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うちの弟が優しすぎる

 雨降って地固まる。


 バスに乗って家路についてる最中も恵太はアシリアに謝り倒していた。

 アシリアはぷんぷんと頬を膨らませていたが、自分の方からキスした手前もあって怒るに怒れないようだった。

 なんだかんだでふたりの仲がイイ感じに進展してるようだし、これはこれで良かったのだろう。


 穂高は「別れてくれたらソッコーで滑り込めるのにぃ」と文句を言っていた。図太い上に虎視眈々としているけれど、自分の目の黒い内は認めませんのでとっとと諦めてほしい。


 美夏は穂高を連れて恵太たちの乗ったバスに同乗していた。

 結局、恵太を止める必要がなかったので、再度マスクをつけて謎のお姉さん二人組のままだ。

 このまま何事もなければ駅前のバスターミナルあたりで恵太たちが現地解散するのを確認して、本日の監視任務は終了になるだろう。


 長谷川は勤めている本社に寄らなければならない用事ができたらしく、行きのSUVで別行動になった。

 最後までご同行できず申し訳ない、代わりに駅前のバスターミナルに迎えの車を手配しますのでと言ってくれた。

 美夏さんもご自宅までお送りしますのでご安心くださいとも。

 なにからなにまで至れり尽くせりだ。


「恵太くんって黙ってたらイケメンなのに、あんなふうに失敗して謝ってるとこ見てると完全に三枚目よねぇ」


 美夏たちが座っている最後列のシートからは、最前列にいる恵太がアシリアに謝っている姿が見える。


「そりゃ良かった。じゃあだいぶ恋心も薄れてきたんじゃない?」

「ぜんぜん。そんなところもカワイくって素敵ね!」

「……恋は盲目ってやつね」


 恋する乙女のテンションはちょっとやそっとじゃ下がらない。


 このあとは帰って家族揃ってちょっとしたクリスマスパーティやってケーキ食べてお風呂入って寝るだけかなあ。そんなことをつらつら思いながら、美夏はバスのシートに身を深く沈め微睡に落ちていった。

 

 美夏は、いつの間にか夢の中にいた。

 目の前には部屋の布団に横たわる赤ちゃんがいる。家族アルバムに映っていたので知ってる。この子は恵太。おむつを替える途中らしく下半身が素っ裸だ。

 こっちを見てキャッキャと笑っている。今じゃ考えられないくらいの可愛らしさ。うーんマジ天使。もういっそずっとこのままだったらよかったのに。男の子ってなんで成長したら可愛げが無くなるんだろう。


 これは夢? それとも遠い記憶を呼び起こしている?

 もし記憶であれば当時一、二歳の自分の思い出ということになる。

 そんな昔のことを憶えてるものだろうか。

 どんなに頑張って過去を思い出しても小学生の低学年時代が関の山なんだから。


「ういうい。ウイやつウイやつ」


 なんだいまの。これわたしの声か? ヘンな喋り方してんな~。


 夢の中の自分は、赤ちゃんに興味津々でずっと恵太のことしか見ていない。初めのうちはほっぺやら手やらお腹やらを指でツンツンしていたが、やがて興味の対象が下半身に移っていき……

 なぜか恵太の小っちゃくてふにふにしたオチンチンを摘まみはじめた。


 ダメよ美夏! やめなさいわたし! 弟のオチンチンを摘んだり引っぱったりして遊んではいけない……!(切実)


 マジやめて。急にホンモノの記憶っぽく感じてきて罪悪感が凄まじいことになってきているの! 完全に性犯罪者じゃんわたし。いくら幼児で姉弟だからって、ノーカンにできないこともあるんだって!

 それによくいうじゃん。幼い頃のトラウマが大人になって現れて悪影響を与えるって。オチンチンセクハラが原因で恵太が将来幸せな結婚生活を送れなくなったらどうすんだ。

 責任取れないよホントに!


 オチンチン遊びに夢中になっていた夢の中の自分は、やがて手を止めて恵太の小っちゃな顔をじっと見つめていた。

 下品な遊びを止めてくれて助かったがなんだろう。そんなにじっと見つめて。

 するとうっすらと恵太の頭の上に握りこぶしくらいの玉のようなものが浮かんできた。ボールのようにきれいな球状ではなく、細い糸を規則正しく丸く束ねたような玉……。例えるなら毛糸玉が近いだろうか。


 この毛糸玉はいったいなにを表しているんだろう……。


 まるで守護霊を霊視しているようなヘンな映像だった。

 もちろん自分にこんな霊能者じみた能力はないので、記憶でなく創作百パーセントの夢だろう。

 つまり先ほどの恵太へのセクハラも夢の産物だということ……弟の将来に暗い影は差し込まないということ……。

 本当に良かった。フロイト的にはどんな深層心理判断になるのかすごく気になるところだが。


 そして気になるといえばもう一つ……。

 恵太の頭に浮かんでいる毛糸玉の一部が、まるでリンゴに噛り付いた跡のように欠けている……。


「…………ちー。美夏ちー。ねぇ、起きてってば」


 夢の中に穂高の声が届くと、美夏はバスの席に座っている現実へ戻っていた。

 とっくに到着していたらしく、車内の電光板には「南口駅前」と表示されていた。


「あれ? わたし寝ちゃってた? どのくらい寝てた?」

「十分くらいかなぁ。それより、なんか辺りが騒がしいのよ。恵太くんも慌てたみたいに大通りのほうへ走って行っちゃった」

「……恵太が? リアはどうしたの?」

「妙成寺さんも恵太くんを追っていったわ」


 美夏は目を擦って、バスの窓から外を眺めた。

 道路側はいつも通りの喧騒といった雰囲気で交通量は普段より多いくらいか。駅前の入り口には大きなクリスマスツリーが据え付けられ、出入りする人々の幸せそうな笑い声が聞こえてきそうだ。

 穂高がいう大通り側は、バスの中からだと死角になっていて向こう側が見えなかった。しかし、数人の若者が大通りの奥を指さして、引き寄せられるように走っていく。

 

 なにか猛烈に嫌な予感がする。


 バスから降りると駅前の軽快なクリスマスソングのBGMに交じって「火事だ」という叫び声が聞こえた。

 その叫びを聞いた何人かが吸い込まれるように大通りの奥を見つめている。


 恵太がそんなとこ行ったってこと? リアも一緒に? どうして?


 美夏は穂高を連れて声のする方向へ走った。胸騒ぎがどんどん酷くなっていく。


 火事っていったってボヤ程度でしょ。そもそもどこが火元なのかわからない。

 ここは市内の中心だし、近くには消防署もある。クリスマスや年末なら警戒度マックスの消防署の人たちがいち早く対処してくれるはず。


 だからだいじょうぶ。なんにも問題なんかない。恵太はただ野次馬根性全開で見に行っちゃっただけ。そうに決まってる。


 そして、問題の火事の現場が見つかった。十一階建マンションの最上階からおびただしい朱の炎とのたうち回る蛇のような黒煙が立ち込めていた。マンションの入口は開け放たれ、火災報知器からはけたたましいまでのサイレン音が鳴り響いている。


 すでに通りの道には、野次馬の人たちで埋め尽くされ、道路は渋滞が発生していた。


「あれ? ここって……」


 穂高が口を開いた。


「知ってるマンション?」

「うん……ここ長谷川さんの住んでるとこ……」

「……それ、まちがいないの?」


 長谷川本人は用事で本社とやらに行っているはずだから、彼が巻き込まれている可能性は低い。むしろ問題は彼の妻子のほうだ。今日恵太が会っていた希里子と慶太の母子。


 見たところ燃えているのは最上階だけのようだし、彼らがどこに部屋を持っているのかわからないが、さすがに逃げてくれていると思いたい。

 美夏は人の溢れた通りを見渡した。とにかく今は恵太を見つけなくては!


「あ! あそこに!」


 穂高が指さした場所には、歩道にうずくまるように頭を押さえた恵太と、心配そうに寄り添うアシリアがいた。

 美夏は、恵太の方へ駆けだした。


「恵太! どうしたの?」


 恵太とアシリアが重そうな頭を上げた。


「……どなたですか?」


 なにをボケてんのよ、とツッコむ前にそういえば黒髪のカツラを被ったままだったことを思い出し、美夏はカツラを無造作に外した。


「わたしよ。道の真ん中にうずくまってどうしたの? 気分が悪いなら早く帰りましょう」


 恵太の目は上へ横へとせわしなく動いて、気持ちが動揺しているようだった。

 人によってはサイレンの音にパニックを起こすものもいるとテレビでいっていた。


「だめだよ。すぐに行かなきゃ」

「行くってどこに?」


 恵太は頭を押さえながらアシリアの手を振り払って、マンションの入り口に向かいだした。


「ちょっと! 行くってまさかあのマンションの中じゃないでしょうね! ダメに決まってるでしょ!!」


 美夏は恵太の腕を全力で掴んだ。


「離して! すぐに行かないと手遅れになる。最上階にまだ人がいるんだよ!」

「なにを根拠に言ってんの! あんだけ派手な火事なんだから逃げてるに決まってるでしょ!」


 避妊アイテムの押し付け合いのような問答が再びだ。

 恵太がなにを考えてるのかさっぱりわからない。

 子供のころはワガママひとつ言わない子だったのに。

 そもそもこいつはいつからこんなに聞き分けが悪くなったんだ?

 おまけに頭まで悪くなってる気がする。


「あ・の・ね! あんな火の中に入ってったら死んじゃうでしょーが! 仮に人がいるとしても! なんであんたが行かなきゃなんないのよ。あんたはヒーロー番組の主役じゃないんだから。いい? こういうときはね、消防署の人を待てばいいの。素人が行ったって足手まといになっちゃうの!」

「待ってたら間に合わないんだ。今行かないと慶太くんが……」

「恵太はあんたでしょーが!」

「そうじゃなくて長谷川慶太くんが……、あの子が助けを呼んでるんだ!」


 なんで恵太が長谷川の家を知ってるんだろう、そう思うよりも怒りがわいてきた。

 うちの弟が言う事を聞かなすぎる。


 もし仮に、恵太の言っていることが本当だとしよう。マンションの最上階で火事に巻き込まれてる人がいる。だから助けたい。それは素晴らしいことだ。人命を救助したいという意思は誰にだってある。


 しかし、だからといって自分の身を危険に晒してまでやることなのか?

 溺れた人を救おうとすると得てして自分も溺れてしまうものだという。

 二次被害を出さないためにも、危険なことはその道のプロに任せるべきなのだ。


 なのに恵太は、自分勝手な思い込みを真実だと考えて、渦中へ飛び込もうとしている。バカだ。人が好いにもほどがある。それであなたが傷ついたりでもしたら、ママがどんなに悲しむことか。本物のバカだからわからないの? あなたが炎の中に飛び込んで死んだりでもしたら、わたしがどんなに泣くか想像できないの? いくらまごうことなきバカでもそれくらいわかってよ。それくらいわかりなさいよ!


「いいかげんにしなさいッ!」


 美夏は、恵太の頬を平手打ちした。

 穂高とアシリアは、美夏の怒声にびくっと体を硬直させていた。


「なんなのよあんたは……毎回毎回、わたしがやってほしくないことばかりして。ダメって言ってるんだからいうこと聞きなさい! あんたがずっとそんなんだから、ママもわたしもいつまでも目が離せないんじゃない。他人のことばっかり気にしなくっていいの」


 恵太はバカなのでこれぐらい強く言わないととわかってくれない。

 自分より人のことを第一に考えられるのは本当に素晴らしいとは思ってる。

 誰よりも優しくなれるのは恵太の良いところだ。

 しかし、非常に危うい性格だと思うのだ。


 恵太の友人の男女比と同じくらい偏ってる。他人のことばっかり優先しすぎてる。

 もっと自分自身のことを考えてほしい。

 自分の未来……、自分の家族……。

 あなたといっしょに生きている、あなたを心配している人たちのことも考えてほしいのだ。


 美夏は、恵太の頭を胸のところで抱き留めた。


「あなたはね……自分の将来のことだけ考えてればいいの」


 恵太の後頭部の柔らかな髪を撫でた。

 言いたいことの半分も言葉にできなくてもどかしいが、なんとか自分の想いが通じてくれと祈りながら。


 恵太は美夏の胸の中で震えながら嗚咽を漏らしていた。

 ……泣いているのか。鼻をぐずらせてばかりいる。


 美夏は恵太の気持ちが落ち着くまで抱きしめたまま待った。

 恵太がゆっくり美夏の体から離れると、赤い目を腫らした顔でいった。


「……ちゃんと考えてるよ、将来のこと。だから行かなきゃ」


 手を離した一瞬の隙に、恵太はマンションの入り口へ駆けだしていた。


「待ちなさい!」


 叫んだ美夏の腕を誰かが掴んだ。

 離してと叫んだつもりでも声がでない。


 恵太がいなくなってしまう。

 恵太が帰らなくなると思うと恐ろしくて、息が詰まりそうになる。


 誰でもいい! 誰でもいいから! お願いだから恵太を止めて!!


 野次馬の列をかき分け、恵太がオートロックの外れたマンションの入口に入ったようだ。彼の姿はもう見えない。

 しかし、美夏には、見えるはずのない弟の後ろ姿がはっきり見えていた。

 まるで恵太の後ろを追跡するカメラを通しているかのように。

 

 なんなの、これ?


 恵太のそばに人の型をした光が現れた。

 テレビのUFO特番で見るグレイのような神々しい光が、その輝きと裏腹に、恵太に邪悪な影を落としている。


 恵太は、まったく気づいていないようだ。


 光は天使のような片翼を生やしており、体長ほどもある大きな刀を持っていた。鈍色の曲刀らしきものが手元で二本重なった妙な形をしている。まるで昔のホラーゲームで怪物が使っていた巨大バサミみたいだ。


 片翼の光が巨大なハサミを振り上げて、禍々しい狂気の爪を恵太に向けた。

 そして、恵太の頭上にある『何か』を切断した。


 美夏は一瞬目を瞑った。恐ろしい惨劇が起きてませんようにと強く願ってゆっくり目を開けた。

 恵太は無事だった。とくにケガしたようにはみえない。

 片翼の光は目を閉じた刹那に消えてしまったようだ。


 美夏は妄想か現実かつかない恵太の映像に目を凝らした。

 本当に、だいじょうぶなのか……。


 なぜ片翼の光は、恵太のなにもない頭上にハサミを向けたのか?

 思い当たるフシがある。バスの中でみたあの夢……赤ん坊の恵太の頭に浮かんだ糸のかたまり。

 目を凝らし続けるとなんと糸のかたまりが現れた。夢の中では齧られたように歪だったが、今度は半分に切断され半月状になっている!


 片翼の光が切断してしまったに違いない。


 突然、美夏の視点は恵太から外れ、逆再生する動画のように急速に戻り始めた。マンションの入り口を戻り野次馬の列を戻り、現実の肉体の視点に戻っていた。


「任せてくれ。滝沢は必ず俺が連れ戻す」


 美夏の腕を掴んでいたのは遠山達也だった。


 どうして達也がここにいるんだろう。わからないことだらけだ。いきなり千里眼みたいな超能力が使えたと思ったら、恵太に憑りつく片翼の光が現れて、夢で見た糸のかたまりを切っていったなんて。


「おい妙成寺! それと水城舟さんか?」


 達也が声を失った様子の二人に声をかけた。


「美夏さんを頼んだぞ」


 達也は二人にそう言い残すと恵太のあとを追っていった。

 美夏は歩道に力なくへたり込み、その様子を呆然と見ているしかなかった。

 アシリアと穂高が黙って寄り添ってくる。

 まるで信じて待てと言っているように。


 美夏はもう一度意識を集中してみた。

 とにかく恵太が無事であることだけが知りたかった。

 しかしいくら気を集中してみても……先ほどのような千里眼は使えなかった。

 もう見守ることさえできそうにない。


 どうしてこんなことになってしまったのか。

 恵太はどうしてああなのか。


 女子にだらしなくて、いつも嫌な顔ひとつせずニコニコしてて。

 そして、困ってる人を見過ごせなくて……。


 恵太の恵は「恩を施す」とか「思いやり」という意味。困ってる人を助ける、心優しい人間になれという願いを込めてママが名づけた。


 ねえママ。恵太って名前にしたの、ぜったいに失敗だよ。

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