90
「とは言え、どう道を切り開くか……」
各船の状況を見定めながら、ゲオルグがしばし考え込む。サグレスが見回しても船1隻が簡単に通り抜ける隙間は見当たらない。更に前線から徐々に距離を取り始めた敵船がそれぞれに動くので、見定めるのは簡単ではなかった。
「どこを通っても、船体をぶつけるな」
「あそこは?」
「前の船が下がってるから、行くまでに塞がりますね」
士官候補生達もそれぞれ目を凝らすが、中々良い道筋を見つけられなかった。その時、外洋から大砲の轟音が上がる。振り返るとそこにはザルベッキアの旗を掲げた軍船の一群が見て取れた。その中の見慣れた姿にゲオルグがふっと笑う。ロクゼオンの得意げな顔が目に浮かぶ。サランドラの事も気にかかるが、今はそれどころではなかった。
思わぬ援軍に驚く<我が女神号>の脇を猛スピードで疾り抜ける船があった。すり抜ける瞬間、盛大にエスメラルダに投げキッスをしたサフランが騒々しく笑う声が響き渡る。その勢いに敵船が自然と間を空けていた。
「後を追うぞ!」
ゲオルグの号令に慌てて、全員が持ち場についた。
(まずいぞ。非常にまずいぞ)
ベリアの城塞からの一撃は想定外だったハインガジェルに非常な動揺を与えていた。元々が何らかの事情で海賊からも締め出された様な者達を寄せ集めている。互いに利害があると思うからこその協力体制だったが、直接自分に被害があるとなれば話は別だった。沈没船から逃げ出すネズミよろしく逃げ出してあっと言う間に軍としての統制が取れなくなる。すでに状況に気づいた船が離脱を始めているのが見えているだけに、それは時間の問題だった。
その時、かなり強引に派手な艤装の船が外洋から突っ込んでくるのが見えた。それはギリギリのところで急転し、真横に停止した。そこにはオレンジ色の髪をなびかせた海賊サフランが立っていた。呆気にとられるハインガジェルにサフランが大声で呼ばわった。
「兄者!良い加減にして、もう戻ってこい!兄者だけではない。ここから引く者はこのサフランが面倒見るぞ!」
声の届く範囲に居た者はその言葉の真偽を計るかのように聞き入っている。
「な……何を馬鹿な事を言ってるんだ。皆、聞くんじゃ無いぞ!」
慌てるハインガジェルをひたと見てサフランが問いただす。
「どうして兄者はこんな事をするんだ!親父殿がどんだけ悲しむか」
「何でお前にそんな事を言われなきゃならない!親父は引退して好き勝手やってるんじゃないのか?」
大海賊と呼ばれた親父はその後目を長男の俺ではなく、妹のサフランに継がせたのだから、俺が海賊以外の事で何をやっても放っておいてくれと思っていた。やっとつかんだチャンスだとも思っている。
「お前、本当に何にも判ってないな」
サフランが心底残念そうに呟く。ハインガジェルとサフランは母親が違う。ハインガジェルの母は大陸商人の一人娘で、本来は住む世界が違う人のはずだった。それがひょんな事から2人は出会い、違いに恋に落ちたのだった。それを酒宴の席で相当酔いが回ってから話し出すのが親父殿の常だった。その幸せそうな様子を子供心にサフランにも楽しみにしていた。その話の中に出てくる賢くて美しい兄はサフランの憧れでもあった。それが何年か前、突然隠れ家に現れた兄が自分を海賊にする様に親父に詰め寄ったが親父が拒否して、今に至っていた。その後親父殿に聞いたところ、母親に海賊にはしないでほしいと懇願されていたと語っていた。
(確かにあんたは綺麗だと思えるし、こんな軍隊を仕立てられる位賢いと思うさ。でも、海賊の仲間を巻き込んでやって良い事じゃ無いし、何より親父の気持ちを思うとこれを止めないわけには行かないじゃ無いか)
「何でも持ってるお前にそんな事言われる覚えはないぞ!」
サフランの燃える瞳に気圧されない様に、言い返すハインガジェルに背後から割って入った者がいた。クルゼンシュテルンだった。サフランの船の後から<我が女神号>が向かってきているのが見えた。
「兄妹げんかは他所でやってくれ」
クルゼンシュテルンが剣を抜いて身構えた目線の先にはゲオルグが映っていた。




