もう一度クリスマス③
西通りにあるトイスペースの店で、目当てのおもちゃはすぐに見つかった。敵のパワーを測って最適なエネルギー弾を撃ちだす設定のトイガンで、正直ちょっとだけ欲しくなった。
希里子は満足してお礼をいってくれた。
おかげで、帰ったあとプレゼント購入の為に再び外出する必要がなくなったそうだ。
軽食を挟んで、他の店も見て回った。
最後はアシリアの希望通りもう一度VRゲームコーナーで遊んでいるうちに日が暮れた。
恵太の待ち焦がれたメインイベント、ウィンターイルミネーションの開幕だ。
アシリアを連れて中央の噴水広場にいくと、すでに何組かのカップルがイチャイチャモードに入っていた。
中には大人のキスをしている者もいた。
噴水まわりだけまったく空気が違う。
気温は五℃を下回るくらい寒いのに、サウナにいるような熱気。
この場に異性のパートナー無しで来るのは、相当に度胸がいりそうだ。
ジングルベルのアダルトバージョンBGMが流れ出した。
雪の結晶を散りばめ白一色で彩られたきらびやかなイルミネーションの空間はムードたっぷりで、雰囲気に流されて思いっきりイチャイチャしたい!
(いや、もちろん俺は不埒なことなんてしない! 何かやらかしでもしたら美夏姉さんが鬼の首とったみたいに騒ぎたてるに決まってるし。なにより、ここにいなくてもなんか安心できないし!)
恵太は、広場に設置されたベンチにアシリアを招いて座った。
キスしているカップルの様子をみて、アシリアも緊張しているように見えた。
ガチガチな緊張を解きたければ「キスなんてしないから安心して」といえばいいのかというと、そういうわけでもない。
中学時代に似たような状況で失敗したことがある。
今のように回りにキスしているカップルがいて、当時付き合っていた彼女が緊張しているようだったので、つい言ってしまった。
「大丈夫だよ。キスなんてしないから安心して」
「……は? しないの?」
その時の血も凍りつくような彼女の声音が忘れられない。
地雷を踏みぬいた。当時の自分は、彼女がキスしようという大きな覚悟で来ていたのを読み切れず、女子の期待を裏切ってしまったのだ!
じゃあ積極的にいけばいいのかというと、それも違う。
ムーディな場所についてきてくれる時点で九割方そのつもりのはずだが、例外はあるのだ。
本当に遊びに来ているだけで「そんなつもりないのに」という子もいる。
いや、いた。
イエスかノーか。
キスしていいかダメか。
それなりに女性慣れした人間でも悩ましい。
キスしていいですかと聞ければ楽なのに、そんなこといったら台無しだから困る。
女子の期待を裏切るのだけは厳禁だ。
とにかく今日までに得た経験から、女子の希望を完璧にくみ取るほかないのだ!
その点に関しては確かなことがいえそうだ。
アシリアは、まちがいなくキスするつもりだろう!
目を泳がせて躊躇している様子を見ていれば、いくら鈍くても察しがつく。
このご時世、差別的と批判を浴びるかもしれないが、男がリードしなくてはならないこともある。女性にとってキスするのは相当の覚悟がいるのだから、それを察して男が先に動かなければならない。
くどいようだが女子の期待を裏切っては(以下略)。
読み違えると強制わいせつなので社会的に危険だ。
今にもちぎれそうな綱橋を渡るようなもので、初心者にはお勧めできない。
恵太は大きく息を吸って深呼吸した。
(よし、いけるぞ! 俺でなくて誰がやる。今言わずにいつ言うんだ! ああ、心臓の鼓動が聞こえそうなくらい高鳴ってきた。さすがにこういう場面は何度やっても緊張する。エイリアンみたく心臓がドバッと飛び出しそうで……これやばいやつなんじゃないかな……マジで途中で倒れそう……世間ではテクノブレイクなる死に方があるらしいけど、その半歩手前な気がする……それでも逃げるわけにはいかない! 俺ならできる! 上級者だから耐えられる!!)
いざ柔らかそうなピンクの唇へ誘われようと、恵太がアシリアの肩をそっと掴もうとしたとき──
「はい、恵太。これあげる」
アシリアは肩にかけていたポーチからリボンの巻かれた小包を差し出した。
「……これって?」
「クリスマスプレゼントに決まってるじゃん。恵太がくれるっていってたのに、アタシだけなにもなしってわけにいかないしー」
「プレゼント?」
「あー、すっごく緊張した! 人にプレゼント渡すって生まれてはじめてだったからさー」
他意などみじんもなさそうな笑顔で、恵太は呆気にとられた。
まあ……慣れたつもりでもこんなもんだよな。
失敗の数だけ重ねて上級者ぶるとかぶざま過ぎだ……。
泣きたい気持ちを堪えて、恵太は無理矢理な笑顔でプレゼントを受け取った。
「ありがとう。開けてもいい?」
「いいよー」
リボンをとって包装紙を破ると上蓋のついた箱があった。開けてみると……
「……ボールペン?」
普通のボールペンではなく、とても高そうな一品。重さからして真鍮でできている。恵太もつい最近調べていたのでわかった。……これ、三万円近くするやつだよ。
「ペンって毎日使うものでしょ。これ使って、ちょっとでもアタシのこと考えてくれたらなって思って」
なんかもう今すぐにでも抱きしめたくなるような魅力的な笑顔だった。
その健気な気持ちは本当に嬉しい。嬉しすぎて涙がちょちょぎれそうだ。ありがとう、そんなありきたりな言葉しか浮かばない。でも……。
「本当にありがとう。本当に嬉しいよ。……それでね、俺からも渡したいものがあって」
恵太はジャケットの内ポケットから細長い小箱を取り出した。
んん、と不思議そうな顔でアシリアが箱を見ていた。
「拍子抜けするかもだけど、受け取ってください」
「う、うん」
アシリアがなんとなく察したような目で小箱を受け取った。
「あっちゃー、やっぱり!」
アシリアが声を上げた。
恵太の用意したプレゼントもボールペンだった。アメリカ大統領も愛用しているらしい有名ブランドの一品。ただし、アシリアがくれたものより値は安い。
「アシリアって普段授業中とか、すごく熱心にノート取ってるしさ。ノートの内容も感心するくらい事細かに書き込みもしてて、ホントすごいと思うよ。それで書きやすいって定評のあるこのペンをね……」
そこまでいうと、アシリアは箱から取り出したペンを恵太に見せた。
やはりプレゼントが被ったのはマズかったのか、どうも怒っているようなオーラが立ち昇っている。
「恵太……、アタシのこと考えて選んでくれたのは嬉しいんだけどさ……、これ、いくらしたの?」
そうだよな。自分が出したものより安物だとそりゃ怒るよな。本当にごめんよ。
値段にしておよそ二万円くらいの一品だったが、まさか被った上にこれを上回るものを先に出されるとは思わなかったんだ。
「アタシ言ったじゃん! お金は使わないでって言ったじゃん! これぜったい高いやつでしょ!」
「あ、いくらかって……そういうこと?」
アシリアはこちらの財布事情を気にしていたので、高額のものを買われたのが悔しいらしい。
昼ごはんを三週間くらい我慢すれば工面できる金額だから気にしなくていいのに。
「ああ、それなら気にしないで。それ、五千円くらいのやつだから」
「またしょうもないウソついて。こういうの、知ってる?」
アシリアがポーチからスマホを取り出して、恵太の渡したボールペンをカシャリ。
「今はさ、画像から商品検索だってできるんだよ?」
三秒ほど検索の後。
「わっと、税込み一万九千八百円かー! おやー、申告とちがうなー。五千円の四倍くらいするしー」
くっ、抜かった! スマホって悪魔の発明だな!
値段がバレてしまってはしかたない。
「恐れ入りました!」
恵太は迷わず頭を下げた。
「まったく、恵太ってマジでバカみたい。……まあ、これは大事に使わせてもらうし」
「そうしてもらえると嬉しいです」
ひとしきり笑いあったあと、イルミネーションの前でもう一度写真を撮ろうということになり、恵太は近くにいたカップルに撮影を頼んだ。
ここに来た時と違って変な緊張が取れたせいか、アシリアの肩を抱くことにも抵抗感は薄れていた。
撮られた写真に写った自分たちの姿は、とても幸せそうに見えた。
「恵太ってさ……、アタシのこと知ってた?」
戻って座ったベンチで、恵太の肩に頭を乗せたアシリアがいった。
「知ってたって?」
「アタシがその……元役者だって」
「それは……うん。先月のテレビで、ソルスペクターが流れた番組を見て、それでわかったよ」
「ふ~ん。つまり、はじめてアタシに声かけたときは知らなかったってコト?」
それはアナザー恵太にしかわからず、答えられなかった。
秘密主義のアシリアがこうやって胸襟を開いている以上、曖昧なことは言えない。
といっても……同じ恵太なんだから。
自分ならきっとこう言いそうだと思う。
「知ってたような、知らなかったような」
「なにそれ?」
「知ってても知らなくても、たぶん俺は変わらなかったと思う」
「意味わかんないし」
本当はまだまだ話したいことがあったのだろう。
役者を辞めたこと、昔のことを話したがらなかったこと……。
それはこれからゆっくり聞いていけばいいことだ。
残された時間はまだある。
あると……思いたい。
「恵太って、ほんっとバカみたいだよねー」
「どうして?」
「どうしてもなにもないし。女たらしでおせっかいで信じられないくらい回りくどくて。おまけにしょうもないウソはつくし、そのくせウソがヘタ。得意なのはその鮮やかな笑顔だけ。でも油断してると」
アシリアが頭を上げて、恵太の目を見つめた。
「アタシみたいなひねくれ者に、ヒミツを見破られちゃうんだ」
「ヒミツ……?」
「いちばんバカみたいなのがそのヒミツ。好きになったらダメな人を好きになっちゃったこと」
「好きになったら、ダメな人?」
さっきからオウム返ししかできない。
言っている意味が理解できないのだ。
アシリアを好きになったらダメだというの?
「初めて会ったときに比べれば、恵太のウソは上手になってるよ。役者でも通用するくらい。もう一度試してみよっか?」
「試すって……何を?」
「前とおんなじ。アタシの質問に『好き』っていってみて。ただし、ぜったいに笑顔でいったらダメ」
アシリアが一呼吸のあと、柔らかい笑顔を作っていた。
「恵太……、わたしのこと、好き?」
普段の声音とは違っている。優しげで穏やかで温かい感じ。
誰かを演じているようだった。
誰かはわからないが……。
なんにしろ、そんな質問の答えは決まってる。
「大好きだよ」
その言葉にウソはなかった。
笑顔でいうなといわれたので、本心とは裏腹に無表情だ。
真剣だとわかってもらいたくて、アシリアの星のように澄んだ瞳から逃げまいとした。
目を逸らしてはいけない。逸らすとウソっぽくなってしまう。
恋愛は頂上の見えない山を登るようなものだと思っていた。
頂上が見えないため付き合ったらゴール、キスしたらゴールなど明確な終わりもない。
アシリアとの関係は、ヘリコプターで途中参加した登山といえそうだ。
登る山を決めて所持品を準備し、どのルートをどんな方法で登るかという最初の一歩をスキップしている。
オルタネイトに来てしばらくの間、アシリアとの関係は乗り気になれなかった。
出会ったときから好意を持ったが、最初の一歩を踏み出したのはアナザー恵太であり、今の自分じゃない。
なんだかズルしてるように感じたのだ。
アシリアは、そんな自分の気持ちを思いやって、いつも気にかけてくれた。
何度も誘って外に連れ出してくれたし、進んで話しかけてもくれた。
今日だってそうなのだ。
アシリアの好意に甘えてお金まで出してもらってる。
これじゃ完全にヒモ男で実に情けなく思う。
本当なら言い出しっぺの自分がやるべきだったのに、お世話になりっぱなしだ。
ありがとうなんて言葉では足りない。
恋愛は頂上の見えない山を登るようなものだ。
この山は一人の力だけでは登れない。明確な終わりがないからだ。
終着点が見えないと迷ってしまってそのうち諦めてしまう。
登っていくにはパートナーの力も必要になるのだ。
それでいうとアシリアがパートナーだ。
自分が迷いそうになるたびに手を差し伸べてくれる。
そんなアシリアと接するうちにこう考えるようになった。
途中参加でもいいじゃん、と。
最初の一歩も大変だが、登っていくのだって大変なんだ。
途中参加で手を取り合うのがなぜいけない?
アシリアのことが大好きで、なぜいけない?
「……ホントに、すごく上手になった。まるで心から溢れてるみたい。でも──」
アシリアがふわりと笑って顔を近づけた。
「ウソつき」
そうささやくと唇を重ねてきた。
プチュッ。
「痛っ」
恵太はうめき声を上げた。
「うぇええ、ご、ごめん恵太! 勢い余ってつい……」
アシリアの前歯が、恵太の下唇を突いてしまい、ピリッとした痛みが走った。
触ってみると指にべっとりと温かい血がついていた。
なんじゃこりゃあというレベルで血がついててちょっとビビる。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、この程度。それより、アシリアはだいじょうぶだった?」
「ア、アタシは平気だけど、血が、血が~」
慌てたアシリアを安心させたくて、彼女の冷え切った手を握った。
「よかった~。それよりも、今のは失敗だったからもう一度続きを……」
「血がだらだら出てんだから、それどこじゃないって! はやく血止めなきゃ……これ使って」
アシリアがポーチから高級そうな刺繍のあるハンカチを取り出した。
「ノンノンノン。アシリアのものを俺の血で汚すわけにいかないよ」
恵太は、パニクったアシリアの顎に軽く触れ、薄っすらと血で赤くなった唇へ吸い寄せられていった。
大げさだなあ。こんな血がなんだっていうんだよ。生きてるんだから血ぐらいでるさ。
たしかに派手な出血ではあるが、アシリアにつけられた傷だと思えば愛おしいってもんだ。
もうヒミツがどうとかウソがどうとか一切合切どうでもよくなってきた。
今はこの胸を衝き破るような昂りに決着をつけたくてしかたない!
頭の中の理性が次々に爆発していくようで我慢の限界なんだ。
愛らしいアシリアが好きで好きでたまらないんだ。
もう一度彼女の赤い唇に触れたくてたまらない。なんならその先だってしたい。
クソッ、カッコつけて美夏が渡そうとしたアレを受け取らなかったのが悔やまれる!
結局美夏のいうとおり俺はエロいことだって考えるみじめでぶざまで見苦しいヤツだったんだ。
といってもアシリアを傷つけるのは死んでも嫌なのでキス以上のことは無理そうだ。
だからとにかく俺の命に変えてももう一度キスの続きだけはさせてほしい。
そうしないと俺は残りの人生死んだように生きてくだけなんだよ!
「さっきからなに言ってんの! 待って、ストップ、ダメダメダメ! 目がヤバい、目がヤバいからあっ!」
アシリアから痛烈な平手打ちを食らうまで、恵太は正気に戻らなかった。