魔弾ーデビルズ・ディールー
頭の良い奴が嫌いだった。金のある奴が羨ましかった。愛される奴が妬ましかった。群れる奴が苦手だった。大人が怖かった。同級生が理解できなかった。この世は思い通りにならないことばかりだった。そんな世界がつまらなかった。なんでこんな思いをしながら生き続けているのか自分でもわからない。読み終えた本は捨てるように、飽きたゲームは見向きもしなくなるように、つまらないと思うならさっさと見限ってこの世界から去れば良い。なのに未だに未練がましく生き続けている。生きる理由を探すというより、生きる言い訳を探しながら生き続けている。死んで残すような未練などないが、気に食わないあいつらより先に死ぬのがムカつく。とか言いながら。誰にも聞こえない独り言を言いながら。
「あーあー、殺っちゃったねー」
「誰だお前」
「俺は悪魔だ」
「アクマ?」
「そう、悪魔だ。名前聞いておく?」
「……」
俺は無視して返り血の付いた服を脱ぎ捨てた。血は滲んで俺の腹部にまで付着している。
「おいおい。何も訊かないのか?」
なんだこいつは? どこから現れた?
「何でも訊いてくれよ」
「興味ないな」
「そんな冷めたこと言うなよ。面白くないぞ?」
「面白くないのは人生だよ。まったく」
こんなわけのわからない幻覚まで見えるとは。自分では冷静なつもりだったが、どうやら存外興奮しているらしい。それもそうか。なんせ人生で初めて人を殺したんだから──。
父は元々真っ当な社会人じゃなかった。およそ真っ当な人間がするような仕事をしていなかった。母はそれを承知で家族になったという。アルコール依存症に加え、ドラッグによる幻覚、強迫観念から父の精神状態はまともではなかった。
日々、母と共に家庭内暴力に耐えていた。俺ももう十八歳だ。反抗しようと思えばできた。しかし母がそれを許さなかった。父へ拳を振りかざすと絶対に母が止めに入る。無抵抗が母なりの父への愛情表現だったらしい。俺はなぜかそんな母に逆らってまで反抗することができなかった。だから、ただ、耐えるのみだった。
「そのはずだったんだけどなぁ……」
どうしてこうなった。目の前には父と母が重なるようにして血を流して倒れている。
そして俺の足元には拳銃が落ちている。この状況を見たら誰だって、俺が拳銃で両親を撃ち殺したと考えるだろう。
「いや、何ホントはそうじゃないみたいに言ってんだよ。実際にお前が両親を殺したんだろう。その拳銃で撃ち殺したんじゃないか。神様やお天道様が見てないって言ってもこの俺がしっかりと見たぜ」
「……」
さっきからやかましく話しかけてくるこいつはなんなんだ?
「お、ようやく俺に興味をもってくれたようだな?」
「いや……」
「嘘はダメだぜ君。悪魔には何でもお見通しなんだからな?」
「……」
「お前を助けてやろうか?」
悪魔が俺を助けるなどと言っている。こんな頭の悪い幻覚をみるほど俺の精神状態は悪化していたのだろうか。
「幻覚じゃあない。まぁ正気でもないが。俺は悪魔だって言っただろう?」
「……その悪魔が俺になんの用だ?」
「よく聞けクソガキ。今から五分後にお隣さんが様子を見にやってくる。そしてお前の不審な態度から警察を呼ばれる。駆け付けた警察に逮捕されお前の両親殺しは世間に露呈する。ワイドショーやネットのおもちゃにされる。そして地獄より地獄みたいな収容所で人生を終えることになるのさ。良いのかそれで?」
「……」
人を殺したことがないから本当のことかどうかわからない。でもテレビのニュースで見る殺人事件ではそんな感じになっていたかもしれない。
人を殺してはいけないのはなぜか?
──他人の人生を奪う権利はなんて他人にはないから。──命は等しくかけがえのないものだから。──命は大切なものだから。──倫理に反するから。──悪いことだから。
そう、悪いことだからだ。悪いことはしてはいけない。少なくともこの国では人を殺すことは法律に違反する、明確な罪であり、悪いことだ。俺はその悪いことをしたのだから相応の罰を受けることになるのだろう。
「でも心のどこかで情状酌量の余地があるとか思ってるだろ」
「…………」
俺の心を見透かすことを言う。悪魔という存在はそういうものなのだろうか。
そう、俺は仕方なく両親を殺したのだ。殺すしかなかった。なぜなら俺の命が脅かされたからだ。悪いこととはいえ、俺だって死にたくはなかった。殺さなければ殺されるなら──殺すしかないだろう。誰だってそうするに決まってる。きっとみんなわかってくれる。悪いことをしたけど、しょうがない家庭環境だった、正当防衛だった、と。
「だからこの俺が助けてやるって言ってるのさ」
「俺が両親を殺したことをなかったことにしてくれるのか? それとも時間を巻き戻してくれるのか?」
「まさか、そんな真似できやしないさ」
他に方法なんてない、かつてない名案だとばかりに自信満々に言ってくる。
「罪はより大きな罪で覆えば良いのさ」
そう言うと悪魔は床に落ちていた拳銃を指さす。
「その拳銃は百発百中だ。拳銃の扱い方なんて知らないお前でもな」
こいつの言う通りなのかどうかは知らないが、さっき父親を撃った時も、庇う母親もろとも父親の心臓を撃ち抜いた。
「そうだ。その拳銃はお前を邪魔する全員を撃ち殺す」
「…………」
俺は床の拳銃を拾いその感触を確かめる。拳銃の重さ──、命を奪う物の重さを確認する。
「一人殺すのも二人殺すのも、百人殺すのも変わりやしない。一回でも人を殺した時点でお前は殺人者になったんだよ」
いや……。変わるだろ。一と百じゃ大違いだ。両親二人を殺しただけの今なら尊属殺人とはいえ死刑にはならないはずだ。明らかに悪魔の甘言だ。
「この町の人間を全員殺して逃げればいい。町の人間全員が死ぬなんて警察だってただの殺人事件だとは思わない。怪事件として扱うだろう。公表すらしないだろうな。世の中にはそうやって隠蔽されてきた事件がいくつもある。そうなれば、お前のことは誰にも記憶されないし、記録されない。死んだ数が残るだけだ」
悪魔は俺の耳元でささやく。とても不愉快な声だ。なのにとても蠱惑的だ。
「お前は本当の自由を手に入れられるぞ」
「俺は……」
その時、家のチャイムが鳴った。
「あのー。あ、息子さん? なんか大きな音が聞こえたんだけど何かあったんですか?」
この声は二軒先に住む佐藤さんの声だ。今ならまだ取り繕うことはできるだろう。
「さぁ……覚悟を決めろよ?」
悪魔が俺の拳銃を握る手を覆う。冷たい鉄の感触。命を奪う物の感触。
「ああ……」
拳銃を握りしめて玄関に向かう。見慣れた我が家なのに落ち着かない。緊張で心臓が痛い。今ならまだ引き返せる……。今なら……。そう思いながら玄関に着いた。別に悪魔の言う通りにする必要はない。上手いこと誤魔化せば良い。いや、誤魔化せなくても良い。素直に事情を話して逮捕されればいいじゃないか。きっと同情してくれる。そうに違いない──。
そして、ゆっくり玄関のドアを開けた。
「あ、息子さんね。何かあったのかしら──」
「……」
パァン──。
ドアを開けたと同時に撃つつもりだったが、少し躊躇ってしまった。とはいえ殺したから問題ない。そう、問題ない……。もう引き返せない……。
「気にするな。そいつはお前の人生を邪魔する奴だったんだ。排除して当然だ」
「あ、ああ……。そうだな……」
俺は今までの人生でも褒められたような行いをしてきたわけじゃない。同級生を恐喝し金を巻き上げたこともあるし、憂さ晴らしに教師を殴ったこともある。通りすがりの人間に因縁つけたこともあった。そして、虐げてきた親を殺したこともある。しかし、関係のない人間を殺すなんてことは一度もなかった。
人を殺すことなんか今日までなかった。なかったのに、──なかったからこそ知らなかった。この感情、この高揚感……!
俺は今までに感じたことのない胸の高鳴りを感じている。あろうことか人を殺してだ。親を殺した時には感じなかったこの感覚。
「お前……そんな風に笑うんだな」
悪魔が俺にそう語りかてくる。
「笑ってるのか俺は」
「ああ、凄く楽しそうだぜ」
そうか……これが人を殺すことの快楽……! 殺すという行為こそ他者を最大限に否定する行為……! 気に食わなかった世界に対して反抗できる俺の手段!
悪魔の甘言だとかどうでもいい。人殺しが悪だとかどうでもいい。もう他のあらゆることがどうでもいい……! 今はただ他人をこの手でこの俺が殺したい!
そこから先は簡単だった。自覚してしまえば何も大変なことはない。歩くように、息をするように、目についた人間をかたっぱしから殺していった。道端で休憩する老人、ランニング中の男性、散歩中の園児たちと先生、買い物帰りの主婦、イヤホンしながら自転車に乗る高校生、部活動中のジャージを着た中学生、電話で呼び出した彼女、偶然すれ違ったクラスメイト、学校帰りの小学生たち、通報を聞いて駆け付けた警察官──。関係のない、殺す必要のない無垢な人々を殺していった。無慈悲に機械的に、しかし、快楽的に人間的に──。
悪魔が俺に渡した銃は本当に外れることがなかった。どれだけ距離が離れていようと、銃口が逸れていても、俺が殺したいと思った奴の心臓めがけて弾丸が放たれる。そして弾丸を込める必要がない。銃の構造には詳しくはないが、弾丸を込める必要のない銃はないだろう。
この銃は本当に悪魔の銃だ。どうやらこいつが悪魔っていうのも本当らしい。幻覚などではなかったようだ。
「五十八人か。まだまだだな」
俺がこの銃と悪魔について確信を得た頃にそう告げてきた。途中から数えるのを止めてしまったが、まだまだ町ごと殺すには程遠いようだ。
「なぁ、お前はなんで俺の前に現れたんだ?」
「神にも仏にも見放されて可哀想だったからな。俺くらいは助けてやろうと思ったのさ」
「お節介ってことか?」
「そんなひどい言い方するなよ。お前の心の声が聞こえたのさ。助けてくれっていう叫び声がな」
「あっそ。俺の心の叫びねぇ……。俺はいつの間にかそんなこと思っていたのか」
殺しながらどうやら学校に向かっていたようだ。気付けば学校の下駄箱で二人ほど殺していた。
下校時間を過ぎているので学校に残っている生徒はあまりいないようだが、部活動や放課後学習で残っている生徒も少なからずいるようだ。
学校なんてくるつもりじゃなかったが、どの道どうせ、この町の人間を全員殺すつもりだったし順番の問題でしかないだろう。深く考えずにすれ違った生徒や教室に残っていた生徒を殺していく。黙々と勉強していたり、談笑していたりやっていることは様々だったが、学生として世界に馴染んでいるように見えた。きっとそれがあるべき姿だったのだろう。
「なんだ? センチメンタルか?」
「違う。そんなんじゃない」
「お前みたいな奴でもそんな気持ちになるんだな」
「違うと言っているだろう。……ただ、少し、ほんの少し羨ましかっただけだ。俺も普通に高校生活を送りたかった。普通に人生を過ごしたかった。そう思っただけだ」
「なんだ……案外、素直でかわいいところがあるじゃないか。まぁ……」
「そうだ、もう手遅れだがな。別に後悔してるわけじゃないさ。クソみたいな生活から抜け出したいと思っていたのは本当だったからな」
そうだ。別に嘘じゃない。人を殺していくのは楽しい。これ以上ないほどに。俺の人生に足りなかったものは殺人行為だったのではないのかと思うほどに。後悔も懺悔もない。
そんなことを考えながら科学準備室のドアを開ける。そこにいたのは先月転校してきた奴だった。目にかかるほどの髪の長さで眼鏡をかけた冴えない印象だった。
「お前で百人目だ……」
「ひぃッ……!」
その男子生徒は自分が銃口を向けられていることに気付くと怯えて腰を抜かしてしまったようだ。後ずさるようにして床に座り込んだ。
命乞いされようと、怯えた相手だろうと関係ない。
「じゃあな!」
「待って待って殺さないで殺さないで……」
これまでと同じように、引き金を──引く。
「どういう……ことだ……」
なんだ? 何が起こった? 俺の体から……血が流れている?
銃口から放たれた銃弾は目の前で怯える少年ではなく、俺の心臓を撃ち抜いていた。
戸惑う俺の最期の眼に映ったのは──悪魔の満足そうな顔だった。
「死ぬかと思った……」
「いやいや、俺様、約束は守るから」
「悪魔の言うことなんか信じられるかよ!」
「嘘つけ、期待して待ってたくせに」
「ちゃんとこの目で確かめるまでは信じられないね。“ザミエル”、早く約束したものをよこせ」
僕は立ち上がり、魔弾の悪魔─ザミエル─に詰め寄る。
「ホラ、お待ちかねの百万円だぜ」
ザミエルは懐から札束を取り出し、僕に手渡す。一万円の新札の束だ。
「よっしゃ……! これで借金が返せる」
「そんなことのためだけに俺の取引に応じるとはね」
「“だけ”っていうけどさ、百万円稼ぐのってとても大変なんだからね? そんな苦労するくらいなら、他人が死んだ方がマシだね。別に知らない人間が何人死のうが僕には関係ないし、さらに言えば知り合いだろうと親類だろうとどうでも良いね。僕が無事に生きてるんだったらなんだって良いさ」
「俺やこいつなんかよりお前の方がよっぽど血も涙もない悪魔だよ」
ザミエルは拳銃を握ったまま心臓から血を流し床に倒れている男を見ながらそう言った。
「よせよ。悪魔だなんて。僕は神も悪魔も信じちゃいない。天国も地獄もな。それに、僕が殺したみたいな言い方はやめてくれ。殺したのはこいつだ。僕は何もしていない。僕はただ純粋に『お金がほしい』と願っただけだ」
そんなことを言われて不満でも言うのかと思ったが、ザミエルは意外と満足そうな顔していた。まぁ、どうでもいいが。
「悪魔なんていうそんな幻覚紛いのものに人が殺せるのか僕は知らない。結局、気が触れたこいつが町のみんなを殺して回っただけの話だ」
「殺された人間も殺したこいつも僕にはまったく関係ない」
──だから、本当に何も思わない。
「僕は今を、今までも今からも、僕のためだけに生きていく」
よくある質問の一つ、「誰かが死ぬが金が手に入るボタンを押すか否か」。僕はこのボタン即決で押す(連打する)んですが、皆さんはどうでしょうか。「金額や誰が死ぬかによる」、尤もです。
じゃあどこまでなら押せるのでしょうか。一億円手に入るが地球上の誰かが死ぬボタンはどうですか? 押しますか? 一千万円手に入るが、日本の誰かが死ぬボタン。百万円手に入るが、クラスの誰かが死ぬボタン。誰かではなく明確に知人が死ぬボタンは? 家族や友人や恋人。いくら金が手に入ると言っても押せないですか?
まぁこんなボタン存在しないんですけどね。それにそんなボタンなんか存在しなくともこの世界では誰か死んでるし、誰かが金を得ている。何も変わらないです。




