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船首から続々と敵が乗り移って来ていた。いずれも歴戦の海賊崩れと見て取れる。対する<我が女神号>はゲオルグを除いた9人とエディラ姫。力の差は歴然としていた。それでもサグレス達の士気に曇りは無かった。
「来い!」
サグレスを先頭にシナーラ、イーグル、デワルチが海賊達を受けて立つ。<我が女神号>が比較的小型船であることも味方して、一度に大勢の敵兵を相手にする必要がないため、舳先周辺の守りを固めることが先決だった。少し下がってエスメラルダとシークラウドが弓と鞭とで両翼からの敵をなぎ倒していた。グロリアを盾にラディックとグァヤスがエディラの周囲を警戒している。しかし、少しでもどこかに穴が空けばその布陣もすぐに瓦解しそうな状況ではあった。そして船室にエディラを匿いたくとも、これだけの接近戦でいつ船に火をかけられるか読めない状況では、それも難しかった。今は一人でも多くの敵を追い払う事が先決だった。初めて人の肉を切る感覚に最初こそ戸惑っていた士官候補生達は、しかしいつしか混戦の熱狂に巻き込まれていった。
ゲオルグとクルゼンシュテルンの一騎打ちも苛烈を極めていた。どちらも一歩も引かず、激しい応酬が続いている。しかし、互角と見えた力量も僅かにクルゼンシュテルンが優ったと見え、一瞬の隙をついてその一太刀はゲオルグの肩を深く切りつけた。一度よろめいたゲオルグだったが、直ぐに体勢を立て直し剣を構え直す。そして深手を与えたと油断したクルゼンシュテルンに反撃の一手を与えていた。僅かに気づいて避けた切っ先がクルゼンシュテルンの服を裂いた。
「手傷を負わせた筈だが?」
クルゼンシュテルンはやや困惑げにゲオルグに向き直る。ゲオルグの服の肩は切り裂かれその下にも確かに太刀傷はあるものの、既に血は止まり徐々に癒えている状況だった。その体は微かに赤く揺らめいている。
「魔道か?」
「女神の加護だと言っただろう!」
言葉と共にゲオルグが激しく切りつける。その腕には赤い腕輪が踊っている。傷を負わないゲオルグはある意味無敵と言えた。
「くそっ!あいつら何なんだ?あの人数でどこまで抵抗する気なんだよ!?」
ハインガジェルは歯噛みする思いで<我が女神号>を睨みつけていた。今の自軍の状況は明らかに劣勢であり、あの赤い髪の少女を確保しない事にはここからの打開策は無いと思われたからだった。しかし、一向に埒が明かない。クルゼンシュテルンも手こずっているのが見て取れる。振り返れば、イングリアの主力軍と思しき一群が周囲を圧倒しながらこちらへ進んで来ているのも見て取れた。
「ここまでか?ハイン。俺はここまでの男か?」
ハインガジェルの呟きに、ナイジェルニッキがぐるりと周囲を見渡した。
「潮時か……今こそ働いて貰おう」
ポツリと漏らしたナイジェルニッキは今、全身が仄かに青白く光り始めていた。その背に陽炎の様に巨大な両翼の翼が出現していた。ナイジェルニッキが周囲をひと睨みした次の瞬間、大きな同心円を描いて一瞬海面が鞭打たれた様に波しぶきが立った。そして、その円周上にいた船は敵味方の別なく何かに裂かれた様に、分断されやがて沈んでいった。それは見えない鎌で断ち切られたようだった。
「何だあれ!?」
その海域に居た者達はその現象に我が目を疑った。それは遥か昔に去ったフェナの力だと誰もが思ったのだった。