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夜明け少し前。水平線が朝焼けに染まり始める頃、ベリア湾から望む海と空の間は幾隻もの異国の船に埋め尽くされていた。その大軍は空が明るくなると同時に一斉にイングリア島へ押し寄せた。
旗艦にと定めた<金獅子>の艦橋で水平線へ厳しい視線を送っていたセドフが仕官の耳打ちに驚いて振り向くと、そこにはシスヴァリアス提督が嬉しそうに立っていた。
「どうしてあなたがここにいるのですか!?王城で指揮を執るのでは無いのですか」
「城にはアーディ宰相殿が詰めているよ。私の出る幕は無いからね。久しぶりにお前と海へ出ようかと」
いたずらっぽく笑うシスヴァリアスにセドフは絶句するが、ここで引く訳には行かないと思い出す。
「ここは最前線になるのは見ればお分かりでしょう?直ぐに地上に上がってください。またあなたに何かあったらと思うと……」
「お前が守ってくれるんじゃなかったのか?」
「それは……そうですが」
セドフの視線が自分の足に向いているのに気がつきながら、敢えて無視してセドフの隣に立つ。周囲の仕官達が固唾を呑んで様子を伺っているのが感じられた。こういうところは、昔から何も変わっていないなと苦笑しながらセドフは軽いため息をついた。シスヴァリアスは側にいたクレオーレに声を掛ける。
「敵船は?」
「はっ!大小併せて、恐らく千隻には欠けるかと」
「こちらは?」
クレオーレが言いよどむのを、セドフが続ける。
「200と少し。ドックにいるのも全て出しております」
ふーんと唸りながら、シスヴァリアスが頭を捻る。
「中々な戦力差だね。しかし、あの短い時間でよくこれだけの船を仕立ててくれたね。さすがセドフだ。とは言え、これをひっくり返すには、伝説の英雄くらい持ち出さないと士気は上がらないのでは無いかと思うのだけれど、お前はどう思う?」
親友の意図が分かりすぎるくらい分かるセドフは、そのまま言葉を飲み込む。前の戦いで彼の足が傷を負ったのもそんな戦況だった。セドフの沈黙を了承と解して、シスヴァリアスは号令を掛ける。
「では、これよりこの<金獅子>を旗艦として、我が国に仇名す敵船を迎撃する。情けは無用!」
一気に艦橋が沸いた。すぐさま<金獅子>の船尾のセドフ旗の上に、シスヴァリアス海軍提督旗が掲げられその様子は海上の僚友のみならず、港で様子を見守る市民にも伝わりベリア湾は歓声に沸き立った。
続けて<金獅子>から空砲が打ち上げられる。すぐさま呼応するように、高台のシスヴァリアス邸の塀からタターン、タターンと続けて2発空砲が放たれる。それは長い尾を引いて上空高く上がっていって空中で消えた。しかし、その砲が消える前に更に先の山の上や離れた海上で同じ空砲が放たれ、タターン、タターンとこだまがいくつも聞こえていた。
「あれは?」
寝首をかいたつもりが、予想以上の軍船で溢れる湾内を望みながら、ナイジェルニッキはハインガジェルに聞いた。
「多分、援軍要請の合図じゃないかと思うんですがね」
「なるほどね。最強と言うのも伊達ではないのかもしれないね」
「統制の取れた動きと言い、かなり訓練された兵士達と予想されます」
クルゼンシュテルンの言葉に頷きながらも、ナイジェルニッキには動揺は無い。
「どんなに訓練されていようと、この数の差はひっくり返せないですよ」
ハインガジェルは自分の集めた船に絶対の自信があった。半分以上は歴戦の海賊達である。その他も素人とは言え、この日に備えて訓練を積んで来ている。クルゼンシュテルンがナイジェルニッキを促す。その言葉にナイジェルニッキも一つ頷いた。
「ご命令を」
「開戦!」
これが、ベリア攻防戦の始まりの合図だった。