導きと懇願の女優
「ビックリさせて本当にごめん。ちょっとだけ、ちょっと感極まっただけなんだ。いつも暴走してるわけじゃないから。だからお願い! 機嫌直してくださいっ」
帰りのバスの中で、隣に座った恵太が手のひらを合わせて謝りまくっていた。
ときおり顔を覆い隠しては「またやっちゃったぁ……」と悔やむような呟きも。
アタシは返事せずに顔を背けていた。
今更ながらキスしたという事実に顔が火照ってしまい、とても見せられない。
それに謝ってほしくもなかった。
アタシが勝手にキスしただけだし、恵太に怪我までさせて、果てにはぶん殴ってしまった。
普通に暴力だし、十:〇で過失はこっちにあるのに。
「俺に出来るお詫びはなんでもしますから。どうか」
「……なんでもするの?」
「はい! それはもちろん!」
「じゃあ初詣」
「初詣?」
「初詣をアタシといっしょに行くこと」
「ぜひやらせていただきます! ご期待に添えるよう全力を尽くしますのでどうか」
上司にへつらうサラリーマンかキミは。
恵太はぱっと明るい笑顔を見せた。
災い転じて福となすってやつかな。
とりあえず次のデートイベントは貪欲に拾っておく。
安心したらなんだか眠くなってきた。
目をこするアタシに、着いたら起こすから少し眠ったらと恵太が言ってくれたので、お言葉に甘えさせてもらった。
バスシートに揺られてると、たまらなく眠くなるんだよね。
アタシは、いつの間にか夢の中にいた。
アタシと恵太が手をつないでショッピングモールを歩いている。どう見てもデート中の光景。モール中央に設置された時計が十二時過ぎを示していた。
ついさっきまでデートしてて、夢の中でもデート……すっかり舞い上がってるな~。
恵太がアタシを連れてコーヒーショップに入った。
「冷ちゃん、なににする?」
恵太がニコニコ顔でメニューを見せてきた。
レイちゃんって……だれ?
恵太はまちがいなくアタシに向かってそういった。
アタシの髪が長い……肩まで届くくらい伸びてる。
アタシは小さい頃しか髪を伸ばしたことがない。中学以降はセミロングなんてしたことないのだ。
店内のショーウィンドウに目を凝らす。
ガラスに反射したアタシの姿はアタシじゃなかった。
黒檀のような黒髪にきりっと吊り上がった目つき……。
この子はまさか、ミカの部屋の写真に写っていた子か?
あの女の子の成長した姿なのか?
名前はたしか霧生冷河といったはず。
なんでアタシが霧生冷河なんだと思うより、もっと素朴な疑問がわいた。
アタシは知ってる……ガラスに映った霧生冷河の顔をどこかで見た覚えがあるんだ。
それほど昔じゃないハズだ。
喉に小骨が引っかかったようなカンジですごくもどかしい。
この目だ。この目力のあるカンジが印象的だったのだ。
どこだっけ……どこだったっけ──
「冷ちゃんって呼ぶのやめてくれない? それに滝沢くんさあ、わたしといても楽しくないでしょ?」
今のは恵太と相席したアタシの声だ。正確には霧生冷河の声。
「そんなことないよ。冷ちゃんとまた会えてすごく嬉しいんだから、笑いたくもなるって」
「くっさいセリフばかりよく言えるわね……ホント昔から変わってない! どうせ小中いっつもヘラヘラして回りの女の子たぶらかしてばかりいたんでしょう。いっておくけど、私は昔の私じゃないんだから、同じ手は通じないわよ。今日だって挑まれた勝負に負けた罰ゲームで付き合ってるだけなの、ちゃんとわかってる?」
「もちろんわかってるって。本当にありがとう、わざわざ来てくれて。次行きたいところあったら遠慮なく言って」
「全っ然わかってないよねっ! あなたのそういうとこが気に食わないのよ!」
マジでムカついてるらしく行き場のない気持ちをぶつけるように机を叩いて抗議。
イラついた声音の冷河は、注文したアイスラテを飲み始めた。
デートしててもあまり仲良くなさそうだ。
相手を怒らせるのも元気づけるうちだと考えてる恵太には問題ないんだろうなぁ。
夢の中でも彼がいつも通りすぎてかなり笑える。
「うあああっ」
突然恵太が苦しげなうめき声を上げた。
目の前の彼はいつもの鮮やかな笑顔のままで苦しんでるようには見えなかった。
夢の中の恵太がうめいたわけでないとわかると、アタシの意識は現実に戻っていた。
横に座った恵太が頭を押さえて苦しんでいる。
目を開けているのも辛い様子でアタシは心配になって声をかけた。
「どうしたの? 恵太、だいじょうぶ?」
「急に……頭の中……まさかそんな!」
恵太は痛みを振りほどくように窓の外に目をやった。
南口駅前であることを確認すると、大通り奥に険しい視線を向けている。
普段の彼にはありえない追い詰められたような表情だ。
なにも言わずに飛び出した恵太をアタシは追った。
急にどうしたというんだ。
ただ事でない様子に不安ばかりが煽られ、胸騒ぎもどんどん酷くなる。
恵太が立ち止まった高層マンションの最上階には黒煙が上がっていた。
火災現場をこの目で見るのは初めてだった。
まだまだ炎が強くなるかもしれない。
マンションの上層を焼き尽くすまで止まらないかもしれない。
「まちがいない。いま、ここで?」
頭を押さえて苦しみ続ける恵太をなんとか助けたかったのに、アタシは彼に寄り添うことしかできなかった。
少し遅れてミカが来てくれた。
恵太が普通じゃないことを察したのか、彼を家に帰そうとしていたのに。
恵太は、ミカの手を振り切って、マンションの中へ入っていってしまった。
「待ちなさい!」
ミカが焦燥もあらわに叫んだ。
あまりの展開に頭が追いつかなくなって、アタシはパニックになっていた。
どうして引き留めなかった?
なぜ引き詰められなかった?
いまならまだ間に合う! すぐに恵太を引き留めろ!!
そう思ったとき、アタシの目の前が真っ白になった。
なにが起こったかすぐには理解できなかった。
目を閉じて訪れるのはぜったいに闇なのだ。
まぶたの裏の色のはずなのだ。
なのに真っ白ってなんなんだ?
白い幕が引くと、アタシは横断歩道を渡っていた。
駅前の大通りではなく、学校近くの交差点だった。
まるで白日夢だ。すごく現実感はあるが夢だとわかる。
誰かの視点を借りている夢。
誰だ? うちの高校の制服を着た女子でも、たぶんアタシじゃない。
さっきの夢と同じ霧生冷河?
横断歩道をもう少しで渡り終えるところで、背中を強く押し出され、アタシは前のめりに倒れこんだ。
倒れたまま振り返ると、そこには急ブレーキのタイヤ痕を残して停止した青いワンボックスカーがあって。
車の前には、血を流した恵太が倒れていた。
最後の力でアタシに触れようとするように懸命に手を伸ばしている。
あまりの衝撃に目を背けたくなる。
これは夢なんだ。アタシは惑わされない。
どうしてこんな光景を見せられなきゃならないんだ。
こっちは今すぐにでも夢から覚めて、現実の恵太を追いかけなきゃいけないのに!!
シャリ──シャリ──
刃物を擦り合わせたような音が聞こえた。
交通事故現場の夢には不釣り合いで、神経にさわる不快な音。
まるでチャプター映像の隙間に差し込まれるように、人の形をした光が出現した。
全身が太陽でできたマネキンのようで、すごく眩しい。
小柄で大人とも子供ともつかないが、なんとなく女性のように思える。
頭部の目にあたるふたつの赤い光が恵太を見下ろし、彼が動かなくなるまで観察し続けていた。
やがて、光のマネキンの赤い目が、アタシの視線に気付いたように。
「わたしが見えているのか?」
機械音声染みた声に背筋が凍った。
次の瞬間、誰かにぽんと肩を叩かれた。
「任せろ。お前は美夏さんを頼む」
アタシはいつの間にか現実に戻り、横にいた達也を見ていた。
達也はそのままミカの腕を引くと、恵太のあとを追いマンションの中へ入っていった。
野次馬のごった返す歩道にへたり込みそうになるミカを連れて端の方へ移動した。
ミカと一緒にいた胸の大きい女子がアタシにいった。
「妙成寺さんよね? あたし水城舟穂高。ヨロシクね」
「え? は、ハイ……」
恵太のことや意味不明な白日夢が起きたあとで、アタシの頭ん中はグチャグチャだった。
「きっと大丈夫よ! 恵太くんならきっと戻ってくる! 困ってる人を助けてきっとね。そうでしょ美夏ちー?」
ミカは何も答えず祈るように手を組んでいた。
ほどなくして消防車が続々と集結して、のべ十台以上になった。
一〇メートル以上にもなる梯子車も稼働してやっと消火作業が始まったけど、場所が最上階なものだから手間どってるようだった。
「あたし、中に恵太くんたちがいるって、消防署の人たちに伝えてくる! 美夏ちーのことお願い!」
穂高がアタシにミカを任せて、人込みの中をかき分けていった。
「生存者二名! 男性イチ女性イチ! うち女性イチは意識障害あり!!」
「中にはまだ二人いる! 高校生の男性イチ、二・三歳の男児イチ!」
消防の人の報告が聞こえて、ミカがふらふらと立ち上がった。
救急車の傍にで救急隊員と話している達也がいた。
自分は何ともないから搬送は必要ないと断ってるようだ。
「遠山くん! 恵太は?」
ミカがすがるように尋ねた。
達也は唇から血か出るまで噛みしめて。
「すみません……助けることが、できませんでした」
言葉が頭に達するまで数秒かかったと思う。
脚から力が抜けかかり意識を失うところだった。
そんなアタシとは対照的に、ミカの瞳からは大粒の涙が地面に零れた。
するとしっかりした足取りで達也に近づき、ミカは震える手で彼の頬を張った。
「任せてくれっていったじゃないっ! 必ず連れ戻すっていったじゃないっ! なんで連れてきてくれなかったの! なんで、どうして……!」
上半身を激しく上下させてミカはワーワーと泣きじゃくっていた。
アタシにはわかっていた。
達也は罰を受けたがっているのだ。
悔しさを滲ませ、自分のふがいなさを恥じる表情は、アタシに謝ってきたときと同じだ。
だからこそ理解できる。
彼が全力でやっても助けられない状況で、どうしようもなかったんだって。
状況は絶望的かもしれない。
アタシたちの希望を嘲笑うように、放水を飲み込みながら最上階の炎は広がり続けている。
恵太はどうなったのか?
答えは明白かもしれない。
だけど──
「達也、答えて。恵太はどうなったの?」
「それは……上にいた子供を抱えて脱出しようとしたが、滝沢は炎に囲まれて……」
「囲まれて……火に飲まれたって?」
「いや、そこまでは見てない。声をかけ続けたが、反応がなくなった」
「どうなったかはわからないってことね」
だったらアタシは。
「……信じてる」
そうだ。
「希望はあきらめたら絶望に変わる。だけどあきらめない限り希望であり続けるって」
大好きな言葉だ。初主演したソルスペクター主人公のセリフ。
一滴の水がアタシの頬に当たった。
それは消防車の放水ではなく、上空から降ってきた雨だ。
一つ、二つと雨粒の量は増えていった。
もっと!
もっと降って!!
もっともっと降ってくれとアタシは願い続けた。
「……雨? この量ならもしかすると」
達也が最上階を見上げたときには、雨量は相当強いものになっていた。
みるみる間に突発的なゲリラ豪雨と呼ぶレベルに達した。
「地獄の業火だって言ってたが、これなら抑えられるかもしれねえ。まさか、変わるのか?」
あきらめない。だって希望は、まだ尽きてないから。




