うちの弟がチャラすぎる①
あの女、なにをぬかしとんねん!
美夏は、憤りもあらわにスマホの画面を睨みつけた。
唐突に恵太に電話してきたかと思えば、映画館に行きたい?
ひとりで行ってろって感じだ。
ええい、でも恵太が行くと言ってしまったことだし。
彼女持ちのクセになに即答してんのよあのバカ。
せめて穂高がいやらしいことをしないように尾行して見張るべきだ。
でも問題がある。
あの女は、わたしが弟の後ろをつけまわす保護者(兼ストーカー)だと知っているのよね……。
正直、後ろをこそこそ付いていってもできることはたかが知れてるし、ここは攻めの一手を打ってみよう!
美夏は意を決して、勢いよく恵太の部屋のドアを開けた。
「恵太! これから穂高が来るみたいね! わたしも一緒に行くわ!」
「え、な、なんで知ってるの?」
上着を着替えていた恵太が振り返った。
わけがわからずびっくりした顔だ。
あ、しまった。今の発言、めっちゃ危ないわ。下手すると盗聴してるのがばれちゃう。
「わ、わたしにもお誘いが来たの。ほら、わたしって、穂高とは友だちだから」
白々しさがすんごいことになってきた。実際は疎遠に近いのに。
「ああ、そういうことか~。わかった。穂高先輩が迎えに来てくれるっていうけど、どうやって迎えに来るのかな」
「……さあ?」
タクシーでも出してくれるのかしら。
外行き用に服装を整えて、穂高の言葉通り二十分後、家の前に迎えの車がやって来た。
それはただの車ではなかった。
リムジンというのだろうか。アメリカ大統領が乗っていそうな、日本の住宅地にはまったく似つかわしくないダークカラーの高級車である。
恵太なんて開いた口が塞がらない。だからそれやめなさいって。
まるで防弾ガラスのような黒く鈍い光沢を放つ後部座席のパワーウィンドウが開いた。
「ごきげんよう」
穂高がメイクバッチリのニッコリ笑顔でいう。
いつものショートボブではなく、髪はストレートに梳かされていた。
「ほ、穂高……、なにこのすっごい車。どんな悪い人を抱き込んだの?」
ちょっと待ってほしい。今まで穂高のこと、お嬢様みたいな一般人だと思ってたのに、これじゃあまるで……。
「抱き込んだなんて人聞きが悪いわね、家の車に決まってるでしょ。というか美夏ち……じゃなくて、美夏さんも来るのですか。私、あなたにお声をかけた覚えがないのですが」
顔は笑顔なのに、穂高の目は笑っていなかった。
「あら、去年は学校帰りにいろんなお店見て回ったじゃない! たまには一緒にいいでしょう」
是が非でも置いて行かれるわけにはいかないのだ。
内心の動揺は抑えつつ応えていると、恵太がこっそり耳打ちしてきた。
「姉さん、知らないの? 穂高先輩の家は、アクアナーヴィスっていうキャンプ用品を扱った有名な会社らしいんだ。この人、正真正銘のお嬢様だよ」
「ええっ、ウソでしょ!」
穂高ったらそんなの一言も言わなかったじゃない! キャンプ用品ってなに? 社名がラテン語っぽいのが微妙にイラっとくるわ!
「穂高先輩、わざわざ迎えに来てくださってありがとうございます。……本当、すごい車ですね」
恵太がいつもの爽やかな笑顔で、穂高に声をかけた。
「いえいえ、こちらがお誘いしたのですからこれくらい当然です。それよりもごめんなさい。本当はもっと大きい車を出したかったのですが、すぐに出せるのがこれしかなくて」
「い、いえ、全然、こちらで十分過ぎます」
女性相手だとめったにうろたえない恵太でも、さすがにとまどいが隠せていない。
「はあ。美夏さんも一緒に来たいというのならしかたないですね。どうぞ」
穂高は、あきらめたようにため息をついた。
イエス! そうでしょうそうでしょう。ここで姉のわたしを置いていったら、恵太の心象が悪くなるしね。
リムジンの助手席側から、いかにもな黒服サングラスのお兄さんが出てくると、美夏たちをエスコートするようにドアを開けた。
ドア自体がまるで装甲版のようにぶ厚い。車というより要人警護のための要塞といったほうがいいかもしれない。
通りすがる人も興味の視線で見つめていた。
美夏が乗り込んだ車内は、運転席を除けば七人程度は入れそうなほど広い。
内装は見たことがない造りをしていた。
天井はムーディなイルミネーション付き、穂高の座った後部座席を除けば右側全体が本革ソファになっていて、その反対はドリンクのキャビネットで埋められている。
人生初すぎて、美夏は胸が躍り出しそうだった。
穂高のお嬢様っぽい猫かぶりモードも健在だ。
タックフレアスカートのツーピース服で、悔しいが落ち着いた大人の女性っぽく見える。
パーティのドレスコードに配慮したような感じが上品っぽい。
服装だけでなく、背筋の伸ばし方、手の組み方、足のそろえ方に至るまで清楚で美しく、本当のお嬢様っぽく見えてきた。
適当なスキニーのデニムパンツで来てしまった自分がお子様みたいで敗北感がヤバい!
「穂高先輩、いつもと感じが違いますね。髪型といい服装といい、似合っててとても素敵だと思います」
恵太も場の雰囲気に慣れてきたらしい。
自分が思っていたことをほぼ代弁していた。
でも恵太、ちょ~っと黙ろうか。
「ありがとうございます。あなたも素敵ですよ。恵太くんは、本当に褒め上手ですね」
満更でもなさそうに穂高がうっとりした表情で頬に手を当てた。
だから、こいつの好感度なんか稼ぐなって。
「ご歓談中失礼いたします。お嬢様、ご理解頂いているとは思いますが、本日は重要なご予定もございますので、そのつもりでお願いいたします」
運転手席の仕切りが開いて、黒服のお兄さんがいった。
「わかっています。それまではまだ時間があるのですから、こうして映画を見に行くくらいいいでしょう」
「どうぞよしなに」
そういうと黒服のお兄さんは引っ込んだ。
なんだか映画のワンシーンみたいなやり取りにたじろぎそうだ。
「なあに、穂高。今日ほかに用事でもあるの?」
「べつに大したことじゃありません。それよりもさあ、出発しますよ」
少し不機嫌になった穂高が運転手へ鷹揚にうなづくと、リムジンは発車した。
到着した東宝シネマズの駐車場で、黒服のお兄さんがリムジンのドアを開けた。
「ご学友の方たちからどうぞ」
指示に従い、恵太、美夏の順で降りた。
すると、恵太はおもむろに、降りようとする穂高の手を取った。
「穂高先輩、足元に気をつけて」
「あ、ありがとうございます」
穂高はスカートの裾を持ちながら、恵太にエスコートされていた。
……なんだこれ。馬車を降りる姫の手を取った王子様かなにか?
ここ日本なんですけど。
こうして目の当たりにしてみると、恵太から少女漫画みたいな謎のキラキラ粒子と咲き誇る薔薇が見えてくるから恐ろしい。
我が弟ながらなんやねんコイツ。
穂高がまーたうっとりした表情になってるし。
だーから、そうやってさらっと女性の手に触るなと何度言ったら。
黒服のお兄さんを見てごらんなさい。あんまり堂に入ってるもんだから口があんぐり開いちゃってるわよ。
映画館のある2Fフロアに昇るエスカレーターで美夏がいった。
「それにしても穂高ったら、本物のお嬢様だったのね。わたしちっとも知らなかった」
「まあ、どなたにも言っていませんでしたし。お付き合いしていた方にも、家のことまでは話しませんでしたので」
「別れた男子、あなたの素性知ったら泣いて悔しがりそうね」
逆玉の輿ってレベルじゃないもんね。
「そういうのがイヤだから黙ってたんです」
穂高がぷいっと顔をそらした。
富めるもの特有の悩みというやつか。
種類は違えど、自分もハーフであることに少し悩んだ時期があるので気持ちはわかる気がした。
本当に気にしてるみたいなので、からかうのはよしておくか。
「穂高先輩、そういえばなんの映画見たいですか。今からの時間だと……ハリウッドの新作か、屍滅の刃が同じ時刻にやってます」
恵太がスマホをフリックしながら上映中の映画を調べていた。
美夏としては屍滅の刃が見たい。映画ランキングの上位を独占するアニメがどんなものかすごく気になる。
「そうですね……勝手を言わせていただけるなら、屍滅のほうで」
穂高がうやうやしく頭を下げた。
「すみません。先にお化粧室に……」
「ここで待ってますのでどうぞ」
「じゃあわたしも」
穂高に相乗りして、美夏はトイレに向かった。
用が済んで手を洗っていると、化粧を直していた穂高が沈黙を破った。
「美夏ちーさぁ、いつもこうやってついてきてるの? 恵太くんのこと可愛くってしかたないのはわかるけどさぁ。ちょーっと干渉しすぎじゃない? ブラコンなん?」
少し違う。あいつが可愛いのは、うんと小さかった頃だけだ。
「穂高……あなたにはわからないでしょうね。これは滝沢家の平和に関わる問題なの。あいつを野放しにするのは危険なのよ。わたしはね、恵太の才能を目覚めさせないために、身を粉にしてガンバらなきゃいけないの!」
「……ごめん。ちょっとなにいってるかわかんない」
なんだその宇宙人を見るような目は? マジのマジで語ったのにさ。
土曜日の三時頃。映画館の込み具合はピークを過ぎており、さして待つこともなくチケットを買うことができた。
穂高の強い希望もあって、お金は全部彼女持ちだ。
「穂高先輩、俺と姉さんの分まで、本当にすみません。このお礼は後日かならず……」
「そんな気になさらないでください。今日は私がお時間を頂いているのですから」
穂高はそう言いつつ、美夏にはびっくりするくらい厳しい目を向けた。
あなたはついでよ、と無言で告げてくるので実に憎たらしい。
指定席では、どういう順番で座るかで揉めた。
美夏は奥から恵太・美夏・穂高の順にしてほしいといい、穂高は奥から美夏・穂高・恵太の順にしてほしいという。
そうこうしている間に上映前のCMが始まった。
他のお客の迷惑なので、折衷案として美夏・恵太・穂高の順で座ることになった。
「穂高、できればもっと遠慮してくんない?」
「まあ、むしろ連れてきてもらった美夏さんのほうが遠慮するべきでは?」
「あの、ふたりとも、もう始まるのでそのあたりで……」
映画が始まっても、穂高は映画そっちのけで恵太の手を握ろうとするので、暗闇の中こっそり自分の手を伸ばして握らせてやった。
穂高の指の絡めが淫靡というか卑猥というか。
例えるなら、地球滅亡を目前にした二人の男女の燃え上がる一夜。
エロすぎていやがおうにもヘンな気分になってくる。
そんな中、二人に挟まれた恵太は、すごく窮屈そうであった。