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深夜の街路を馬車は疾駆していく。薄闇の中で、サグレスとシナーラは互いの顔を窺うように見交わした。揺れて危険なために、馬車の床にじかに敷布を敷いてエスメラルダを寝かせてある。それでも、ゲオルグの指示で全速力で駆け抜ける馬車の中は激しい揺れに襲われている為にサグレスは足元を、シナーラは両肩を押さえている。しかし固い地面に当たって馬車が跳ね上がると押さえきれずに、ヒヤリとする事も度々だった。
自身の不安な気持ちと相手の不安を知るのが怖くて、いつの間にかサグレスとシナーラは背中合わせに座っていた。耳に入るのは馬車の軋みと激しく車輪が大地を打つ音だけだった。エスメラルダの脈は遅く、体温も下がっているようだ。時々思い出したようにエスメラルダを呼んでみるが、返事は無い。
「あいつ、何考えてるんだろうな」
ぽつりと洩らしたサグレスの言葉に、シナーラが振り向いた。
「ゲオルグの事?」
「医者にも見せないで、船に戻れだなんて……しかも、自分は来ないし」
「船に薬でもあるのかな?もしかしたらシークラウドが調合出来るとか?」
サグレスの頭には一瞬、怪しげな薬を掻き混ぜるシークラウドの姿が閃いた。
「そんな薬、飲むの怖いな……」
サグレスの一言にシナーラはくすりと笑った。
「そうかも。でもそれでエスメラルダが良くなれば良いんじゃない?それに、本当は自分も来たかったんじゃないかな。ゲオルグ」
出発前に驚くほど細々と指示を出し、馬車を送り出したゲオルグをサグレスは思い出した。結局、使命を果たさずに一緒に戻る事は使者として出来ないという判断をゲオルグは下したのだった。そしてヴァーサは今回の騒ぎを黙殺したのか、一度も姿を現さなかった。
夜は徐々に明けて行く。周囲は少しずつ明るくなり始めていた。それに従い木立の彼方に海が見え隠れし始めた。道は海原へ向かって緩やかな下りに入っている。じきに港とそこに碇泊する船影が目に入る。そのどこかに<我が女神号>も停泊しているはずだった。
「船だ!」
シナーラを振り向いたサグレスは、シナーラの顔色が蒼白な事に気付いた。サグレスの気配にシナーラはその顔を上げる。
「エスメラルダの……」
「何?」
泣き出しそうなシナーラの顔にサグレスの心臓は早鐘を打っている。
「エスメラルダの息が止まって……る」
馬車は港への道を全速力で辿っていた。夜明けまではまだ少し間がある。