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いよいよ。と思うと胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。自然と顔が綻び、足取りが軽くなる。あれ以来、毎日の贈り物に添えた一輪の花は特別に手に入れさせていた、大陸奥部に咲くと言う純白の花「リューン」。
フェナ主神「一の神リューン」の名を冠するに相応しい大輪の花を喜ばない女をロクゼオンは思いつけなかった。
(それでも、旗色は悪いよなぁ)
ザルベッキアの港で別れた親友とも言うべきゲオルグを思い浮かべて、ロクゼオンは苦笑した。やれることはやったと手にしたリューンの大きな花束に視線を落とす。
(これでダメなら脈なし、だな)
じきに馬車は郊外の大きな邸に到着する。オールア一族であるロクゼオンの馬車はそのまま中へ招じ入れられた。ここはロクゼオンの母方の遠縁に当たり、裕福な家柄にも係らず今は老夫妻のみが家令と共に住む邸だった。
夫妻の子供達は相次いで不幸な事故や病気などで亡くなったと聞いている。そんな話を耳にして、以前からゲオルグに相談されていたサランドラの養家としてロクゼオンが間に立ったのだった。この家柄であればイングリアの名家と言えど、十分釣り合いは取れるだろう。そして、夫婦はサランドラの生い立ちも知った上で、嫁ぐまでの僅かな期間であれ、養女として迎え入れる事を喜んでくれたのだ。それとなく探りを入れてみると、今は親子として穏やかな生活を送っているらしい。
一時ゲオルグの生死が分からなくなった時に、万一の事があっても全て引き受けるつもりでこの話を進めたのはロクゼオンの独断だったが、今はそれで良かったと思っている。初めてゲオルグに伴われて「山吹の子猫亭」に足を踏み入れた時には、そのサランドラの美しさに圧倒されただけだったが、この件で次第に自分がサランドラに惹かれ始めているのを薄々気がついていた。しかし、何者もサランドラとゲオルグの間に割って入る事が出来ないと気づき、その想いは2人を見守る事で収めていたつもりだった。あの波止場での2人の様子を見るまでは。
玄関口まで満面の笑みで出迎えに来た老婦人は、ロクゼオンに穏やかに感謝の意を述べると庭に行くようにと伝えた。初めて会った時の寂しそうな印象は跡形も無くなっていたことがロクゼオンをほっとさせた。そのまま真っ直ぐ庭園に向かう。広々とした庭は背の高さの様々な木々や色とりどりの花に飾られ、初夏の陽気と爽やかな風に彩られ心地よい空間が広がっていた。その一角の東屋に輝く金の髪が見える。ロクゼオンはそこに向かって歩みを進める。やがて、サランドラが気がついた様に振り向いた。傍らの机の上にはリューンが活けてあった。
「花の香りが強くなったので、不思議だったの。あなたでしたか」
サランドラの瞳は落ち着いた色を湛えていた。




