第88話 ある1つの神話
そこは頂上が雲に遮られて見えないほどの高い山だった。
だがその山の頂上には平らな平地があり、そこに騎士の格好をし、腰に一振の長剣を差した女性がいた。
その女性は何をするでもなくただただ眼下の雲海を眺めていた。
しかしそれを邪魔するかのようにその過酷な山を乗り越えて剣を背負った1人の老剣士がやってきた。
その体が纏っているのは濃密な死の気配、剣気。普通のものなら卒倒するくらいの剣気を纏ったその男は背に背負っていた赤い長剣を抜き、女騎士に向ける。
「何をしにこんな所まで来たのですか?」
「お前を倒しに来た」
ぶっきらぼうに老剣士が答える。その答えを聞き、女騎士が振り返る。
振り返った女騎士、その手に握られているのは光り輝くこれ光剣。2人は長剣をともに携えつつ向かい合う。
「あなたにあった覚えはないのですが」
「お前のことは首都のパレードで見た。他にも様々なところでお前のことが書かれている。お前を知らない人間の方が多いだろう」
「それに1度私はお前に負けている」
男からの言葉を聞き、身に覚えのない女騎士は首を傾げる。
「記憶にありませんね」
「40年以上前だ。それにあの時はまだまだ弱く、お前に瞬殺された。忘れられても仕方がない」
女騎士がふむと唸り、その男が何をしに来たかを悟る。
「以前負けたからリベンジに来たと言うところですかね」
だが男は首を横にを振る。そして持っていた長剣を女騎士に向ける。
「リベンジではない。今日はお前の退屈を吹き飛ばすために来た」
「吹き飛ばす?」
「お前は私が挑んだときに言っただろう? 『やはり人間では弱すぎますね。もっと強くないと。暇つぶしにもなりません』ってな」
男と会話をして少しずつ思いだしてきた。が、結局思い出すより戦った方がいいと女騎士は判断する。
「事情はわかりませんがとりあえず戦いたいということは分かりました」
女騎士も剣を構える。
「せめてあなたが強くありますように」
女騎士が地面を蹴る。まるで弾丸のような速度で男へと向かっていく。
男はそれを長剣で受けようとする。が、衝突の瞬間に女騎士が光剣で上にはじき、勢いを乗せた正拳突きを男の腹に打つ。
「──ッ!」
男がまるでゴムボールのように飛んでいき、地面をバウンドする。
が、見た目ほどダメージは受けていない。自分から吹っ飛ぶことにより衝撃を受け流しているのだ。
そして地面に剣を突き刺して止まる。刺した長剣を掴んで女騎士に向かって跳躍。
女騎士が長剣でカウンターを仕掛ける。それに対して男は地面に剣を刺し、棒高跳びの要領で高く跳ぶ。そして女騎士の後ろを取る。
女騎士は振り向きながら右手に握った長剣を横薙ぎに一閃。しかし男には当たらない。男は女騎士の斬撃を掻い潜るように避け女騎士に近づき
「ぬぅぅぅぅうう」
振りきたったあとの女騎士の剣を弾き上げる、そして女騎士に向かって横に斬る。それを女騎士は虚空から取り出した白い剣を左手で掴みガードする。
「危なかったですね。そしてその剣、ようやく思い出しました。凱旋パレードのあと、無謀にも私に挑んできた少年ですね」
女騎士が男を押し返し、後ろに跳ぶ。
「ああ私がその少年だ」
「やはりそうでしたか。ではサルと読んだことを訂正致します」
女騎士が両手に持った剣を振り、左右の空間を斬る。斬られた空間から合わせて50ほどの剣が現れる。
女騎士が剣を振ると全ての剣が1人でに動き出し女騎士と同じように構える。
「あなたは私と戦う資格のある剣士。十分に私の退屈を吹き飛ばしてくれる存在だと。なので本気で殺らしてもらいます」
女騎士騎士の周囲で固まっていた剣たちが散らばる。
「剣神 サーリア」
「剣士 レオ・クリムゾン」
騎士のルールに従って名乗りを上げた2人の剣神と剣士は殺し合いを再開する。
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それはまさに死闘だった。女騎士はまだ50もの剣を操ることに慣れていないのかいくつかの剣に隙が生まれている。その隙を男は見逃さず剣を弾き女騎士に向かって飛ばす。
飛ばされた剣を女騎士は白い剣と光剣で叩き落としもう一度戦線へ復帰させる。
2人共命を削り、死と隣り合わせになりながら戦っている。これを死闘と言わずなんと言えばいいのだろう。
女騎士がその両手に握ったふた振りの剣が指揮棒のように振られる度に50ほどの剣が意思を持っているかのように動き男に襲いかかる。それを1本の剣だけで捌ききり、あまつさえ反撃まで仕掛ける。その足さばきはまるでダンスのように剣と剣とのあいだを駆け、女騎士へと少しずつではあるが近づいていく。
はたしてあなたはこの戦いを見てどう思うだろう? 2人の戦いを見て純粋にかっこいいするのか、またはその人外の技術を見て恐怖を覚えるのか。
実際に目にしてみたらわかる。この死闘には恐怖もかっこよさもなく、ただただ芸術品のような美しさがあるだけだ。
神とは、剣とは、ここまで美しくなれるのか。そしてその域に人間がたどり着くことも出来る。
レオ・クリムゾン。少年期に神に敗れ、尚も剣を持ち人生を歩んできた純粋で真っ直ぐな剣士。少年が老兵と呼べる年齢になった頃、また現れた剣神に「次こそは、今度こそは」と想いを重ねながら鍛えた剣の腕をぶつける。ただ1つのことを伝えるためだけに剣を振る。
そして剣の演舞も終わりを迎える。サーリアが光剣から光の柱を出し、それを避けたレオがサーリアに向かって駆けて行く。
「終わりだ、剣神」
レオの剣にヒビが入り少し刃がかける。そしてサーリアの手からはふた振りの剣が弾き落とされ土の上を滑っていく。
「すごいですね。神の剣を弾き飛ばせたのはあなたが初めてですかね」
首に剣を突きつけられたサーリアがそう言った。
「お前にあの時言えなかったことを今言おう」
レオが少しの間目を閉じ、自分の想いを再確認してから口を開く。
「これが人間の力だ。人間でも剣神《化け物》を斬れる。これでもまだ退屈か?」
レオの話を聞いたサーリアが目を見開く。
「そうですね。たしかに楽しかった」
レオが刃がかけた剣を持ち上げる。騎士の決闘はどちらかが死ぬまで決着がつかない。
「すぐに戻ってきますね」
「ああ、今度は私を楽しませてみろ」
レオの剣が振り下ろされサーリアが仮の体から天界にある本当の体に戻る。
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これが剣士と剣神の戦い。そして剣神の初黒星でもあるこの死闘。
誰も見ず、それ故に誰にも語られなかった神話の1つである。
第1章の改稿が終わりました。