3、変装メイドは怨嗟を奏でる
私エマはお嬢様付きのメイドですが、自由時間は意外と多いのです。というのも、学生寮にはハウスキーパーさんがおりまして、掃除や洗濯などは任せてしまえるのですね。
家ではお嬢様の側にいない時も常に何かしらの仕事がありましたが、ここでは仕事がほとんど無く、お嬢様の授業中は一人です。
恐らくこの人生で初めてともいえる完全な自由時間に、私は趣味を身につけてみることにしました。まだ特に何も考えてはいませんが。
私はお嬢様のわがままもといお願いによって様々な技術を身に付けています。それらも楽しいと言えば楽しいのですが、既に習得したものを趣味にするのも些か味気ないでしょう。
なので、かねてより興味のあった楽器演奏に手をつけることにしました。習得したらお嬢様に聴いてもらいましょう。
早速、街に繰り出します。学園のある城下町は大勢の人で賑わっており、メイド服の私は少し目立っていますね。
思えば私、メイド服以外の服すら持っていませんでした。楽器店に向かう前に適当な服屋を選び、普段着となるものを買います。
しきりに色々な服を薦めてくる服屋さんでしたが、多く買っても使う機会は少ないので一着だけ……いえ、これはお嬢様に似合いそうですね。二着だけ購入しました。
私の服は、帽子、シャツ、それにサスペンダー付きの短パンです。ちょっとチャレンジングで、この格好ならお嬢様にもすぐ私だとは分からないかもしれません。
驚くお嬢様の顔を想像しつつ、楽器店に入ります。服屋とは打って変わって、落ち着いた雰囲気のお店ですね。
楽器と一口で言っても多種多様ではありますが、今回の条件は一人用で、持ち運びが簡単なことです。主に吹奏楽器や弦楽器などでしょうか。
一通り店内を見回して、私は白く塗られたバイオリンに目を付けました。なんだか格好いいです。
お値段は張りましたが、お賃金は今まで全く使っていなかったので一括でドンと払います。驚いた顔の店主さんが印象的でした。
まあ、お賃金が出ていたことを知ったのは学園に来る直前だったんですけどね。あの時の私も今の店主さんみたいな顔をしていたと思います。
バイオリンケースと服二着をもった活発そうな格好の女の子。当然、学園の門で止められてしまいました。
メイドと言っても信用して貰えなかったので、メイド服に刺繍された家のマークを見せてやります。するとあら不思議、兵士さん達は人が変わったように私を丁重に扱い始めました。面白いですね。
私がメイド服を脱ぎっぱなしだったのが悪いので兵士さん達にはきちんと謝っておきます。家の力を振りかざすのは良くないと常々お嬢様も仰っていました。
さて、寮に戻った私ですが面白そうなので服はこのままにしておきます。お嬢様への服とメイド服は壁にかけて、バイオリンをケースから取り出します。
何かを初めてする時は、いつも胸が高鳴ります。これからどんなことをしようとか、どんなことができるだろう、とか。現実はそう簡単にはいかないものですが、始める前には色々と考えますよね。
今回のバイオリンもそんな期待を胸に弓を手に取り、首あてをはさみ、初めのひと引きを……
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……ここまで鮮明に現実を思い知らされたのは初めてです。今まではやった事がない事でも割と簡単にできていただけに、衝撃もひとしおでした。
地獄の怨嗟を奏でた犯人バイオリンは、私の手の中で知らんぷりしています。くそう。
しかし、千里の道も一歩から。焦ることなく粛々と練習を続ければ、いずれ報われる日も来ることでしょう。
それからしばらく弾き続けましたが、一瞬いい音が出たと思ったらまた酷い音が出るの繰り返しです。掴めそうで掴めないこのコツは、私の趣味とするのに申し分ない難易度でしょう。
そろそろお嬢様も帰ってくる頃合ですし、今日は終わりにしますか。バイオリンケースは見つからないように隠して、部屋を整えます。
私の姿を見て、お嬢様はなんて言うでしょうか。折角なので、口調も変えてみてもいいかもしれません。
リリアちゃん……なんて。ふふ、少し照れくさいですね。おっと、噂をすれば戻ってきたようです。
お帰りなさい、リリアちゃん。
……リリアちゃん? 鞄落としたよ?
……お、お嬢様?
ぶっ倒れなさられた!? 驚かせてごめんなさい、お嬢様ー!