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夜中に外の気配で目が覚めたソルランデットは少し躊躇した後、そっと寝台から滑り降りた。医師からは傷の癒着を防ぐために積極的に動いた方が良いと言われ、ここ数日はミルチャーが付きっ切りで動き回っていた。お陰で夜はぐっすり眠れていたはずだったが、今夜の気配は妙に胸騒ぎがしたのだった。騎馬の音に続いて「開門」と呼ばわる声が深夜に響き渡る。窓外を透かし見ると、屋敷の門に衛士が集まり2人乗りの騎馬を通したところだった。騎馬はそのまま邸内へと招じ入れられソルランデットの部屋からは見えなくなった。
イングリアの長い一日が、始まろうとしているところだった。
船が港に着いてすぐにヴァーサはシスヴァリアス邸へ向かっていた。同行したいと申し出たエトワールが一人で馬に乗れないとの事だったので、ヴァーサは後ろに乗せて馬を走らせていた。事は一刻を争うため、真夜中にも係らず邸へと向かっていたが、内心追い返される事も覚悟していた。
(でも、これを知らせない訳にはいかないわよね)
幸いな事にセドフの血縁であるヴァーサを門衛の一人が知っており、直ぐに中に入る事が出来た。先に知らせが行ったらしく、邸内ではシスヴァリアスその人と、セドフが待ち構えていた。二人共まだ休んでいなかったと見え、平服であった。
「こんな夜更けに何事か。ザルベッキアの件だったら、朝でも良かったのでは無いのか?」
セドフがやや困った様に口を開いた。それを制して、シスヴァリアス提督がヴァーサを促す。
「それどころじゃないから、こうやって来てるんじゃないの。直ぐにも敵が攻めてくるわよ」
「どういう事だ?」
「俺達、ナイジェルニッキの船から逃げてきたんです。彼はイングリアを落とすつもりでいます。最初はエディラ様を使って、イングリアに揺さぶりを掛けようとしていたのですが、エディラ様を失ったので船団を率いて攻め込むつもりです」
「君は楽師の……?」
「はい。エトワールです」
シスヴァリアスはセドフと顔を見合わせた。エディラ様が行方不明になったのと同じ頃、この楽師の姿も見えなくなったとは噂に聞いていた。気まぐれな流れ者の楽師の事として、気にもかけていなかったが実際にこの件に係っていたとは。
「詳しい話を聞こう」
2人に椅子を勧めると、シスヴァリアスとセドフは時々質問を加えながら、状況を把握していった。
話が終わると、セドフが先に立ち上がった。まだ夜明けまでには時間がある。
「私は先に港に行きます。ご指示をお待ちしております」
「悪いが頼む。私は陛下のところへ次第を報告に行かなければ。姫様の事は残念だが……」
「まだ、そうと決まった訳じゃないわよ。あいつらがあそこにいるもの」
「そうだな」
ヴァーサの言葉に頷きながら、シスヴァリアスも立ち上がる。
「俺も連れて行ってください!」
エトワールはシスヴァリアスに頭を下げた。エディラの事をファナギーアに伝えるのは自分の役目だと感じている。そしてエスネンの事も。
「よかろう。私と一緒に来なさい」
エトワールに頷くと、シスヴァリアスは王城へ向かう馬車に乗り込んだ。後にエトワールも続いた。