うちの弟が反抗期すぎる②
注意深くあたりを散策してると恵太の姿を発見した。VRゲームコーナーに十人ほどの列ができており、弟はその最後尾に並んでいた。
あれ? リアはどこいったの?
柱の影に隠れてこっそり観察していたが、恵太の隣にいるのは鮮やかな茶髪の女の子だ。
セミロングの髪型といい、かつて自分がしていた髪型に近かった。
シャンプーやセットが面倒でショートにしてしまったので、妙に懐かしい。
待ち時間の間退屈にしないように、恵太はまめに彼女に話しかけているようだ。
さてはあの野郎、リアと会うなんて言っといて浮気か!
そう思ったとき女の子が横顔を見せた。
見る人を魅了してやまないその笑顔は、まちがいなくリアその人だ。
「あれ? あの子茶髪だったっけ? 長さも違うし……。美夏ちーみたいにウィッグつけてるのかなぁ」
「気分転換……かな?」
どうしてリアが髪型を変えているのか気になる。
いつものようにスマホを介した盗聴を行いたくて穂高がいるとやりづらかった。
追跡アプリを見せただけでドン引きされたのだ。
奥の手ともいえる盗聴アプリまで使おうものなら犯罪者扱いされるのは明白。
ストーカー穂高に変態扱いされるのも癪なので盗聴アプリは封印するしかない。
でも恵太たちの会話も聞いておきたいなぁ。
「ねえ穂高。恵太たちが並んでるあのコーナーってわかる? VRゲームってなに?」
「知らないの? バーチャルリアリティー、最近話題のゲームみたいね。ゴーグル被って目の前に仮想空間映して遊ぶやつよ」
「へえ~なんだかおもしろそうね~」
美夏はそばの壁に立てかけられた看板を見た。グロテスクな怪物が描かれ「レジデントデビルバリアントレイド稼働中!」と書いてある。
値段は……一回二五〇〇円!
「一プレイ二五〇〇円!? なんなのこのデタラメな値段! 金食い虫すぎるでしょ」
「金食い虫? あれの? どこが?」
頭の上にハテナマークが出ていそう。
お金持ちのお嬢様にはこの異常な値段設定がわからないらしい。
「遠くから見ててもしかたないわ。ここは一気に接近するわよ」
「ええっ、マジでぇ? そこまですんの?」
「なんか今日すっごく悪い予感するのよね。中でいやらしいことしてたら困るのよ。顔はしっかり隠してるからバレやしないって」
「密室のカラオケルームじゃあるまいし、問題ないと思うよ? ええとぉ、このゲームは最大四人プレイまでで、今は恵太くんたちを入れてちょうど十人……四人ずつプレイしていけば二人余る。今並べば恵太くんたちと同じチームでプレイできそうね……」
一プレイ二五〇〇円は痛すぎるがしかたない。美夏は財布を確認しようとハンドバッグに手を入れた。……あれ?
しまった! 財布を忘れちゃった!
準備無しで出て来たので失敗した。やむを得ないわ。
「ごめん穂高、お金貸してっ」
「財布忘れちゃったの? しかたないわね。それくらい出してあげる」
穂高があっさりと三万円を差し出した。
とてもありがたいが、相変わらずお金に執着がなさそうな友人に憐みすら感じる。
「……ねえ穂高、前から言おうと思ってたんだけど、安易に諭吉さんを出す癖を改めないとそのうち無用なトラブルを招くわよ?」
「今まさにゲーム代たかろうとしてるあなたがそれいう?」
先日返却された三万円分の借りから差っ引くという話になり、ゲーム代は確保できた。
美夏たちは堂々と恵太たちに近づき、彼らの後ろの列に並んだ。
恵太はアシリアを気にかけていて他に注意を払うことはなく、アシリアはちらりと一瞥してきたがすぐに視線を恵太に戻していた。
問題ない。任務続行よ。
自分たちの順番が回ってきて、計算通り恵太たちと同じチームでプレイできることになった。
金網で囲まれた殺風景で薄暗い部屋へ案内された。
ヘッドセットを装着するのにサングラスは外さねばならないので、美夏は顔を見られないよう注意しながら被った。
(ななな、なにこれ? これがVR? ムリムリムリ! 超気持ち悪い!)
まだゲームスタートしておらず、ゲームのデモ画面らしき銃撃戦が見えた。ゾンビが怖いとかいう以前に現実さながらのフラフラ揺れる視点映像に酔う。車中でスマホ読んで酔うような自分には厳しすぎる!
「穂高穂高、ちょっと」
「なによぉ、もうすぐゲーム始まるんだから、話しかけてる場合じゃないでしょ」
「わたしこのゲーム無理! めっちゃ酔うもん」
恵太とアシリアはヘッドセット越しに両手のハンドガン風コントローラーを操っていた。
練習中でこちらの言動には気づかない。
「もー、情けないわねぇ。そんなに無理っていうなら代わってもらう?」
「代わるって誰に?」
穂高はヘッドセットをずらして部屋の外に向かって手招きした。
すると外に控えていた長谷川が静かに入ってきた。
「なんでしょうか?」
「美夏ちーがこのゲーム無理っていうから、長谷川さんに代わってほしいの」
「自分がですか?」
「ほかにいないじゃない」
「このようなヘッドセットを被ると、お嬢様に万一のことがあった際の対応が……」
「代わりにやってくれないと、ゲーム世界のあたしに万一が起こるってことにしてちょうだい」
ハァという長谷川の心のため息が聞こえた。
美夏はそばに控えていたスタッフに平謝りして、部屋の隅っこで待つのを許してもらった。
奥の壁に設置されたモニターで、各々が見ている画面を観ることができる。
これはこれで好都合だ。
これから恵太たちが放り込まれる異世界研究所での戦いを、いわば神の目線で見学できるのだから。
ゲームスタートした。各々がゲーム内の武器を駆使して、迫りくるゾンビの群れを寄せ付けまいと応戦している。
特にアシリアの甲高い反応は面白かった。心からゲームを楽しんでいるようで、制作会社も開発者冥利に尽きそうだ。
恵太のほうはアシリアのフォローで忙しく、穂高はおっかなびっくりのへっぴり腰、長谷川は銃の構え方からしてプロっぽい。というか某サイボーグまんまだ。
全員頑張っていたようだが(スコア的にアシリアと穂高は全然だめっぽい)、ステージ後半で出現したコート姿のボスキャラになすすべなくゲームオーバーになった。
ゲームが終わると長谷川は素早くヘッドセットを美夏に渡して部屋を出て行った。
「ふぅー、やっばい、超楽しい! 恵太、並んでもっかいやろ」
「たしかにすごく面白かったんだけど……もう一回となるとお金が……」
アシリアが変身を解いたマスクヒーローのごとく最高の笑顔でおねだりしていた。
恵太の気持ちが痛いほどにわかる。一プレイ二十分ほどで二五〇〇円……こんな金のかかるゲーム、自分たち姉弟の感覚だといくら楽しくても進んでやりたくない。
「だいじょうぶ! この日のためにちゃんと予算確保してるから。三十万までなら問題ないし」
「さ、三十万!?」
ちょっ、なんでそんな大金を!
穂高みたいにお嬢様ってわけじゃないのに。……でもリアは昔何本かCM出演していたりで働いてたんだし、お金持ちなのかもしれない。
いけない。つまりは穂高並に金銭感覚ヤバい可能性が高くなってきたぞ。
恵太と付き合うんなら、その辺りの感覚が世間一般と剥離してるのはめっちゃ困る。弟が女の金をあてにして遊び歩くようになったらどうすんだ。クズ男へのロードが開かれるじゃないか!
「一般的にデートなんて、いくら多めに使っても一万いかないから。それ以上は絶対にダメ!」
「えー、そっかなー」
「そういうものだから!」
せ、セーフ。恵太がまだマトモで助かったわ。
恵太が至極真っ当なことをいってたしなめていたので、それはよい。
安心したのも束の間、我が目を疑うことが起きた。
ゲームの再プレイを主張するアシリアに、恵太が後ろから抱き着いたのだ。
人目をはばかることもなく! 部屋にいる皆が見ている目の前で! なにを思ったのか女の子の背に抱き着いたのだ!!
これはアウトね。よし。恵太を一発ドツいて、今日はとっとと帰らせましょう。
ついに正体を明かすときがきた。わたしが今日まで弟の後を追っていたのはこういう日のためだった。恵太の女好きが爆発してまちがいを犯しそうになったとき、正義の拳を振り下ろすため。これから行われるのは粛清や制裁ではなく教育。まちがいを犯したものは叱りつけ、時には暴力を行使してでも矯正せねばならないの。家族として、姉として、恵太を愛するがゆえの悲しい試練なの!
経絡秘孔を突く前のデモンストレーションのように指を鳴らしてみるのが超気持ちいい。
穂高が「待って、ガンコンの持ち方教えてるだけじゃん」と止めに入ってきた。
ええい、邪魔しないでほしい。
「恵太……マジ、ウソつき」
「え」
「抱き着いたら落ち着かないっていってたじゃん! ぜんぜん平気じゃん!」
「ああっと、ごめん!」
「………………むぅ」
恵太がすばやくアシリアから離れた。
「ね? だいじょうぶだったでしょ」
穂高が呑気こいて言っている。
「ぜんぜん、だいじょうぶじゃない……」
恵太が小さい頃から「女性に軽々しく触れるな」とママと一緒に厳重注意していてこの体たらくなのだ。
弟の性質に気づき、素早く対策したママの慧眼は正しかった。
そうでなければ今頃恵太は浮名が立つような真正のクズになっていたことだろう。
いや、すでにナンパ野郎といわれてるから手遅れか?
「美夏ちーのブラコンも筋金入りよねぇ」
恵太たちはプラザセルコンの施設を出て、そのままアウトレットモールの店を回り始めた。
アシリアが恵太の手を引っ張りながらアクセサリショップに入っていく。
アクセサリショップ内は狭く、棚の高さも低くて身を隠すことができないため、美夏たちは店内には入らずに通りの看板の影で見守るにとどめた。
「あ~~~寒ぅ。なんていうかぁ……いたって普通のデートかなぁ」
穂高が自販機で買ってきたホットコーヒーを飲みながらいった。
「ええそうね。普通ね」
美夏は白い息を吐いて、あいまいに返した。
気分が少し落ち着いたのもあって、つい考えてしまう。
恵太のデートを後ろから眺めるばかりで、なにやってんだろうな。
恵太さえ、あいつさえマトモになってくれればお役御免になれるのに。
本当だったら、わたしが今日誰かとデートしててもおかしくなかったかもしれないのに。
通りの向こうで腕組んで歩いてるカップルに自分を当てはめてみようかな。
…………………………………………。
って余計虚しい……。
はあぁぁ~~~。
「ねえ穂高。憎しみで人が呪えたらって、考えたことない?」
「なんでそんな真っ黒なこと考えてんの!? ……悩みがあるなら言ってみな?」
「悩みっていうか。今日ってクリスマスイブじゃん。まわりにカップルいっぱいじゃん。わたし彼氏いたことないじゃん。なんかすごくもったいない気がしてるわけよ」
「だから誰かを呪いたいってわけ? 重症ね。そんなに羨ましいなら、シンイチの告白断らなきゃよかったのに」
「今はもう完全に後悔してるわよ。……あれ? わたしが有馬くんに告白されたの知ってたの?」
「二年生の間だと有名な話よ。いまや美夏ちーといえばお高く留まった悪女扱い。『有馬くんになんの不満があるんだ』ってね」
「ええっ、わたしいまそんなキャラなの?」
「あたしに言わせれば断って正解だと思うな~。シンイチってかなり嫉妬深いし、評判よりずっと俺様系よ。黙って俺についてこい的な。相手に合わせる恵太くんとはまるっきり逆のタイプ」
「ふ~ん、そうだったんだ……」
「強引なのが好きな人にはいいかもしんないけどねぇ。あたしはちょっと違ったかなぁ」
一度有馬と付き合っていた穂高がいうのだから、きっとそうなんだろう。
評判の中の有馬は、イケメンで性格が良くて頭も運動神経も良いパーフェクト男子なのに、かなり意外だ。
その人の表面を見ているだけでは気づけないこともあるということか。
「思うに美夏ちーの悩みは、男子と付き合ったことがなくて幻想が膨らんじゃってるせいだと思うのよね。一度付き合ってみれば、ああこんなもんかって、少しは気が晴れるんじゃない?」
「そんな簡単にいわれても。わたし、男子相手だとめっちゃ口下手よ」
「じゃあ、まずは練習からね」
穂高はそういうと、指をぱちんと鳴らした。
少し離れた位置で見守っていた長谷川が飛んできた。この人も大変だな~。
「お呼びでしょうか」
「長谷川さん、今日はあたしの警護はもういいから、あとは美夏ちーと遊んでやって」
「ねえ、なにいってんの?」
「……お嬢様、おっしゃる意味がわかりかねます」
「説明が足りなかったわね。美夏ちーは男性とお付き合いしたことがないから、その練習に付き合ってあげて。その辺をちょっと一緒に回ってあげればいいから」
一瞬、ブリザードが吹いたように場が凍りついた。
「……本当に、それだけは勘弁してもらえませんか」
「どうして? 美夏ちーってこの通り美人さんだから、役得でしょう」
「役得もなにもありませんよ! 自分は既婚者なんですよ。子供も生まれて今二歳だし、幸せなんですよ。それに妻とは、お嬢様の担当になるってときも散々揉めたんですから。そのうえ女子高生と一緒に遊んでたなんて知れたら、離婚事由になりかねません」
「浮気するわけじゃあるまいし。姪っ子の相手をするつもりで、かるーく付き合ってあげればいいの」
「他人事だとお思いになって……。第一、お嬢様から目を離すのは自分の雇用契約に違反します」
「長谷川さん、今日非番だったじゃない。振替出勤でもないし、あたしが無理いって付いてきてもらってるだけ。完全プライベートだからまったく問題ないわ」
「いえ、問題大ありです!」
美夏は話の流れについていけず頭がパンクしそうだった。
「そもそも、自分のような四十路前の男では、美夏様に失礼でしょう。こういうことは歳の近いもの同士が良いんです」
「お父様の命令で、あたしを歳の離れた見合い相手に送り出してくれたくせにぃ」
「あ、あの時のことは……、申し訳なかったと思ってますよ」
「冗談よ。それはともかく、歳の近い相手がいないから困ってるわけで。それに長谷川さんなら問題ないわ。鋼の自制心持ってるから安心だしね」
長谷川の表情がめちゃくちゃ引きつっていた。
「恵太くんはあたしがちゃんと見張っておくから。なんかあったら連絡するから。どうぞごゆっくり~」
穂高がぐいぐいと長谷川の背中を押して、美夏に押し付けた。
いってらっしゃいというふうに笑顔で手を振っている。
吹きすさぶ風が異様に冷たく感じる。
そんなこといわれても、どうすりゃいいのよ。
美夏が固まってる横で、長谷川もフリーズ状態だった。
長谷川にしてみれば雇い主の娘の命令では逆らえないだろうし、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「なんか、本当にすみませんでした。わたしのせいで……」
頭を下げるくらいしかできなくて歯がゆい。
長谷川が代替電源で復活したようにリブート。
「あ、いえ、美夏様のせいではありませんよ。まったく、お嬢様の気まぐれにも困ったものです」
「あの、様なんてつけなくていいですよ。それでこれからどうしましょうか」
「……では、おもちゃ屋はどうですか」
「おもちゃ屋ですか」
「もともと息子のプレゼントを買いたくてお嬢様に便乗したようなものなのです。自分の私用で申し訳ないですが」
「もちろん構いません。いきましょうおもちゃ屋さん」
むしろ行き先を提案してくれて助かったくらいだ。
こういうときなんでもいいからリードしてくれる男性は頼もしい。
子供のおもちゃ屋ならトイスペースの店くらいしかない。目的の店は西側の通りですぐに見つかった。
「そういえば、美夏……さんの弟君は、恵太というお名前でしたよね」
「はい、そうです」
「偶然なんですが、自分の息子もケイタという名前です」
「そうなんですか。本当に偶然ですね。……でも気を付けてください。わたしの中ではケイタって名前だと高い確率で将来女たらしになりかねませんので」
「いやあ、さすがに息子は大丈夫だと思いますよ。そちらのように見目麗しい家系ではありませんので」
「そんな麗しいだなんて……ありがとうございます」
さすが年上の男性だ。
見た目のいかつさと裏腹に褒め方ひとつとっても実にスマートね。
「息子さんのプレゼントって、どういうのをお考えですか」
「日曜朝のヒーロー番組で使われてる武器のおもちゃです。ええとたしか……」
「それならわたしわかりますよ。『時警特捜タイムドライバー』ですよね?」
美夏はトイスペース内の棚に目を通し、ホビー類の中から目当てのものを取った。
残り二つしかなくて危ないところだった。
「そうそれです。よくわかりますね」
「うちの弟がいい年していまだに見ておりますので。これでケイタくんも大喜びですね」
長谷川に主役武器のおもちゃを渡そうとしたとき、目に映った店のレジで、小さな男の子とその父親と思しき家族が清算をしている光景が目に入った。
ふいに昔の思い出が脳裏をよぎった。
恵太がまだ小さかった頃、家族三人でおもちゃ屋にきたことがある。単におもちゃを見て楽しむだけのお店巡りで……。
「どうかしましたか?」
長谷川が怪訝顔でいった。
「すみません。なんでもないです」
長谷川がレジで会計を済ませていると、幼女向けコーナーのところで面白い光景が見られた。
両親と五歳くらいの女の子の家族だったが、女の子の泣きわめき方がすごい。黒板を引っ掻いているような金切り声で叫びながら、地面に寝そべってここから意地でも動かないと抵抗を試みていた。
要求しているおもちゃを買ってもらうようストライキ中なんだろう。
我が家であんな真似しようものなら、ママに容赦なく引っ叩かれてただろうなあ……。
そういえば子供のころ、ニチアサ八時半の女児向けアニメ『スマイルラブキュア』に登場する女神の祈り(ブレスレット)が欲しいあまり、ママの脚に必死にしがみついてそのまま引きずられた思い出があったなぁ。
あのころは欲望に正直でガマン出来なかったんだよな~。
今となっては生き恥もいいとこね。
思い返してみると自分はダメな部類の子供だったと思うが、恵太が子供のころはどうだったっけ。
穂高お嬢様の気まぐれ日替わりミッションはクリアできたので、美夏たちは穂高の元へ戻った。
長谷川は購入したおもちゃを車に積んでくるといって、美夏を送るとその足で駐車場に戻っていった。
「おかえり~。楽しかった?」
「この短時間でなにを楽しめと? それよりもなにか変わりはあった?」
「特になにも。今度は家具屋さんに入ってったわ」
家具屋か。恵太は、ママが定期購読しているティノス家具のカタログ本を読んではニヤニヤしているやつなので、たぶん弟の趣味だ。
「そういえばさぁ。恵太くんって、なにか趣味とかあるの?」
「なんなの、突然」
「だってさぁ。趣味とか欲しいもの聞いても中々教えてくれなくて。あたしのことはよく聞いてくるのに、恵太くん自身のことはぜーんぜん。けっこう秘密主義っぽいのよねぇ」
なるほど。たしかに恵太は、相手を知ろうとするあまり自身の事はなおざりだ。
「相手の研究に余念がないわね、あなたは。しいていえばそうね……。仮に穂高からなにか趣味を聞き出したら、それを自分の趣味に加えてる感じかな」
女子とお近づきになる以外だと、他人の趣味を取り入れてるイメージしかない。
以前、恵太は、美夏が集めてる少女漫画『あなたに届け』を貸してと頼んできた。
理由は「友達が好きだといってたから」だそうだ。
女子と話を合わせるためなら手間や労力を惜しまないやつなのだ。
「うーん、聞きたいのはそういうのじゃないんだよねぇ。なら欲しいものとかは?」
「特にないんじゃない?」
「ちょっとぉ、隠さないでよ。べつにモノで釣ったりしないからさぁ」
「そんなんじゃなくて、本当にないと思うわよ」
「ウソだぁ、そんな人いるわけないじゃん。新しいスマホ欲しいとか、ライブのチケット欲しいとか、なにかあるでしょ?」
「恵太の口からこれといって聞いたことはないわね」
「なんて参考にならないお姉ちゃんなんだろ……。じゃあさじゃあさ、子供のころはどうだったの?」
「昔も特には。あんまりわがまま言うような子じゃなかったのよ。家族でおもちゃ屋行ったときも、欲しそうに飛行機のプラモデル見てても、欲しいなんて絶対言わないの」
自分ときたら欲望のまま必死に抵抗戦してたのにな。
「ふ~ん。昔から我慢強かったと。なるほどなるほど。すごく自制心が強い人なんだね」
「それはない。肝心なことはぜんぜん自制してくれないわ」
自制心のあるやつがやたらガールフレンド増やすもんかい。
おしゃべりに興じていると恵太たちが店から出てきた。
アシリアを連れ立っているのは当然として、はじめてみる女性となにやら楽しげに話をしていた。
美夏は自分の両目を取り外して点検したい思いに駆られた。
よく見るとその女性、小さな子供を乗せたカートを引いている。
そうきたか~、今度は人妻か~、そのパターンはいまだかつてはじめてだなあ~!
本当に、恵太はなにを考えているんだろう。
彼女持ちで女友達をさらに増やそうとしている謎の行動も理解不能なのに、彼女連れてよそ様の人妻と楽しそうに会話しているのはさらに理解不能だ。
なんなの? そういうプレイなの? 焦らし的な? それとも同年代に飽き飽きして年上の女性じゃないと物足りないとかの次元にいってしまったの? レベル高すぎるわ! リアもあのバカに一回ガツンと言ってやったほうがいいと思うよ。
「あれ? あの人、希里子さんね」
穂高が唇に指をあてていった。
「そう。希里子さんとおっしゃるのね。小さなお子さんを連れてらっしゃるのを見るに、今度は人妻に挑戦中ということかしら?」
「めちゃめちゃドス黒いオーラ出てんな!? いや、あの人は長谷川さんの奥さんだよ。何度か会ったことあるもん」
「そうなんだ。長谷川さんの奥さんなのね。……なんかわたし、長谷川さんに申し訳ない気持ちでいっぱい。これはもう決定的すぎるから、ちょっと恵太をぶん殴ってくるね」
「なんでよ!? 美夏ちーがなに考えてんのかさっぱりわかんないんだけど! たまに通り魔になっちゃう病気なん?」
「だって彼女連れて、長谷川さんの奥さんと浮気なんて、もうこれは万死に値すると思うわけで。恵太の蛮行を許しでもしたらとわたしまで身に覚えのないことで、あの弟にしてこの姉ありとか言われたりするんだ……」
「またわけわかんないストーリー組み立てて。よく見なさい。向かいのおもちゃ屋に向かってるでしょ? 希里子さんはお子さんも連れてるわけだし。思うに何かのきっかけで知り合って、お子さんのプレゼント買いについて行ってるってとこね」
「た、たしかに、そうも受け取れるかな……」
「それ以外にどう受け取れるっていうの。あなたの中の恵太くん像を一度じっくり聞いてみたいわねぇ……」
穂高の推理通りだったようで、数分後にはカートにプレゼント包装した箱を乗せた希理子がおもちゃ屋から出てきた。
店の前で恵太に挨拶すると、そこからは別行動になった。
希理子は駐車場に向かってカートを進めていった。
それから少しして車にプレゼントを積み終わった長谷川が戻ってきた。
「ご苦労様。長谷川さん、さっき希里子さんと途中で会わなかった?」
「はい、見かけましたが……急な仕事と言って家を出ましたのでやり過ごしました」
「あらあら」
「帰宅したらその分家族サービスしますので」
この様子を見ていた美夏は胸を撫でおろした。
勘違いとはいえ、恵太と希里子のやり取りを目撃させたら長谷川の気分を害するかもしれないので。
恵太たちがフードコートで食事に入ったころ、美夏たちも小休憩に入った。
長谷川が気を利かせてくて、その間の監視を買って出てくれたので、美夏は穂高を連れて近くのコーヒーショップに駆けこんだ。
「ホットドックとコーヒーそれぞれ二つお願いします」
穂高は美夏の返事も聞かずに店員に注文していた。
「さっきの話の続き」
「ん?」
「美夏ちーって、恵太くんのことになるとホント頑なだよねぇ。信用ゼロっていうか。なんでなん?」
「それ、今日恵太にも言われたわね。ちょっとは弟を信じてもよくないとかなんとか」
「恵太くん、可哀そうに……」
「可哀そうなのはわたしのほうだって。恵太がアホすぎるせいで、今もこうして走り回らなきゃいけないんだから」
「う~ん、そこんとこがわかんないんだよねぇ。恵太くんってなんかマズイことしてるっけ?」
「うん。主に女性トラブル的なことをね。今はまだでもいずれ起こるってことよ。わたしもママもそこは意見一致してるし」
「美夏ちーとお母さんが?」
穂高が疑問に思ったのか聞き返した。
「そうよ。穂高も知ってるでしょう。恵太は女子が大好きでね」
「うんうん」
「それだけならまだエロ男で終わるのに、あいつよくモテるのよ。忌々しいことに顔は良いみたいだし……女子だったら誰にでもいい顔するから! エピソードを上げたらキリがないくらい。代表的なのはそうね」
美夏は過去に想いを馳せ、目を閉じた。
「あれは恵太が小学一年生だったころ……金曜日の夕方だった。わたしは家のリビングでテレビを見てて、玄関が騒がしいなって気づいたの。なんだろうと思って見に行ってみたら唖然としたわ。玄関先で何人かの女子が殺気立って『恵太くんは誰が好きなの!』って恵太に詰め寄ってたのよ。まるで不倫した芸能人にキャスターたちが殺到するみたいな光景だったっけ」
「……う~ん、小学生にして罪作りな子ってわけかぁ」
「まあその前から色々片鱗は見え隠れしてたっけ。とにかく、そういうことが重なったんでママが恵太に聞いたのよ。『男の子の友達とは遊ばないの?』って。そしたら」
「ふんふん。そうしたら?」
「恵太は言ったわ。『だってお姉ちゃんが女の子には尽くせって』」
「ぷっ」
穂高が可笑しそうに口元を抑えた。
「もうママにめっちゃ怒られてさあ。恵太を色男にしてどうするーって。つまりあいつが女バカになっちゃったのって全部わたしのせいだったんだなこれが。で、この有様なわけですよ」
美夏はやれやれとお手上げの仕草をしてみせた。
「……ごめん。すっごい端折ってるみたいだけど、結局美夏ちーがストーキングしてる理由って、個人的に恵太くんの恋愛が気に入らないってこと?」
「ちがわいっ、誰が好き嫌いなんかでこんなヒマなことするもんですか。全部ママの命令よ。恵太がまともになるまで面倒みろって」
まるで渋柿でも食べたみたいに、穂高が苦渋の表情をみせた。
「恵太くんの家族って……まともって……。ちなみにさぁ、恵太くんをほっといたらどうなると思ってんの?」
「よくて女をとっかえひっかえしてヒモ生活するクズ男。悪ければ女性トラブルを起こした末に色々あって刺されて死ぬクズ男ね」
「いやなんでそうなんのよ! どんな判断? 論理ぶっ飛びすぎじゃない?」
「甘いわね……うちのママがいってたわ。若い身空で女遊び覚えたら、男は例外なくクズになるってね」
「……いやあ誠実だと思うよぉ? 恵太くんに限ってないんじゃない? でも、よそのお家の教育方針だっていうなら、あたしからは何も言えないかなぁ」
一ミリも腑に落ちない面持ちで穂高は苦言を呈した。
これってもしかして毒家族案件じゃないのかな? とかブツブツ言っていたが仕方ない。
穂高は恵太と知り合って日が浅いからなぁ。弟を知れば知るほど理想の王子様像が崩れていくに違いないのだ。
「ほら、そんなことより早いとこご飯食べて監視任務再開しなきゃ」
注文したホットドックが届くと、美夏は大急ぎで食べだした。