うちの弟が反抗期すぎる①
なんてことなの。信じられない。
美夏は、勢いよく閉じられた玄関扉を見つめ途方に暮れた。
昔からとても素直だった恵太が、姉のいうことを何でも聞いていた恵太が、小さい頃は天使みたいに可愛らしかったあの恵太が!
恵太がグレてしまった!
まちがいが起きないように渡そうとした秘蔵の避妊アイテムを受け取らず、姉のわたしにはっきりとした拒絶を示した。
こんなことかつて一度もなかったのに!
まさか今になって反抗期なんて。
最近になってちょいちょいケンカが増えてきて、こんなにはっきり拒絶の意思を示されたのは、中三の頃、恵太が買っておいたシュークリームをガマンできずに全部食べてしまったとき以来か……。
しかし多少の姉弟ゲンカこそあれ、口ゲンカがせいぜいで、それでさえ弟のほうから「ごめん」の一言で仲直りしてきたのだ。
もう少し待ってみよう。今にきっと、玄関を出て行った恵太が戻ってくるはずだ。
いつものように「ごめん」と自らの非を認め、わたしのいうことを聞いてくれるはず。
まごうことなきバカなんだけど、それでも賢い子だもの! きっとわかってくれる!
だってクリスマスイブなのよ。この日が何の日かわかってるの。単なるクリスマスの前日? ぜんぜん違うわ。
この日は、恋人同士がイチャイチャしてはばからない日じゃない!
世間では性なる六時間とか揶揄されてる日なのよ!
性欲魔人の恵太が過ちを犯したらどうすんのよ。ていうかあいつはほぼ確定でやるやろ?
高校生の! 体を持て余した男女が! クリスマスイブにふたりきりで会うとか!! スリーアウトものだ!!!
もう少し、あと少しと待ってはみたが、三十分経っても恵太は戻ってこなかった。
美夏は悟った。これはアカン……緊急事態だ。
今日は彼らをストーキングするつもりはなかったのに。
弟の恵太を信頼し、友人でもあるアシリアとの愛を思う存分深めてほしいと願っていたのに……。
でもこれ、避妊アイテムを持ってればという前提なんだよね……。
持ってなかったらどうなるかってそりゃあ……
合体事故(暗喩)→結晶(暗喩)→ママぶち切れ(確定)→美夏勘当(確定)
絶対こうなる流れなのは必然なのだ。なぜ勘当されるかというと、監督不行き届きという名の罪状だから。
もっというと、ママはなんだかんだいって恵太に甘いのよね。
姉弟につけられた名前の意味にもそれは見て取れる。恵太の恵は「恩を施す」とか「思いやり」という意味だ。困ってる人を助ける、心優しい人物になれという意味だと昔ママがいっていた。
なるほど、たしかに今のところ名前の通りの人になってるかもしれない。
全部女子限定なのがガッカリするが。
で、わたしは? ママに聞いたら一言「美夏は夏生まれだからよ」とすごくいい笑顔で返された。
わたしこの格差にいつも泣きそうなんだよね! グランドキャニオン全長並みにかけ離れた期待の差よ。せめて生まれたのがとても美しい夏だったからよとか言ってくれたらだいぶ違うのに。本当に夏生まれ以上の意味がない感じがせつない。長女なのに適当すぎるやろがい。
ママからしたら娘より息子のほうが可愛いのかもしれないね……。
ときどき恵太のことが憎たらしくてしかたない。
幼い頃に言った「女子に尽くせ」の一言が弟の性格を決定づけてしまったとはいえ、いつまで面倒を見なければならないの?
恵太は社交的な性格で好き放題楽しんでるのに、自分はときたら恵太の監視に多くの時間をとられてしまう。
クラスの男子とお話するのも苦手だし、付き合うどころか親しい男友達だっていないのに。
珍しくチャンスが回ってきたと思ったら、恵太のことが頭にちらついてそれ以上踏み出せない。
自分を取り巻いてるすべてが踏み出すことを許してくれない。
親の期待といい、交友関係といい。
姉弟なのにこの差はなんなんだろう。
美夏は部屋に戻って、出かける支度をした。ナーバスになってる時間も惜しい。
ダッフルコートを羽織って、ニット帽とサングラス、マスクを用意する。
恵太たちの行き先は聞いていたので、とにかくまずはアウトレットモール行きのバスターミナルに急ごう。
ブーツを履いているとポケットのスマホが鳴った。
恵太か! そう思って画面を見るとがっかりした気持ちになった。……水城舟穂高。
美夏は期待外れの苛立ちとともに電話に出た。
「もしもし、何の用? わたしいまとっても忙しいんだけど」
「そうだろうと思って電話したんだよねー。美夏ちー、猫の手も借りたいんじゃない?」
「なんのこと?」
「どうせ恵太くんのストーカーするつもりでしょう」
なぜわかったし。てかストーカーじゃねぇよ、保護者としての義務だよと心の中で反論。
「手伝ってあげよっか」
「手伝う?」
「目的地までの足を提供できるよ」
美夏は猛烈に怪しんだ。
ありえないくらいのタイミングで、何の魂胆かわからない手伝いを申し出てくる穂高のほうこそストーカーじゃないかなと思えた。
また不必要に大きいリムジンなんて出されたらどうしようという心配は杞憂に終わった。
穂高が自宅の前まで出してくれた車は高級車ではあるが、一般的なサイズのSUVであった。
前回と同じ体格のいい黒服サングラスのお兄さん(ボディガード?)一人が、今回は運転手を兼ねていた。
美夏はSUVの後部座席に乗り込み、隣に座った穂高に尋ねた。
「今日はまたどうしてわたしに連絡してきたの?」
「それがさあ、一週間くらい前にクリスマスイブに会いませんかって恵太くんを誘ったら、予定があるからって断られちゃってねぇ。妙成寺さんと先約があるならしかたないって諦めたつもりだったんだけどぉ」
「待った。恵太の今の彼女のこと知ってるの?」
「当たり前じゃない。ライバルのことなんだからちゃんと身辺調査だってしてるわ。妙成寺さんが九年近く前メディアに出てた芦莉愛って子役タレントだったこともね」
マジかこいつ。どうやって調べたんだと考えたものの、そういやこの女は大企業のご令嬢だったなと改めて思い出した。
「美夏ちーも知ってたのね。とにかくあたしは相手が誰だろうと諦めたくないの。恵太くん以外の人は考えられないから。そのためなら美夏ちーの手伝いだって辞さないわ」
美夏はため息をついた。
穂高が真剣なのは十分伝わった。それはいい。いや、まったくよくはないか。
「穂高……、かなりヘコむこといってもいい?」
「……どうぞ」
「あいつを王子様みたいに思ってるようだけど、あなたを慰めたのは好きだからじゃない。目の前の女の子が困っていたからよ。あのバカは誰に対してもそうするわ。女子には尽くすべしってのが弟の行動原理だからね」
穂高が真面目な顔で聞き入っていた。正論パンチで殴るようで心が痛むがはっきり言っておかなくちゃならない。
「その恵太が今日の穂高の誘いは断った。アシリアちゃんを優先したってことの意味、わかるでしょう。そういうことなのよ」
「……それくらいわかってるよ」
「だったら、わたしに協力なんかしたって意味なんて──」
「それもわかってる! でもしょうがないじゃん。なんかせずにいられないもん……」
穂高が赤くなった目を懸命にこすった。
だめだこりゃ。まるで欲しいおもちゃが手に入らなくてもがく子供みたい。
「あっきれた。友達のよしみで忠告はしたからね。あなた、まちがいなく好きになっちゃいけないやつを好きになってるからね」
「それでいいよ。好きになっちゃいけないやつ上等!」
「まったく」
国道に差し掛かる直前赤信号に捕まって、穂高がいった。
「ところで美夏ちーって、いつもどうやって尾行してんの? 探偵ドラマみたいにつかず離れずにって難しくない?」
「そんなことしなくても、これでいいじゃない」
スマホを取り出し、追跡アプリを見せてやる。
「恵太の位置ならこれでばっちり」
「……うわキモ! これGPS追跡ってやつ? まるで夫の浮気を疑ってる妻。こんなんマジでやる奴いるんだ……。現代テクノロジーの闇ね」
「聞いといてディスらないでくんない?」
「美夏ちーがツール駆使してるのはいいとして、変装術がいまいちだと思うわけよ。夏休みのときの服装なんかヒドイもんだったし。よく今まで見つかんなかったわね」
「えー、そう? あの時のジャケット、女スパイみたいでカッコいいと思ったのに」
「カッコよさじゃなくて、忍ばなきゃダメでしょ。あとなにより、その髪!」
「髪?」
「美夏ちーが目立ってるのはその髪の色につきるね。ヘアカラーリングと地毛で茶髪なのはやっぱ違うし。そこを隠せば雰囲気もガラッと変わるでしょ」
「といってもそんな急に染められないよ」
「そこであたしがイイモノ持ってきたわ。あとで見せてあげる」
到着したアウトレットモール駐車場にて、黒服(スーツかと思いきや黒革ジャケットでラフな格好だ)のお兄さんがトランクから引っ張り出したアタッシュケースの中身を見て、美夏は唖然とした。
「な、なによこれ。カツラ?」
美夏にとって初めて拝む黒い毛の物体。
「気分でセミロングにしたいときにあたしが使ってるやつ。フルウィッグなら美夏ちーのショートを隠すのにちょうどいいと思って」
「まあ用意のいいこと」
美夏はかつらを手に取って隅々まで見つめ、すんすんと臭いをかいでみた。ちゃんと洗っているらしく、使用済みにしては良い香りがする。
なにせかつらを被るなんて初体験。とりあえず帽子を被る要領で頭の上へ……
「違う違う。まずこのネットを先にかぶるの」
穂高がトランクから網の目状のウィッグ専用ネットを取り出した。
やれやれと思いながら、美夏は髪を包み隠すようにネットを巻いてカツラを被ってみた。
「よくお似合いですよ。どうぞ」
黒服のお兄さんが今日初めて口を開いた。手鏡を差し出してくれたので、お礼をいって受け取った。
鏡に映った艶のある黒髪で微笑んでいる自分の姿。
右に左に頭を振ってみて、やや内側にカールした黒髪が揺れているのがなんだか嬉しい。
すごく新鮮な気分だった。
小学生の頃、髪色のことでクラスの男子にからかわれたことがあり、それ以来あまり自分の容姿を肯定する気になれなかったが、こんな簡単な解決法があったならもっとはやくやっておけばよかった。
さすがに普段からネットの上にカツラを被るのは辛いものの、外出するときの気分転換にはもってこいだ。
いまや堀の深い日本人にしか見えないだろう。
「どうよ!」
美夏は腰に手をあて、穂高に意見を求めた。
「在日の欧州人から、帰化した欧州人ぐらいには見えるよ」
「……いや日本人だから! ていうか結局同じようにしか見えてないじゃん!」
「まあまあ。これは美夏ちーだと悟られないためのやつなんで」
「よろしければこちらもどうぞ」
黒服のお兄さんがサングラスとマスクを差し出してくれた。
「ありがとうございます。でも自分で持ってきたのがありますので大丈夫です。ええと……」
美夏はことばに詰まった。会うのは今日で二度目なのに、黒服お兄さんの名前を知らない。
「自分は長谷川裕二と申します。アクアナーヴィス社人事部所属兼お嬢様の警護役です。以後お見知りおきを」
「人事部でボディガードって……。滝沢美夏です。よ、よろしくお願いします」
つい緊張して固くなってしまった。
以前会ったときは穂高をブロックするのに忙しかったので、黒服のお兄さんもとい長谷川をまじまじと見るのは今日が初めてだ。
まだ若いように見受けられるが、上着の上からでもわかるほど肩幅の広い筋骨隆々な体格、全身が鋼でできているようだ。
この逞しさで黒革ジャケット・サングラスをかけてると未来から来た某サイボーグに見えなくもない。
恵太や有馬が線の細い美男子タイプなら、長谷川はその逆で無骨そのもの。
今まで強そうな男性に出会ったことがなかったため、妙にドキドキしてきた。
実はマッチョ好きな属性でもあったのか、それとも年上の男性に接した経験が少ないせいか……。
穂高が察したような顔で耳打ちしてきた。
「いっとくけど長谷川さん、妻子持ちだからね。変なこと考えちゃだめよ」
「べつに考えてないし!? ただ挨拶しただけだし!」
なぜバレたし。言われてみれば、長谷川の薬指にはリングがある。
「ではこれはお嬢様がどうぞ」
長谷川が穂高にサングラスとマスクを手渡した。
「これ、あたしもつけるの?」
「もちろんです。お二人で交際中の方々を追跡するのでしたら、片方の面が割れていては意味がありません」
まあ当然よねと思いながら、美夏はサングラスとマスクをつけた。
その姿を見た穂高がいう。
「……ここにいる間、顔全部隠すのも怪しくない? 職質ものっていうか。恵太くんたちが近づいたら隠せばいいじゃん。位置はわかってるわけだし」
「まったくしかたないわね。じゃあ恵太が近くなったら顔隠すの徹底する、これでいくわよ」
それでいいと穂高がうなづいた。
「では自分は少し離れたところで控えております」
「あれ? 長谷川さんも来るんですか?」美夏がいった。
「自分は穂高お嬢様の身辺警護が業務ですので。お二人の邪魔をするようなことは致しませんから、ご安心を」
入場した南部アウトレットモールは比較的新しい施設で、美夏は来たことがなかった。
恵太がここでデートするという情報をLINEで得てから、施設内の構造はネットで調べて頭に入れてある。
恵太のGPS信号を追ってたどり着いた建物は、ボウリングやアーチェリーなど様々な遊びが楽しめる総合アミューズメントスペースだった。
以降は敵地よといわんばかりに、中に入る前にしっかり顔を隠した。
「ところで、確認させてもらっていい? 美夏ちーって何のために恵太くんの後を追ってるんだっけ?」
何をいまさらわかりきったことを聞くのかと、美夏は呆れ声で答えた。
「決まってるじゃない。恵太がいやらしいことをしてたら邪魔するためよ」
「……ええとぉ、いやらしいことって具体的には?」
「いやらしいといったらいやらしいことよ。人目を気にせず肩を抱くとか、頭を撫でるとか、背中をまさぐるとかその他諸々。とにかく不必要にイチャイチャするのがもってのほかね」
「……ごめん、逆にそれ、何なら許されてるの?」
「手をつなぐぐらいならいいと思ってるわ」
「それ付き合ってる意味なくない!? ……ま、まあいいわ。邪魔したいってことは、美夏ちー的に妙成寺さんとのお付き合いは良しとしないってことよね?」
「いいえ、ぜひとも愛を深めてほしいと思ってるわよ」
「それ矛盾してない!?」
いちいち突っ込みの激しい女ね。今の恵太は避妊アイテム持ってないんだからしかたないじゃない。よって弟にはいやらしいことをさせず、アシリアとの愛を育んでほしい願いに矛盾はないのだ。まったくどこもおかしくないでしょ!