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健人は当初、この雅也のことを信頼して良いのか不安でたまらなかった。
しかし、萌花の父である浩之の最近の様子を聞く限り、雅也の言っていることが本当であると思えるだけの材料は揃っていた。
「ということで、これから健人君に会ってもらいたい人がいる。俺の旧友でな。俺のことを覚えているかどうかは分からんが」
「それはいいですけど」
雅也と健人が知り合ったのはひょんな事がきっかけだった。
雅也が習慣となっているビラ配りをしていたら、一人の青年がそのビラを手に取り、その場で立ち止まって凝視していたのだ。
雅也が声をかけると「友達にそっくり」と言い始めた。
雅也は気が動転し、健人の両肩を掴み「その友達は今どこにいる。教えろ」と何度も揺らした。
しかし、そんな雅也の雰囲気にも臆せず「別人かも」と無表情で言うのであった。
雅也はそんな健人を見て、昔の自分と重なって見えた。
感情表現が苦手で、学校にいても存在感が薄く、誰からも相手にされない。
取り敢えず、雅也は健人を近くの喫茶店に誘い話をした。
「じゃあ似ているというのはその幼馴染なんだね」
雅也は聞くと健人は「そうです」と頷き、雅也はその幼馴染の名前を聞くと思わぬ名前が出てきた。
「駒井萌花」
「駒井って……」
偶然かもしれないが、これを偶然と言いきっていいものだろうか。
「多分雅也さんが思っている通りです。駒井運送という運送会社の社長の子供です」
雅也は様々な驚きをもって、金縛りにあったかのように動けなかった。
自分の父親があらぬ疑いを受け、逮捕される原因となった会社であった。
そして、自分の幼馴染のプライバシーな事柄を、初めて会った、しかも路上で、その幼馴染に似た人物の、ビラ配りをしている人間に易々と教えてしまう、健人という人間に。
「教えてくれてこんなことを言うのもあれなんだけど、あまり個人の情報を見知らぬ人間に教えない方がいいと思うぞ」
「貴方の事を全く知らないというのは少し違って、最近その萌花から相談を受けていたんです」
どうやら、最近何人かの人相の悪い男数人が、駒井家を出入りしているそうで、妻の美里と子供の萌花は、その男数人が来ている時は家の中にいないように言われるという事だ。
「たしかに、かなり怪しいと思うが、それでなぜ俺のことを知ったんだい」
「ある日、萌花が学校から帰ると例の男数人と父親が話し込んでいるのを少し聞いてしまったんだそうです。父親達は、萌花が家に入ってきたことに気付かなく、萌花は少しの間盗み聞きしたそうなんです」
「なるほど。そこで俺の名前が出てきたんだな」
「そうではなくて、雅也さんの父親の名前が出ていたそうで……」
健人はこの先を言っても良いのか少し迷っているようであった。
雅也は父親に関わる話だから、例の金銭横領事件に直接関わっている話なのは間違いないと思っていた。
「俺は、只々本当の事が知りたいんだ。俺が傷つこうが君は何も考えなくていい。だから教えてくれ」
健人はこの言葉で覚悟が決まったようで話し出した。
「刑務所から出てきた雅也さんの父親をどうするのかという話をしていたそうで、社長である萌花の父親が社員の今後の事を相談するのは当然だと思うのですが、どうやらかなりキナ臭い話になったそうです」
雅也の父親は刑務所を出ると、職をすぐに職を探し始めた。
そこで、駒井運送の社長である浩之が手を差し伸べ、知り合いの会社を紹介するというものであった。
「表向きは、自社で事件まで起こし会社を追われた社員今後の事まで面倒を見る優しい社長に映るかもしれませんが、本質は違うようで、その紹介した会社は、ここから遠く離れた中国の会社でした」
色々な事が腑に落ちた雅也はその後の事を予想すると確認の意味も込めて健人に話した。
「もしかして、俺がビラ配りしているのはその怪しい男達が言っていた事なのかい」
「そうです。それも萌花経由で自分の耳に入ってきました。自分が接触できそうな人が雅也さんだけだったので、取り敢えず会ってみようかと」
雅也は何度か頷くと更に続けた。
「それで、俺に会って何か分ったのかい」
「正直分からずじまいです。雅也さんが探しているというその女性が何か鍵を握っていると思うのですが」
「それは、今の話を聞いて、ある程度見当がついている。俺は今、四十歳なんだが何か思い当たる数字ではないかな」
健人は深く考えるも何も思いつかないらしく「分かりません」と言い首を傾げた。
「その君の幼馴染の母親、駒井運送の社長の妻は年齢はどのくらいだったかな」
「たしか、ヨンジュウ……、まさか」
「まだ、何の確証も無いけど、可能性はかなり高いと思うんだ。そして俺の父親が犯人として逮捕されたあの横領事件の黒幕がその駒井運送の当時の社長だったとして、その事を、君の幼馴染の母親が知ってしまったとしたら」
健人は考えると「まさか」と雅也の顔をまじまじと見た。
「暴力があったと言うんですか。当時は勿論結婚はしていませんし、萌花の父とも会っていたかも分かりません」
「まずは、そこから調べてみる必要があるな。その君の幼馴染に話を聞ければ早いんだが」
健人は「分かりました」と言い、後日再び会う約束をして、一旦雅也とは別れた。
そして、後日萌花を連れて来た健人は萌花の父親と母親の昔の馴れ初めを話した。
すると、二人は健人と萌花と同様に小さい頃から一緒にいる典型的な幼馴染に関係で、萌花の母親が金銭横領事件の何らかの情報を聞いてしまった可能性が高くなった。
「じゃあ、あの時屋上に現れたあの女子生徒はまさにその暴力を受けた後だったということか」
「雅也さんの話を聞く限りそうだと思います。年齢も合っていますし」
雅也は天を仰いだ。
目の前には、店内の雰囲気を南国のコンセプトに少しでも近づけようとした装飾が施されており、天井だけ見ていると、南国にいるような気分になり、少しは気が和らぐはずであったが、この時の雅也にはそんな余裕は無かった。
なにせ、何十年もの間、頭の中で悶々としていたものが目の前の青年によって明らかにされつつあるのだ。
「萌花ちゃんに聞くけど、前回健人くんからおおよその話を聞いたんだけど、あの話は本当かい」
「はい、間違いありません。はっきりと自分の耳で聞きましたから」
雅也は、萌花の第一印象は健人違い、ハキハキと話す子だなという印象をもっていた。
健人は会った時から、当時の自分と重ね合わせてしまうくらいなので、喜怒哀楽が乏しく、あまり話すのが得意な方ではなさそうであった。
萌花が「一ついいですか」と雅也に問うと肯定の意味を込めた軽く頷いた。
「雅也さんは自分の父親が何処で亡くなったかご存じなんですか」
「それは前回健人君にも話したけど、自殺したんだよ」
萌花は何か言ってはいけなかったようだと思ったらしく「すいません」と謝ってから続けた。
「実は、その事についても私の父が話していたんです」
雅也は驚きのあまり、身を乗り出し「どういう事だ」と萌花に凄んでしまった。
「雅也さん、落ち着いて下さい。話せるものも話せなくなってしまいます」
健人は少し興奮気味の雅也をなだめた。
こんな健人を見た雅也は少し意外な気持ちになった。
こうやって物事をはっきり話すのは初めて聞いた。
会って間もないので、健人の本当の姿はまだ分からないが、一応萌花を大事にする気持ちは強そうだ。
「ごめんね。つい興奮してしまった。自分のペースで良いから話してくれるかな」
すると、萌花は頷き話し出した。
萌花の父浩之は雅也の父が自殺したと例の男達と話すのは萌花が盗み聞き笑していた時が初めてではないようで、葬式の話にまで話が進んでいた。
「私の父はお葬式に出ようとしていたのですが、例の男達は断固として許しませんでした」
雅也は腕を組み考えた。
「確かに、元社員が自殺となれば社長が葬式に出席するのは微妙な問題だが、断固として許さなかったのが何か引っかかるな」
「その通りで、父と男達はしきりに『あの事が明るみに出る危険がある』と言っていたんです」
「あの事っていったら、話の流れだと俺の親父が犯人になった金銭横領事件のこと意外に考えられないのだが」
「私もそう思います」
二人は押し黙ってしまった。
この話の内容のうち、事実が一つでも多ければ、その分大きな問題となってくる。
ここで健人が何か思いついたように口を開いた。
「話を聞いて一つ仮説を思いついたんですけど」
雅也と萌花は肯定の意味も込めて頷いた。
「その例の男達が、仮に暴力団だったとしたら、全て話が繋がるんじゃないかと思ったんですけど」
「ということは、金銭横領事件も暴力団絡みでその当時から、駒井運送は暴力団と何らかの繋がりを持っていたというんだね」
「あくまで仮説ですけど」
雅也は深く考えると「なくもない」とどっちつかずの反応をした。
「昨今、暴力団の取り締まりが厳しい中で、ここまで暴力団との関係を隠し通せるものなのかな」
萌花が「一ついいですか」と話し始めた。
「私の家には数多くの著名人が来ていて、ある人が言っていたんですけど、日本人は自分の事で精一杯だ。例えば目の前に一人の人間が倒れていたとする。その人に声を掛けるのは日本人は意外に少ない。見て見ぬ振りをするのが大半で、あれだけ人助けが美化されるのも人助けをする勇気がある人が少ないからじゃないかって。他国では倒れている人がいたら、自分の勇気とか関係なく助けようとする。だから当たり前になって話題にならない。だから、日本で暴力団の取り締まりを強化しても、氷山の一角で至る所で犯罪に加担している。そしてそれを一般市民は怖がって遠巻きに見ていることしか出来ないんだって」
「ということは、その人の言ったことを駒井運送に当てはめると、駒井運送の社員の大半が暴力団の存在に気付いていたということになる」
「さっきの健人の仮説の続きとして考えてもらいたいんですけど」
雅也は少し困ったような顔をしながら「かなり信憑性の高い仮説だな」と頭をかいた。
「これまでの話の内容からすると、俺の親父の事件に関わっていた人物は当時の社長と暴力団で、その暴力団は今も会社と関わりがあると」
萌花と健人は頷いた。
「しかし、俺の親父の事件に暴力団が関わっていたとはいえ、そう簡単に犯人を仕立て上げる事ができるものだろうか。そして、その動機が分からない」
萌花は少し考えると声を絞り出すように話し出した。
「当時、例の事件の前から駒井運送の経営がかなり苦しかったようです。もしかしたら、違法なことを当時の社長がやっていたのではないかと思うんです」
「流石に、それは無いだろう。実際に事件が起きて会社が潰れかけたんだ」
「だけど、その後駒井運送は生き残り、今に至っては経営は右肩上りじゃないですか」
「それはそうだけど、もしかしてその会社の再建に使われた金というのは全て暴力団絡みの金だというのか」
萌花は静かに頷いた。
「暴力団が関わっているのが事実ならそういう話も可能性がでてくるだろうが、流石に警察が気づくだろうよ」
「だから、そのお金がバレそうになった時に雅也さんのお父さんを犯人に仕立て上げる計画が出たんではないでしょうか」
雅也は腕を組みしばらく考えると「まさか」と顔を上げた。
「金銭横領は初めから無かったってことかい」
萌花は「私の考えです」と念を押した。
「その話が事実になってくると、少なくとも警察には流石に知られると思うんだ。それでなくても日本の警察は優秀だと言われているからね」
「だから、警察も絡んでいるのではないかと」
雅也は感心したように何度も頷くと苦笑いしながら「すごい発想力だね」と舌を巻いた。
その後、雅也は「時間をくれ」と二人と別れて帰路に着いた。
雅也は先ほどの二人の話を整理すると、まだ中学生か高校生の子供の突拍子もない話だという思いの反面、事実だとすると、全ての事が繋がり、辻褄が合うことに気づいていた。
「まいったな」
と雅也は頭を抱えるのであった。