認めるから改善の時間をくれってか。よくやるぜ。あそこまで女にへりくだるのは、俺には考えられん。ボロクソ言われてムカつかねえのか」
「それはだいじょうぶ! どんなに悪く思われたって、無理矢理でも笑ってると穏やかな気持ちになれるんだよね」
「そりゃスゲーな。ある意味、器がデカいのか。ノブレスオブリージュの変型だ」
「それに冷ちゃんのこと好きなのは本当だし。そんな人を憎んだりなんてするもんか」
達也が目を細めた。
「……お前、実はマゾなんだろ。自分をちやほやする女じゃ食指が動かねえだけなんだろ」
「失礼な。そんなわけないし。それはともかく、冷ちゃんは頭の良いタツみたいな人が好きって言ってたんだから、もしアプローチされたら絶対に邪険にしないように」
「おい待て。さらっと何いってやがる。お前はそれでいいのかよ! 第一、俺にも好みはあるんだぞ。霧生みたいなヒステリックな女は勘弁だ」
「女子の希望なんだからしかたないし。とにかく絶対に冷ちゃんの期待を裏切らないようにしてくれよ。だいたいタツの好みって、仁美さんみたいに物静かな子でしょ? だったら諦めてもらうほかないので」
「決めつけんな! お前に言われてから、先走った真似はしてねえんだぞ」
「気を持たせたなら本当にごめん。ただ、タツじゃなくても無理だっていう理由があるので……」
恵太は悩んだ。どういったもんかな。タツの仁美さんへの執着は初恋ゆえのものだ。男の初恋って実らないのが当たり前だし、そもそも彼女には──
その時、部屋のドアがノックされた。
「入るわよ~。いらっしゃい遠山くん。飲み物どうぞ」
姉の美夏が笑顔を振りまきながら、コーラを持ってきてくれた。
美夏が部屋に入ってくるのは久しぶりだ。色々あってアナザー恵太が美夏を好きだったのかもしれないとわかった。だからといってどう対応すればいいのかわからず、なんとなく姉から距離を取るようになっていた。
「こりゃどうも」
「いえいえ。遠山くん、最近よく来るわね。あんまり遊んでるようには見えないけど、いつもふたりでなにしてるの?」
微妙に答えづらい質問。恵太は割って入った。
「あの、姉さん。タツとは男同士の相談ってやつをしてるからちょっと……」
「俺はべつにいいぜ。ずばり言っちまうと恋愛相談ってやつになるのか?」
「おお、恋愛相談!」
美夏の鼻息が荒くなった。
「気になってる子がいるのに、どうすりゃいいのかわからないっていう、よくある話ですよ。そういうのは滝沢みたいなプロに聞くに限る」
「まあ、そうといえばそうかも……」
恵太は話を合わせた。
「へえ~そうなんだ~。遠山くんにも気になってる子がいるんだね~」
「そりゃあ、いますよ」
「良かったらわたしも聞いていい? 秘密は厳守するし、女子側の意見でアドバイスできるかも」
「もちろん。助かります」
美夏は腰を下ろした。
「で、タツはどうしたいわけ? ヒト……じゃなくて、Hさんと仲良くなりたいんでしょ?」
恵太は尋ねた。本当は悠長な話をしている場合じゃないけれど、美夏に居座られてはしかたない。
「率直に言ってそうだ」
「たぶん同級生なんだよね。ちなみに遠山くんはそのHさんとは親しいの? 話したことはある?」
「世間話くらいは。でも単なる一クラスメイト以上にはなれてない感じですね。相手は自己主張するタイプじゃねえみたいだから、趣味や好みもわからない」
「うーん、なるほど……」
美夏は顎に指を当てて、達也の現状を吟味しているようだ。
「聞いてるだけだと、まだHさんは遠山くんの気持ちを知らないってことよね。まずはそこから知ってもらうのがいいんじゃないかな?」
「となると、呼び出して愛の告白の一つでもすればいいのか? なあ、滝沢プロ」
「プロはやめてくれ……。あと、いきなり告白も絶対に止めたほうがいい。当たって砕けろじゃまず成功しないと思う」
「そうね~、いきなり告白だと女子は困るでしょうね~。意識してた相手ならまだしも、そうじゃなかったら気持ち負担になるし。できればワンクッション置いてほしかったっていうか」
「そもそも手順をしっかり踏んでれば告白っていらないと思うよ。それとなく近づいて、相手に話させて、自然に一緒にいるようになる。これが理想で、告白は九割方気持ちが伝わってて、最後の確認のためにって感じかな」
「あのなあ、俺みたいな凡人じゃ意中の人間に『それとなく近づく』って時点で難易度爆上がりなんだよ。そんなもん流れ作業みたくこなせるヤツは、お前ぐらいだっつの」
「……まったくね」
達也と美夏が白い目で恵太を見た。なにその宇宙人を見るような目は?
「少なくともタツは上背あるし、学年トップの成績保持者。女子に気に入られやすいアピールポイントを二つも持ってるんだから、そこを活かせばいくらでも機会は作れるでしょ」
「簡単にいってくれるぜ……解答付きの設問とはワケが違うんだぞ」
「……で、恵太としてはどうなの? どうせHさんって子のこともよく知ってるんでしょう。遠山くんに勝ち目はありそうなの?」
美夏が呆れたように言った。
「はっきりいって、勝ち目は薄いと思う……」
「おい!」
「あら手厳しい」
「こればっかりは相手の気持ち最優先だし。どうしても当たってみたいのなら、振られること覚悟でやらないと」
「やめろよ、マジで。なんだか気が滅入ってくるぜ」
「そういう気構えでいかないと、振られたときのダメージって想像を遥かに超えてるからね? 目が枯れるくらい泣けてくるし自我崩壊寸前になるからね? それに最悪、Hさんのことを逆恨みしないためでもあるんだよ」
「そこまでみっともねえことしたりはないと思うが。まあ、参考にはなったよ。今日の滝沢みたいに、初っ端から告ったりするのは悪手ってことか」
「……悪くとるなよ? 自分を好きになってくれる女の子は、これからの人生でも出会えるから。今回はたまたまHさんに一目惚れして、Hさんの良さは自分にしかわからないとか、Hさん以上の子はいないとか思ってるかもしれないけど、それただの思い込みだから。世界は広いんだしタツにぴったりの子って必ずいるから」
「やめろ、希望を持たせようとして絶望を届けんのはやめろ! お前のお祈りは嫌味にしか聞こえん!」
美夏が目を吊り上げた。
「今日の? 告る? ……恵太、あなた今日、いったいなにしてたの?」
「あ、いや……今日、昔よく一緒に遊んでた子が転入してきたから、話してるうちについ勢いで……」
ヤバイ、怒られそう。ただでさえアシリアの件で美夏はご立腹だったので、言葉は慎重に選ばねば。
「小学生のときの知り合いだっけか? 美夏さんなら知ってるんじゃないですか。霧生冷河って子」
「え……冷ちゃん?」
美夏の顔から険しさが消えた。
「ウッソ~、ホントに? マジで? めっちゃ久しぶりじゃん。こっちに戻ってきてたんだ! 冷ちゃん元気だった? 相変わらず可愛らしいでしょ~?」
「かわい……らしい?」
達也が怪訝な顔を見せた。
「会いたいな~。恵太、今度ウチに連れてきなさいよ。わ~、どんな感じになってるんだろ。楽しみ~」
「……やっぱり姉さんも知ってたんだ。ただ、家に連れてくるのは難しいかな~……」
「どうして?」
「少々込み入ったわけが……」
「こいつ、その霧生冷河に拒否られてるんですよ。親の仇みたいに」
「え~なんで~? 小っちゃい頃、夫婦かってくらい仲良かったじゃん」
「昔はそうでも今は違うって、冷ちゃんには言われたっけ……」
美夏の言う通り、子供の頃は仲が良かったと思う。
冷河とは小学一年生からの付き合いだったが、彼女が一番最初に友だちになってくれた人だったのだ。
前世では仲直りできずじまいで終わってしまい、それがオルタネイトでも続いてて気が重い。
運命の日を乗り越えたいのはもちろん、それ以上に冷河と仲直りしたいという気持ちはもっと強いというのに!
「まったく仕方ないわねえ。いいわ。ここはお姉ちゃんが一肌脱ぐしかないわね」
「え?」
「大いに期待してなさい!」
美夏はそういうと無垢な微笑みをみせた。
その日の夜、恵太はお風呂に入ってまどろむような気持ちで考えていた。
うちの姉は、いったいどうするつもりなんだろう……。
正直猫の手も借りたいくらい打開策が思い浮かばないので期待したいところではある。
ふと浴室の外に気配を感じると、ドアのスモークガラスに人影が立っていた。
「恵太ー」
美夏の声だ。
「なにー?」
「いや~、たまには一緒にお風呂どうかなって思って」
「……は?」
待って。うちの姉はいったい何を言ってる? お互いもう子供じゃないんだぞ。
「入るわよ」
「いやいやいや待って! せめて返事を聞いて。ていうか入らないでください!」
恵太は、扉の開く音を聞いて目を閉じた。
「なに焦ってんの? だいじょうぶよ。わたしはちゃんとシャツも短パンも履いてるんだから」
「なんでまた急に?」
「たまには背中でも流そうかと思って」
「慎んで遠慮します。もう子供じゃありませんので」
「なによ、全力で嫌がっちゃって。ただの姉弟のスキンシップでしょ」
「それにしたって非常識だから。お互いもう高校生なんだよ?」
「あなたに常識を説かれるとすっごい敗北感なのよね……まあいいわ」
恵太は目を開けた。
たしかに服は着ているが、水に濡れたら一発で透けそうな白Tシャツに、白い美曲線を描いて伸びている脚が艶かしい。
「良くないから! こういうのは良くないことだから!」
「なにが? ……ああ、もしかして裸見られたくないってこと? だいじょうぶよ、笑ったりしないから」
「そうじゃなくて、子供のころとは色々変わってますので! 俺もかなり成長してますので!」
やばい。入院中に垣間見た悪夢が脳裏をよぎった。
うちの姉は弟の裸に羞恥心がなさすぎるんだ!
美夏は浴室に入って、裏返していたバスチェアを正しく置きなおした。
「わかってるって。さすがに昔みたいにオチンチン洗ったりはしないからさ。本当に背中洗うだけだから、ここ座って?」
「いや、湯舟から上がったらその、色々、見られるし……」
「だいじょうぶよ。恵太の体におかしなトコなんてないんだから。あなたのソレもちっとも変じゃなかったわよ?」
美夏が恵太の股間を指さした。
「なんで知られてんの!?」
「なんでって、子供のころ何回一緒にお風呂入ったと思ってんのよ。安心しなさい。ぜんぜんなんとも思わないから」
「それはそれで傷つく!」
「ていうか、あなたの入院中だって身体拭いたり、おしっこの世話までやってたんだから今更よ」
「その情報聞きたくなかった! あのね姉さん、逆の立場で想像してみてよ。仮に姉さんが俺に裸見られたらどう思う?」
美夏は目を中空にやって考えていた。
「それはもちろん嫌だけど、女子と男子の裸じゃ意味合いが違うかな~って。男子は素っ裸見られたって、たいして恥ずかしくないでしょ?」
「なんでだよ! 恥ずかしいに決まってるでしょ」
「わかった、わかった。絶対に前は見ないって約束するから。背中洗ったらすぐに出てくから。だから早くここ座って」
言う通りにしないと出ていきそうにないな……。
滝沢家の女性陣を説き伏せようというのが土台無理なのかも。
やむを得ない気持ちで前を晒さないよう、恵太はバスチェアに座った。
「はーい、じゃあいきますよー、お客さーん」
「その言い方だと変なプレイみたいだからやめてくれない?」
美夏が背中をスポンジでこすり始めた。
「どう? 力加減はこのくらいで合ってる?」
「う、うん。ちょうどいいと思う」
「新しいクラスはもう慣れた? 遠山くん以外にも男友だち、ちゃんと作れそう?」
「ま、まあ、だいじょうぶなんじゃないかな。たぶんやればできるのではないかと」
「それ、やらない人の言い訳だから」
洗う箇所が背中から腰のあたりへ移っていく。
「前から言おうと思ってたけど、世の中なんでもバランスが重要なんだからね。女の子だけじゃなくて、社会に出たら男の子とも関わらなきゃいけないんだから、矯正するなら今のうちよ」
「わかってるよ。俺だって、自分なりにがんばってるつもりだから」
「ならいいわ。冷ちゃんのことだって、ちゃんとがんばらなきゃね~」
「え?」
「だって初恋の人でしょ?」
「なんでそうなるんだよ」
美夏姉さんまでそういう認識なのか。……まあ、まちがっちゃいないが。
「なんか嫌われてるっぽいんだって? どうせあなたがなにか余計なことでも言ったんでしょう」
「もしかしたら、そうだったかもしれない……」
冷河の態度は前世から変わっていない。
久しぶりに幼馴染に会えたのが嬉しくて、つい熱心に話しかけて、なぜか拗れてしまった。
それは文字通り死ぬまで変わらなかったが、オルタネイトではもっと慎重にいかなきゃ。
それこそ彼女の命に係わるんだから。
「ところで……リアとはちゃんと仲直りしたんでしょうね?」
美夏の爪が背中に食い込んだ。
「痛いです。痛い痛い痛いっ。爪! 爪やめて! もちろんちゃんと話し合ったって!」
あまり親密に付き合うわけにいかない事情があるんだ。
進級前に二人で話し合って、少し距離をおきましょうということで落ち着いたのに。
「あなたが惚れっぽい性格なのは仕方ないとして。冷ちゃんもリアも、絶対に悲しませちゃダメよ。二人ともめっちゃいい子なんだから。意地でも幸せにしてやりなさい」
「そ、そんな無茶な」
「なに弱気になってんの。普段から無茶苦茶やってんだから、ついででしょうが!」
その要求は、滝沢恵太があと一人いないと無理なのでは?
美夏が手の動きを止めた。
「うん! あらかた洗い終わったわね。前は自分でちゃんとできる?」
「当たり前でしょ!」
「あっそ」
美夏は浴室を出ようとしたところで止まった。
「……もういっぺん言っとくわよ」
「なに?」
「もう二度と、ぜったいに危ないことだけはしちゃダメ」
スモークガラスに映った美夏の姿が、寂しげに去っていった。
危険のない方法があるなら、もちろんそうしたかった。
でも、約束はできない。
未来に何が起こるかわかっていても、変えられるかまでは誰にも分からない。
仮に変えられなかったとして、その時自分にできる最善手は一つだけしかないのだ……。
シャワーを浴び終わって浴室から出ようとしたとき、美夏の大声がした。
「恵太ーっ、あんまり言いたくないんだけどさあ。オチンチン洗うときはちゃんと隅々まで泡付けないとダメよ。入院中、わたしがやっといたときも、あなたがふつうって皮被ってるんだから、すっごい汚れ溜まりやすいの! 不潔だから外側だけやってハイ終わりってのはやめなさい。どうしてもやりづらいってんなら、将来、手術することも真剣に考えといたほうがいいわね。お医者さんに聞いてみたら、簡単な手術で保険も効くらしいし……」
「言い方ぁーーーーーーーーーーーッ!!」
こういうところなんだよ、うちの姉のダメなとこ!
人が気にしてることズケズケいうのやめてもらえませんかね!
こんなの魂の殺人だと思うんですよね!
実は悪魔なんじゃないかな、うちの姉って!