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霧生冷河はうろたえない②

「……あ、霧生冷河? ホントにいた!」


 ギクッ。

 滝沢に夢中でこちらの存在を無視していたくせに、いきなり何なんだ。

 それになぜこの子がわたしの名を言うんだ。あの芦莉愛がわたしのことなんて憶えてるはずない。かつて子役として一世を風靡した芦莉愛にとって、わたしはその辺の石や草同然の扱いだったはずなのに。


「あれ? アシリアはなんで冷ちゃんのこと知ってるの?」

「ああ……うん。ちょっと、ね。恵太の元カノなんでしょ?」

「それ誰に聞いたの」


 滝沢の疑問にアシリアは言いよどむ。


「うー……ん。その目つき、なんだよねー。その目……どっかで見たはずだし。あの時の、わけわかんないビジョンじゃなくてさあ。ねえ、そっちはアタシに見覚えない?」


 額をコツコツと指で打ちながら、意味ありげにアシリアが尋ねた。


「さ、さあ? 気のせいじゃ……ないかな」


 なにかヘンだ。名前は知ってるのに、どこで会ったかは思い出せないらしい。理屈に合わないような気もしたが、それならそれで構わないだろう。一生分の恥かいた思い出なんてそのまま忘れててほしい。


「冷ちゃん紹介するね。この子は妙成寺アシリアっていって、去年同じクラスだった友だち」

「待てし。ちゃんと正確に今カノっていえ」

「か、彼女!?」


 いやいやいや、本当にどうなってるんだ。

 信じられない。こんなのはあり得ないのだ。


「いや、だからそれは、とりあえずいったんクールタイムを置きましょうと」

「そんなん知らんし」


 冷河は、アシリアと夫婦漫才みたいなことを始めた滝沢の首根っこを掴んで、話を聞かれないよう顔を近づけた。


「ちょっと滝沢くん! この子が誰かわかってんの?」


 冷河の押し殺したような声音に滝沢がひるむ。


「? 誰かっていうのは……アシリアが元芸能人だったって意味?」

「そうよ! あなたそれがわかってて……こんな子までたぶらかしてっ!」

「いやあ、たぶらかしたわけでは……たぶんたぶらかしてないと思う……。記憶はないけどきっとしてないはず……どちらかというと脅されてたのかな?」

「……あなた本ッッッ当に、バカなんじゃないの?」


 煮え切らない滝沢の態度に、冷河はイラつくような呆れるようなやるせなさを感じた。

 やっぱりこいつは何も変わってない。いつもいつもこっちの気も知らないで……。


「そんなに構えなくてもだいじょうぶ。元芸能人っていってもすごくいい子だよ? 冷ちゃんともきっと仲良く……」

「そんなことできるわけないでしょ!」


 アシリアと話してたら、いつ秘密を暴露されるか。

 アシリアは冷河の顔をまじまじと見ながら、記憶を思い起こそうと唸っている。

 このままでは絶対にまずい。すぐに立ち去らないと!


「やっぱ来たか。相席すんのはいいがもっと詰めろ。俺が座れねえじゃねえか」


 戻ってきた達也がアシリアに苦言を呈していた。手には三つ重ねたトレイの上に三人分の食事(カツらしき具が入ったカレー二つにお味噌汁ありの焼き魚定食)がある。一緒にいた仁美のぶんまで預かってるらしい。


「うっさいなあ」


 遠山へ悪態をつきつつアシリアは滝沢の腕を強引に引き込んで間を詰めていた。

 この二人は気心の知れた仲のようだ。


「ほら、霧生のぶんだ」


 遠山が焼き魚定食を冷河の前に差し出した。


「あ、ありがとう……そうだ、お金……」


 ファッカー! 食事が届いてしまっては食べ終わるまで立ち去れない……。


「そいつは宝多に払ってくれ」

「いいよいいよ。今日はわたしに出させて。冷ちゃんの帰郷祝い」


 仁美が大げさを手を振った。


「そこまでいうなら。今度お礼するから」


 冷河は皿の魚に手を付け始めた。器用に身を切り離していく。

 アシリアが頬杖つきながらこちらをガン見してくるので非常にやりづらい……。


「冷ちゃん、魚の食べ方すごくきれいだよね~。俺そんなに上手にできないよ」


 感心したように滝沢がいった。


「べつにふつうでしょこんなの」

「いやあそんなことないって。そういえば冷ちゃん、今も映画見るのとか好き? 昔はよく家で一緒に映画見てたよね?」


 ギクッ。

 おいバカやめろ。アシリアの前で映画の話題なんか振るんじゃない。

 たしかに今も映画を観るのは好きだ。アマプラで往年の名作を発掘するのをなによりも楽しみにしているが、今はどうでもいい。


「冷ちゃん映画好きなんだ。滝沢くんとどんなの見てたの?」

「……よく覚えてないかなあ」

「恋愛モノが多かったよね。特にロミジュリは繰り返し見てたかな。ディカプリオが若かったころのやつ。ホラーとかモンスター系は冷ちゃんがダメで全然見たことなくてさ」


 昔話で盛り上がる滝沢と仁美の様子をみて、アシリアが指をパチンと鳴らした。


「思い出した、犠牲者第一号じゃん!」


 アシリアが冷河にびしっと指差した。


「犠牲者?」

「回想でヒビキイジメた仕返しに呪いで捻じり殺されたモブ犠牲者第一号!」

「なんだそりゃ」


 遠山が首を傾げた。

 ……しまった! 完全に思い出されてしまった!


「霧生さんさ、アタシが主演してた『呪霊』の映画にちょこっと出てたでしょ!」


 呪霊は数年前に制作された日本のホラー映画。九〇年代始めに出版された小説短編が元ネタで、いじめを苦に命を絶った女児が悪霊となり、その土地に呪いが蔓延していく……というストーリーだ。

 そしてこの映画の主役であるヒビキ(つまり悪霊)を努めたのが当時子役として目立っていた芦莉愛であり、冷河はいじめっ子役として出演したことがあった。


 冷河の出演は、東京のショッピングモールで母親と買い物していたときのスカウトがきっかけだった。キミのお顔は役柄にぴったりだとか煽てられた(目つきが威圧的で理想のいじめっ子役だったとのこと)。本格的な役者ではなかったが、クレジットに名前は出させてもらえることになったし、もしかしたらこれが人生の転機になるかもと当時は天にも昇る気持ちだった。


 しかしその気持ちは撮影のクランクインで完膚なきまでにへし折られることになる。


 決して難しくはないはずだった。映像にして四分もなかったし、台本のセリフはたった一行「アンタ気持ち悪いよ。屋上から飛び降りて死んでくんない?」だけだ。母親と一緒にたくさん練習した。それでもセリフが中々自然に言えない。映画撮影の本番となると現場だけでも多くの人間が関わってくる。ディレクター・カメラマン・照明・録音・主演役者数名とそれぞれの助手。現場にいないだけで各分野のプロフェッショナルが集まると平気で二~三〇人の大所帯だ。


 そして、多くの人が関わる撮影現場で平常心を保って役に入れるほど、冷河の神経は太くなかった。ワンテイク、ツーテイク……一桁台のミスならまだ大目に見てもらえる。可愛いもんだとまわりの大人たちは笑顔で励ましてくれた。主演である芦莉愛も「大丈夫だから」と嫌な顔は見せなかった。しかしミスが積み重なり十桁台に入るとそうはいかない。焦りによるプレッシャーを跳ねのけることができず十七回もミステイクを連発、ついにスタッフの女性から激しい叱責を受けることになる。


「いいかげんにしなさい! これ以上娘の足を引っ張らないでちょうだい!」


 怒った女性はとても綺麗な人だったが、その顔はウソ偽りのない怒りに歪んでいた。あとで知ったところだと、この女性は芦莉愛のマネージャー兼母親だったらしい。

 監督が執り成すも母親の怒りは収まらず、冷河のセリフは別の苛めっ子役がいう形で手打ちとなった。最終的に世に出た映像での冷河は、何も喋ることなく、汚物を見るような目で芦莉愛を見下して、CGで手足を陰惨に捩って殺されるのだった。


 冷河は、人生最大のみじめさを味わった経験で悟った。芸能の仕事は選ばれた人にしか向かないんだと。凡人の神経で耐えられるはずもなく、才能・努力・度胸・責任感、求められるものは多すぎる。何気なくテレビに出ているタレントの一人一人が超人といっていい。その中でも特に秀でた者だけが芸能界という世界で生きられるのだ。


 例えば今目の前にいる、かつて芦莉愛と呼ばれた才能溢れる少女のように。


 ありとあらゆるものが自分とは異なる少女。才能も美貌も自分程度ではまったく敵わず、同じ女とは思えない。ほんのわずかとはいえ、こんなにスゴい子と共演できたというのは一生の思い出だった。

 一生の、思い出だったのに。


 芦莉愛は本物の役者で、天才子役とまでいわれていた。芝居の説得力、オーラと貫禄、映像の中の存在感すべてがハイレベル。年齢以上に実は大人なのではと誰もが疑うほどだった。

 それが今はどうだ。あんなにスゴかった子ですら、今では滝沢の横にぴったり張りつく媚びた女に成り下がっている。

 許せない。かつて憧れを抱いていた子だったのに、見る影もなくなってるなんて。どうしてこんなことになった?


 きっとなにもかも滝沢が悪いのだ。絶対にこのロクデナシのせいだ。女なら誰彼構わずたらしこんでしまうこいつが芦莉愛を変えてしまったせいだ。

 これ以上自分の大切な思い出を……憧れを壊されるのは絶対に我慢ならない……!


「しゅ、主演の映画って? 妙成寺さんが? え? 冷ちゃんも?」


 理解が追いつかない様子の仁美の目は、両者の間を行き交っている。


「こいつ以前そこそこ有名な役者だったんだよ。その呪霊なんとかは観たことねえが……なるほど。霧生もだったか」

「そうだったんだ……妙成寺さんが役者さんで、冷ちゃんも共演してて……すごい!」


 なにがスゴいもんか。スゴいのは芦莉愛で、自分はおまけ未満だ。


「冷ちゃん本当にスゴいね! 今度その映画観てみて……」

「それだけは絶対にやめて」


 滝沢の提案に冷河は毅然とした態度で言い放った。


「誰にも見てほしくない。特に滝沢くんには絶対に」


 冷河は箸をトレイに置き、アシリアに冷ややかな目を向けた。


「妙成寺アシリアさん、が本当のお名前でしたっけ。五年くらい前に突然役者業辞められたときも驚きましたが、まさか同じ高校に通ってたなんて。わたしのことまで覚えててくれたのは嬉しいです。……ところで、滝沢くんとは付き合ってどれくらいになるんですか?」

「知り合ってからあとちょっとで一年くらいになるかな」

「一年もあったなら滝沢くんがどういう男子かって、あなたならわかるでしょう? あんまりこの人にくっつかないほうがいいですよ。あとで絶対裏切られるから」

「れ、冷ちゃん?」

「冷ちゃんって呼ばないでッ」


 口をはさんだ滝沢を黙らせて続ける。


「本当に才能のある人が、こんな外見が良いだけのくだらない男に引っかかってちゃダメよ。妙成寺さんほどの人だったらもっと中身や能力で彼氏選ばなきゃ絶対ダメ! 滝沢恵太って男はね、女なら誰でもいいの。妙成寺さんだけ特別扱いするような人じゃないのよ。会う女すべてにおんなじこと言って、仲良くなったら次の子に行き、また仲良くなって次の子へって繰り返す。まるで新品のハンカチに取り換えるみたいにね。そいつはね、女をコレクションとしか見てない男の風上にもおけないドクズよ。誠実さのカケラもない女の敵、色情魔、気持ち悪いスケコマシの異常性欲者。関わってたら人生の貴重な時間の損失でしかないただのヤリチン男よッ!」


 冷河以外の全員が目を丸くした。

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