如月如鏡と愉快な仲間達
ほぼ、初の探偵ものです。是非ご批評ください。
俺の名前は裏山詩歌。
ん?なんて読むのかって?
そのままよめ!
うらやましいかだ!
え?もちろん、俺はなにも羨ましくない。
はいはい、そのへんのイジリは小学生のころから慣れ親しんでるので全然凹まないぞ。
しかし、あんまり執拗いと手が出るかもな......気をつけろ。
なにせ、おれは裏山流師範代の裏山竹刀を父親に持つ正当後継者だった男だからな!
え?聞いたことない?ま、裏山流裏拳はどちらかというと、秘密裏に開発され裏の社会では、ある意味最強と謳われた秘拳であるからして.......まぁ、知らないのも無理はない。
え?父親の名前はなんて読むのかって?
だから、そのままよめ!
うらやましない、だ。
ん?なんで、同じ轍を二度踏んだのか?
それは、俺にもわからない.......相当なトンチンカンなのか、もしくは壮大な嫌がらせ、もしくはドッキリ、もしくはわざと崖からわが子を落として見るというネジ曲がった愛情表現なのかもしれない。
いづれにせよ、一つだけいえることは、私は探偵であるということだ。
いや、それは、ある意味あってるが、ある意味間違いともいえる、厳密には(探偵だった)が正解かもしれない、もしくは、(探偵でありたかった)だろうか?
私は20歳の頃確実に探偵業というものをやっていた。
しかし、もちろんの事、ドラマや小説にでてくるような探偵とは似ても似つかないことを生業としていたのだ。
つまり、浮気調査やら身元確認やら迷い猫の捜査やらだ。
もちろん、それらの仕事もある意味ヤリガイがなかった訳ではなかったのだが同業者の台頭によってどんどん収入が減って行ったことや生まれつきの夢見がちな性格(現代では中二病とかいうらしいが)のせいで、自分探しの旅にでも出ようかと迷っている25歳の秋に衝撃的な出会いがあった。
それが、如月家という名家のお嬢様のボディガードを引き受けるというところからはじまるのだが(お嬢様といっても、まだほんの子供なのではじめは痴漢や変態などから守る為に呼ばれたと思ったのだが、そうではなかった)
このお嬢様が、とんでもなく危険な存在であることに、あとあと気が付かざる負えなくなるのだった。
というか俺1人では荷が重い。
最近そんな気がしてきた。
これから話すことは、最初に俺が如月家に足を踏み入れた時の話だ。
色々と驚かされる事が多かったので、今でも鮮明に覚えている。
しかし、特に驚いたのは、やはり、少々の事では動じない俺をたじろがせた雇い主だった。
これが、如月家...。
俺は昔の友人のツテでボディガードを引き受ける事になった如月家という知る人ぞ知る名家の前にたっていた。
紹介者からお城の様な家と聴いていたのでどんな大邸宅かと思っていたが、信じられないほどでかいということもなく、綺麗な庭と大きめの家があるだけだった。
しかし、門はしっかりしているし、セキュリティの為かあちこちに監視カメラが設置されている。
今も監視されている気がする。
思わず胸ポケットに手を延ばしかけて、ふと思い直す。
しばらくして門が自動的に開いてまるで
「入ってきていいよ」
と言ってるようなので遠慮なく入っていった。
中にてくてく入っていくと、さらに分厚い玄関が待っていた。
なんだこの扉、取っ手がないぞ。
俺はおそるおそるインターホンのボタンを押した。
ぴんぽーん
「あ、あの、ボディガードの依頼を受けた裏山です。」
しばらくの沈黙のあと。
いきなり扉がひらいた。
というか、横にスライドした!
「横?!」
思わず声をだしてしまった、横か!
なるほど、取っ手が無いわけだ、取っ手があったら、途中でつっかえるもの!
そんな事を考えながら、営業スマイルをしてお迎えの人が立っているのを待っていると、目の前には誰も立っていなかった。
ん?これは勝手に上がってこいってことなのかな?
セキュリティが高いのか低いのかよくわからない。
それにたしかに、雇われる身と雇う身ではあるが、だれも出迎えないのはちょっと失礼な様な...。
などと、考えていると、奥の方の扉が開いて、誰かが顔を出した。
ん?お嬢様、にしては随分とお年を召しているような...。服装は白い襟に黒のシンプルなメイドの様な格好をしている。
そして、ゆっくりとこちらを伺うような目で見てから手招きをした。
手招きって俺は猫かなにか?
憮然としながらも入っていくとニコニコしていたそのメイドのような女性がドアを開けて中に入る様に無言で促した。
俺が部屋に入るとそのメイドらしき女性は後ろからいきなり手首を掴んで関節技よろしく捻り上げてきた。
「うわあぁあ!なにするんですか!?」
「なにって、テストですよ。」
あ、なるほど、テストね...て、急だな(汗)。
俺はどうしようか迷ったが仕方ない、交戦することにした。
俺はひねりあげていると思っているであろう場所よりもう少し上まで曲がる事を隠していた。
そんな微妙な事を隠していた事が何になるかって?
こういう関節技は完全にきまっている事に意味がある。
きめられている状態では余裕がない、しかし、完全にきまってさえいなければ色々出来るのだ。
俺は俺の腕をきめている相手の手の急所を突いた。
いわゆるツボってやつだ。
ケンシロウほどの威力はないが、思わず手を離してしまうほどの威力はあったようだ。
すかさず相手の腕を逆にひねりあげた。
「痛たた、ちょっと!痛いじゃない!」
すると奥の方からパンパンと手を叩く音がして正にお嬢様然とした少女が姿を現した。
「はい、そこまでよ、だからテストなんて止めようって言ったのに、バアヤが聞かないから。」
「申し訳ありません、お嬢様。」
バアヤと呼ばれた好戦的なメイドさんはそう言った。
俺は、お嬢様を見て驚いて関節技をきめていた手を緩めてしまった。
まるで、お嬢様を絵に描いたような少女。肩より下に伸びた漆黒のロングが白い服とコントラストを際立たせていた。
しかし、その目の奥に言い知れぬ何かを感じて俺は僅かにたじいだ。
メイドはすかさず、俺の手を振り払って逆に捻り上げた。
「ふっ、油断したね!」
俺は今度はバアヤのなすがままにさせていたが、思いがけず、お嬢様が助け舟を出してくれた。
「もう、いい加減にしなさい、探偵さん困ってるじゃない。」
「しかし、このバアヤに簡単に捕まる様では、とてもボディガードなど務まりません。」
「それは、バアヤが元合気道の先生だからでしょ?それにその人、まだ、全然本気ではないとおもうわ。」
「それは。」
たしかに、俺は裏拳どころか、あらゆる打撃系の反撃はしていない。
たぶん裏拳の使い手と言うことを知っているのだろう。
メイドさんは納得したのか、渋々といった様子で俺を解放した。
「フェミニストなんですよ。」
俺は半分本当で半分嘘の台詞を吐いた。
実際女に手を挙げたくないというのはあったが、実力者であればそうも言ってられない。
しかし、それをそのまま言ってしまうと彼女のプライドを傷つけてしまうかもしれない。
「本当にフェミニストなのね。」
お嬢様はそういうと全てを見透かす様な目でこちらを見た。
自然と汗がコメカミのあたりから流れ落ちた。
俺は不思議な感覚に囚われていた、目の前に居るのはいかにもと言ったお嬢様なのだが…俺はその少女に睨まれて冷や汗を流してる。
この感覚は...たしか、昔俺がかなり弱かった時に格上の格闘家と対峙した時の感覚と酷似している。
「あ、あの...。」
俺はこの不可思議な呪縛からなんとか逃れる為になんでもいいから質問する事にした。
「なに?」
う、言葉につまる、なんだこの威圧感は。
「あのーこちらのメイドさんですか?バアヤって呼ばれてましたけど、そんなにお年を召している様には見えないんですが...なぜなんです?相当お化粧が上手いとか?」
最近では特殊メイク並の化粧を施せる人もいるらしい。
「あーその事ね、それは本人から聞いた方が良いかも…。」
「桜庭彩。」
唐突にメイドさんが口を開いた。
「へ?」
「だから本名がサクラバアヤなのよ、おわかり?」
「あ…あー!」
なるほど、本名の下の方を取ってるのか...でも、なぜ?
「あの、しかし...。」
「なぜ、サクラの方で呼ばないのか?でしょ?それはバアヤのプライドが許さないんだって。変でしょ?」
そう言ってお嬢様は笑った。
俺は心底ほっとした。
笑うと普通の女の子なんだ。
「言っときますけど、私をバアヤと読んで良いのはお嬢様だけですからね!」
桜庭彩に釘を刺された。
「では、なんとお呼びすればいいですか?」
「それは普通に桜庭さんで良いですわ」
「はい、了解しました、サクラさん。」
「サクラではなくてサクラバさん!」
「り...了解。」
俺はまた、背広の下のワイシャツのポケットをチラッと見るような仕草をした。
「なに?拳銃でも隠し持ってるの?」
バアヤにそう言われて勢いよく頭を振った。
「まさか、武器なんてもってませんよ。」
「バアヤ、それは廊下を歩いてくる時に分かってるはずでしょ?意地悪はよくないわ。」
「え?なんで?」
なんで、廊下を歩いてくるだけでそれがわかるのか俺には分からなかった。
「にぶいね、あんたが通ってきた廊下にちょっとした仕掛けがしてあるの、あんた携帯くらいしかもってないわね?」
「え?」
ばあやは誇らしげに続けた。
「いわゆる、X線のようなもので武器をもってないかAIが判断して...。」
「ちょ、ちょっとまってエーアイって?」
「この家を守っているAIのKISARAGIさん、もしも武器を持っていたらあんたは自動的に隔離されて無力化されるようになってる。」
「む、む、無力化とは?」
「んー、それは聞かない方がいいんじゃない?」
俺は生唾をゴクリと飲み込むと言葉を続けた。
「それは、すごいね...でも、他の方法で入ってきたりしたら...。」
「この家にほかの出入口はないわ..。」
なるほど、すごいセキュリティだ...大方、ドアが横にスライドするのも訪問者がドアの後ろに隠れる死角を無くす為なのかもしれないな。
「なるほどね、たしかにこれは、ある意味お城、、いや、小さな要塞って感じだな。」
俺にここを紹介してくれた奴も多分外見の見た目というよりこのセキュリティの事をお城に例えたのかもしれない。
それはそうと、俺は1番聞きたい事を聞くことにした。
「あの、それで、、俺は、、いや、私めは採用って事でよろしいので?」
俺は一応、おそるおそる聞いた。
今のところ大きなチョンボもしてないので自信はあるのだが...。
「そうね...。」
お嬢様は少し考えて言った。
「禁煙をこのまま続けるなら採用よ。」
「え?そりゃどうも...え?」
俺はちょっと混乱して言った。
なぜ、禁煙してる事を知ってるんだろう?
俺が禁煙を始めたのは3日前だ...。
俺はブログもやってないし、Facebookもしてないし、友達も少ない。
いや、見栄を張るのはやめよう、友達はいない!
いや、いるにはいるが、頻繁にあってなにかするって友達は地元にしかいない。
探偵を雇ったにしても、少なくとも1週間前から、俺を監視してなくてはならない...しかも、一応探偵でもある俺にバレないように、だ。
そんなの監視してなくてもゴミなどから推察できるだろって?
俺は家のゴミが出ない生活を無意識にしている。
生活のなかの情報はゴミの中で大体わかってしまうことを知っているからな。
しかし、完全に俺に気付かれずに俺を監視していた探偵が居たとすると...。
ちょっと、ショック。
仮にも俺は探偵だぞ!
ていうかそんな凄腕の探偵いるならそいつを雇えよ!
いや、探偵の腕前というより裏山流の腕を見込まれてということなのか?
「なぜ、禁煙してるのが分かったのかわからない...みたいな顔をしてるわね?」
「は、はあ、大方凄腕の探偵でも雇ったんですか?」
「なんで?あなたが自分で言ってるのよ。」
え?心の声が聞こえるとか?
オカルト的な?
おれはそんな訳ないと思いながらも、目の前のこの少女なら或いは...と思い始めていた。
そういう超常的な雰囲気を醸し出していた。
池照
所変わって、とあるコンビニの前。
何台ものパトカーが前に止まっている。
警官がそそくさとkeepoutと書かれた黄色いテープで結界でも張るかのようにお店の周りに巡らしている。
そこに、1台の黒い乗用車が止まると、中から愛嬌のある中年とモデルみたいな青年が降りてきた。
野次馬をかき分けて中に入っていく様子からして、刑事なのかもしれない。
「おい!刑事どないなってる?」
「どないって言われましても、自殺じゃないですか?岩井さんはどう思います?」
刑事と呼ばれた男はコンビニのトイレを覗きながら言った。
「せやな、密室やしな」
コンビニのトイレの中で30代くらいの男が死んでいた。
一応、一課の暇な2人組が様子を見に行かされていた。岩井と池照である。
その様子を横で見ていたコンビニの店長が言った。
「え?2人とも刑事さんなんじゃないんですか?」
「せやけどもなにか?」
岩井が憮然として答えた。
「今こちらの若い方を刑事さんて呼ばれませんでした?」
「あぁ、そのことかい。」
岩井は少し口の端を上げながらいった。
「こいつの名前が刑事なんや、刑事って名前の刑事、けったいやろ?しかも苗字が...。」
「岩井さん!」
池照は堪らず口を挟んだ。
「業務以外の事を喋らないで下さいよ!しかも個人情報!」
「個人情報っておまえ」
「そんな事より、この遺体、変じゃないですか?」
「ん、どこが?て、おまえ、そないな事ゆうて話題をそらそうと」
「いえ、ちがいますよ、ここ!見てください。」
たしかに、自殺にしてはおかしな部分があった。
「ん?どこが?当たり前やろ?トイレやし…。」
先輩刑事は言った。
「いや、トイレでもおかしくないですか?」
後輩の刑事は食い下がる。
「ズボンを脱いで自殺なんかしますかね?」
たしかに遺体はスボンを履いていない状態で簡易衣紋掛けのような所にベルトを通して首を釣っていた。
足は完全に付いているが全体重を乗せればそれで、首吊りというのはできるのだ。
「失禁してズボンを汚したく無かったんやないか?」
岩井は一応言ってみた。
「なぜです?」
当たり前の反論を池照は述べた。
若干の沈黙の後に岩井は言った。
「知らんよそんなもん。自殺しようなんて人間の思考回路なんてわからん…せやけども密室なんやで?」
たしかに、コンビニのトイレに付いている簡易なものとはいえ密室は密室だ、上から吊るされるタイプの横にスライドするドアなのでドアの下に僅かな隙間はできるがそこからどうこう出来るとも思えない。
単純に考えれば自殺だが...。
池照はある、少女の顔がチラリと脳裏に浮かんだ。
あの子ならなんていうだろう...。
いやいや、何考えているんだ、相手はタダの子供だぞ。
…いや、タダの子供では...ないか。
池照はもう1度被害者の服装に目を落とした。
「ん?あれなんですかね?」
「ん?なんや?」
池照が指を指した先には不自然に膨らんだ被害者の上着のポケットがあった。
「気になるなら調べて見たらどないや?ただ気いつけてな…先っちょに猛毒のぬってあるイガグリが入ってるかも知れへんからなあ?」
「Xの悲劇ですか?脅かすなら、もっと現実的な事を言って下さいよ。」
「いや、あれも充分現実的な凶器やろ?まあ、やったやつは見たことないんやけど…。」
そう言って岩井はフッと笑った。
池照は何故か岩井と組まされる事が多いのだが、一体どこまで本気でどこから冗談なのか未だに理解できないでいる。
それでも、多少なりとも気味の悪さを感じた若い刑事は、恐る恐るポケットの中身を調べた。
「ん?これって...。」
「くすり...やな。」
「ですね。」
中から出てきたのはビニールの袋に入った錠剤だった。
「ハルシオン...。」
「ほう...。眠剤か。」
「ガイシャは不眠症だったみたいですね。」
即効性の高い睡眠導入剤を見つけて池照はそう言った。
「いやあ、この場合違う使い方をしたって可能性の方が高いやろ。」
そういうと、岩井は首をコキッと鳴らした。
「違う使い方というと?」
「こういう自殺の場合はやる前に眠剤を飲むって奴も多いんよ。」
「え?なぜです?」
「なぜって...そのほうが、確実やし、くるしくなさそうだからやないか?」
「くるしくないんですか?」
「え?...知らんよそんなもん!やった事あらへんのやから!」
「…ですよね。」
若い刑事はそうは言ってみたものの、釈然としない不協和音の様なものを感じていた。
―理由―
裏山詩歌は禁煙したことを見抜かれて、様々な憶測を立てたが解答を見つけられずにいた。
「とりあえず、ティータイムにしません?」
という依頼主の言葉で詩歌の疑問は一旦保留にさせられたが…。
全てには理由があった。
俺は如月家のお嬢様がテレパスなのではないかという疑惑を抱えながら紅茶をご馳走になっていた。
「あの...。」
「なに?砂糖ならないですよ、代わりに蜂蜜ならそこに...。」
「いや、そうじゃなくてさっきの質問に答えて貰ってませんが...。」
「あ、そうでしたね…わすれてました。でも御自分で言ってるんですけどね。禁煙してると…。」
え?いや言ってないし!
知らない間に言ってたらヤバイやつだし!
「あの…生憎ですが…オカルトとか超能力は信じない質でして。」
「オカルトではなく推論という奴です…。探偵さん、このお屋敷に入る前に背広の胸ポケットをチラリと覗きましたよね?」
やっぱり監視されてたのか!
まぁ、それはいいか…。
「それで?」
「初めは何かの記録用の装置、もしくは非常用の武器でも仕込んでいらっしゃるのかと思ってましたが...。そうではなかった。」
「もちろん。」
「だとするとそれは、なにかを探したんですね、でも、本気で探すなら全身を探すはずですね?しかし、そうはしなかった。」
「まあ」
「それは、そんな事をしても無駄なことを知っているから、つまり、持っていない事を思い出したからです。」
「なるほど」
「しかし、同じ仕草をさっきもしましたよね?」
「たしかに」
「それはもう常習性があるなにかを持っていないにも関わらずつい探してしまうほどのなにか?ということになりますね。」
「それで、煙草か...しかし...。」
「たまたま、今だけ切らしているという考えも出来ますね。」
「そうではないと?」
「そうではないと思える事が二つ、一つはライター、一つはワイシャツの胸ポケットのシワです。」
「ライターを持ってないからってのは分かるけどシワは?シワなんてないよ?」
「そう、無いのが証拠になってるの。少なくとも今朝ワイシャツを着てから今までの間に一度もそこに物が入ってなかった事を証明してるわけ。」
「それだけでは...。」
「勿論絶対ではないけど、ほとんど確定してるわ。」
「なぜ?」
「癖になってしまうほどの常習者が朝から、今までの間その準備すらしないという事が...。」
「......なるほど。」
なるほど、なぜ威圧感を感じたのかわかった。
この信じ難いほどの洞察力と全てを見透かすような瞳...。
「あの、そういえば、お嬢様の...名前を聞いていなかったですね。」
「しきょう」
「え?し、きょう、ですか?」
「そう、鏡の如くと書いて如鏡。」
「はぁ...。なんというか…。」
「変な名前でしょ?笑わないでね。」
そういうと、お嬢様は紅茶を口に運んだ。
「いやいや、笑わないですよ、俺なんて詩歌だし、裏山詩歌ですよ?」
「ふふ、本当、変な名前ね。」
「いや、それは反則でしょ?」
「ふふふ、ごめんなさい。」
「いや、いいんですけど...。」
ゴホン...。
咳払いがしたので後ろを振り向いて見ると桜庭さんが物凄い目で俺を睨んでいた。
「僭越ながら、お嬢様、たかだかボディガードとあまり馴れ馴れしくするのはどうかと思います。」
「あらそう?」
お嬢様はその辺にはこだわらないらしい。
「まぁ、いいじゃない、バアヤもこちらに来て一服したら?」
「え?あ、はい、そうですね、ではお言葉に甘えて。」
なんだよ、自分だって馴れ馴れしいじゃんか?
という目をして俺は桜庭さんを見た。
その視線の意図に気付いたのか、桜庭彩は、やおら弁明を始めた。
「わたしは長年のキャリアと蓄積と信頼があってこのような待遇なんですからね!勘違いしないでくださいね!」
そういうとバアヤはお嬢様に一礼してその横に座った。
俺はそういえば、ばあやは何歳なんだろう?と、今更ながら思った。パッと見は30代かとおもったが、20代にもみえるし、下手すると40代かもしれない。
長年探偵をしててもこの辺の年齢不詳の女性は何歳か見抜けないのだった。
「なにジロジロみてるんですか?」
「いえ、別に...。」
俺はバッシングされた女優の様な受け答えをした。
ー事件ー
俺は桜庭さんに睨まれて、目を泳がせたついでに室内の調度品などを観察した。
どれもオシャレ、というか高価そうなものばかりで俺の様なド庶民が迂闊に触ることを躊躇わせるに充分な輝きを放っていた。
プルルルルルル
その時、俺の居心地の悪さを察してかどうかはしらないが、救いの様な着信音が鳴った。
「すみません、出ていいですか?」
「もちろん、どうぞ。」
お嬢様はにこやかに言った。
俺は軽く会釈すると電話に出た。
「はい、裏山です。」
「どうだった?」
この声は、俺にボディガードの仕事を回してくれた張本人で間違いない。
しかし、相変わらず単刀直入というか、主語のない質問をするやつだ。
しかし、昔から形式とか手順を嫌い、目的に最短で近づこうとするこいつの性格は嫌いではない。
「刑事か、たぶん合格…したとおもう。」
「たぶん、てなんだよ?」
「いや、禁煙を続けられたら採用らしい。」
「ん?お前禁煙してたの?…ていうか、禁煙続けるかどうかなんて、お前次第じゃないのか?採用だろ?」
「ま、まぁ、そうなんだが...。」
「それより、お嬢様は?」
「え?目の前にいらっしゃるが...なんだ?」
「代わって貰えないか?」
「いいけども...。」
俺はお嬢様に言った。
「あの、けい…いや池照のやつが、なにやらお嬢様にお話があるみたいなんですが?」
「あら、わたしに?」
「はい…嫌なら切りますけど?」
「いえ、全然嫌ではないですよ。」
「あら、池照さんて、あのモデルみたいな刑事さん?」
桜庭彩が急に声のトーンを高くして会話に割り込んで来たかと思うと目を輝かせていた。
「まぁ、そうね、確かにモデルに居ても不思議ではないわね。」
ん?なんだろ、この気持ちは?
どうせ俺は普通だよ!
俺は、しょうもない嫉妬心を押さえ込んで携帯をお嬢様に渡そうとしたが、途中でバアヤに奪われた。
バアヤは俺の携帯を特殊な布で拭いてお嬢様に渡した。
俺は苦笑いした。
如鏡はバアヤから携帯を受け取ると受付嬢の様な落ち着いたトーンで応対した。
「はい、変わりました如月です。」
「あ、突然すみません、裏山の件はありがとうございました。」
「いえ、こちらもバアヤが執拗くて、どうしてもボディガードを探してましたので池照さんのご友人に適任者がいらして助かりました。」
「ありがとうございます、それはそれとして、ちょっと変な事件が発生しまして...。」
「あら、どんな?」
「コンビニのトイレで自殺がありまして、30代くらいなんですけど、その...。」
「遠慮なく仰って下さい。子供とか女性のとかいう先入観は捨てて下さると助かります。」
「は、はぁ、ですよね?前の事件の時にそれは物凄く肝に銘じたんですが...では...遠慮なく。」
「はい。」
「そのトイレというのが内側から鍵が掛かっているので自殺の線で落ち着きそうなんですけどね...ちょっと変わってるのはその男ズボンを脱いでるんですよ。まあ、ズボンのベルトで首を吊っているのでそれで自然に脱げたとも考えられるんですが...。」
「確かに自殺にしては身なりが不自然ですね…。コンビニのトイレの鍵ってたしか回して引っ掛けるタイプでしたっけ?」
「それです!」
「だったらそれは密室とは到底呼べませんね、争った後はないんですね?」
「それはないです。しかし、持ち物から眠剤が出てきてまして、もしかしたらこれを飲んで朦朧としてたかもしれなせん。」
「だとしたら、殺人の可能性が高いですね。」
「え?それは...なぜ?」
「眠剤を用意していたのなら計画的な自殺ですが、コンビニのトイレで自分のベルトで首を吊るのは衝動的です、そこが矛盾してます。つまりその眠剤は...。」
「本人のものではない?」
「そこまでは言いきれませんけど、少なくとも、自殺の為に使ったとは考えにくいですね。」
「ありがとうございます、またなにかありましたらお願いします。」
「あ、ちょっと。」
「はい、なんでしょう?」
「どちらのコンビニですか?」
「え?来られるんですか?それは...。」
「不味いですか?」
「一応、現場を仕切ってるのが僕じゃないので...。」
「あら残念。」
「なにかあったらまた連絡します。」
そういうと電話は切れた。
俺は呆気に取られてそのやり取りを見ていた。
「あら、つい長話してしまいました、ごめんなさい。」
「いえ、それは全然構わないんですが...。今のは?」
「今のは、お友達の池照さんですよ?」
「いえ、そういう事ではなく、なにやら事件の事を...その...相談されていたような?」
「あ、そうですね、たまにかかって来るんです、ある事件で池照さんとはお友達になりまして、それ以来でしょうか?」
「あの...なんでお嬢様に?」
「それは...わかりませんけど、たぶん...。」
「たぶん?」
「池照さんが真面目なのではないでしょうか?」
?...わからん...俺がバカすぎるのか、この質問と答えの中にある埋めがたいミゾはなんだろう?
「あの、なぜ、真面目だとお嬢様に連絡が来るんでしょう?自殺かどうか警察が調べればスグにわかるような気がするんですが...。」
「それは、自殺ではないと明らかにわかる場合はでしょう?たしかにその場合は鑑識が動いて自殺では無いことがはっきりとわかりますね。」
「ですよね?」
「しかしながら人が死んだら必ずしも鑑識が動くわけではない様です。」
「え?そうなんですか?」
「自殺ではなくても、変死体にしても、事件性がないというものはそのまま書類だけで処理される場合も多いらしいですよ。」
「え?変死体で事件性がないなんてあるんですか?」
「それを判断するのは現場の方ですからね。」
「あの、それで、話を戻しますけども...なぜお嬢様に?」
「ですから、自殺で処理をしても良かった案件に池照さんが違和感を覚えた。」
「はい。」
「それで、わたしに連絡をしようと思った。」
「はい。」
「それは、自分の感じた違和感を理屈で説明してくれる誰かが欲しかったのではないでしょうか?」
「なるほど、だから...。」
「そう、だから池照さんは真面目なんです。」
俺は少し魂が抜かれた様になっていた。
なんなんだこのお嬢様は…。
自分の中にあった常識ってやつを何度も 飛ばされて
俺は 呆然となった。
「あの、もうひとつ質問いいですか?」
「なんでしょう?」
「さっき言っていた、密室と到底言えないというのはなぜです?」
「それは、実物を見てないとなんとも言えないですが…回してかけるタイプであれば下敷き一つで開きますからね」
「なるほど、でも鍵を掛ける時は?」
「掛けるける時は下敷きすら要らないものが多いですが、ちょっと複雑なものでも糸の様なものを使えば密室にできます。」
「糸の様なものを持ち歩いてるやつが犯人という事ですね?」
「たしかに、そうとも言えますがそんな準備しなくても糸の様なものを常に持ち歩いている人もいますよ」
「へ?」
「とくに女性は...」
「...あ、あー髪、か?」
「髪の毛は意外と強いので糸の代用になります。それに間違って落としたりして拾われても、証拠にはなりにくいです」
「そうか、それで密室とは言い難いのか...」
俺はお嬢様の見事なストレートヘアを見ながら感嘆した。
「もう1杯飲みます?」
気がつくと飲んでいた紅茶のコップがカラになっていた。
「え?あ...いえ...大丈夫です」
俺は慌てて言った。
「それと...」
お嬢様は、少しこちらを窺うような目をした。
「な...なんでしょう?」
「お嬢様という呼び方、やめて欲しいんですけど」
「は、はい」
俺は、そんな事か、と思い胸をなで下した。
なにか機嫌を損ねて、やっぱり雇わないなんて言われなくて良かった。
なぜなら、俺は当初、依頼を受けた時より随分とやる気になっていたからだ。
「ではなんとお呼びすれば良いでしょう?」
「如鏡で良いです」
「お嬢様!ダメですよそんな!」
堪らずバアヤが口を挟んだ。
「そんな呼び方を許したら、この男が勘違いします!」
こ、この男って...。
「良いじゃない、自宅なら兎も角、大衆の面前でお嬢様と呼ばれる方が苦痛だわ」
「そう言われましても...」
「あの...じゃあ、如鏡さんでは?」
俺はおそるおそる言ってみた。
バアヤが睨んでいる。
「まぁ、それでいいわ、当面」
なんとか折衷案が通った所でティータイムは終わりを告げた。
ー進展ー
池照刑事は如月如鏡との通話の後すぐに先輩の岩井刑事にこの自殺は事件性が高い事とその根拠を告げた。
(因みに岩井は刑事という名前ではない。)
「せやかて工藤。」
「いや、工藤じゃないですよ、池照です。」
「あ、せやったか失敬失敬。」
「真面目に考えて下さいよ。」
池照は憮然として岩井を見た。
「真面目に考えとるがな、要は手柄を立てたがる後輩のイキリ推理を聞かされて、どうやってなだめようか真面目に考えとるよ。」
「なんですか、イキリ推理って?そんな日本語ありませんよ。」
「イキリオタクがあるならイキリ推理もあるやろ?ていうか、さっきの電話誰に掛けてたの?」
池照は心の中で焦った、まさか一般人に事件の事を相談していたなんて知れたら何を言われるかわからない。
極力平静を装って言った。
「誰って、昔からの友達ですよ。」
ある意味ウソではない。発信履歴を調べられても裏山にしか掛けてないのだから…。
「如月の嬢ちゃんじゃないよね?」
その時僅かにぎょっとした顔をしてしまった。
池照は自分の未熟さを呪った。
「図星か…例の事件の後かなり入れ込んでたからなぁ。」
「まだ、なにも言ってませんよ。」
「すでに顔で言ってるんやで。」
やっぱりこの先輩は苦手だと思った。
普段はやる気のない風でいてどうでも良いときに信じられないくらいに鋭い。
池照は上を見上げて、大きくため息をついた。
「だとしたらどうだというんです?」
覚悟を決めて池照はそう言い放った。
「誰に何をどう相談しようと、事件がより速く解決すればそれで良いじゃないですか?」
池照は岩井をまっすぐに見てそう言った。
「有罪。」
「へ?」
「情報漏洩と少女趣味の罪により有罪。」
「なんですかそれ!」
「と、普通なら言いたいところだけどな、あの嬢ちゃんが特別やって事は認める。」
「でしょう?」
「あの子、妙に大人っぽいから少女趣味は保留にしといてやるわ。」
「そっち!」
「そっちや、とりあえずこのあとの飯はお前の奢りやからな。」
「ええ?」
「当たり前やろ!有罪なんやから!」
「は、はあ。」
「それと防犯カメラ見せてもらえるようにさっきの店長に話通しておけよ。」
「え?」
「え?じゃないよ、自殺じゃないとしたら証拠がいるやろ?」
「あ、じゃあ、他殺で行くんですね?」
「まだ、可能性の段階やって、あくまでも!」
「ありがとうございます!先輩!」
「おう!晩飯も奢れよ!後輩!」
「えー!」
岩井は池照のリアクションをみて口の端を上げてフッと笑った。
「ここのコンビニは見ての通り女性専用が1つ、その奥に並んで男女兼用が1つあって、更に奥の正面に洗面台があります。二つのトイレの手前にドアがありますので中の様子まではわかりません。」
そう言って店長の山田は防犯カメラの映像を写した。
ちょうど入り口から雑誌コーナーを歩いてトイレのドアが映るアングルのカメラがあったのでそれを池照と岩井は見せてもらっていた。
「1日分全部見るんですか?」
「いんや、マルガイが入ってから、第一発見者が発見するまででええよ。」
岩井はそういうと池照に「それで良いよな?」という様な目配せを送った。
池照は頷いた。
「あの、マルガイって?」
「ああ、ガイシャ、っていうか被害者の事やで。素人さんにはちと難しかったやろか?業界用語なもんで。」
そういうと、岩井はニッっと笑った。
池照は岩井が言うとお笑い業界て意味に聞こえるな、と思ったが黙って同じようにニッと笑って言った。
「すみませんね、お手数かけてしまって、ここで見るのがなんでしたらデータだけもらっても大丈夫なので…。」
「いえ、全然大丈夫ですよ、こんな事になってしまって、今日は営業できませんし、私も協力できる事があるかもしれませんし…。」
随分と協力的で良かった、たぶん半分は野次馬根性なんだろうけど、下手に拒絶されるより全然良い。
「ご協力感謝します。」
池照は一応そう言って笑顔を作った。
笑うと本当に男性ファッション誌の表紙みたいだな、と、山田店長は思った。
池照と岩井、山田の三人は山田のパソコンの前で防犯カメラから抜いたSDカードの映像を見ていた。
18:01被害者の男性がトイレに入っていく様子が映し出された。
18:02赤い服のショートヘアーの女性が入っていった。
18:05赤い服の女性は出てきた。
18:06黄色い服の女性が出てきた。
18:07小学生くらいの女の子が入っていった。
18:09女子高生が入っていった。
18:12小学生が出てきた。
18:14紫色の服のおばさんが入っていった。
18:16紫のおばさんが出てきた。
18:19女子高生がでてきた。
18:20紫のおばさんが入って行った。
18:21 丸刈りの男子高校生が入って行った。
18:25紫のおばさんが出てきた。
18:27に男子校生が中の様子がおかしいと言ってきた。
店長が専用のドアを開ける道具を持ってきて発見された…と。
じっと画面を見ていた岩井はどうだ?
という目配せを池照に送った。
池照は頭をふって言った。
「これだけではなんとも言えませんね、それぞれの容疑者…というか、関係者から話を聞かないと。」
一応、自殺の線もあるので池照は言い直した。
「だな。」
岩井は短く答えた。
「あと、黄色い服の女性が入ったところまで巻き戻してみる必要がありそうだ。」
確かに被害者以外は出入りが確認できているが、黄色い服の女性は出たところしか写ってなかった。
「でも容疑者の可能性は低くないですか?」
池照は言った。
「なんでや?」
「だってガイシャの前に入ってるんですよ。」
「まあ、普通はそうやろうけど、衝動的にって事もあるやろ?」
「衝動的?」
「だから、ばったり出くわして衝動的にやってしまった…とか?」
「なるほど。」
池照は如鏡の言っていた、衝動的な現場という言葉を思い出して納得した。
早速巻き戻して見てみると、確かにガイシャの前に黄色い服の女性が入っていってるのが写っていた。
どうも慌てている様子で、頭を押さえながら小走りで入って行くのが写っていた。
「頭が痛いんですかね?」
「さあ、これだけじゃわからんなぁ。」
「この、黄色い服の女性だけは常連のお客さんじゃないと思うんですよ。」
コンコン
そう店長が言い終えたタイミングでノックの音がした。
「はーい、空いてますよー。」
岩井が呑気に応答した。
「失礼します、だいたい終わったので報告に伺いました。」
池照は服装と顔をみて鑑識の誰かだと言うことまではわかったが、名前が出てこなかった。
「お疲れさん、なんか変わったことあった?」
「えーと、遺体は司法解剖に回しましたので、詳しいことは後程、あと便器の陰にこんなものが。」
鑑識の男はビニールを目の前に掲げて見せた。
「ん?ネイル…か?」
「ですね。」
袋の中には今時っぽい模様のネイルが1つだけ入っていた。
「犯人が落としたんですかね?」
「だとありがたいんやけどね…。いやいや、まだ他殺と決まった訳じゃないんやから。」
そういうと、岩井は神妙にネイルを観察した。
それにしても…。
関西出身でもないのに、お笑い好きってだけで良く関西弁喋る勇気あるなぁ…と、池照は思った。
「それで、その丸刈りの高校生はどこかに行ってしまったんですね?」
「はい。」
申し訳なさそうに山田は言った。
「まさか、警察に連絡してる間にどこかに行ってしまうとは思わなくて…。」
「いえ、それは店長さんのせいではありませんよ。それに、その青年の気持ちもわからなくありませんし…。」
そう池照は慰めた。
「せや、いきなり、ドアあけたら知らんおっさんの死体なんてなぁ、俺ならその場で走り去るわ。」
と、岩井が刑事らしからぬ事を言ったが、おそらく、店長の緊張をほぐすためだろう。
「まあ、その青年は青葉高校の生徒らしい事はわかっているので直ぐに身元はわれるでしょう、それよりその時の青年の話を聞かせてください。」
「え?どうしてわかるんです?」
「今時丸刈りをする高校生といったら野球部くらいでしょう?それも強豪じゃないと生徒に丸刈りを強制したりしませんからね、それでこの辺の強豪といえば青葉です。」
「な、なるほど!」
「まあ、あとでちゃんと裏は取りますけどね。それよりその後どうしたんですか?」
「え、ええそうですね。私がアルバイトの子とカウンターにいるとその青年がやってきて、トイレの様子がおかしいので確認してくれないかと言われたので確認しに行きました。」
「直ぐに?」
「まあ、店もそんなに混んでなかったのでアルバイトの子でなんとかやりくり出来るだろうと思って直ぐに向かいましたよ。どう変なのか知りたかったですし、イタズラでもされてたら大変ですからね。」
「なるほど。それから?」
「それから、一応鍵を外から簡単に開けられる物を持ってましたのでそれを持ってきて…。」
「それって見せてもらえます?」
「もちろん。」
そういうと、すぐ近くの引き出しのなかからスッと先がクエスチョンマークみたいに曲がった薄いプラバンに柄がついた物を見せた。
「これです。」
「ほう、これは業者から支給されるんですか?」
「そうです。」
「これでしか開かないんですか?」
「いやあ、そう言われると…たぶん他のなにかでも開きそうではあります。」
「ですよね。」
プラバンを剣の様にして遊んでいる岩井を横目に見ながら池照は言った。
「それで どうしました?」
「どうへんなのか 聞いても とにかく来てくれと 言われたので 仕方なく アルバイトの子に 少しの間 店を任せて 様子を見にいきました。」
「 そのアルバイトの子は 何て名前ですか?」
「山口です、青葉大学の学生さんで柔道部らしいので頼もしいんですよ。」
「なるほど、ではそのアルバイトに店を任せたあとあなたはその高校生についていったと…。」
「はい、そしたらやはりその高校生の言った通り変でした。」
「どのように?」
「あの、アラームが鳴っているんですよ…トイレの中で。」
「それが変なんですか?」
「いやいや、変でしょう?ずっと鳴ってるんですよ?」
「ずっと?」
「ええ、ずっとです。」
「どのくらい?」
「え?私が行ってから3分は鳴ってたから、その前からだとするともっとですね…。」
「確かに変ですね、それは…。」
「でしょう?それで、何回かノックしたあとに開けますよ!って大声で言っても返事がないので…。」
「開けたんですね?」
「開けました。」
「そして見た。」
「見ました。」
店長は思い出したのか少し眉をしかめて口をへの字に曲げた。
池照はこの店長吐かないところを見ると以外と死体なれしてるなと思った。弱い人は大人の男性でも普通に吐くものだ。スプラッター映画好きな人は耐性が多少あるらしいが…。
「そのあとすぐ警察に連絡して、アルバイトの子を返したと…。」
「はい。」
「なんでアルバイトの子は返したんです?」
「いや、こんな事になっちゃって営業できないし、間違って遺体を見ちゃっても嫌だろうし。」
「大丈夫でしょう?柔道部なんでしょ?」
「柔道部と言っても女の子ですからね。」
「え?女の子なんですか?」
「え、ええ、山口は女の子ですよ。」
池照は紛らわしいなぁ…と思いながら、そういえば勝手に勘違いしたんだと自分を恥じた。
「なるほど、それは賢明な判断です。」
そういうと岩井が口を挟んだ。
「そうかなぁ?返した事によって逆に疑われちゃうかもやで?」
「そんな…。彼女は本当に関係ないんですよ。」
店長が不服そうに言った。
「まあまあ、冗談やがな、そないにむきにならんでもエエがなぁ。」
池照はこの変な関西弁が合ってるのかどうか、本気で知りたくなってきた。
その後、黄色い服の女性以外は常連のお客さんという店長の証言を元に、近所の高校などから捜査を進める事になった。
「それにしても、学生さんは、わりと分かりやすいと思いますけど、主婦は調べにくいですよね。」
と、店長が余計な心配をしてくれたが、池照が直ぐに返した。
「いえ、そうでもないですよ」
「え?なぜです?」
「コンビニですから近所に住んでる可能性が高いですし、もしそうでないなら車で来ているはずです。」
「まあ、そうですね、どこかに行く通り道とかでしょうから。」
「それなら外の防犯カメラに車が写ってるはずですよね?」
「あーなるほど!さすが刑事さん!」
「いえ、これくらいは当然ですよ。」
池照は誉められて少し照れたが、如鏡を思い出してすぐに真顔に戻った。
本当にこれくらいは当然だよな。
「刑事!何してるんや?おいてくでぇ?」
岩井がドアから顔だけだしてコテコテの関西弁でそう言った。
「はい、今行きます。じゃあ店長、これしばらくお借りしますね。」
防犯カメラの映像の入ったSDカードをつまんで軽く会釈した。
「ええ、もちろんどうぞ。業者の方も警察のかたに渡したと言えば文句は言わないでしょうから。」
山田はそう言って笑顔を作った。
ーおばちゃんの証言ー
池照がコンビニを出ると、岩井が誰かと話し込んでいた。
相手はどこかの主婦の様であったが…池照はその顔になぜか見覚えがあった。
「あ、あの、岩井さん?そちらの方は?」
「おう、ようやく来たか。そちらもどちらもあらへんがな、さっき見たばっかりやろ?」
「あ、ああ!」
池照はさっきの防犯カメラに写っていたブルーベリーみたいな色の服を着た、いかにもおばちゃんという体型と髪型の主婦を思い出した。
「なに?なんですの?人の顔指でさしてからに、いけすかんわぁー、イケメンじゃなかつたらひっぱたいてる所やわ。」
「す、すみません。ついびっくりしてしまって…こちらのコンビニを利用されてた方ですね?」
「まぁ、そうですけど、なにかありました?そちらの刑事さんにも言いましたけど、私ビールを買いに来ただけですよ。」
「はい、でもトイレを使われましたよね?」
「そりゃ使うわよ。使っちゃダメなの?」
「いえ、全然良いんですけど、そのときの状況を教えていただけないかと…。」
「状況って言ってもねぇ、普通に入っただけだけど…。」
「そこを詳しく。」
「ええ?なにを詳しく話せばいいのよ?」
そこで岩井が口を挟んだ。
「たとえば、どっちのトイレにはいったか?とかです、あとその時誰かいなかったか?」
それを受けて池照も言った。
「そうそう、それと、へんな音は聞こえなかったか?とかもです。」
「そんなに矢継ぎ早に質問されてもねぇ…。」
「ゆっくりでいいので…。」
そういうと池照はニコッと笑った。
池照は自分が女性に好かれやすい事を知っている。
しかし普段は別段気にはしないのだが捜査を円滑に進めるために必要とあらば惜しみ無く使おうと決めているのだった。
女性の名前は山村もみ、と名乗った。名前を聞くたびに岩井刑事が「惜しい!」と謎の雄叫びをあげるのだが池照は無視した。
何でも山村さんは事件や事故に頻繁に遭遇するらしくて近所では評判らしい。
「ほんとですか?」
「ほんとよなのよこれが!この前もほら!タクシー強盗あったでしょ?あの時偶然通りかかってねぇ、逃げる犯人の足を引っ掻けて転ばせたのよ!傑作だったわー!」
「なるほどぉ…それはお手柄でしたね、それはそうと今回の事件の事を聞きたいんですが…。」
「あ、そうそうそうだったわね。」
大方、近所の評判というのも自分から触れ回ってるのじゃないかと池照は思った。
「では、少し思い出してもらってよろしいですか?こちらのコンビニのトイレに山村さんは二回入ってますよね?」
「え?二回?借りたのは一回じゃなかったかしら?まさか私を自宅のトイレの水がもったいないから近所のコンビニ利用してる人みたいに言うわけ?」
「いえ、そうは言ってません。そうじゃなくて、短い時間で出入りしてる様子がカメラに写ってるんですよ。」
「え?カメラに撮ってるの?いやらしい。」
「いやいや、カメラといってもドアの外についている防犯カメラですのでご安心を…。」
ふぅ…。
調子が狂う…。思わずため息をついてしまった。
「あら疲れたの?うちによってく?すぐ近くよ?」
「いえ、結構です、まだやることがありますので…それとも、あまり思い出せない様でしたらまた後日でも…。」
「あ、思い出したわ。」
イケメンの話し相手を逃がさない為なのかすぐになにかを思い出したらしい。
「そういえば、一回目に入ったときはトイレが塞がっててすぐに出てきたのよ。」
「なるほど…それで外で。」
「そうなの誰か出てきたら入ろうと思ってね。そしたら茶髪の女子高生がでて来たんでマジマンジだったわけ。」
「え?どういう意味ですか?マジマンジって?」
「よく知らないけど、よっしゃー!みたいな意味じゃないの?」
「は、はぁ。」
たぶん間違って使っていると思うが触れないで置こう。
「それで、その後トイレに入ったときは何か変わったことありました?」
「え?そうねぇ、うまい具合に女子専用の方が空いたんで用を足してたら、いきなりアラームが鳴り出したくらいかな?」
それだ!アラームの鳴り出した時間がだいたいわかった。
「その後どうしました?」
「どうしたって、まず紙で拭いてから…あ、私ウォシュレット苦手なのよね…。だから紙で直に…。」
「いや、そこははしょって大丈夫です。トイレがすんでから洗面台のあるスペースにでた時に誰かみませんでした?」
「そうねぇ、そういえば丸刈りの坊主頭の男の子が居たわねなんかバツわるそうだったけど…。」
「なるほど、その坊主頭の男の子は見覚えなかったですか?」
「ないわね、あったら覚えてるわよ。だって丸坊主でなかったらジャニーズに居そうな顔だもの…あ、カワイイ系のほうね。」
なに系でも良かったが、だいたい聞くべき事は聞いたかなと池照は思った。
「ありがとうございました。またなにかありましたら御協力をお願いするかもしれませんので、その時はよろしくお願いします。」
そういって池照は頭を下げた。
「もちろんよ、市民の義務ですものね!なんなら家で話してもいいわよ…あ、主人が居ないときね!」
そういうと山村もみさんはウィンクしてみせた。
苦笑いをする池照を肘で小突いて岩井が冷やかして言った。
「ほんま、おおきになぁ、ここだけの話やけど、この男はこう見えてストライクゾーンひろいさかい、間違いなく期待に応えるでぇ!」
「余計な事言わなくて良いですよ岩井さん。」
そう言った池照の顔は少しひきつっていた。
ー青年の証言ー
次の日、池照と岩井は青葉高校に来ていた。
学校に交渉して野球部の顧問と会う事ができたのだが、人目を避けるように裏口から入らされ、生徒に見られない様に細心の注意を促されて今、応接室に通されて粗茶を出されている。
お世辞にも歓迎ムードとは言えない様だ。
「この子なんですけど居ませんか?」
池照は防犯カメラの映像から抜き取った映りの良くない写真を野球部の顧問の古林先生に見せた。
「ん?あ、あー。もしかすると」
「居るんですか?」
「そうですね、断言はできませんけどね…中川に似てるような気が.......」
しきりに首をひねりながら古林先生はそういった。
「あの、もし中川だとして、何があったんですか?なにかやらかしたんですか?」
「いえ、そういうわけではありません。あくまでも、ある事件の目撃証言を集めてるだけですので」
池照は加害者である可能性がある事を隠した。
そのほうが、先生は協力的になってくれるし、今のところ本当に只の目撃証言者かもしれないのだから。
「はぁ、それなら良いんですが.......公式試合も近いので生徒に要らぬ動揺が走ると困りますのでね」
古林先生は刑事を相手に汗を手拭いで拭きながら、やんわりと釘を指した。
「もちろん大事にするつもりはありませんよ、協力していただけるんでしたら」
池照はもちろんそんな事では折れない。
「も、もちろん協力しますよ。ただ、あんまり校舎の中を刑事さん方が出入りされるのも他の生徒に影響ありますし」
すこし重たい空気が流れたところで岩井が口を挟んだ。
「せや、その中川くんやったっけ?早めに上がらせてもらえまへんか?そしたら後はうちらが勝手に交渉しますわ.......校舎の外で」
そういってニッと笑った。
しばらくの沈黙の後、古林は言った。
「いいでしょう」
そんな要求飲むわけないだろうと思っていた池照は仰け反った。
「え?いいんですか?」
「正直、気が進みませんけど、周りに対する影響を考えたら背に腹は変えられませんからね」
そういって野球部顧問は苦笑いした。
池照は中川くんが野球部にとって背なのか腹なのかわかりかねたが、心の中で合掌した。
青年は中川良太と名乗った。
「どうもはじめまして、この事件を担当してる池照です」
「岩井です」
二人の刑事に帰り道で呼び止められて、半ば強引に近くの喫茶店に連れ込まれた高校生の男の子はしきりに恐縮していた。
「あ、あの、なにか?」
「なにかじゃないよ中川くん。通報してくれたのは良いけどさ、なんで逃げちゃったりしたの?」
岩井が笑顔で聞いたが、その目は笑ってなかった。
「な、なぜって、驚いてしまって…先生が…あんな…首を…。」
「ん?先生が…?」
岩井が聞き咎めた。
「え?知らなかったんですか?」
青年はそう言うと目をパチクリとした。
「それが本当なら、また伸展ですね、身元がわからなくて困ってましたから」
池照はそう言ってメモを取った。
「さよか、自分とこの先生やったら尚更逃げんくても良かったやろ?それとも逃げる理由があったんか?」
もとより、本当に逃げたのかどうかは問題ではない、要は揺さぶりをかけたいのだ。
揺さぶって、なにかボロをだしてくれたら儲けものだ、人は平常心を崩されないとなかなかボロをださない事を岩井は知っていた。
岩井に睨まれて冷や汗をかく青年。
「待ってくださいよ先輩、そんなに攻めなくても…。」
こういう、取り調べではどちらかが強く言う方と、やんわりとなだめる方が居るほうが良い、池照はなだめ役に回った。「突然あんなものを見せられたら誰でも逃げたくなりますよねぇ…例え顔見知りであっても。」
青年は無言で頷いた。
「それより、ほら折角たのんだ珈琲が冷めちゃうから飲んで飲んで、あとなにか他にも食べるかい?」
池照は優しくそういった。
「いえ、大丈夫です。」
中川君はそう言って俯いた。
「で、何て言う先生なの?教科は?」
「ええと、たしか…山野だったきがします…教科はたぶん国語だったような…。」
「あんまり知らないの?」
「あ、あの、受け持ちの学年が違うんです。たぶん二学年の方かなと…。」
「なるほど、君は1学年だから、直接授業を受けた訳ではないんだね?」
「そ、そういうことです。」
中川君は少し珈琲を飲んだ。
それは珈琲を味わいたいというより、目の前の大人の視線から少しでも逃れたいという風であった。
岩井はしばらく青年を睨んでいたが…フッと笑って言った。
「池照交代…。」
交代って、相手の前で言ったらダメだろ、スカポンタン!
心の中でそう言うと顔ではニッと笑って池照は言った。
「あの、じゃあ質問変えますね。」
「はい。」
「アラームが鳴ってて鳴りやまないのでおかしいと思ってお店の人をよんだのね?」
「はい。」
「なにか、大変な事が起こってると思った訳ね?」
「はい。」
「それで、扉を開けたら、ひどいものを見てしまったよね?」
「はい、それで、驚いてしまって…逃げたのは謝りますけど…そんなに悪いことだとは…思わずに…。」
「いや、発見が早くなったので悪いことじゃないんだけど…矛盾してないかな?」
「は、はぁ?」
「だって、驚いて逃げるくらいなら、最初から逃げてると思うんだけど…。それこそ、誰も呼ばずにそこから立ち去れば、厄介毎に巻き込まれずにすむよね?」
池照は言葉の意味が相手に伝わるのを確かめる様にゆっくりと待ちながら観察した。
「アラームがなり続けてることで大変な事が起こってるのはわかった筈だからね…。その時逃げないで、後から逃げるのはちょっとだけ…心理的に矛盾してる様に思えるんだけど…。どうかな?」
「あ、あの、それは…大変な事が起こってる気が…したんですが…まさか…。」
「まさか、あんなことになってるとは…。」
「はい、あんなことになってるとは…。」
「思わなかった…。」
「はい、思わなかった…です。」
池照はじっくりと観察したが、嘘をついてるのかどうか判断しかねた。
池照はニコッと笑って言った。
「だよねぇ。ごめんね変な質問をして。もう少しだけ答えてくれたら終わるからね。」
池照の笑顔に少しだけ安堵の表情を浮かべた青年を見て、確かにジャニーズの後ろの方に居てもおかしくないかな…と、岩井は思った。
「あとは、たいしたことじゃないんだけど…これ、見てくれる?」
池照は例のネイルを青年に見せた。
青年はほんの僅かな時間だが、ハッキリと動揺が見えた。
「ん?知ってるの?」
「…いえ、知りません。」
「本当に?」
「……はい。」
「後から知ってるとか言うのなしだよ?」
「………はい。」
どんどんはぎれが悪くなる。
岩井がダメを押すように言った。
「偽証罪って知っとる?」
「え?」
「簡単に言うとやな、嘘つくと最悪、牢屋に入っちゃうで!って事や。」
確かに、簡単に言うとそうだが重要なところがわざと抜けている。
「え?そん…な。」
「どうなんや?」
しばらく沈黙したあとに青年は重い口を開いた。
「なんとなくですけど…。ねいちゃんのに…似てるかな…と。」
「ねいちゃん?」
「はい。」
「そのおねいさんのお歳は?」
堪らず池照が聞いた。
「ちょっと離れてるんですけど…二十歳です。」
池照と岩井は顔を見合わせた。
「あの、もう少し時間あるかな?」
池照はやんわりとそう言った。
ーおねいちゃんの証言ー
岩井と池照は中川青年の姉に会わせてもらうように頼んだところ、近くの若葉病院の看護師をやっているとの事で、早速そちらに出向いて話を聞くことにした。
このあたりで一番大きな総合病院なだけあって、まさに白亜の要塞といった佇まいであった。
しかし、二人の刑事は裏口にまわらされて、人気のない病棟の影で待たされるのだった。
「はい、中川翔子です。なにか?」
一見して二人の刑事は顔を見合わせた。
「すみませんお仕事中にお呼びだししてしまって、なるべく早く終わらせますので…。」
「おねいちゃん、しょうこって羊に羽の翔?」
思わず岩井を小突いて池照が小声で言った。
「なに聞いてるんですか?事件に関係ないでしょ(小声)。」
「ばか、容疑…じゃなくて関係者の名前は関係あるやろ(小声)。」
「あの、たしかに有名人の方とおなじ漢字ですが…それがなにか?」
ほらやっぱりという顔で岩井は池照を見るが、池照はなにがやっぱりなんだ?という顔で見返した。
「すみません、へんな事を聞いてしまって、それより昨日この近くのコンビニにいかれませんでした?」
中川翔子はギョっという顔で二人を見た。
弟と同じで隠し事が下手らしい。会った瞬間に赤い服の女に似ているなと思ったがやはりそうだった様だ。
問題は次になんというか…だ。
はぐらかす様ならかなり怪しいと言える。
「ええ…確かに、行きましたけど…なんで知ってるんです?」
あっさり認められてしまった。
「あ、そ、そうですよね…それで…トイレを借りられましたよね?」
「え?えぇ…確かに、借りましたけど…。」
「それでですね、男女兼用と女性専用があるじゃないですか?どちらを使用されたか…失礼ですが覚えていらしたら教えていただけないかと…。」
中川翔子は少し考えこむと、思い出した様に言った。
「たしか…女性専用だったとおもいます。」
「たしかですか?」
「え、ええ、いつもそっちを使うようにしてますから、男女兼用を使うのは抵抗あるんで…もしそっちを使ったとしたら覚えてるはずです。」
かなりはっきりした証言だ。
池照は今の会話も録音されてるのを確認するとおもむろに袋を取り出した。
「これに見覚えありませんか?」
中川翔子は袋の中身をマジマジと見つめると言った。
「これ…私のです。」
ネイルが自分の物であることをあっさり認めてしまった…落としたことに気がついてないんだろうか?
いずれにせよ、決定的な矛盾を口にしたことになる。
池照は緊張してきた、この後は慎重に言葉を選ばないと…。
「おねいちゃん、誰か殺した?」
えー!バカ!オタンコナス!
という目で池照は先輩刑事を見たが岩井は動じなかった。
「な、なにいってるんですか藪から棒に!」
「藪から棒ではなくてやな、トイレからネイルやねん。」
うまいこと言ってる場合か!
そういう目で池照は見たつもりだったが何故か岩井はどや顔だった。
「トイレからネイル…?さっきのネイルが落ちてたんですか?」
「せや、あんたが入ったことのないはずの男女兼用のトイレからなぁ。なんでやろなぁ?」
なんとなく台詞口調なのは気のせいか?
「それは…知りません。」
「知りませんて…そこで人が亡くなっとるんやで?」
「え?」
中川翔子は心底驚いたという顔をした。
演技だとしたら大したもんだ。
「そん…な。知りませんよ私!」
「知らないゆうてもなぁ、証拠の品あがっとるんや翔子ちゃんの証拠がなぁ。」
語呂合せかよ!
さすがにそろそろ怒った方が良いかもと池照は思い始めていた。
「あの、本当に心当たりないんですか?」
堪らず池照が割ってはいった。
「え、ええ…本当に…いつの間にかなくなっていて探してたんです。」
中川翔子は動揺しながらもそう証言した。
「どこで無くしたか心当たりありませんか?」
「え?ええ…全く…非番の時にしかネイルはつけないので昨日の非番の日につけようとしたらみあたらなくて…。」
「このネイルだけみあたらなかったんですか?」
「いえ、全部ですよ!一式です!気に入ってたのでショックで…。」
池照は亡くなった山野の写真を見せた。といっても、首吊りの顔は鬱血してたり膨張してたり舌をだしてたりと、およそ正視に耐えられないのでそこは加工してある。
「この方なんですけど見覚えはありますか?」
池照は相手の感情を読み取ろうと集中して中川翔子を見ていた。
「いえ、知りません。」
キッパリと言われた。
「後で知り合いでしたとかだと印象悪くなるで?」
今回は岩井はとことん悪役で行くようだ。
「そんなこと…ありません!」
少し間があったな…と池照は思った。
「なにか、心当たりがあるなら今話して頂いたほうがありがたいんですが…。」
池照は僅かな返答のスキマが気になった。
「…いえ、本当に知り合いではないんですけど…どこかでチラッと見た記憶があるような…。」
「どこですか?」
「…ちょっと、出てきません、もし思い出したとしても知り合いではありませんから…。」
「もしも知り合いでないとしてもどこで会ったかは重要です、是非思い出して頂きたい。」
中川翔子が犯人であれば必ず会ってるどころか何回も接点があるはずだ…それを否定しておいて見覚えがあるというのはどういうことだろう。
「後から実は知り合いだった事がバレたときの為にそんな事言ってるんちゃうやろな?」
「そんなことしません。もう、なんなんですかこの人!」
「すみません、この人すこしアレなもんで…おきになさらず。」
「ん?なんや?アレってなんや!気になるやないかぁ!」
「ちょっと先輩、お口チャックでお願いします。」
「なんやお口チャックて!わいはミッフィーか!」
随分とかわいい例えをするな、と池照は思った。
「あの…昨日のトイレで見たことがあるなんてことは…ないですよね?」
タイミング的にはそこで見た可能性が高いのだが…。
「え?トイレで…?え?あぁ…。」
「思い出しました?」
「思い出したというか…。洗面台の前でふらふらしてる男の人は覚えてます。」
「顔は見てないんですか?」
「ええ、なんか具合が悪そうに洗面台の方を向いてたので…。」
彼女の前に入っていたのは黄色い服の女と猿野しかいない…とすると彼女が見たのは猿野で間違いないが顔は見ていないのか…しかし、知りあいではないがどこかで見たことがある…と。
「なるほど…。」
なるほど、とは言ったものの池照は釈然としない話だなと思った。
「おねいちゃん、向こうを向いていたって鏡なんやから、顔は見えてるんちゃうの?」
「え?…いえ、だからうつむいて具合悪そうにしていたので…そんなに正面から見た顔と同じかどうかなんてわからないでしょ?適当な事言えないし、それに、具合悪そうにしてる人をマジマジと見る趣味はありませんよ…患者さんならともかく…。」
「ですよねぇ。」
池照は愛想笑いをした。
しばらく沈黙が流れてから池照は思い出した様に言った。
「あ、そうそう、あとこれに見覚えないですか?」
錠剤の入ったビニールの袋を取り出した。
「なんですか?それ?見覚えも何も、職場が病院ですから大抵の薬なら見覚えありますけど…。」
憮然として中川翔子は答えた。
「これは…ハルシオンです。」
池照はそういうと、ニコッと笑って見せた。
「もちろん、知ってますよね?」
「それも…事件と関係あるんですか?」
「まぁ。たぶん、詳しい事は言えませんが…。」
「だとしても、うちの病院もしっかりした管理がされてますので、たとえ看護師でも無断で薬を拝借するなんてできません。」
「無断じゃなかったら出来るって意味やないか?」
「だから、無断じゃなかったら記録に残りますから調べてくださいよ。」
「記録も中の人間やったら消せるんちゃうの?」
「はぁ?なんでそうなるんですか!?」
中川翔子は今度は完全に怒った様子で岩井を睨んだ。
「まぁまぁ。うちの先輩はちょっと適当な事を言ってしまう癖がありまして…代わりにあやまります。それにしても失礼すぎますよ本当に!お口チャック!」
一応池照は先輩を怒る体を取った。
カマをかけるにしても取調室ならいざ知らず任意の聞き取りでは不味い。
相手が本当に怒って協力してくれなくなってしまうかもしれないからだ。
気まずい空気を変えようとしたのか、池照は1つ咳払いをすると話を切り替えた。
「最後にこれだけ見てもらえませんか?」
池照は中川翔子の目の前に何枚かの写真をだした。
写真には防犯カメラの映像から抜き取った当日の関係者と思われる人々が写っていた。
ジーンズに黄色い服のロングの女。
たぶん女子高生。
たぶん女子小学生。
山村もみ。
中川良太。
そして中川翔子。
「話が前後して申し訳ないですが、この、あかいふくの女性、あなたで間違いないですか?」
「…そう、みたいね。」
中川翔子が憮然として答える。
「あとは、弟さん以外でしってる方いらっしゃいます?」
「…そうね、この人は山村さんかしら?有名なおしゃべりおばさんの…。」
「よくご存じで。」
「一応、この辺では一番大きな病院ですから、この辺に住んでるなら見覚えくらいあります。」
「ですよねぇ…他には?」
「ほかに…ん、このセーラー服の子は確か…この前うちに来てたような…。」
「確かですか?」
「はっきりとは言えませんが…。もし本人ならカルテがあるはずです。」
「内科ですか?外科ですか?」
「…いえ。産婦人科です。」
中川翔子は言いづらそうにそう言った。
池照と岩井は顔を見合わせた。
「あの…、刑事さんだから言うんですからね、本来なら言いませんよ。」
中川翔子はそういうと、フィッと病院の建物を見上げて言った。
「もう…、いっていいですか?そろそろ戻らないと。」
「もちろんです、ご協力ありがとうございました。」
そういうと池照はお辞儀をした。
岩井もつられて、申し訳程度に頭を下げた。
池照と岩井はその足ですぐさま産婦人科病棟に向かった。
受付の看護師に事情を話すと、奥から40前後にしては可愛いと言われそうなナースがでてきた。
「どうも、わたしが看護師長の遠藤です。警察の方らしいですけど、なにか?」
そういうと、口だけニッコリと微笑んだが目は警戒の色を隠せないでいた。
「どうも、突然伺ってすみません。すこしだけ質問させてもらえませんか?」
そういうと、池照は警察手帳をチラッとみせながらニッコリと微笑んだ。
「はい、もちろん協力しますけど、私達は誰もやましいことはしておりませんよ。」
そういうと、目をしきりにパチクリさせた。
まるで犯人みたいな素振りだ、たまに警察が相手というだけで挙動不審になる人がいるが、そのタイプだろうか?
「いえ、あくまでも、ある事件の参考人の方にお話を聞きたいだけですので…。」
「参考人?誰が参考人なんですか?」
そういうと大きな目を更に大きく見開いて聞いてきた。
「いえいえ、こちらに勤めてる方が参考人というわけではなく、参考人らしき人が患者として訪れたらしい情報がありまして…。」
そういうと、池照は例の女子高生の写った写真を取り出して見せた。
「ちょっとボケてますけど、どうですか?この写真に写ってる子に見覚えありませんか?」
看護師長はマジマジと写真を見つめると、何かに気付いた様子で目を丸くして顔をあげた。
「た、たぶんですけど…うちの患者さんで似ている方はいますが…。」
「ほんまか?名前はなんてゆうん?」
今までずっと黙ってた横のおっさんがいきなり妙な関西弁で話始めたので遠藤はぎょっとして岩井を見た。
「な、名前ですか?マリアです。」
「それ、自分の名前ちゃうやろな?」
「そ、そんなバカじゃないですよ!患者さんの名前です!」
看護師長は慌てて否定したが、口許が少し笑っていた。
こういうとき、変な関西弁も少しは役に立つなと池照は思った。
「さよか、なら良かったわ、遠藤さんそそっかしそうやもんなあ。フルネームはなんていうん?」
「え?遠藤美紀です。」
「いや、ちゃうて!患者さんのほうや!」
「あらやだ、ごめんなさい!」
「いえ、今のは先輩の聞き方も悪いですよ。」
「いや、わかるやろふつう。」
「ごめんなさい、わざとじゃないんです。」
「わざとやったら、いい腕しとるわ。」
「なに言ってるんですか先輩。」
場が少し和んだ。
「苗字は阿部さんだと思います。阿部寛さんの阿部です。」
「よく覚えてますね。」
「いえ、少し印象的な名前でしたので…。」
「え?阿部がですか?」
「ちゃうがな、全部繋げて読んでみい!」
「え?繋げて…阿部…まりあ?ああ!アヴェ・マリア!」
「呑みこみわるいわー。」
池照は岩井を少し睨んだあと遠藤主任に質問した。
「では阿部さんのカルテありますよね?」
「え?はい、もちろんありますけど…持ち出しは禁止ですので。」
「もちろんです、こちらで拝見するだけです。」
「では、此方へどうぞ。」
そういうと遠藤はカルテ室に二人の刑事を促した。
「これです。」
そういうと遠藤は数多くのカルテの中から即座にお目当てのカルテを抜き取ってみせた。
「さすがやな、ちゃっちゃしとるわ。」
「拝見します。」
池照は阿部真理亜のカルテを見た。
「ふむ…検査ですね。」
「ですね。」
「妊娠しているかどうかですか?」
「まあ、そうですね。」
「してなかったんですね?」
「そういう結果になってますね。」
「…でも。」
「はい。」
「検査するってことは身に覚えがあるってことですよね?」
「まぁ…そうでしょうね…でも最近では珍しくありませんよ…庇うわけではありませんが。」
「付き添いはおらんかった?」
「え?」
「せやから、その、妊娠させた張本人とか、一緒に来てそうやない?」
「いえ、基本的に皆さん一人で来ることが多いですよ…こういう検査は。」
「さよか。」
「そうなんですね。」
少し重たい空気が流れた。
「真理亜さんはどんな感じでした?」
「どんな感じ?と言われても…。ふつうの女子高生でしたよ。」
「まぁ、そうなんでしょうけど、…なにか思い詰めた感じとか?ありませんでした?」
「そうですね、とくには…なかったような…。」
遠藤はしきりに思い出そうとしている様だった。
「やっぱりこれといって印象がないですね…普通でした。」
「普通ですか…。」
「はい。」
今の時代、女子高生が妊娠検査するのも普通な時代なのか、と、少し池照は驚いた。
「ではこちらのカルテの住所などをうつさせてもらったら帰りますので。」
そういうと、池照はスマートフォンのカメラでカルテを写した。
「最近は刑事さんもスマートフォンで撮るんですね?」
驚いて遠藤主任が聞いた。
「ええ、画質も充分ですし、セキュリティをしっかり管理すれば、一番便利ですからね。」
そういって池照はカルテを主任に返した。
「では、これで、ご協力ありがとうございました。」
そういうと池照はニコッと笑った。
「いえ。」
ようやく遠藤主任もわりと自然な笑顔を作ることができた。
「ほな、またね。何かあったら、また邪魔するかもしれはんけどな?」
「…邪魔するなら来んといてください。」
池照と岩井は顔を見合わせた。
「なんや、やるやんか?」
「遠藤主任も吉本すきなんですね?」
「…はい、ごめんなさい。」
主任はしきりに照れた。
「いや、そのほうがええ!とくにナースはそのほうがええよなぁ。」
「やりすぎるとダメでしょ?」
そういうと三人は破顔一笑した。
二人の刑事はナース主任に会釈すると産婦人科病棟を後にした。
ー女子高生の証言ー
「はい?なにか?」
池照と岩井は住所を頼りに早速、阿部真理亜の住んでいるアパートまできた。
しかし、おもむろに部屋から顔を出したのは三十代から40前後のイケメン風の男だった。
イケメン風というのは、全部が惜しい感じの中途半端なイケメンだ。
変な言い方をすれば、場末のホストがそのまま歳を取った…みたいな男である。
「あの、失礼ですがこちらに阿部真理亜さんは御在宅でしょうか?」
池照は丁重に挨拶した。
「え?真理亜?あんた真理亜のなんなの?」
「これは申し遅れました。こういうものです。」
男は警察手帳を見るなり、目が泳いで、体に僅かに緊張が走るのを池照は見逃さなかった。
「警察?警察があいつに何のようなんだ?」
「いえ、ある事件の参考人として、お話を聞きたいだけです。」
「はぁ、まあいいけど。」
そういうと男は中に声をかけた。
「おい!真理亜!警察が、お前に用事があるって!なんかやらかしたのか?」
しばらくして中から茶髪の長い髪が少し自然にウェーブしている女の子がでてきた。
「あの、外でいいですか?」
「え?あ、まあ、君がその方が話しやすいならそれでかまわないけど…。」
池照はそういって微笑んだ。
しかし、真理亜は池照の笑顔に特に反応する様子もなくスッとドアから出るとスタスタと歩き始めた。
池照と岩井は少し呆気に取られたがすぐに追いかけた。
真理亜はスタスタと歩くと近くの公園に入って行った。
もう日がくれてたので、他に人影はない。
近くの街頭が、ありふれた公園の遊具を照らしていた。
申し訳程度のベンチの所まで来ると、振りかえって言った。
「ここでいいですか?」
「いや、君がいいならいいけども。なんなら近くの喫茶店でもいいけども…。」
「いえ、ここで。」
そういうと、ベンチに座る訳でもなく真理亜は二人の刑事を警戒するように腕を組みながら見据えた。
「お嬢ちゃんなんで警察が来たかわかっとるんちゃう?」
岩井が珍しく最初からカマをかけるような事をいった。
「…いえ。」
少し間があったが否定された。
「ふーん、せやったらなんで場所を変えようなんて言ったんや?」
真理亜はしばらく沈黙した後で口を開いた。
「…聞かれたくないから。」
「え?誰に?」
「あの人達。」
あの人達って、顔を出した男以外に誰かが中に居たって事か…。
「あの…はじめに顔を出した男の人って、誰?父親には見えなかったけども。」
池照は気になっていた質問をしてみた。
「あれは…ママの友達。」
「そうなんだ、友達がたまたま来てたの?」
「まあね。」
「聞かれたくないって言うのはママに?お友達に?」
「どっちも。」
「そう…。」
なんか…場所を変えようと言った割には必要以上の事はしゃべらないみたいね…。
「あの…繰り返しになるけど、なんで我々が来たかわかるかな?」
池照は岩井の誘導尋問に乗ってみた。
「…なんとなく。」
「なんとなく教えてもらえる?」
「…援助のこと?」
二人の刑事は顔を見合わせた。
「ちがうんですか?」
二人の反応を察したのか、真理亜はそういった。
「ま、まあ違うけど…それはそれで問題だね。」
そうは言ってみたものの、援助交際となると管轄が違ってくる。
冷たいようだが、一課の刑事である池照や岩井は専門外なので、同じ警察でも少年課などにバトンを渡さないといけなくなる。
どこまで、突っ込んだ質問をしていいのか迷うところではある。
「そうか、お金に困ってたのかい?」
「…まあ。」
「誰と援助したの?」
「…知らない。」
「し、しらないって…。」
「…顔はなんとなく覚えてるけど、名前とか聞かないし、聞いても忘れるから。」
そういうと、真理亜はフッと笑った。
「お嬢ちゃんこの男はどう?見おぼえあるんちゃう?」
岩井は被害者の写真をみせた。
「…ないわ。」
真理亜は写真を一瞥すると即答した。
「ほんまに?よくみてよ?後で繋がりありましたって事になったら立場悪なるで?」
「…ないものはない。疑うなら調べたら?」
「…ふん、そうさせてもらうわ。」
取りつく島もない。さすがの岩井も捨て台詞を言うのがやっとの様だ。
「ごめんね、真理亜さん、先輩が変な事言って。」
池照はいつものように、相手の理解者という立場を取ったが真理亜は全く無表情だった。
「あの、実は少し聞きたいことがあってね、昨日の夕方くらいに近くのコンビニに行ってないかな?」
「行った。」
やはり即答なのね。
「そこで何をしたのか覚えてる?」
「トイレを借りた。」
「そうだね、その時なにか変わったことはなかった?」
「べつに。」
「あんた、干された女優みたいやな。」
岩井がまた余計な事を言った。
たぶん、場を和まそうとして言ったのだろうが、逆に凍りついてしまったようだ。
しかし腕をくんで、無表情で見返す顔はたしかに、その女優の若かりし頃に似てなくもないな、と池照は思った。
「あの、その時の事をできるだけ教えてもらえませんか?」
「覚えてない。」
「昨日の事ですよ。」
「頭が悪いの。」
「え?」
「刑事さんも興味ない事は忘れるでしょ?」
「はあ、まあ。」
「私も同じ。」
「でも、昨日の事ですからね。どっちのトイレに入ったかとか…とか。その時誰かと会ったとか…。覚えてないですか?」
池照は食い下がった。
「まったく。」
ものすごく記憶力が悪いのか非協力的なのかどっちかだなと池照はおもった。
もし、後者の方だとしたら、入りかたを間違ったのかもしれない…カマをかけずに、普通に調書していれば、あるいは…。
そんな事を考えながら池照が思案顔をして黙っていると、真理亜が溜息をついて言った。
「他になにもないなら帰るけど。」
「え?」
「ええよ。」
池照は真理亜の発言に驚いたが岩井の言葉に更に驚いた。
「いいんですか?」
「せやな、どうせ何も話す気なさそうやし、こんなベッピンさんのJKを夜中まで付き合わせたら怒られそうやしな。」
「それじゃ。」
そういうと、真理亜はまたスタスタと家に帰って行った。
岩井はその後姿に聞こえるように言った。
「でも、繋がりが掴めたらまたくるで!」
真理亜は一瞬足を止めたが、またそのまま歩き出した。
一応真理亜が家に入るまで見届けると、池照は言った。
「どう思います?」
「さあな、わからんけど取り敢えず調べるしかないやろ?あんだけ非協力的なんやから。」
それは、あんたのせいかもしれないけどね。
という、台詞を池照は飲み込んだ。
「ですよねぇ。」
そういうと、池照はすっかり夜になった空を見上げた。
空には綺麗な月が浮かんでいた。
ーおかしなことー
翌日、つまり事件の二日後に司法解剖の結果と遺留品から、おかしなことが判明した。
「え?ほんまに?」
岩井は信じられないという顔で鑑識の男の話をきいていた。
「はい、本人の携帯で間違いないんですけど、仏さんの顔では顔認証できないほどの状態でしたのでメーカーに開いてもらったんですが…。アラームが設定されてないんですわ。」
「どういうことです?」
「わかりませんね、アラームの設定を消せるのは本人しかいませんからね?でも、本人は既に亡くなっている…つまり、不可能です。」
「でも、専門家とかなら出来るんちゃうの?」
「できません。」
「裏技とか?」
「裏技ですか?生前の本人そっくりのマスクでも用意すれは可能かもしれませんけど…メーカーに聞いてみないとなんとも言えませんね、それに、そこまですることでもないような気がするんですけど、これで、犯人が絞られる訳でもないですし…。」
たしかに、そこまでやって得られるのはアラームを消すことだけ…。あまりにも割に合わない。
「あの…その携帯は猿野さんので間違いないんですよね?」
「それはもちろん、そちらの方が先にガイシャの身許を割られているのでご存知かと思いますが…。山野文紀さん35歳、青葉高校の先生をされてたようですね」
「ですね、遺族の方はこられました?」
「はい、奥さんが娘さんを連れて、昨日の時点で確認されていきました。」
「そうですか。御愁傷様です」
「あ、でも。特に取り乱した様子もなく、淡々と確認されてましたけどね…憔悴されてはいましたけど。」
「まあ、実際はそんなもんやろ…最初は魂抜かれたみたいになる人の方が多い気がするわ。」
「ですね、遺族の為にも犯人見つけないと…他殺とすればですけど。」
「だな、あと、絞殺で間違いないんか?」
岩井は大切な事を聞いた。
「じつは…残念ながら絞殺か首吊りかの判断はできませんでした。ただし状況証拠的には他殺かと…。」
「どういうことですか?」
「つまり、首をつってしんだのは間違いないんですが…自分で吊ったのか、吊らされたのかまではわかりません。」
「それで?どうして状況証拠的には他殺になるんです?」
「それは指紋です。」
「指紋がでたん?!」
思わず岩井が身を乗り出す。
「い、いえ、その逆です。」
「逆?」
「ベルトから指紋が出なかったんです。」
「誰のも?」
「誰のもです。」
たしかに、自殺する人間が指紋を拭き取ったりしない…。
「これから、どうします?」
「せやな、なんかだんだん掴み所のない事件になりよったなぁ。ちょっと手分けよか?」
「ですね、僕はもう一度ガイシャの学校に行ってみます。」
「さよか、じゃあ、わいはあの無表情なお嬢ちゃんのところいってみよかなぁ」
「大丈夫ですか?」
「なにが?」
「これ以上こじらせないでくださいよ」
「ばか、俺ほどフレンドリーな刑事はおらんよ?」
池照はなにか言いかけたが、無駄だと思って溜息をついて言った。
「では、お願いします」
「おう!まかしとき!」
一抹の不安を抱えながら池照は青葉高校に向かった。
学校につくと、昨日とは違って少しだけ丁寧な対応になっていた。
たまたま、事件に出くわした生徒が在籍している学校ではなく、先生が亡くなった学校になった訳だから、さすがに穏便に事を運ぶと言っても限界がある。
池照は例の応接室に通されて野球部顧問の古林先生の苦みばしった顔を拝まされていた。
「いやぁ、まさか、まさかねぇ、うちの教師だったとはねぇ」
会ってから何度目かの溜息が古林から漏れるのを聞いて池照は言った。
「ですから、山野先生の弔いの為にも学内での事情聴取が必要なんです」
「そうは言ってもねぇ、ほとんどの生徒は最近の山野先生について知らないと思うんですよねぇ、無駄だとおもうんですけどねぇ」
「無駄かどうかはこちらで判断しますけど…そこまで言う根拠があるんですか?」
「山野先生はここ半年ほど学校に来てないんですよ」
え?池照は鳩が豆鉄砲を食らった顔を忠実に再現した。
そんなバカな…山野はここに居なかった?
「え?退職されたんですか?」
「いえ、退職はしてません。療養中です。」
「療養中?ご病気ですか?」
「まあ、そうですね、病気です。」
「それは…お気の毒に。因みになんのご病気で?」
「それは…つまり。ここです。」
古林先生は言いよどんでから自分の胸をトントンと叩いてみせた。
「…心臓?ですか?」
「心です。」
「こころ?」
「そう心です、なんでも鬱となんとか障害を併発してるらしく、半年くらいですかね、珍しい症例で専門医が居ないと言うことで、ちょっと離れた病院で治療してたらしいです。」
「どこです?」
「なんでも北海道の大学付属病院らしいです。」
なるほど、北大医学部か、珍しい症例に興味ありそうだ。
「入院ということですか?」
「というか、通院ですね、単身で北海道に行って治療してるらしいです。」
「そちらに家族で引っ越すという事はできなかったんですね?」
「いえ、なんでも、少し家族と離れて暮らす必要もあって、治療という名目で少し家族と距離を置かせる狙いもあった様です。」
「家族が原因なんですか?」
「いえ、その逆です。家族に被害が及ぶらしいです。」
「家族に被害が?暴力とかですか?」
「まぁ、そうですね、詳しくはしりませんが、パナソニック障害とかなんとか?」
「パーソナリティー障害じゃないですか?」
「あ、そうそう、それです」
池照は岩井がここに居なくて良かったと思った。
もし居たら変な関西弁の突っ込みが炸裂して、無駄な盛り上がりを見せられてたに違いない。
「たぶん境界性パーソナリティー障害でしょう、親しい親族などに攻撃的になって、自分ではコントロールできなくなるんです」
「ほう、お詳しいですね。」
「まあ、職業柄です。それより、なんで離れた所で療養中の山野先生がこちらに居たのか知ってますか?」
「それは…そろそろ、病状も落ち着いて復帰の目処がたったというのは聞いていました。」
「そうだったんですね…たしかに半年も不在だと聴き込みしても無駄骨かもしれませんが、それも承知でお願いできませんか?」
「熱心ですね…そこまで、おっしゃるなら何人か半年以上前の山野先生を知っていそうな生徒を紹介しましょう。」
「お願いします。」
それにしても、調べれば調べるほど新事実が出てくるが、その度に事件の輪郭はおぼろげになって行くような気がしてならない。
山野が心の病だったとすると自殺する理由も強固になる。
しかし、他殺だとすると…被害を受けていた身内の可能性も浮かび上がってくる。
こちらの聴取が終わったら、山野の家族に会わないとならないな…池照は漠然とそう思った。
ー聖母の母ー
岩井は単身、真理亜の自宅に向かった。しかし、目的は別の所にあった。
ガチャ。
「あれ?また刑事さん?真理亜なら居ませんよ。」
阿部の家から髪をかきながら出てきたのはこの前も居た残念なホスト風の男だった。
「わるいね、なんども。せやかて、仕事やさかい、多目にみてちょうよ。」
「はあ、まあ、いいですけど…。」
「そういえば君この前もおったよね?なんで?」
「なんでって、言われても…住んでますから。」
「え?そうなん?真理亜ちゃんからはお母さんの友達って聞いとるよ?」
「それは…まあ、友達といえば友達ですからね、おかしくないでしょ?泊まりにくる友達。」
「せやな日数によるけども…どれくらいおるん?それと名前も教えてえや。」
「え?なんでそんなこと言わないとダメなんですか?なんの事件の捜査かしりませんけど。事件に関係あるんですか?」
たしかに、直接は関係ないかもしれないが、念の為、色々と情報はあった方が良い。
「念のためや、そないに目くじら立てんでもええがな、それとも、言えない訳でもあるんか?そういえば初めて君におうたときも挙動不審やったよな?」
そう、岩井は初対面の時の男の挙動に疑問を抱いていたので真理亜が居ない可能性が高い昼に訪問したのだ、真理亜の母に話を聞くついでにこの男が居ればという狙いがあったのだが…見事に的中したようだ。
「きょ、挙動不審?そりゃあ、昔は悪いことのひとつやふたつはやってましたからね、警察って聞くだけで構えちゃうのは仕方ないでしょ?パブロンの犬ですよ。」
「それいうなら、パブロフの犬やろ!風邪薬みたいな顔してからに!」
「どんな顔ですか風邪薬みたいな顔って!」
「いいから、何日か言わんかい、あと名前も!」
「半年くらいです。」
中から女性の声で答えが来た。
「おや、起こしたみたいでえろうすんませんなぁ。」
阿部の母はネグリジェのような格好で出てくるなり言った。
「真理亜の事件じゃなかったの?なんでうちの人に絡んでるの刑事さん。」
「うちの人?」
「そうよ、半年前にここに移ってきてからずっと住んでるの、わかるでしょ?」
「内縁の夫って意味やな?」
岩井は40歳くらいの不健康な色気をもった真理亜の母親を見て言った。
「さよか、それならそうとはよゆうてくれんと、この男が友達だとかいうから。」
「いや、友達って言ったのは真理亜でしょ?」
「それをあんたも否定せんかったやないか?」
「それは…まだ籍もいれてないし、友達以上恋人未満ってやつですよ。」
「なんやそれ?友達ならせいぜい泊まるのは2日か3日やろ?半年も泊まってる友達ってなに?シェアハウス?」
「まぁ、ある意味シェアハウスで。」
「なにそれ…だったら家賃いただかないと困るわね。」
「えー、そりゃないよ、ゆーちゃん。」
「人前でゆーちゃんはやめなさい、加納さん。」
「ゆーちゃん?」
「あの、私の名前が友里亜なんで、そう呼ばれてるんです。」
「ほう、友里亜さんやね。」
どうしても世紀末を描いた漫画を思い出してしまうなと岩井はおもった。
「ほいで、こちらの加納さんとは半年前から同棲してはるんですね?その前は?」
「その前は別々でした、部屋も狭くて親子がやっと住めるくらいの所でしたので。」
「さよか、その前は別々と…。あと真理亜ちゃんの事やけど…。」
「はい。」
「なんか危ない遊びとかしてはる気配ない?」
真理亜が援助交際している事を知ってるかどうかわからないのでわざとあやふやな表現をした。
「危ない遊び?具体的にはどんな遊びですか?」
「いや、具体的にと言われても困りますわ、まだ捜査中なもんで。」
そういうと岩井はポリポリと頭をかいた。
「麻薬とかはやらないと思うんだけど、あの子に限って…。」
「なんでですか?」
「私がその…悪い見本だったからね。」
「薬をやってはったんで?」
「いえ薬ではないです!もしやってても刑事さんの前で言わないですよそんなこと!」
「せやな…おかしいとおもったんや、ほいで?」
「お酒の方で結構みっともない所を見せてたんで。」
「アル中やったん?」
「はい、それで、あの子は中毒の怖さは知ってるかと…。」
「なるほどなぁ…。」
岩井は真理亜に少し同情した。
「その時からこの加納さんにも色々と面倒かけてたんでなんとなく、そういう関係になったんですけど…やっぱり真理亜には全然認められてないみたいで…。」
「僕は全然かまわないんだけどね、友達って良い響きじゃない?友達の友達は皆友達だ!てね?」
岩井は、こんな軽い男が今はもてるらしいとどこかの記事で読んで苦虫を噛み潰したような顔になったのを思い出した。
「あの、念の為やけど、半年前住んではったのもこの近くですか?」
「いえ、隣町の紅葉町です。」
「なるほど、紅葉町ね。最後にもうひとつええか?2日前真理亜ちゃんが帰ってきてから変わった様子なかったやろか?」
「変わった様子…ですか?」
「とくにはないとおもいますよ。」
加納が答えた。
岩井は、おまえには聞いてないがな、という目で一瞥するともう一度友里亜に聞いた。
「細かいことでも良いんやで?」
「そうですね、細かいことですけど、居間のソファーで寝る様になった事くらいですかね?」
「ソファーってそこの?」
「はい。」
居間は子ども部屋からも寝室からも繋がっていて、そこから近くの公園も見えた。もちろん玄関にも一番近い。
「なんでか分かります?」
「さぁ?」
「でもそれって、もっと前からじゃなかった?」
また加納が割り込んで来た。
「そうだったかしら、そういえば気がついたらそこに寝てたわね。ごめんなさい、もっと前からだったみたい。」
「では事件とは関係なさそうやね?」
「ですね。」
「じゃあ、このへんで、帰りますわ、またなにかあったら
協力たのんます、友里亜さんとあと、加納さん?そういえば下の名前なんでした?」
「栄吾です。」
「えいごさん。惜しいな。」
「え?なにがです?」
「いや、こっちの話です。ほな、失礼しますぅ。」
阿部友里亜。真理亜の母。
加納栄吾。母の友達。
メモ帳に書いた名前に目を落とすと岩井は真理亜の身の上を思って嘆息した。
友里亜は加納に感謝してたようだが、岩井は加納の薄っぺらい笑い方が気になった。
根っからの依存体質の男がよくやる笑い方だ。
もちろん、一、二度会っただけで全てを推し量るのは難しい。
もしかしたら素晴らしい魅力的な男性なのかもしれないが…。
「第一印象は友達以下やで。」
岩井は誰に言うともなく、そう呟いた。
ーモンキー先生ー
池照はどうしても、猿野文紀の人となりを知る必要があると思い、青葉高校で粘っていた。猿野は読書部の顧問をしていたという事もあって、読書部の生徒ならなにか知っているかもしれないと読書部部員を呼ぶことにしたが、生憎部長一人を除いて補修授業を受けているという事で、部長だけ呼んで話を聞くことになった。
「え?モンキー先生の事ですか?」
読書部の部長でストレートヘアと眼鏡がいかにも読書しますけどなにか?と言ってそうな読書女子の遠野日向さんは池照に会うなりそう言った。
「モンキー先生?」
「読書部の中ではモンキー先生って渾名で通ってます。」
「猿野だから?」
「それだと、子供のつけた渾名じゃないですか?名前の方からですよぅ。」
十分子供じゃないかな…という台詞は飲み込んで池照は猿野の名前を思い出してみた。確か…文紀。
「ああ、そういうことか!文紀先生の読み方を変えると確かにモンキになるね?」
「でしょ!読書部らしい渾名でしょ?」
読書部らしいかどうかはわからないが池照は愛想笑いをした。
「確かにね。でも、先生にモンキーなんて渾名をつけてるの知られたら大変じゃない?」
「なんで、わかるんですか?確かにばれた時大変な騒ぎになったんですよ。」
「え?そうなの?」
ていうか、普通わかるよ。
「もともとキレやすい所がある先生だったんだけど、その時は完全にキレた感じで暴れちゃって…。」
「ありゃりゃ、そりゃ災難だったね。」
「そう!でも、うちの読書部の男子ってなんで読書部にいるのか不思議なくらい男子が体格よくてね!
まぁたぶん、読書部の女子がお目当てだと思うんだけどねぇ。
あ、私は違うわよ?そんな自惚れてないし!まぁ、少しは自信あるんだけど自分から言うのははしたないでしょ?
ていうかなんの話だっけ?
そうそうそれでそのヒステリー起こした猿野先生を男子が取り押さえちゃったの!モンキー先生って大人にしては小さい方だったからね。
もちろん他の先生方が来るまでの間だけどね。
それから学校に来なくなったのよね、やっぱりプライドが傷ついたのかしらね?
でもそれで私たちを攻めるのはお門違いだと思うのよね、渾名くらいで先生がキレるほうが問題だと思うのよ。まぁもともとが問題のある先生だったしね。というのも…。」
「わかった!君が協力的な事はよくわかった!とても有難いんだが…もっと落ち着いて話して貰ってもいいんだよ?」
池照はたまらずストップをかけた。
こういう子が将来井戸端会議の主役になるに違いない。
池照は自分がしゃべった訳でもないのに置いてあった水をグイっと飲んだ。
「あの、それだと、猿野先生はその時取り押さえられた生徒に怨みをもってるってことになる?」
「たぶん怨んでるとおもうわ!でも自業自得だけどね。」
「なんで?」
「結構黒い噂もあるのよ、生徒に手を出したとかなんとか、まぁ噂だけどね。あ、私は大丈夫よ!毅然としてるもの!」
そういって、遠野は池照に微笑んだ。
「そ、そう。それは良かった。」
「まぁ、ちょっと近寄りがたいというのもあるかもしれないんだけど…一応部長だしね?」
「うん、確かに。」
確かに、近寄りがたい…ていうか会話が成り立たなそう。
「それで、その被害にあった女生徒はわかってるの?」
「いや、そこまではわからないっていうか…あくまで噂なのごめんね。」
なんで謝られたんだろう?
「ていうか、猿野先生は情緒不安定だからそんな噂がたったのかもね?」
「情緒不安定だった?」
「そう、よくなんでもないことでキレたりして医者にかかっているって聞いたことがあるわ!精神安定剤も毎日のんでたんじゃないかしら?よく寝てたもの。」
「寝てた?」
「そう、薬のききかたにムラがあるとかで授業中でも平気で寝るの。寝たら起きないからみんなで寝猿!起こ猿!起き猿!とか言ってからかってたわね。どうおもう?」
「それは…困った先生だね。」
「でしょう?だから来なくなってから、まわりの先生も言葉には出さないけどホッとしてたみたいだったわ。」
「ふーん、なるほど、じゃあ復帰を喜んでる先生は少なかった?」
「そうね、皆無かも?」
そういって、遠野は微笑んだ。
「なるほどね、ありがとう。とても参考になったよ。」
「いえいえ!なんでも聞いていいですよ、部長だし!なんなら捜査に参加しても…。」
「いや、それは大丈夫だから…。」
「そう?LINE教えようか?」
「え?」
協力者が増えるのはありがたいが…事件以外で振り回されるのは勘弁して欲しい。
「もし、必要になったらこちらから連絡するよ。」
そういって、いつもの微笑みで返した。
池照が帰ろうとすると遠野が引き留めた。
「あの!刑事さん!」
池照は一瞬名前を呼ばれた錯覚に陥った。
直ぐにそんな訳がないことを理解するのだが、どうしても体は反応して挙動不審になってしまう。
「え?な?なに?」
「そういえば見せようと思って持ってきたんですけど写真、見ます?」
「何の写真?」
「読書部で集合写真撮った時のやつです。」
読書部全員の名前は控えてあるし、あんまり意味はないように思えたが、折角なので見せてもらう事にした。
「ありがとう。見せてくれるかい?」
「はいこれ!」
少し上から撮っている凝ったアングルで真ん中に猿野先生、その回りに読書部の生徒数人、と…あれ?
「あの、ここに映ってるのは?」
「え?えーと、中川くんね。」
「え?読書部じゃないよね?」
「まぁ、読書部じゃないけど、ちょくちょく来るのよ。
ほら、うちの学校は部活動の掛け持ち禁止でしょ?でも、入ってから合わない事に気がつく子もいるのよねぇ、特に体育会系は落ちこぼれたら居る場所ないんじゃないかしら?
だから、中川くん野球部の練習をなんだかんだ理由をつけてサボっては、こっちの部室に顔を出してる訳。
もしかしたら私がお目当てなんじゃないかしらって勘繰ったりしたけど、確証はないわ。
私じゃなくても、読書部の女子は結構粒揃いだから誰かが目当てなのは確実だと思うんだけどね。
まぁそんなわけで部員じゃないんだけど、準レギュラーみたいな感じで部室に顔を出すわけ。来年は正式に入るって言ってたわ。」
でかした!
心の中で遠野を褒めた。
彼女の演説が長くても今回は気にならなかった。
中川良太くん。君の事、勘違いしてたよ…すぐに顔に出る性格ではあっても、嘘をつけない性格ではなかったんだね。
池照は刑事の威厳を保つ為に溢れそうになる笑みを堪えた。
「そういえばLINE交換、やっぱり念のためお願いして良いかな?」
池照は何か彼女が喜びそうな事をしてあげたくなったのでそう言った。
もたろん本当に捜査に役立つ情報の提供も期待できなくはない。
「え?本当に?」
「捜査に協力していただけるなら喜んで。」
「やった!」
遠野日向は喜びを隠さなかった。
ー戦慄のお茶会ー
事件のあった翌日、池照の斡旋のお陰で安定した収入が見込める様になった裏山は詳しい仕事の内容やらの打ち合わせがあると言うことでまた如月邸に来ていた。
「そういえば、詩歌は人を殺した事はあるの?」
裏山詩歌は突然の如月如鏡からの、あり得ない質問に、口に含んでいた紅茶をぶちまけそうになるのを必死に耐えた。
口許に持っていっていたティーカップを少し揺らした程度で済んだのはある意味奇跡的であると言えた。
「如鏡さん、なんてこと聞くんですか?」
「あら、いけなかった?それより、バアヤが居ない所では呼びすてでかまわないわよ。こちらも呼びすてにしてる訳だし」
ひとしきり、如月邸の中で入ってはいけないところ、触れてはいけない貴重品などの説明を新人の裏山詩歌に垂れていた桜庭彩は一旦、本来の仕事に戻る為にこの場に居なかった。
「くれぐれも粗相のない様に!私が見てなくてもKISARAGIさんが観てますからね!」
そう捨て台詞を吐くと何故か怒った様にバアヤは去っていった。
「いえ、やっぱりやめときますよ。普段から慣れておかないと、咄嗟の時に出てしまいますからね」
「そう、残念ね。あと、質問の答えをまだ聞いてないわね、もう一度言う?」
詩歌は大きく手を前で振ると慌てて言った。
「いえいえ!それには及びません!殺したことなんてないですよ!殺してたらここに居ないでしょ!如鏡さん!」
「あら、どうして?裏山流は影山流と並び立つ暗殺拳じゃないのかしら?」
如鏡の言葉に詩歌は戦慄した。
如鏡の発した名は遠い昔の敗北の記憶を呼び覚まさせたからだ。
「な.......なぜ、その名を?」
「ん?なに?」
「なぜ影山の名を知ってるので?調べて出てくるとは思えませんが.......」
「もちろん、調べたわけじゃないわ、聞いたの」
「.......誰に?」
「影山から」
「な、なぜ影山流とお知り合いなので?」
「貴方が来る前のボディガードだったの」
影山.......まさか、あいつか?
「あの.......その、影山の下の名前は?」
「残念ながら、知らないわ、最後まで教えてくれなかったから」
「最後?」
「そう最後」
「死んだんですか?」
「あら、なんとなく嬉しそうね」
「い、いえ、そんなわけありませんよ。いくら同業者といえども.......お悔やみ申し上げます」
「バカね。まだ死んだとは言ってないわよ。ヘッドハンティングされたの」
「え?ヘッドバンキング?」
「あのね。いくら黒づくめに長髪でもロッカーじゃないわ」
黒づくめに長髪と聞いて更に知っている奴に違いないという確信に変わった。
「で、ですよね。それでどちらにハンティングされたんですか?」
「桜家」
「あぁ、名前は聞いたことがあります」
確か桜家は如月家と並び立つ名家の筈だ。
「そう、それでバアヤはさくらと呼ばれるのが嫌なの.......変でしょ?」
「え?あ、あぁ.......そうだったんですね」
俺はバアヤの事より、昔馴染みの思い出したくない顔を思い浮かべて額に汗が滲んできた。
「何を焦ってるの?」
「い、いえ.......知ってる影山かと思いまして」
「あら?もし、良かったら紹介しましょうか?」
なにー!
それはまずい。
例え何もなくても、アイツならなんやかんや難癖を付けてでも俺にちょっかいを掛けてくるに違いない!
もちろん、普通の人にはそんな事はしないだろう、相手が俺だからアイツは気兼ねなくちょっかいをかけてくるのだ。
ちょっかいくらい大したことないって思う奴もいるかも知れないが全然ちがうのだ。
猫がジャれてくる様な気軽さで相手が虎だった時を想像してみてくれ。
つまり、命懸けの冗談ってわけだ。
やられるこっちはたまったもんじゃない!
「い、いえそれには及びません。相手も忙しいでしょうし.......」
俺はなんとかはぐらかそうと思った。
「あらそう.......残念ね」
「お気遣いなく」
「じゃあ.......これからゲームをしない?」
「ゲームですか?」
「そう、そのゲームで勝てたら」
「勝てたら?」
「ご褒美として、会わせてあげるっていうのはどう?」
「え?ご褒美?そうですね」
俺は絶対に勝たない事を心に決めた。
「なるほど、受けて立ちましょう」
どんなジャンルのゲームだろうと、最初から負けるつもりなら問題はない。
ドンと来いだ。
「で?どんなゲームです?」
「ディベート」
「ディ.......ディベート?え?」
「そう、論理のゲームね」
ええええ!思ってたのと違う!
「じゃあ、お題はそうね.......死刑が必要かどうかなんてどう?」
「え?あの.......」
「なにかしら?」
「判定は誰が?」
「そうね、お互いに紳士的であることを信じて自己申告というのは?」
「.......いいでしょう」
自己申告なら問題ないな.......うん。
「ではどちらにしますか?」
「え?何を?」
「死刑が必要かどうか」
「あ、あーそうですね。じゃあ、不必要って方で」
そう言えば、この前見た漫才にそんな題材のがあったのを思い出していた。
「わかったわ、じゃあそちらからどうぞ」
「そうですね。やはり人権の問題から言っても死刑は相応しくないと思います。今は少なくなりましたけど、冤罪なんてケースもありますからね。間違いで人が人を殺す可能性が僅かでもあるようなものは廃止すべきかと」
何となく、あてずっぽうで話し出した割には結構良いことを言ってる気がするが、まさかこれで勝ったりしないよな.......。
「なるほど、でも、それで死刑がなくなれば、人を殺しても死ぬことはなくなって、最悪でも無期懲役。となれば殺人をする人が沢山出てくるんじゃない?」
なるほど、やはりそうなるのか。
俺は心の中で漫才師のやり取りを思い出していた。
「わたくしめに妙案あり」
「あらなに?」
「つまり、監修した後に何もしないから犯罪が減らない訳です。悪しき心を矯正するプログラムを入れるわけです」
「具体的には?」
「具体的にはですね。例えばすぐカッとなるタイプの犯罪者には、カッとなると身体的に負荷のかかるプログラムを行います」
「つまり拷問するってこと?」
歯に絹を着せない物言いに少し慌てたが直ぐに笑顔を返しながら否定する。
「いえいえ、あくまでも矯正プログラムです」
「なるほどね。でもさっき言ってた冤罪はどうするの?間違いで捕まえて強制的に矯正されたら人権問題じゃない?」
なるほど、と納得しかけた俺にさらなる反論が閃いた。
「まぁ、例えば冤罪だったとしても問題ありません。もし、間違いで捕まった人がいてもその人はアングリーコントロールができる人の筈ですのでそもそも負荷がかかりません」
「犯人がアングリーコントロールが出来ないという特徴を持っているとして。たまたま、冤罪で捕まった人もアングリーコントロールが出来ない人の場合もあるでしょう?」
「え?えーと、その場合は.......まぁ、アングリーコントロールが出来ないという事自体が反社会的といえるので、それを矯正すること自体が犯罪率の低下に繋がると考えられます」
「なるほどね」
え?納得した?ヤバい、つい納得させてしまった!
俺は子供相手に本気を出しすぎたかと反省した。
が杞憂だったようだ。
「でもね。ついカッとなるというのも性格の1つだと思うんだけど」
「はい?」
「例えば怒りやすいという性格というのはスポーツで言うと負けず嫌いという事に繋がるし、公的な仕事で言うと不正を許さないという事にもなる。つまり社会的には価値的に使われる可能性があって一概に犯罪に繋がるだけとは言いづらいわよね?それを強制的に矯正するのは社会的損失になるし、なんの罪も犯してないなら人生の原動力を理由なく奪われる事になるわよね」
「え?ええまぁ.......でも瞬間的に怒りやすいのは治した方が良いのでは?」
「瞬間的に怒りやすくても直ぐに覚めてサバサバする性格の人も居るし、むしろ表面的には穏やかそうな人でも怒りを内側に溜め込む人の方が殺人などの重犯罪を犯しやすいんじゃないかしら?そもそも、怒りやすいかそうでないかで犯罪しやすいかどうかを決めるのがナンセンスであって、そのベクトルがどこに向かってるのかが重要なんじゃない?」
「ベクトルといいますと?」
「つまり、悪に対する怒りなら正義でしょ?」
「.......確かに」
「それを間違いで矯正して良いの?」
「.......不味いですね」
「あら、もう降参?」
「.......はい、負けました」
最初から負けるつもりで居たけどなんか悔しい。
「紅茶が冷めてしまったわね、入れ直して来ようかしら?」
「い、いえ、如鏡さんにそんな事をさせたなんて、後でバアヤに知れたら殺されますよ」
「あら.......殺人事件ね?」
ちょっと、、、このお嬢様どこまで本気かわからないのが怖い。
詩歌は冷めた紅茶をグイっと飲み干すと取ってつけたような笑顔で答えた。
「ですね」
ー小学生の証言ー
山野美羽は事件の時の様子をたどたどしく話だした。
「あの.......今なんて?」
池照は山野宅で被害者である山野文紀の娘、山野美羽の言った言葉に耳を疑った。
「ちょっと!美羽!違うでしょ!」
母親の吉美が遮る様に言った。
「あの!違うんです!この子ちょっと混乱して!」
「え?まぁ、そうでしょうけど。少しお母さんも興奮なさらずに」
「お嬢ちゃん、それほんま?」
池照が母親をなだめている間に岩井がいつの間にか美羽の眼の前に居て両膝に両手を置いて少し中腰のスタイルで聞いた。
「美羽!」
吉美がまた叫ぶ。
「お母さん、少しその.......お静かに」
池照は被害者家族と言うことも考慮しながらギリギリ失礼にならないように言葉を選んで母親を制御することの難しさを感じていた。
美羽はゆっくりと頷いた。
「もう一度ゆうて貰える?」
「あの.......お父さん殺したの私です」
「美羽!」
「お母さん!」
「ちょっと!美羽!いい加減にしなさい!刑事さんにそんなウソついて!」
「あの、失礼ですが.......美羽さんに任意同行願えませんか?」
「え?何言ってるんです?この子の冗談ですよ!ほら美羽!冗談だっていいなさい!」
「お母さんがちょっと興奮しすぎてるみたいに見えるので。少しだけほかの場所聞きたいんですけど」
「興奮してるからなんなの?!それで子供を連れていかれる理由にならないわよ!」
「いや、なるんやそれが」
「は?」
「一時保護って知っとる?子供が客観的に見て保護が必要だと認められる場合に強制的に保護できるねん」
「そ、それは児童相談所とかの話でしょ?」
「その児童相談所に掛け合ってネグレクトなどの疑いがあるって所長に言ったらどうなるやろ?」
「なにそれ?ネグレクト?ちょっとふざけないで!放棄なんかしてないでしょ!」
「そういえば、美羽ちゃんアザっぽいのできとるなぁ」
「そ、それは」
「ええか?事情聴取なら今日中に返してあげれるけども、一時保護となったらそうはいかんよ?どうする?」
「どうするって.......どういう意味ですか?」
「ほんまに白やったら取り調べしても白やろ?ちゃいまんの?」
「当たり前でしょ!」
「じゃあええやん?不安ならあんたも来たらええがな」
「もちろん行きます!」
上手く任意同行に応じさせる事ができた様だ…。
こういう所は岩井は抜け目ないな.......と、池照は感心した。
取り調べ室の椅子の上にちょこんと座った山野美羽に池照は質問した。
母親の希望で聴取するのは池照の役になった。
岩井と母親は部屋の外で見守っている。
「ごめんね、待たせちゃって、色々準備があったんで遅れちゃって.......どう?部屋寒くない?」
台詞だけ聞くとまるで恋人の待ち合わせみたいだな、と岩井は思った。
「.......いえ」
美羽は短く応えた。
「そう.......それじゃ早速だけど、事件のあった時の事を話してもらえる?」
「えと、それが.......良く覚えてなくて」
「え?」
「その、殺したのは覚えてるんですけど」
「どうやって殺したのか覚えてないの?」
「あの.......睡眠薬をたくさん呑ませてしまいました」
「ああ.......お父さんが飲んでたやつ?」
「いえ、それ以外にも沢山カレーに混ぜて」
「カレーに混ぜて殺そうとした?」
「.......はい。沢山のんだら死ぬとか…どっかで書いてあったので」
「それで?」
「でも、死ななくて.......ふらっと出て行ったんです」
「ふむ、コンビニに向かったんだね?」
「そうです.......それで後をつけてたんですけど出てこないんで」
「様子を見に行ったら.......怖くなって」
「怖くなったってなにが?」
「突然トイレに引っぱられて怖くなって.......」
「それで?」
「気が付いたら.......殺してました」
「あの.......気が付いたらってどのへんで?」
「.......よくわかりません」
「え?なんで?」
「.......なんでかわかりません」
「.......そう」
池照は一時的ショックによる記憶喪失かもしれないと思った。
いづれにしても、加害者の自供がある以上、この線で行くしかないのか.......。
「あの.......そういえば、手足にあるアザってどこでついたの?誰かにやられたとか?」
「あ、あの.......父さんに」
「なるほど、それで?」
「.......はい?」
「それで殺そうと思った?」
「あ.......はい、そうです」
動機がある、証言は曖昧だが実行可能だろうか?
寝ている大人を首吊りに見せる。
池照は何かに引っ掛かりを覚えた。
その後進展する事はなく、そのまま山野美羽は母親の吉美と一緒に自宅まで送る事になった。
とりあえず重要参考人という事にはなったのだが証言が曖昧な部分があるという事と、逃亡の恐れが低い事、年齢的に犯罪が立件出来ても保護観察が妥当な事などを考慮して帰宅させる事になったのだ。
帰宅する際は母親はかなり項垂れていたが、もう興奮してなにかする様な事はないと思われた。
「それじゃあ、またなにか思い出したら、話してね?」
別れ際に池照は美羽にそう告げた。
美羽は黙って頷いた。
吉美はそれを黙って見守っている。
部屋に入る親子を見て池照は一抹の不安を感じた。
「まさか.......無理心中とかしないですよね?」
「わからん」
岩井は素っ気なく言った。
「わからんて、じゃあ一時保護しましょうよ!」
「それは無理」
「なぜ?強制的にできるんでしょ?」
「まぁ、できるっちゃあできるんやけど、結構手続きとかあるんよ。さっきは勢いですぐできるみたいな雰囲気だしただけや」
「そんな.......」
「警察の限界、行政の限界なんてほんと、手の届く範囲やで?」
「今、届くじゃないですか?」
「.......いうねぇ。ワイが女やったら抱かれてる所やわ」
「冗談言ってないで真面目に考えてください」
「いや、冗談抜きでここまでや。あの子が犯人だった場合はだけどな」
「違うと思ってるんですか?」
「俺のは勘だからアテにならんよ」
「勘でもいいですよ.......勘では違うんですね?」
「まぁな」
「その勘、信じますよ」
「へぇ、そりゃ嬉しいね。飴ちゃんあげよか?」
「いりません」
「さよか」
二人の刑事は無言で帰路についた。
ー女子高生の証言(二回目)ー
山野美羽が犯行を自供したことで、俄然重要になってくるのが約1分後に入った女子高生の阿部真理亜になってくる。二人の刑事は次の日の朝から真理亜の自宅に向かった。
真理亜のアパートはどうやらインターホンが壊れているらしく、どんなに強く押しても中から音が聴こえてこない。
しかたなく、ドアをノックすると程なくドアが開いた。
「だれ?」
出てきたのは真理亜だった。
「あ、おはようございます。警察の者です。朝早くからすみません」
「このまえの?」
「はい、この前と同じ刑事です。ちょっとお話伺いたいんですけど」
「またなの?話す事なんてないんだけど.......」
「あの女の子.......自供したで」
横から岩井が言った。
「え?うそ?」
「うそちゃうねん、昨日自供しよった」
「そ.......そう」
「なんや?なんか言いたそうやな?」
「べつに.......本人がそういうならそうなんじゃない?」
「ほいでな.......その時あんた隣におったんやからなんか気が付かんかった?」
「特にないけど.......ゴンとか音がしてうるさかった気がする」
「それだけ?」
「それだけよ」
「さよか.......それだけか。でも、けったいやなぁ」
「は?」
「わいは、あの女の子としか言うてへんのにあんた、まるで知ってる子の様な反応しよったな?」
「!」
真理亜の顔が強ばった。
「しかもや.......自供したって言うた後に当然あるべき質問がなかった。なんの自供をしたのか知ってるってこっちゃな?」
「は?なにそれ?誘導尋問てやつ?バカみたい」
「いうやんか、だったらきっちり説明してもらおか?」
「説明もなにも、もう一つのトイレの前で中の男と話してる女の子は見たからその子かとおもっただけ」
「ほう、そいで?自供したってのは?」
「隣のトイレで首吊った男が殺されたかもしれないんでしょ?」
「おい池照?この事件記事になってたか?」
「いえ、警察の発表はまだですし、どこの記事にもなってないはずですが」
「さよか.......ならおかしいよな?なんでこのお嬢ちゃん知っとるんやろ?」
「さぁ」
「もしかして.......見たんちゃう?現場をしっかりと!」
「かもしれませんね」
「ちょっと!なに勝手に決めつけてんのよ!」
「なんや?弁解なら聞くで?」
「あのね.......私には私の情報網があるの!」
「へぇ、どんな?」
「教えない」
「さよか.......ええで?別に心象が悪うなるだけやさかいな」
「あんたの似非関西弁の方が心象悪いわ」
真理亜と岩井は睨み合った。
「そりゃ同じ街に住んでりゃどっかで会うやろ?被害者の先生評判悪かったらしいからなぁ。ひょっとしたら援助交際とかしてたかもな?」
「なにそれ?私が援助でトラブって殺したって言いたいわけ?」
「頭いいやん。正解」
「ふざけないで!」
「ふざけとらんで?真面目な話や」
真理亜はおし黙っていたが、絞り出す様に言った。
「.......これでも客を見る目はあるのよ。トラブル起こしそうな奴なんかに引っかからないわ」
「ふーん、さよか。それはこれから調べるわ、じっくりとな?」
「勝手にどうぞ!」
「おおこわ!」
「ちょっと待ってください先輩!やりすぎですよ」
ずっと静観していた池照がやっと口を挟んだ。
「このお嬢ちゃんが隠し事するよってにな」
「それにしてもです!まだ参考人なんですから」
「せやかてなぁ」
すると奥の方から声が聴こえてきた。
「なんなの騒々しい.......」
「お母さん!なんでもない!」
阿部友里亜がまた黒の下着にスケスケのネグリジェ姿で登場した。
岩井はなぜかこの不健康そうな色気を漂わせる母親をみると健康的な色香を纏った看護師長を思い出してしまう。
「家の子をあんまり虐めないでくださいね刑事さん。そろそろ怒りますよ」
「いえ、虐めてるわけやのうて」
「シャラップ!」
シャラップなんて久しぶりに聞くな、と池照は思った。
「今日はおひきとりください」
「はい?」
「おひきとりを」
ほぼ下着に近い服装とは裏腹に母親の毅然とした態度に押されて刑事達は渋々帰る事になった。
「なんやあれ?親子揃ってこわない?」
「怖くはないでしょ?普通の反応ですよ。やりすぎです岩井さん」
「ありゃ…真理亜ちゃんの肩持つん?惚れた?」
「馬鹿な事言ってないで、裏を固めないと」
「せやな、先ずは接点やな.......どこでおうたのか?」
ところが半年前まで隣町にいた阿部親子と半年前から治療で離れたところにいた山野には容易に接点が見つからなかった。
山野が治療を終えて帰って来たのが事件の1週間前ということがわかった。
1週間で人を殺す動機は、そうそう見つからなかった。
ー不思議なメールー
阿部親子の家から退散してきた池照の携帯に如鏡のパソコンからメールがおくられてきた。
「お前、さっきから何見とん?」
岩井が横から池照の携帯を覗き込んで言った。
「え?あ……いや!なんでもないですこれは!」
「さよか……なんでもないならええけど」
「はい」
「また如月の嬢ちゃんに相談して、協力させてるんかとおもうて焦ったわ」
「そんなバカな」
池照は完璧に近い芝居が出来たと自分で自負した。
「ほいで?」
「はい?」
「はい?やないよ……ほいで嬢ちゃんなんてゆうてんの?」
「いや……ですから相談してないですって」
「嘘はええねん!時間が勿体ないからはよゆうて!なんて書いてあるのかゆうて!そのお嬢ちゃんからのメール!」
池照はなんでバレたのかわからなかったが仕方なくメールを見せた。
「最初からすっとみせいや。たくっ」
そういうと岩井は池照から携帯を取り上げた。
「……なんやこれ?」
「さぁ?なんでしょう?」
「……まぁ、ええわ、このとおり調べよか」
「え?!」
「なに驚いてんねん。その為に聞いとるんやろ?」
「ま、まぁ、そうなんですけど。先輩...…いいんですか?」
「いいもなにもないわ。とりあえず通常捜査で行き詰まってるんやからしゃーないやろ?」
「まぁ、たしかに……」
「なんや?なんか言いたい顔やな?」
「いえ……意外だなと」
「変な感心のしかたせんでええねん。とりあえずメールの指示どおりやってみよや……なんもせんよりかなりましやろ?」
「ですね」
池照はメールの内容を見直した。
以下、如鏡からのメール。
『どうもごきげんよう池照さん、昨日おくられてきた資料ひと通り読ませて頂きました。そこで、調べて頂きたいことがいくつか御座いますので、よろしかったら調べて頂けたら幸いです。無理そうでしたら優秀な探偵の裏山さんにお願いしますのでお気になさらず。
先ず最初は中川翔子さんの事件当日のお休みの件ですが、もしかしたら決まっていたわけではなく、唐突にお休みを頂いたのではないかと言う事。
もう一つ、中川翔子さんがコンビニに入る前に黄色い服の女性を見かけていないかお伺いしてもらえませんか?
それと被害者の後頭部の後ろに打撲痕がないか再度鑑識で調べてもらえないでしょうか?
後、もう一つだけ。トイレの鍵ですけど、回して引っ掛けるタイプですよね?どちらかから回す取っ手の部分ではなく引っ掛ける方から指紋ではなく指の横の部分が付着した様子がないか調べてもらえませんか?
よろしくお願いします。如月如鏡』
裏山詩歌は如月邸の応接室で、如鏡のノートパソコンを覗き込みながら言った。
「あの……これでなにがわかるんです?」
「え?色んな事がわかると思うけど、例えば指のどこかの部分が触れた痕跡があれば、誰かが慌ててトイレを密室にせざる負えなかった事がわかるわ」
「え?わざわざ指で?何か薄いものを使えば痕跡を残さない様にできる気がしますけど」
「もちろんそうね。でも犯人が慌てていたらそこまで考えが及ばないでしょ?」
「慌てていたと思うんですね?」
「計画性がなかったと言うことも含めて解ると言ってるだけよ。それに……もしかすると、誰が密室にしたのかも、わかるかもしれないでしょ?」
「ふーむ、しかし、もしこれでなにか出てきたら鑑識の怠慢じゃないですか?」
「あら、どうして?」
如鏡は驚いた様に聞いた。
「え?だって、後頭部の打撲痕とか鍵の指紋とか……見逃してるわけでしょ?」
「あなた、ドラマの見すぎね、これくらい見逃したうちに入らないわ」
「そうなんですか?」
「そうよ、鑑識って言うと全部調べるみたいな風に捉えられるけど、実際は現場の所見に沿うように調べて終わり。そうじゃないと終わらないもの」
「見てきた様な台詞ですね?」
詩歌は呆れたように言った。
「鑑識に知り合いが居るの」
「……交友関係がお広い」
「それに、指紋なんてだいたい触りそうな所を調べたら終わりに決まってるでしょ?普通は触らない様な所は調べないわ」
「でも、掃除して消えてません?」
「掃除して消える様な場所なら最初から頼まないわ」
「確かに……取っ手の手で触れる逆側なんて普通なら掃除しませんね」
「うちのバアヤなら拭き取っちゃうかもね」
「それは優秀ですね」
「ほんとに」
遠くの部屋で誰かのクシャミが聴こえてきた。
ーおねいちゃんの証言(二回目)ー
池照と岩井は中川翔子から2回目の聴取を取る事にした。そういえば、翔子のネールが現場に落ちていた理由も未解決のままであった。
「あの.......手短にお願いします。お昼休憩終わってしまうんで」
刑事二人に呼び出された中川翔子はいかにも不機嫌そうにそう言った。
「善処します」
「早く終わるかどうかは協力的かどうかによるなぁ」
「あのね、協力するから早く終わらせてって言ってるの。おわかり?」
「腹立つ言い方しよるなぁ、あんた後輩から陰口言われるタイプやわ」
「なんですって?」
「先輩!ここは僕が聞きますので少しお静かに!」
たまらず池照が割って入った。それにしてもこの二人はなんでこうなるんだろう、前世に因縁でもありそうな二人だと思った。
「すみません翔子さん、ご協力感謝します。では最初の質問なんですが.......事件当時の休日は前から決まっていたんでしょうか?」
「え?えーと、どうだったかしら.......」
しばらく考えてから思い出したように言った。
「そういえば、前日に先輩から休日変わってくれる様に頼まれて急遽休みになったんだわ」
如鏡の言ってた通りだ。
二人の刑事は顔を見合わせた。
「あの、もうひとつ!事件のあったコンビニに入る前に黄色い服の女性みませんでした?」
「え?そんな前の事聞かれても.......いや、たしか.......見たかも」
「本当に?」
「う.......ん。まぁ、たぶんだけど見かけたわ、なんか良いセンスの服を着てるなぁと思ったら、私が前に失くした服に似てたから印象に残ってるのかも?」
「なるほど」
「あ、それと」
「それとなんです?」
「私の思い違いかもしれないけど。その黄色い女の人、私と目が合ったら挙動不審になってどこかに行っちゃった気がした」
「ふむ、知ってる人でした?」
「もちろん知らないわよ。でも.......なんとなく何処かで会ってる様な気もするのよね」
「おねいちゃん、山野の写真見せた時もたしかそんな事ゆうてたな?」
中川翔子は岩井の言葉は聞こえないかの様に無表情を作った。
「なんやそれ!イジメ!かっこ悪い!」
中川翔子はフイっと横をむくと小刻みに肩を震わせていた。
笑いたいのを堪えているんだろうか?
とりあえず聞くべき事は聞けた。
「ご協力感謝します。また何か思い出しましたら連絡お願いします」
池照は横を向いてる中川翔子に伝えた。
ー円卓の推理ー
池照と岩井は中川翔子からの証言という手土産を持って如月邸に向かった。
「それにしても、高そうなもんばっかりやな」
「そのへんのものにやたら触らないでくださいよ、先輩」
池照と岩井は如月邸にお邪魔していた。
池照はもはや、岩井に隠す必要もなくなったので単刀直入に捜査の進捗を如鏡に伝える事にしたのだ。
「ごきげんよう池照さん岩井さん」
如鏡はリビングの白い円卓に座って挨拶をした。
後には裏山詩歌が陰の様に立ってふたりの刑事に軽く会釈した。
桜庭彩が紅茶を運んできて二人の刑事に言った。
「どうぞこちらにおかけください、特別なハーブティーが入りましたのでよろしければ御一緒にどうぞ」
そういってお辞儀した。
「おそれいります」
「おう.......悪いね」
二人の刑事は少し恐縮して卓についた。
「さっそくですけど、如月さんの言っていた事が当たってました」
池照は紅茶が出される前に話を切り出した。
「あら、やっぱりそうでしたか」
「ほいで?お嬢ちゃんこれで何がわかるん?」
「ごめんなさい、一応全部の情報がはっきりしてからでないと、あやふやな事はいえないので.......鑑識の結果はまだでしょうか?」
「鑑識はわかり次第連絡がくるようになってます」
「そういえば、もう一つだけ質問よろしいですか?」
「どうぞ」
「中川翔子さんと中川良太さんのお宅ってコンビニから目と鼻の先じゃないですか?」
「おっしゃるとおり。なぜそう思うんです。」
「そうでないと成り立たないので、違和感の解消って言うんでしょうか?」
違和感という言葉を聞いて池照は山野美羽を取り調べた時の違和感を思い出した。
「そういえば、山野美羽を取り調べた時もどこかに違和感を覚えたんですよ。被害者は大人、加害者は子供ならどうしても被害者は寝ている必要がありますよね?もちろん寝ていたんでしょうけど.......」
と、喋りかけた池照に電話が掛かってきた。池照はゼスチャーでゴメンのポーズを取ると電話に出た。
「もしもし.......池照です、ええ、はい.......ありがとうございます」
「だれや?」
「司法解剖の担当者です、やはりありましたよ後頭部に打撲痕!」
「ほう、で?打撲痕があるとどうなるんや?」
「たぶん池照さんの違和感が解消されるかも?」
「違和感とは?」
「大の大人を子供がどうこうするには少なくとも昏睡状態になってもらわないといけないわよね?」
「たしかに」
「しかし、被害者は直前まで大声で喚いていたのを隣のマリアさんが聞いている」
「たしかにいきなり昏睡状態に陥る可能性もなくはないがあまりにもタイミングが良すぎる」
「そこで、マリアさんの聴いたもうひとつの音が鍵になってくると思うの」
「ゴンちゅう音か?」
岩井さんの言葉に如鏡は静かに頷いた。
「なるほど、狭いトイレの中で父親に恫喝されてパニックになった彼女は弾みで押したかもしれない」
「そうすると、自分が殺したという美羽さんの証言とも合致するでしょ?」
「弾みで殺したっちゅうことか?」
「いえ、死因はあくまでも窒息死なのでそこでは意識を失っただけですね」
「でも、そのあと自殺に見せかければ」
「そこです。最大の謎は.......果たして力の抜けた大人を自殺に見せかけるだけの力が彼女にあるのかどうか?」
「じゃあ!やっぱり殺してなかったんですね?」
「非力な彼女でも、とある物理の法則を知っていれば可能性はなくはないですが、聞いた限りではそのような細工はされてなかったようです」
「つまり?」
「単独犯では難しい、共犯者がいれば別です」
如鏡はそういうと静かに不思議な薫りのハーブティーに口を付けた。
黙って立っていた裏山詩歌が口を開いた。
「あの.......とりあえず今わかっている事から何がわかるのか話してあげた方がよいようにおもうが」
「そうね、おふたりとも忙しいと思うし」
如鏡がそういうと、池照は頭を振って否定した。
「いえいえ、全然大丈夫ですよ、お気遣いなく」
そういうと紅茶に口を付けた。
「うん、素晴らしい味と独特な薫りですね」
「そうか?普通の紅茶の味しかせえへんけどな」
岩井がチャチャをいれる。
「それは先輩の舌がおバカさんなだけですよ」
間髪をいれずに否定された岩井は言い返したした。
「こんな紅茶の味なんかわからんでも、刑事の仕事に支障あらへんやろ?わいは人が嘘ついたかどうかはだいたいわかんねん」
「それは素晴らしい才能ですわ」
如鏡が真面目に言った。
「せやろ?お嬢ちゃんわかってるわ」
「では中川良太さんの嘘もわかってたんですね?」
「あいつか.......まぁな。でもなんか隠しとるなぁって事くらいやけど」
「私も先ず最初の疑問は良太さんの嘘でした」
「それは.......中川良太が前から山野文紀をよく知っていたという事ですか?」
池照がそういうと如鏡は少し頷いてから答え始めた。
「それもありますけど、もっとおかしな事を言ってます」
「おかしな事?」
「はい」
「どんな?」
全員が如鏡の言葉を待った。
「それは、被害者の顔を見て直ぐに山野先生だと証言した事です」
「え?前から知ってたなら変ではないんじゃ?」
「人の首を釣った顔と言うのはドラマなどでは殆ど変わらないですが、実際には変色したり膨張したり汚れてたりでなかなか生前と見分けがつかなくなります.......現に顔認証も効かなくなったでしょう?」
「あ、たしかに」
「それに、良太さんが山野先生を見たのはどこかでばったり会っているような事がなければ半年ぶりという事になります。よく見知った方でも、半年後の通常とは違う顔を見て直ぐに判別するのは難しい…つまり違うところで判別してたからと考えるのが妥当でしょう?」
「違うところというと?」
「服装などです」
「服装.......でも、そのためには」
「そう、直前に会ってないとおかしいですね?」
「そこで、中川翔子さんの証言を合わせるとひとつの仮説が出来上がります」
「どのような?」
「良太さんがトイレで山野先生を見たのが2回目だったのではないか?」
「.......念の為、1日分の録画見たけど良太がコンビニに来たのは1回やったで?」
「そう見えただけ.......という事です。中川翔子さんは現場に落ちていたネールを自分のものであるとすぐに認めましたね?」
「たしかに.......あっさりと」
「ということは自分が殺人事件の容疑者だ、なんてことは考えてないからだと思われます」
「たしかにそれは、そんな気はした」
「更に山野美羽さんの証言と合わせると被害者が生存している以前にトイレを出た中川翔子さんは加害者から外れます」
「たしかに」
「では、加害者ではない翔子さんのネールがどうして翔子さんが入っていない被害者のトイレに落ちていたのか?」
「それが謎や」
「それは他の人が付けて入ったからです。そしてそれが出来そうな人は限られて来ます」
「.......まさか」
「更に、翔子さんがトイレに入った時、山野先生らしき人を見たというのも重要な証言です」
「.......なんで?」
「つまりその時男女兼用のトイレに誰か入って居たということを証明しています。女性専用が使えない被害者は待ってるしかなかったので翔子さんに目撃された」
「それが.......なにか?」
「山野先生の入る前には黄色い服の女性が慌てて入っていったんですよね?」
「ですね、その前はしばらく誰もはいってません」
「そうです、であれば女性専用と男女兼用が同時に空いていたはずです。にも関わらずその女性は慌てて男女兼用に入った」
「.......そうか」
裏山がなにか気がついた様に手を叩いた。
「癖か」
「そう、癖が出たのね、いつもそちらを使ってるという事です」
「あの、つまり、それは、若しかすると.......」
「なんや、黄色い女性やのうて、女装していたっちゅう事か」
岩井が池照の言葉を代弁した。
「つまり、その裏をわしらに取らせてたっちゅうこっちゃね?」
「そうなります」
「そうか!中川良太は姉がいないときに、女装していた。しかし、思いがけず休みをもらった姉の翔子とばったり会ってしまった。それで近くにあったコンビニに緊急避難したと、ところが出る時に待っている山野文紀に出くわした。相手は気が付かなくても良太くんは覚えていた」
「せやな、そのあと、姉が入って来てるのも知らんと熱り冷めたとおもて家に帰った所でネールを落としたのに気がついた」
「そして、戻ってきたわけかもう一度コンビニに!」
「そうなりますね」
如鏡はまた1口紅茶を飲んだ。
池照は感心したがもう一つの謎を思い出した。
「あの.......アラームは?なぜ消えたんでしょう?わかります?」
「それはもっと簡単な事です。つまり、最初から山野文紀さんの携帯のアラームではなかったという事ですね」
「なんと」
「良太さんは以前から山野先生をよく知っていました。精神安定剤の副作用などで1度寝るとなかなか起きない事も知っていたでしょう。そこで直前に会ったことなどから反応のないトイレ内に山野文紀さんが寝ていると誤解した」
「なるほど!それで自分のアラームを使って起こそうとした」
「そうです、どうしてもネールを落としたかもしれないトイレの中を翔子さんが帰ってくる前に確認したい良太さんは苦肉の策で自分の携帯のアラームを鳴りっぱなしになるようにして起こそうとした」
「ふむ」
「ところが、なにかの弾みで携帯がトイレの中に入ってしまったのではないでしょうか?見た所下の隙間からなら滑り込ませる事ができそうです」
「なるほど。それで、回収する為に店の人を呼んだわけか」
「ほいで、店の人が警察を呼んでる隙に自分の携帯だけ回収してトンズラしたわけか.......ネイルは?」
「既にいつ警察が来るかわからない状況ではそこまでの余裕はなかったのではないでしょうか?」
「なるほど、そう考えると辻褄が合うけども.......中川良太が犯人もしくは共犯者?」
「いいえ、嘘つきではあるけどそれは全部自分の秘密を隠す為だし。今のところ、その可能性は極めて低いと思うわ」
「せやな、自分で殺してたら自分から死体発見させる様な真似しないわな」
この岩井の言葉には池照も頷いた。
するとまた池照の携帯に着信が来た。
池照は何処からか分かると慌てて通話ボタンを押した。
「出ましたか?」
それを見ていた詩歌は相変わらず主語がないなと呆れた。
「はい、なるほど.......ありがとうございます」
通話が終わると池照は全員を見渡して言った。
「出ました!二つのトイレの鍵を丹念に調べ直した所、男女兼用のトイレの方から指の横腹が付着した痕跡が出ました。推定ですが若い女性ではないかと言うことです。そして指の向きは外側から内側という見立てです」
「ふむ、つまり.......どういうこっちゃ?」
「つまり誰かが外から内側に指を入れて鍵を持ち上げて、引っ掛けたって事か?」
「そういう事になりますね。もちろん他の方法で引っ掛けて密室に見せる事もいくらでも可能でしょうけど.......咄嗟に密室にするにはそれしかないでしょう」
「なるほど、そいで若い女性が密室を作った.......と」
「そうなります」
誰もが1人の女性を思い浮かべた。
「その指の跡って指紋じゃないけども、本人と照合して一致したらどうなるんですか?」
詩歌の問いに岩井が答えた。
「せやな.......指紋じゃないけど、一致したら指紋と同じくらいの動かぬ証拠になりえるんやないか?」
「では.......どうします?」
詩歌はまだ思案顔の如鏡を見て言った。
「そういえば、阿部真理亜さんについてですが」
「はい」
「その後なにか新しい情報などはありますか?」
「そうですね、やはりいくら調べても被害者との接点が見つからないです。それどころか、被害者がこちらに帰ってきた日から1週間部活の合宿とかで隣町の紅葉山に行ってたんですよ。戻って来たのか事件の当日です」
「紅葉山?なんの部活ですか?」
「写真部らしいです。確かに今頃は綺麗ですからね紅葉が」
「被害者が隣町に行ってたということはないですよね?」
「そういう証言は取れて居ませんね、ないと思います」
「ではいよいよ、接点がないですね」
「本当に」
「あの、被害者の家族とは会ったことないですか?」
「それも調べたんやけど無さそうやで?山村もみさんの話やと被害者家族って結構人との関わりを避けてる様なところがあってな、たまに誰もおらん公園で美羽ちゃんが1人でいるところを見かけるらしいで」
「美羽ちゃんが1人で公園?」
「なんていうの?あまりにも社交性のない母親に見かねて子供とも遊ばんように言われてるんちゃう?しらんけど」
如鏡は少し考えてる風であったが徐に言った。
「なるほど.......そういうことですか。他に阿部真理亜さんについて、気になる事はありませんか?」
「そういえば、どうでもええ事かもしれんけど、リビングで寝てるって言うてたで」
「リビング?」
「せや、外の公園の見えるリビングのソファーで寝てたってゆうてたわ」
「その公園て美羽さんが来ていた公園ですか?」
「うんにゃ、美羽ちゃんが1人でおったのはごく近くに住んでる人しか知らんような小さな公園や」
「そうですか」
「あの.......子供部屋っていうか、真理亜さんの部屋はあるの?」
「ん?あったように思うけどな」
「ベットはあった?」
「よう見てないけど.......おい池照、お前、真理亜に気があるんやから覚えてるやろ?」
「バカなこといわないでください!本気にされたらどうするんですか?」
「え?どうもせえへんけど?」
池照は呆れたように岩井を見た後、如鏡に言った。
「そうですね.......たしか、ベットだと思います、それがなにか?」
しばらく考えた後に如鏡は言った。
「ちょっと、阿部真理亜さんのお宅に行けませんか?」
「今からですか?」
「はい、出来れば」
如鏡は思いつめた様にそう言った。
ー偽りの家族ー
如鏡の発案で阿部真理亜の家に行く事になった二人の刑事は如鏡と詩歌を乗せて如月邸を後にした。
「ごめんなさい遅れてしまって」
如鏡は慌てて詩歌がドアを開けて待っている後部座席に乗り込んだ。
運転手の池照と助手席の岩井は既に待っていた。
詩歌はドアを閉めると反対側に廻って自分も乗り込んだ。
「いえ、女性が遅れてくるのは仕方ありませんよ」
池照が優しくフォローするのを聞いて岩井が口を開いた。
「さすがやな、スケコマシ」
「ちょっと岩井さん、誤解を招くような言い方やめてくださいよ」
如鏡が重ねて謝る。
「ごめんなさい、バアヤにちょっと頼み事があって.......もう大丈夫」
すると岩井が珍しく神妙な顔をした。
「せやけどなぁ、やっぱりお嬢ちゃんまで直接事件に関わるの考え直さへんか?おっちゃんら二人に任せてもええんちゃう?」
岩井がそういうと池照も同調していった。
「そうですよ、万が一ということもあります。おっちゃんとお兄さんに任せても大丈夫ですよ?」
「いえ、どうしても本人に確認したいことがありますし.......」
「なんやその確認したいことて?おっちゃんらが代わりに確認したるさかいにゆうてみ?」
「そうですよ、おっちゃんとお兄さんが確認しますので」
「お前食い下がるね?」
「はい?食い下がってませんよ、訂正してるんです」
如鏡は少し笑った。
「ご心配ありがとうございます.......でも、どうしても自分で聞きたいですし、危なくなったら優秀なボディガードがいますので大丈夫です」
いきなり自分の事を言われて詩歌は咳払いをした。
「も、もちろんです。ご安心を」
「さよか?ワシにはあんまり強そうに見えへんけど。その.......ボデーガード?」
「岩井さん!人は見かけによらないんですよ?なぁ詩歌?」
「いや、それ全然フォローになってないぞ池照君」
三人のやりとりを微笑んで見ている如鏡を乗せて
車は如月邸を出発した。
「そういえば真理亜さんのお父様の事故について聞いても良いかしら?」
如鏡は思い出した様に質問した。
「ん?真理亜のおやじさんが火事で亡くなった時の?」
「そうです、岩井さん色々とお調べになったんですよね?」
「せやな、名前は茂で、酒乱の癖があって真理亜に虐待もしてたみたいやからあんまり同情でけへんけどな.......そうみたいや」
「焼けたあとの写真を見たんですけど少し不自然な事があるんですが」
「ほへ?どこが?」
「結構密集した住宅街の様に見えたんですが、延焼して被害に会われた家がないのは何故だかわかります?」
「ん?延焼?飛び火の事か.......せやな、たしかに1軒だけ見事に焼けたけらしいけどな、どうやらその日はたまたま無風だったらしいで」
「やはりそうですかあと、お母様の友里亜さんは留守だったと聞きましたけど、頻繁に夜出歩いてたかどうかわかります?」
「え?えーと、どやったかな.......せや!たしか、夜の仕事をたまにやってたらしくて週に二回くらい遅い日があったらしいで」
「そうですか.......なるほど」
「ん、なんなん?なにかひっかかる?」
「いえ、最後に確認なんですけど。真理亜さんが放火したという疑いはなかったんですか?」
「え?それはなかったらしいで。とにかく真理亜も2階から庭に生えてる木に飛び移って助かったくらいやから」
「.......なるほど。他になにか変わった事はありますか?」
「ほかに?せやな、強いてゆうならこの父親、児相の職員に食ってかかってな。暴力はふるってないて言うてるねん」
「でも、手足にアザとかあったんですよね?」
「せや、でもそれは真理亜が勝手に作ってきたって言い張るんや」
「なるほど。自分はやってないと」
「まぁ、大概のそういう癖のある親はそういうもんやし真理亜は父親にやられた言うてるらしいし、結局厳重注意で終わったらしいで」
「厳重注意か.......もしそのときに保護してたら変わっていたかも知れないわね」
「変わっていたっちゅうと?」
「真理亜とその人の未来が.......」
暫くの沈黙の後、池照が車をゆっくりと停めた。
「着きました。では.......行きますか」
池照は呼び鈴を押してからそれが使えない事を思い出した。
暫くノックすると例の冴えない男前が顔を出した。
「あ、また来たの?ご苦労様でーす」
本気とは思えない労いの言葉をかけたホスト崩れ風の男に池照は訊いた。
「どうも、何度もすみません。真理亜さんご在宅でしょうか?」
「ん、まぁ、いるけどなにか?ゆーちゃんが怒っててね。刑事さんなら帰って貰う様に言われてるんだわ」
ありゃ、この前やり過ぎたせいだ、心の中で舌打ちした。
「そこをなんとかなりませんかね?少しだけでもお話をしたいんですが」
「そういわれてもねぇ」
「刑事でなければ良いの?」
うしろから如鏡が声をかけた。
その姿を見て加納栄吾は少し驚いた様に言った。
「あら、刑事さん可愛い子連れてるね?まさか子連れで捜査してるの?」
「いえ、こちらのかたは如月のお嬢さまです」
「え?如月ってあの?」
如月の名前は場末のホストも知ってたようで、好奇の目が更に強まった。
「へぇ.......そのお嬢さまが何しにこんな所へ?」
「話したい事があるの.......皆さんに」
「皆さんに?俺にも?」
「はい、加納栄吾さんあなたにもです」
加納は少し考えてから黙って奥に引っ込んだ。
暫くしてドアのチェーンを外す音が聞こえてきた。
ドアを開けて加納が顔を出して言った。
「どうぞ。ゆー、友里亜さんが興味あるらしいのでお入りください、お嬢さま。あと、情で刑事達もいいってよ」
四人がぞろぞろと部屋に入ろうとすると裏山詩歌を見咎めて加納が言った。
「おい、お前は誰だよ?」
「ボディガードだ」
「はあ?お前が?」
「悪いか?仕事なんだ、俺を失業させる気か?」
「.......まぁ、いいや、どうぞ」
加納は渋々と言った体で詩歌を入れた。
「あら可愛い」
阿部友里亜は一目で如鏡を気に入った様子で目を細めてそう言った。
「ごめんなさいね、こんなむさ苦しい所で.......お口に合うか分からないけど何か飲む?」
さすがに下着にネグリジェではなかったが薔薇の刺繍の入ったバスローブに身を包んだ友里亜がそう言った。
「いえ、お気遣いなく.......」
如鏡は、そういうと、優雅にお辞儀をした。
「まぁ、素敵、前からお嬢さまに憧れてたのよ.......真理亜もこんな風に育ったら良かったのに」
「ちょっと、本人の前でよく言えるわね?」
奥の椅子にまるで隠れる様に座ってた真理亜が声を上げた。
「それで?お嬢さまが私にお話って何かしら?」
「友里亜さんと真理亜さん、そしてそちらの加納さんに関わる事です」
「あら、全員に?何かしら?パーティーに招待して貰えるとか?まさかねぇ」
「残念ながら、そうではありません、こちらの家族で行われている不正についてです」
「不正?あら怖いわ」
友里亜は相手が子供なので冗談半分に聞いていた。
「真理亜さんのお腹の子供についてです」
一瞬で部屋が凍りついた様な気がした。
「なんですって?」
友里亜が聞き返す。
「じょ、冗談言わないでよ.......なんなのあんた」
真理亜の抗議の声も心做しか震えていた。
しかし毅然として如鏡は続けた。
「真理亜さんのお腹にいる加納栄吾さんの子供についてです」
詩歌は更に凍りつく部屋中の空気を感じていた。
「おい!子供だからって適当な事言って言いわけじゃないぞ」
加納栄吾が好奇の目から一転、恨みの隠った目で如鏡を睨んで言った。
「いえ、いい加減な事ではありません。嘘だと思われるなら真理亜さんに聞いてみてはいかがですか?」
「ちょ.......真理亜!本当なの?」
友里亜も堪らず娘に詰問した。
「うそよ!」
「嘘ではありません」
「.......し、証拠もないのに適当なこと言わないで!」
真理亜は如鏡を睨みつけて絞り出す様に言った。
如鏡は動じる事無く更に続けた。
「証拠なら産婦人科に残ってます。病院側から電話がかかって来ませんでしたか?産婦人科の検査ミスで再検査が必要だと言われているはずです」
「再検査って事は疑いがあるってだけでしょ?」
「実は私病院関係者に友達がいまして、その検査疑いではなく完全に陽性です」
「な.......」
「つまり、早くしないと堕ろせなくなります、どうします?」
「どうするもなにも堕ろすに決まってるだろ!」
加納栄吾が堪らず口を挟んだ。
「父親はああ言ってますけど」
「おい!なんでそうなるんだ?いいか?こいつは援交してるんだぞ!誰の子かなんてわかるかよ!」
「それは検査すればわかります。いえ.......検査しなくても真理亜さんにはわかってるんじゃないですか?」
「…….......」
真理亜は押し黙ってただ如鏡を睨みつけていた。
如鏡は重ねて言った。
「いいですか?誰が嘘をついたとしても、DNA鑑定すれば簡単にわかる事ですよ?」
「ち、ちょっと待った。DNA鑑定?それは大袈裟じゃないか?そこまでする必要ないだろ?」
「加納さん。身に覚えがないなら慌てる必要はありません。その態度は身に覚えがあるんですね?」
「え、いや.......ちがうんだ。そいつだ!そいつから誘ってきたんだ!」
加納は真理亜を指差して喚いた。
「それは考えにくいです」
「は?なんでお前がわかる!」
「そちらの子供部屋に見たところ睡眠には申し分のないベットが置いてありますよね?」
「それがどうした?」
「そのベットを使わずに真理亜さんはソファで寝ている様ですね?」
「だから、それが何だって言うんだ!」
「つまり、それは意識的にしろ無意識的にしろ、その場所では安眠できないという事を証明してるんです。つまり、そこで行われた行為を真理亜さんは快く思ってない。この意味わかりますよね?」
「なんだそれ?こじつけだろ!」
「こじつけではなく心療内科の所見です。真理亜さんはあなたとの行為を拒めない理由があっただけで好きではなかったと考えられます」
「拒まなければ好きってことだろ?」
「加納栄吾さん。あなたはこちらの阿部友里亜さんとは内縁の関係にあるんですよね?つまり、真理亜さんにとっては保護者に当たります。その立場での淫行はたとえ合意であれ、法に触れるのです」
「うそだろ?いや、そうだとしても俺は保護者じゃないし!」
「ではなんでこちらのお宅に住んでらっしゃるんですか?」
「はぁ?そんなの俺の勝手だろ!」
「では、阿部友里亜さんとは内縁の関係ではないと言うわけですね?」
「そう、たまたまだ。色々な部分でサポートしてる、言わば.......介護みたいなもんだ」
加納の言葉に反応するかの様に一瞬全身をぶるぶると震わせた友里亜は、やおら立ち上がると台所に向かった。
そして振り向いたその手には鋭利な刃物が握られていた。
加納栄吾は弾かれた様に何故か裏山詩歌の後に隠れようとしながら言った。
「おい!取り押さえろ!あんたボディガードだろ?!」
裏山詩歌は応えた。
「わかった」
そして、詩歌はまったく無駄の無い動きで加納栄吾の後に回ると彼を羽交い締めにした。
加納はあまりにも一瞬の出来事に何が起こったのか把握できない様子だった。
「あ、お、おい!なんのつもりだ!」
「いや、取り押さえろと言われたので」
詩歌はわざとらしく惚けた台詞を吐いた。
「馬鹿かお前!むこうだ!あのとち狂った女を抑えろ!」
「え?とち狂った女なんて居ませんよ?どこにも」
「くっ、て、てめえ!はなせ!っなせこら!」
「おい!詩歌いい加減にしろ!友里亜さん!おちついて!」
堪らず池照もそう叫びながら友里亜に近づいていく。
「来ないで!」
友里亜は池照の方に刃物を振り回すと叫んだ。
「この馬鹿を殺して私も死ぬ!」
「はあ?ふざけんな!おれがどれだけ我慢してたと思ってんだ!多少の旨みは当然だろ!」
「.......ぶちころす」
友里亜は完全に切れて突進してきた。
「詩歌!」
如鏡の声に反応して詩歌はそちらの方に顔を向けた。
完全によそ見に見えた。
詩歌は如鏡の方を向いて軽く頷くと、友里亜の一撃が刺さる寸前でまるで魔法がかかったかの様に友里亜の突進を止めた。
良く見ると、加納を羽交い締めにしていた手が友里亜の右手首に添えられていた。もやはピクリとも動かない。
次の瞬間、詩歌はまるで社交ダンスを踊っているかの様に友里亜の後に回るとそのままお腹の部分に手を添えて半回転して止まった。
詩歌の腕の中でいつの間にか友里亜は気絶していた。
手に持っていた刃物がスローモーションの様に手から離れ床に刺さった。
加納栄吾は腰が抜けた様になってその場でしゃがみ込んだ。
加納栄吾は肩で息をしながら言った。
「お前らでも訴えてやる」
「なんの罪だ?」
詩歌は挑発的に聞いた。
「.......殺人幇助とか、そんなのがあるだろ?」
「よく知ってるわね」
少し如鏡が感心して言った。
「でもね、あなたが言った言葉を勘違いして私のボディガードがあなたを拘束したのは殺人幇助には当たらないわ。ただの勘違い」
「はあ?ふざけんな!殺されかけたんだぞ!」
「確かに、でも、逆に考えると私のボディガードのお陰で助かったとも言えるわね?あなた今度友里亜さんに会う時は周りに助けてくれる人なんていないかもしれないわよ?」
「.......くそが」
「腰が立たなくなるくらい怖かったなら、友里亜さんが目を覚ます前に出ていったら?」
「.......言われなくても.......こんな家」
そういったが加納栄吾は腰が抜けて立ち上がれなかった、少し失禁もしてる様だ、へんな臭いがする。
如鏡は思い出した様に言った。
「そうそう.......それと、真理亜さんの手術代も払いなさいよ」
「うるせぇ!関係ない!産みたきゃ産めばいい!だいたいこのアバズレの子供が俺のだって証拠がどこにある?」
「真理亜さんは援助してくれる人を見る目はあるって言ってたわ.......それは、本当の事だと思うの、つまり自分が制御できる相手を選んでいた。だったら避妊くらいさせるでしょ?」
「.......俺の子だとしても関係ない。だいたい援交なんてやるやつだぜ?」
「その原因を作ったのもあなたじゃないの?」
「はぁ?」
「病院の記録を見たら真理亜さんが過去に堕ろしてるデータも出てきたわ。あなたその費用出した?」
「.......そんな話きいてねぇ。聞いてないもんは知らねぇ」
「お前さん大概にせえよ」
ずっと黙ってた岩井が口を開いた。
「淫行罪でパクられたくなかったらさっさと出て行かんかい!」
「…….......」
加納栄吾は渋々立ち上がるとよろけながら出ていった。
ー見解の相違ー
加納栄吾が出ていった室内にはなんとも言えない空気が流れていた。
静寂を破って如鏡が口を開いた。
「真理亜さんに謝らなければならない事があります」
「謝る?謝って済むと思ってるの?人の家族をめちゃくちゃにしておいて」
真理亜は如鏡を睨んでいた。
「あなた、まさかいい事をしたなんて思ってないわよね?」
「良いこと?」
「私を.......助けたなんて考えてたら大間違いだって言ってるのよ!」
「なぜですか?」
「ほらやっぱり.......お嬢さまはこれだからダメなのよ。いい?どんな人にせよあの人のお陰で母の酒乱が治ったのは事実なの!もしまた母の酒乱が再発したら、あなたのせいよ!」
「それは申し訳ありません.......ので。こちらからカウンセラーを派遣させていただきます」
「はぁ?かうんせらあ?」
「その様な人達専門のカウンセラーです。知りませんか?」
「知らないわそんなもの!ていうか余計な事をしなくても上手くいってた!」
「そうでしょうか?」
「あんたになにがわかるの!お嬢さまのあんたなんかに!」
「わかりません」
「当たり前よ!」
「わかりません.......が、少なくとも自分の部屋で安眠できないような家はもはや家とは呼べないと思いますが?そうは思いませんか?」
「…….....」
真理亜は相変わらず黙って如鏡を睨んでいたが、少し目の奥が揺れている様に見えた。
「ごめんなさい。その事とは別に真理亜さんに謝らなければならないことがあるの」
「.......なによ?」
「実は、先程そちらに掛かって来た病院からの電話は嘘です」
「はあ?」
「つまり、再検査の必要もありません」
「で、でも!病院からの電話だった!」
「私の家の使用人とそちらの病院の看護師長が懇意で少しお芝居をたのんだの」
「は.......お芝居?金持ちの道楽に付き合わされたってわけ?」
「道楽ではありませんよ。その看護師長も理由を説明して納得して貰ってます。あなたに訴えられるのも覚悟の上で協力して貰っているの」
「.......なにそれ」
「私も、あなたに共感する部分もあったのでここまでしたのですが.......余計でしたか?」
「余計ね.......余計なお世話だわ」
「では謝ります。もしお母様がまた酒乱を再発なさったら連絡ください微力ながらサポートさせて頂きます」
「だから!要らないのよ助けなんて!!」
「その気持ちもわかります。人の助けがなくても今までやってきましたからね。どんなときも。あの火事の時も」
「!!!」
真理亜は驚いた様に目を丸く見開いて如鏡を凝視した。
「なにが言いたいの?」
「いえ.......私が聞きたいのはそんな昔の事ではなく最近の事です」
「あんた、どこまで知ってるの?何者なの?」
「私ですか」
真理亜の表情の中にはじめて恐怖の感情が読み取れた。
「私は通りすがりのお節介屋さんです」
如鏡は少し困った様にそう言った。
ーマリアの正義ー
阿部真理亜は如月如鏡を睨みつけながら訥々《とつとつ》と語り始めた。
「裁かれるべき人は居るのよ。でも裁かれない、いつも悪は速く善は遅い、たとえ遅れてやって来ても正当な裁きであれば、納得もできる。でも正当な裁きなんてこの国では望むべくもない。だから.......誰かがやらなくちゃならないの.......あなたがやってくれるの?如月のお嬢さん」
そう言って真理亜はまっすぐに如鏡の顔を見た。
真理亜の眼には溢れるような正義が宿っていた。
如鏡は答えた。
「私にはそんな力はない。でも.......貴方のした事も正義じゃあないわね」
「どうして?国の法律でも死刑があるでしょ?誰かの為に誰かを殺すことを国は正しい事だと法律で決めてるじゃない。国がやると正しくて、人がやると悪になるの?それは理屈に合わないわ」
横で聞いていた詩歌はちょっと感心してしまった。
確かに言われてみればそのとおりの様な気がした。
法律で悪を裁く死刑はある意味、人のために人を殺すことを正しいと国が認めてる事になりかねない。
詩歌は心の中で真理亜の言い分に反論する事が出来ないでいた。
「確かに一理あるけど、基本的な勘違いがあるように思えるわ」
「勘違い?どこに?」
「死刑は被害者の為に加害者を罰してる訳ではないのよ」
「何それ?じゃあ被害者遺族の為って言うの?」
「それも少し違うわ」
「じゃあ誰の為だって言うのよ!」
「全く関係ないその他大勢の人の為よ」
「は?何それ?そんなわけないじゃない!」
「それが、そんなわけあるの。これだけ犯罪者の人権の重んじられている国でなぜ死刑だけなくならないのか?それは、他に人が人を簡単に殺さない社会にする為の有効な手段がないからなの」
「.......なにそれ。それでも人の為に人を殺してる事に変わりないじゃない!」
「変わるわ。1人のための殺人と社会の為の殺人では守られる人の数が違う」
「なにそれ?ただの数の違いだっていうの?」
「そうよ」
「個人は数が少ないから正義じゃないけど、社会は数が多いから正義だってわけ?」
「ちがうわ、そもそも刑罰は正義の為じゃないって言ってるの」
「はぁ?じゃあ何の為だって言うの?」
「社会が混乱しない様に正義の様なものが執行される事を宣揚して犯罪を抑制する為」
「なにそれ!正義の様なもの?嘘っぱちじゃない!」
「その嘘のお陰で沢山の人が幸せに暮らせてるわ」
「なによそれ.......納得できないわ。私の方が正しいのに.......」
「正しいかどうかは法律とは関係ないのよ」
真理亜は如鏡の瞳の奥に揺らめくなにものかに気圧されて押し黙った。
しばらく得体の知れない少女を忌避する様な視線で睨みつけていた真理亜だったが、どんなに強い視線をぶつけても眉ひとつ動かさない様子に痺れを切らしてようやく口を開いた。
「悪は.......裁かれるべきよ」
「私もそう思うわ」
「.......さっきからなにが言いたいの?言えばいいじゃない」
真理亜は挑むように如鏡を見た。
如鏡は穏やかといえる口調で真理亜に応えた。
「つい先日、近くのコンビニのトイレで男が自殺した。あるいわそのように見えた事件があったの」
「それで?」
「その時の密室になっていたトイレの鍵に外側から鍵を掛けたらしい指の跡が残ってるの.......若い女性の。なぜそんなものが残ってるのか、あなたに聞きたいの」
真理亜はため息を1つつくと諦めた様に言った。
「なぜ残ってるか?それは鍵が閉まった状態では拭き取れない事に後から気がついたからよ。私も馬鹿ね」
池照は身を乗り出して言った。
「真理亜さん、それは自供と捉えていいんですか?」
横の岩井も険しい顔で真理亜を見ていたが、動こうとはしなかった。
「もちろんいいわよ」
真理亜は吹っ切れた様にいい放った。
「裁かれるべき男を裁いた、ただそれだけよ」
「裁かれるべき男ですか、具体的にその男というのは?」
「あのコンビニのトイレにいた男よ。名前は知らないわ」
「なぜ殺そうと思ったんですか?」
「それは.......あの子にひどい事をしてたからよ」
「あの子というのは山野美羽さんですね?」
「名前は知らないけど、トイレに引っ張られていた女の子」
「ひどい事をされてたのはなぜわかったんですか?」
「それは、個室に女の子を引っ張り入れるって異常だと思って聞き耳を立てたのよ」
「会話が聞こえたとか?」
「そう、中の言い争ってる会話が聴こえて.......虐待がわかってカッなって」
「カッとなって、どうしました?」
「乗り込んだら男がぐったりしてたので、その子に後は任せる様に言ったわ」
「その子はどうしました?」
「素直に出ていったわ」
「その後は?」
「男を首を吊ったように見せて、トイレを密室にして出ていった」
池照は殺害動機が一過性の同情という通常ではありえないものであることに驚いた。
接点のない殺人はありえないという常識が覆った気がした。
「なるほど、整合性は一応取れてますね.......わかりました。では後は署の方で聴取するという事で.......良いですね?」
「いいわ」
「よくないわ」
暫く黙っていた如鏡が口を挟んだ。
「まだなにか言いたりないの?」
真理亜が呆れた様に言った。
少女探偵
ここまでが、謎の部分です。
ちょうど七万文字に行きそうなのでここで解決編と分けたいと思います。
解決編はまた今度掲載致します。