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第三話:波瀾万丈

 何でこうなっちゃったのかなぁ…


 聖は今更ながら、心中で葛藤していた。


 「聖、見えたぞ!あれだ、あのでかい馬車!!」


 そんな聖をよそに、メルシーが瞳をきらきらと瞳を輝かせながら前方に指をさした。


 馬車がみえる…


 (ラグルを出たら、ちゃんと勉強しなくちゃとか、友達とかできるかなぁとか料理どうしようとか…こう結構平和で楽しい想像してたんだけどな…)聖は声には出さずに呟いていた。

 

 頭の中で必死に現実逃避しようとしているが、蟻地獄がごとく、もがけばもがくほど足を取られ沈んでいってしまうように、際限なく不安が広まっていった。明らかにどこかの騎士団に所属している人間に、咄嗟ではあったが全力で敵対してしまったのだ。正直指名手配されていそうで怖い。そもそも、ラグルを出てそうそうこんな事態に出くわすとは夢にも思わず、想像との落差に死にたくなる。


 聖は砂埃を巻きあげて進む馬車のすぐ後ろで、風をまとい、飛ぶように地面を走っていた。こんな長い距離をこの速さで走ったことはなかったが、まるで風が体を運んでくれているかのようだ。とても軽い。


 一方御者は、必死に鞭を打ちつつ、背後に先ほどまで追いかけてきていた盗賊たちの殺気や馬の駆ける音が、全く聞こえてこなくなったのを不審に思い、首ごと体を右に向けた。


 そこに、人間ではありえない速度で走っている少年と、全身真っ白な少女がその傍らに浮かんでいるのが、否応なしに視界に飛び込んできた。


 心臓がドクンと跳ね上がり、その少年の黒い瞳と視線がぶつかった。


 「ひっ!!ばば…化け物!おおお嬢様!!もう無理です。引き換えしましょう!もももうお楽しみになられたでしょう!?」


 御者は顔を恐怖で歪ませて、首筋を痙攣させている。発狂しそうになりながらも、現状を打開できる唯一の希望に声をかける。そう、このご主人がそもそもの原因の発端なのだ。


 「………」


 だが、馬車にいる姫には何の反応もなかった。ただじっと窓から、あっという間に変わりゆく景色を楽しんでいるようだ。もっとも、広がるのは緑一色の草原と、蒼い空に浮かぶ雲、その下を優雅に飛ぶ鳥であり、御者には何が楽しいのか全く分からなかった。ただ呆然と窓の外を、苛立たしいほど落ち着いて、自分に苦しめと言わんばかりに眺めているようにしか見えない。


 「ちょ…ちょっとお嬢様!もう許して下さい、いやほんとに。だだ、大体何がしたくてこんなバカな真似をさせるんですか!!」


 この御者の名はアレク=クラクスマン。父親を若いころになくし、母親により17年間育てられた。聖の故郷であるラグルよりも、さらに西に位置し、ギルドもない長閑で平和な田舎に退屈し、刺激と都会の女性を求めて、野心を胸にギルバードにきたのが運のつきだった。


 「………」

 

 確かに聞こえているはずだが、完全に無視を決め込んでいる。


 「な…何怒っていらっしゃるんですか!?こここれでもわたくしは、精一杯頑張りましたよ。あなた様がわたくしを脅しになるから…それはもう浮気はいけないことです。重々承知しております。けれども…けれども、紳士で真摯なわたくしといたしましては、好意を向けてこられた女性をないがしろにするなどとても…」


 背が高く、端整な顔だちをしたアレクは、ギルバードでもやはり女性に人気があった。それにより、都会の熱気に興奮していたのも手伝って有頂天になってしまい、女性を誘惑することは、自分の当然の権利だと言わんばかりに、御者でありながら、勤めていた屋敷の女中をはじめ、手当次第手を出し始めた。


 だがつい最近、よりにもよって屋敷のお嬢様にばれてしまったのだ。ギルバードの4機関。その中で、法律を代々司っている4伯爵の一人の愛娘だ。彼女はすでに、数々の恋文を証拠として手中に押さえ、悠々と脅してくる。アレクにとって、もしそんなことがばれたら一貫の終わりだった。女中だけならまだしも、ある公爵の人妻のもとに夜な夜な通っていたなんて、十中八九公爵の手により私刑に処されるだろう。最悪拷問、死刑もないとはいえないのがまた恐ろしい。


 そして、馬車の中にいる、この冷血無感情最凶悪魔は、自分がいうことを聞かなかったら、遠慮なく即座に大公開するだろう。


 「聖、あいつ何を早口で喋ってるんだ?」


 「さぁ…それより素で化け物って言われちゃったよ…かなりグサってきた…うん。」


 どうやら聖にとって、化け物という言葉は相当ショックで、例えるなら不可避のナイフのようなものだったようだ。胸に手を当て、目を下に伏せて軽くいじけている。


 「褒め言葉じゃないか。」


 メルシーが肩を叩き、慰めるように微笑んだ。少し嬉しそうだ。


 (フォローになってないよ。)


 聖の実力が認められたようで、得意になっているのだろうか。その一言が、不可避のナイフを、毒つきナイフに昇華させ、もう一本聖の心臓に突き刺してくる。


 聖は馬車に並んだが、かといって無理に攻撃するわけにもいかず、よく考えたら止めるには御者を説得するしかないのだが、思いっきりパニックに陥っている。今度はどこかの浮気男の文句を馬車の中の人に訴えている。これが許されるなら、自分も許されるみたいなことを言っているが、聖には墓穴をほっているようにしか見えなかった。


 どう見ても会話の一方通行。幸か不幸か終わりの見えない会話に付き合うほどメルシーの気は長くない。けれど、聖の体力消耗度の方は遥かに激しく、速度が遅くなり始めた。幸いと御者は思い、手綱を激しくふるい速度をさらに上げようとする。


 (もう無理かなぁ…)


 隣であの御者を狙えと痺れを切らしたメルシーが怒鳴り、御者が口を紡ぎ、怯えて身をすくめるが、そこまでして止めるつもりは毛頭ない。せめてこんな立派な馬車に乗っている人は、どんな人か一目見ておこうと他人事のように思い、聖の背たけでは届かない馬車の窓の部分までジャンプし、中を覗こうとした。


 揺れるカーテンが少し邪魔であったが、そこには確かに人がいた。それも美しい少女であた。陶器のよう白い首と、メルシーとは対照的な黒いゆったりとしたブラウスが視界に広がった。だが聖には一切が目に留まらず、偶然にも窓の外を眺めていた少女の瞳にぶつかり釘付けになってしまった。


 少女の瞳が大きく開かれ、唖然としているかのように一瞬見えたが、恥じ入るかのように、その表情を消した。そして、未だに語りかけてくるアレクに向かって言い放った。


 「……ふぅん…アレク、止まりなさい。」


 それはいつもと変わらず、ひどく冷たい一言だったが、かすかな声の違和感にアレクは内心首をかしげるのだった。



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