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「どうするんだ?」
いち早く海域を抜け出した船の上でエトワールはヴァーサに詰め寄った。今はエディラの身が一番心配だったのだ。しかしヴァーサは取り合わない。
「一刻も早く国へ戻るのよ。船員達も動揺してるわ。赤い魔女を怒らせたってね。あんたが何を言おうと言う事なんて聞かせられないからね」
怒ったようなヴァーサの口ぶりにそれでもエトワールは食い下がる。
「しかし、このままエディラ姫を放っておく訳にもいかないだろ」
「そんなのあいつらが、何とかするわよ。それより、イングリアへ事の次第を知らせなければいけないって事が分からないの?あいつらがじきに追いかけてくるのよ」
見回せば船員達はどうヴァーサに言いくるめられたのか、きびきびと行動をしている。恐らくイングリアへ向かっているというのも嘘ではないのだろう。次第に遠く離れていくナイジェルニッキの船の動きはまだ遅い。先の戦闘で幾人かの犠牲が出ているのが影響しているのかもしれない。雲は厚く垂れ込め、じきにその姿は灰色の空と海との間に紛れて見えなくなっていた。エトワールは自分の力で行き先を決められないと気づいて沈黙した。ファナギーアになんと告げれば良いのだろう……
「ナイジェルニッキ様」
クルゼンシュテルンが雨脚が強まるのを察して、ナイジェルニッキを船内へと導いた。ナイジェルニッキはハインガジェルを振り返ると、一言「イングリアへ。最初の計画通り進めていこうか」とだけ言い残して船内へ去っていった。
ハインガジェルはやれやれという様に一つ大きくため息を吐き出すと、船長を探して甲板を歩いた。
(そうは言うけど、そこそこ損傷あるんだがなぁ)
ぐるりと見回すと被害があちこち見受けられる。航海に支障が出そうな損傷が無さそうな事だけは感謝したいところだが、怪我人は結構な数にのぼっている。この船は帆走だけではなく、漕ぎ手の力も使って速力を増していただけにやや長旅になる程度には遅れが出そうだった。いつの間にか味方の船が逃げ去っているのも気に掛かる。しかし、海が荒れ始めている今、先へ進めるしか無かった。
(何とか刻限に間に合わせてくれるよう、船長によくよく言わないといけないな)
人垣の中からようやく船長を見つけたハインガジェルは早速、この後の段取りを打ち合わせ始めた。