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ベリア湾の湾口付近が最も激しい戦闘地帯となっていた。湾内いっぱいに距離を取って散開するイングリア船に対して、やや狭まる湾口の外から盛んに攻撃を仕掛ける無数の船。一見するとどちらが有利とも見えないが、徐々に両軍共にその船の数を減らし始めていた。イングリア島には砂浜や船を着け易い海岸線が極端に少なく、島全体が海へ突き出す高い崖で囲まれている。そのため、王都を攻めようとするには、このベリアの港を落とすか、ほぼ真反対の港から山々を抜けて王都へ向かう他無かった。また、万一他の港から攻め入ったのであれば、いち早くその伝令が王都へ向かう手はずになっている。そういう意味ではイングリア軍は背後から攻め入られる恐れが極端に低かった。自然、ベリア湾の入り口を死守する戦い方になっている。
イングリアの一糸乱れぬ陣形にやや間延びした感のある戦闘にナイジェルニッキがつまらなそうに呟く。
「中々、穴が開かないかな」
「そのようですね。先方はどのように命令を伝えているのでしょうか?」
今、クルゼンシュテルンの目の前で一隻のイングリア船が被弾し、前線を離れる間に静かに別の船がその穴を埋めている。その一隻を沈めるのに、こちらは3隻程が戦線を離脱した。その間に攻撃の手が止まり、イングリア軍は陣形を立て直していた。どちらも座礁すると、全体の身動きが取れなくなるのを承知した動きだった。
「向こうさんは旗手が合図を送って全体へ命令を伝えているようですね……」
ハインガジェルは敵と味方の船を交互に見比べながら眉間に皺を寄せた。流石に寄せ集めの軍隊ではその様な複雑な動きは真似出来ない。隙を見せた船がすぐさま火砲の餌食になっている。
「だとすると、このまま消耗戦を続けないといけないのか?」
クルゼンシュテルンが苦い顔をしているのを、横目で見ながらハインガジェルは首を横に振る。
「こちらは寄せ集めとは言え、報奨金を弾んでいますんで士気は十分高いです。数の上ではこちらが有利ですから、もう少し相手の数を減らしたところで、一気に湾を攻め落とすのが定石だと考えます」
果敢に船足の速い船が、前線のイングリア船に四方から火砲を浴びせて離脱する。援護するようにやや後方の飛距離の長い砲を持つ船が発砲し、集中攻撃をしかけて機能不全に陥させるのが今のところの落とし方だった。もちろんイングリア側も手をこまねいている訳ではなく、船足を落としたところを狙って、的確に喫水を打ち抜いていく。
「あまりもたもたしていると援軍が来てしまうのでは無いのか?」
クルゼンシュテルンの指摘に、これには自信有りげにハインガジェルが答える。
「来てもせいぜいが、イングリアの外遊に出ている船ぐらいです。他の国は駆けつけないですよ。そのために散々偽装して各国の船を襲ったんですから。疑惑の解けないイングリアを助ける訳が無い」
「成程」
「では、もうしばらくハインガジェル殿のお手並みを拝見させていただこうか。モカル。何か飲み物を」
隅に控えていた小姓のモカルが立ち上がった時、水平線の彼方に何か光る物が見えた。
「これは非常にマズいですね」
前線の様子にセドフが苦い顔を見せる。確かにとシスヴァリアスも頷く。
「何とか、湾の外に船を出してあの指令船らしき船を落とさない事には……」
どちらもこれまでの感触から、どこかの軍隊と言うよりは、寄せ集めの軍であると感じている。それだけに、指揮している者を落とせば勝算も出てくると思っていた。しかし、相手の数が多すぎて突破出来る余地を見出せないでいた。唸ったきり黙りこむ二人の視線の先に何かが映った。それはぐんぐんと大きくなりやがて一隻の軍船の姿を現した。
「これは……」
シスヴァリアスの顔が僅かに綻ぶ。しかし、直ぐに気を引き締める。クレオーレが見張りの報告を復唱する。
「水平線より接近する船影を確認しました!<我が女神号>との事です」
艦橋が密やかに沸いた。