第四話:お嬢様
アレクはお嬢様に命じられるがまま、喜々として馬車を止めた。綱を持っていいた手が疲労でしびれている。命じられた逃避行がようやく終わったという達成感と、心臓がつぶされそうな心労によって、全身に汗が噴き出ていた。
大体2時間ほど前になる。命じらたお嬢様(悪魔)の要求。それは
「私をつれてひたすら逃げなさい」
という、意味の分からない一言であった。
無論、選択肢は一つしかない。なぜこんなことをするのかという質問も許されず、広大な屋敷を背に無我夢中で馬を走らせていた。その途中でまさか盗賊に後ろから追いかけられようとは、後ろから聞こえてくる馬の蹄の音だけで、心臓が縮みあがった。アレクの故郷であるアムセンでは夜盗なんて、滅多に出没したりはしない。つまりは何もない田舎出身のだけなのだが、それゆえ恐怖の対象でもある。
「ふぅ……」
アレクから安堵のため息が漏れた。
追われている最中、周りにはやされ人妻に手を出したことを本気で後悔した。アムセンにこのまま帰れたらと何度思ったことか。だが、それはもう過去のことだ。現実を見てみよう。懸念は後ろにいる少年(化け物)。よくよく顔を見てみると、雰囲気も落ち着いているし大人しそうだ。
髪と瞳が黒いのが特徴的だ。少なくともアレクは生まれてから一度も見たことがない。少々不気味に感じはするが、まだ成長しきっていない華奢そうな体に、あどけなさが顔に残っている。どうやら向こうも戸惑っているようだ。何となくだが、故郷の少年たちと似た雰囲気を感じた。それだけで、血走りながら追いかけてきた盗賊よりも、数倍マシだった。
「…ふぅ…落ち着け…落ち着くんだ俺…相手は子供…子供…」
再び呼吸を整え、耳に響く心臓の音をどうにか抑えた。はっきり言って、アレクには戦う力はない。自慢できることといえば、パーティでの口のうまさと社交上手といったぐらいか。どちらにしろ、戦ったら負ける。逃げかえっても旦那さまに殺される。
(よし、迎えの騎士が来るから早く逃げたるがいい!それまで不肖、このわたくしが相手になろう!と言いきるしかあるまい。相手は所詮子供だ。弱いやつには強く強い奴には弱い。そしてすかさず、実は俺はファンフェル隊の一員だ、無駄な戦いはよせと怒鳴ってやる。これで怯えて逃げるだろう。)
最悪の場合は…お嬢を囮にしてでも逃げきってやるとアレクは考えていた。何をしてでも生き残ろうとする執念。もちろん目に美しく映る時もあるが、手段によっては大変醜い時もある。この場合、無論後者である。
「おい!ーーーそこ……」
ガチャ…馬車の右ドアが、ゆっくりと開かれた。アレクは思わず言いかけた言葉を紡ぐのを止めた。まさか、あの気難しいお嬢様が馬車から自ら出てくるとは…アレクは想像もしていなかった事態に対応できずに呆けていた。その間に少女が馬車から下りた。
「お、馬車が空いた。」
メルシーは本気で言っているようだ。一体どこの世界に持ち主が下りただけで自分の物になる馬車があるのか。聖の額にうっすらと冷や汗がでた。さすがにこれは強盗になるし、明らかに(騎士への攻撃も少し怪しいが)犯罪だ。
「馬車に乗りたいなら、別に一緒に乗せてあげてもいいわよ。」
少女はメルシーを横目に、聖に喋りかけた。
「当然だ。あいつらを追っ払ってやったんだからな。」
それにメルシーが口をはさむ。
「さっさと乗せろ。なぁ聖!これでギルバードまで楽に行けるな。」
「……やっぱり歩いていこうよ。急いで行けば今日中には」
その瞬間、後ろから頭を思いっきり叩かれる。地味に痛かった。
「なんでそんな意地悪を聖は言うのだ?理不尽だ。」どうやらメルシーは少し拗ねてるらしい。声ですぐに分かる。とても分かりやすいや。それはいつも自分に真っすぐなメルシーにぴったりで、ちょっと羨ましい。
「遠慮はするもんじゃないわ。あたし、あなたとお話したいの。」
少女は聖の目を見つめたまま、その目を決して離そうとしなかった。