うちの弟がチャラすぎる②
映画が開始して一時間経った。……あーん! 焦熱様が死んだ! くすん、美形薄命だ……あーん、うっうっう。
美夏がふたりをすっかり忘れて物語に夢中になっていたとき、いつの間にか穂高の横にやってきた黒服のお兄さんが小声で告げた。
「お嬢様、ご予定は五時半からでしたが、お相手がすでに到着されたそうです。こちらもすぐに向かいませんと」
「そんな! ……失礼しました。そんな勝手な。向こうが早く着いたからってこちらが合わせる必要はないでしょう」
「申し訳ございません。ですが、今回の件は社長の厳命なのです。万が一にも失礼があってはなりません。なにとぞご理解を」
「……少し失礼しますね」
固い笑顔のまま恵太にそう断って、穂高は席を立ってしまった。
「穂高先輩……どうしたのかな」
「わかんないわ。もともとこの後予定があるって言ってたし、そのことかしら」
どう見ても嫌々ながらに上映フロアを出た穂高が気になる。
あんなに焦った顔は、以前にも見たことがなかった。
猫かぶりで可愛くないやつとはいえ、さすがに心配だ。
「気になるよね」
恵太が小声で言った。
「そうね……」
「俺、ちょっと様子見てくるよ」
「ならわたしも」
美夏と恵太は上映フロアを出て、通路の柱にもたれかかる穂高を見つけた。
黒服のお兄さんはすでにおらず、穂高の顔からは血の気が引いていた。
「ちょっと穂高、どうしたの! だいじょうぶ?」
ただ事ではない穂高の様子に、美夏は穂高の震えている腕に触れた。
「美夏ちー……、わ、わたし、どうしたらいいかなあ……」
明るい声を出したつもりのようだけれど、穂高の瞳には動揺の色だけがありありと浮かんでいた。
落ち着かない様子で今にも泣きだしそうな表情だった。
「話してくれないとわからないから。いい?」
穂高はゆっくりうなづいた。
「えっと、じつはわたし……、今日、お父様の指示で、お、お見合いすることになってて……」
「お、お見合い! あなたの歳で?」
「うん……」
「それで、お相手はどんな方なんですか?」
恵太が真剣な顔で聞く。
「それが、わたしも詳しいことはわからなくて。知ってるのは簡単なプロフィールくらいで……」
美夏は絶句した。
いくらなんでもお見合いするにはまだ早すぎるだろう。
男子に慣れてるはずの穂高でさえ怖くて震えるくらいプレッシャーを受けている。
それが社長(たぶんお父さん)の厳命ってヒドイ! 封建社会じゃあるまいし、娘には断る自由もないってわけ!
「大病院院長の息子さんなんですって……。それはいいんですけど、ただ、年齢がわたしより十個も離れてるの……。十個よ十個。そんな人と話が合うとは思えないし、わ、わたしもう、嫌で嫌で……」
話して少し落ち着いてきたようで、穂高は顔を上げた。
「ごめんなさい、わたし、恵太くんを逃げる理由に使ってしまったの。ほ、本当にごめんなさい」
「そうだったんですね……」
恵太にもかける言葉が見つからないようだ。
無理もなかった。だって自分たちには、まだ縁遠い世界だと思っていたから。
いったいどう慰めればいいんだろう。
「穂高先輩。少し厳しいことをいうようですが、いいですか」
恵太が緊張したふうにいった。
「は、はい」
「あなたが不安なのはよくわかりました。たぶん、俺の想像以上に怖くて、そんな気持ちでいっぱいなんだと思います。ですが、そこをあえてお願いします」
「…………?」
「どうか、その方に会ってあげてください」
「ちょっと、恵太!」
美夏は口をはさんだ。それが怖いから穂高も困ってるのに!
「俺も男だから、なんとなく相手の方の気持ちがわかるんです。なんで予定より早くなったか、穂高先輩にはわかりますか?」
「い、いえ」
「あなたと同じですよ。怖いんだと思います。だって、歳が十個も下の女の子ですよ。落ち着かない気持ちでいっぱいのはず。でも怖いからって、じっとしていたらもっと怖いから、だから早く来ちゃったんですよ。男って、怖いものにはむしろ向かっていく人いますから」
美夏は息をのんだ。
言われてみればそうだ。お見合いとなれば相手がいる。自分は穂高の身になって考えていたが、その相手の気持ちを考えるまでは及ばなかった。
「なんでもいいんですよ。会ってみて、今日の天気とか昨日何を食べたかとか話して、それだけでいいんです。もしかしたら、相手はすごく良い人なのかもしれないし、意外と気が合うかもしれません」
「で、でも、それで気が合わないとわかったら……」
「その時はお断りするしかありません。会ってみて、それでだめだと思ったら、それはしかたないです。断るのってすごくしんどくても、そこを避けたらだめなんです。お断りを入れるのは最低限の礼儀というもので……礼儀がなくなったら、もう人の関係なんて成立しないと思います」
穂高は手の震えを止めるように、強く握りしめていた。
「だ、だめです。わ、わたし、断らなきゃって思うと、ど、どうしても……」
「ゆっくりでいいんです。そのときはあなたの言葉で、ゆっくり理由を伝えましょう。……俺もそういう覚えありますよ。高校に入って早々、副担の先生にこの茶髪を注意されて。『黒のほうが優性遺伝のはずだから、あなた染めてるのでしょう、ちゃんと黒に戻しなさい』って頑として聞かなくて。そこまで言われるんならもういいやって思って、一度は黒く染めようとしました。そうしたら母が言ったんです。『染めるのは構わないけど、あなたはそれでいいの。あなたの髪がブラウンの理由、先生にはちゃんと説明したの』って。言われてみれば、俺は面倒がってなにも説明なんてしていませんでした。言うだけ言って、それから先生に判断してもらおうって、そう思いました」
恵太は思い出し笑いをしていた。
この話は美夏にも覚えがある。恵太がママに相談していた時、自分も一緒にいたのだ。
「説明には苦労しました。優性遺伝といわれてもまったく詳しくなかったので、とりあえずメンデルの法則を一から読み直したり、小学生の頃からの友達に昔からこうでしたと証言してもらったり……。その甲斐あって、先生にはわかってもらえました」
美夏は、恵太のことばに違和感を覚えていた。
友達に証言してもらったって……たしかあのときは……。
恵太は優しく微笑んで、穂高の震えている手に触れた。
「俺、そんなに説明が上手いほうじゃありませんが、先生にわかってもらうことができたんです。穂高先輩にもきっとできますよ。そもそも、先輩のご両親が話の通じない人をオススメするとも思えません。もし、どうしてもだめそうだったら、その時は俺や姉さんを頼ってください。いつでも力になりますから」
「あ…………はい」
穂高の沈んだ瞳に光が戻っていた。
恵太をまっすぐに見すえ、手の震えも止まっている。
(……なんかもう、わたし、蚊帳の外感半端ないなー。穂高、めっちゃ熱い瞳で見つめちゃってるし)
今までは冗談めかして恵太に迫ってただけなのに、なんだか凄まじく悪い予感しかしない。
穂高は大きく息を吸った。
吸って、吸って、吸って……ハッ! の掛け声とともに空手でよく見る押忍の構えをとった。
ななな、なんだ急に!
「うん、気合が入った! どんと来いよ! これでもあたし、小学校まで空手女子だったのよねー」
「うわ~、似合わないわね」
穂高が小さなハンドバックから財布を取りだした。
いつもの上品な仕草がまったくないので、その辺の女子高生にしか見えなくなってきた。
「今日は本当にありがとう。恵太くん、美夏ちー、おかげでなんとかなりそう。それで申し訳ないんだけどぉ、帰りはこれでタクシー呼んでね」
まるでチューインガムでも渡すように穂高は三万円を差し出した。
「ほ、穂高先輩、こんなにいりません。すでにチケット代も出してもらってるし、帰りは自分たちでなんとかしますから」
「そうそう。わたしたちにもプライドってものがあるの。みじめでぶざまで見苦しい真似はしないっていうね。こういう施しは受けないわ」
金銭感覚の圧倒的な格差にたじろいでしまう。
こういうところは姉弟そっくりだった。
「じゃあ励ましてもらったお礼ってことにしといて! ごめん、もう行くね」
三万円を美夏の胸に押し付けて、吹っ切れたような満面の笑顔で穂高は駆けだした。
駐車場で黒服のお兄さんを待たせているのだろう。
「ちょっと穂高! 前から聞こうと思ってたんだけどさ」
美夏は、上映フロアに響きそうな大声で呼び止めた。
今聞いておかないと忘れてしまいそうなことがある。
「なにー!」
「美夏ちーの『ちー』って、どっからきてるのよ!」
一年前、初めて教室で会ったときからそうだった。
物珍しそうにわたしに話しかけてきたかと思うと、名前を聞いて開口一番、
『じゃあ美夏ちーだね』
そう呼んだのだ。
いや、じゃあじゃないわよ。なんでなのよ。意味わかんないから。
「それ、あたしなりの親愛の印だからー!」
「ますます意味わかんない!」
そういうと穂高は、迷いない足取りで、再び駆けだしていった。
「いやー、穂高先輩、みちがえたね~。元気になったみたいでよかったな~」
恵太が嬉々として言う。
「そう? わたしはすごく面倒くさいことになった気がするのよね。ああもう、このお金どうすりゃいいのよ」
「また今度会ったら返そうか」
「にしてもあいつ、もう完全に猫かぶるのやめてたわね」
「ああ……やっぱり、けっこう無理してたんだな。そりゃそうか。姉さんの友達だし」
「おい、どういう意味か詳しく」
この野郎、類友とでもいいたいのか。
恵太の胸ぐらをつかんですごんでみたが、弟のほうが背が高くいまいち迫力がでない。
「すいません! 深い意味はないです。もう言わないから許してください!」
「まったく。生意気な弟め」
「それはそうと! 穂高先輩って飾らない感じのほうが似合ってるよね。俺は今の穂高先輩のほうが好きだな~」
「ふーん……。好きって、どういう好きなの」
これ以上にないくらい目を細めて睨む。
「あ、いや、そういう好きじゃなくて。俺、いまはちゃんと付き合ってる子いるし!」
「あらそうなの。いま初めて知ってびっくりだわ」
ウソだけど。
「でも、ちゃんと付き合ってる子がいるなら、今日ホイホイと穂高の誘いに乗ったのはどういうわけなの」
確信をついた質問をしてみた。
答えがわからないときはまっすぐいってストレートパンチに限る。
恵太が死刑執行を受ける囚人のような顔をしたかと思うと──、いきなり出口に向かって走り出した。
「こらーっ、逃げるなっ!」
脱走した囚人を追う刑務官のような形相で、美夏は後を追った。
その日の夜。
お風呂に入ってさっぱりしてストレッチしていたところで、美夏のスマホが鳴った。
発信者は水城舟穂高であった。
猫かぶりで男好き、でも男の人に臆病なところもあった友人。
本当は男好きという性格自体が猫かぶりで、自分を助けてくれる白馬の王子様を探してたのかもしれない。
相変わらず出たくないけれど、今日なんだかんだで奢ってもらった手前出ないのも気が引ける。
押し付けられた三万円もまだ返してないことだし。
「もしもし。穂高?」
「やっほー美夏ちー。一応、今日のお見合い、報告しとこうと思って」
「だいぶ嬉しそうね。まあ、その様子だとうまくいったってところ?」
「うん、まあねー」
うん、やっぱりこいつ軽いわ。
「恵太くんの言った通りだった~。向こうも超緊張しててね~。女子高生と何話せばいいんだーってね。一回吐いたって聞いてお互い大笑いよー」
「ああ、そうだったんだ」
我が弟は恋愛事に関しては一家言あるからな。無駄に。
「恵太くんに、ありがとうって言っておいてくれる? ちょっと照れくさくて……」
「はいはい、ちゃんと言っておくから」
「お願いね」
「それにしてもお見合いうまくいってよかったわね。もしかしたら、将来は結婚までいったりするかもね」
「ああ、それはないない!」
「え?」
「とってもいい人なんだけどね~。やっぱり歳の差あるしさ。向こうもわたしのこと妹みたいだって言ってたし、お互い親の命令でしかたなくよー」
「そっか。なら、断る理由はちゃんと考えた? その人は理解してくれても、相手のご両親とかを納得させられるやつ」
「もちろん。好きな人いますからっていうよぉ」
「…………は?」
「あたしね、あたしのこと、ちゃんと考えてくれる人とは付き合ったことないのよねー」
「ねえ、ちょっと、なんかパターン入ってるから!」
「ハーフの子と付き合いたいなんて、失礼なこと言ってたのが恥ずかしいわ~。大事なのって、中身だよねー」
「やめて。……本当、一生のお願いですから!」
やばいわ。こいつ、ぜんぜん変わってない!
「というわけで、あらかじめ美夏ちーには断っておくからねー。今度は素のあたしで勝負よ!」
そういうと穂高は一方的に通話を切った。
美夏は、窓からスマホをぶん投げたい衝動を堪えて、心の中で叫んだ!
恵太! なんてことしてくれたんだあっ!