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海中でもがくエディラの姿を認めるとサグレスは懸命にそちらへ近づいて行く。何とか、エディラの腕を掴んで一度海面へ顔を出す。思ったより潮の流れが速い。あっという間に、船の間をすり抜けて流されていた。そのまま船へ近寄ろうとする努力も空しく、2人はそのまま流されていってしまった。
その時、全員が舷側から海面を覗き込んでいた。
「あ!あそこ!」
シナーラの指差す先に僅かに頭が見えたが、すぐに沈んで見失う。次第に空が厚い雲に覆われじきに大粒の雨が降り出していた。風も出て来ている。
「引き上げるよ!この波じゃ、船同士がぶつかっちまう」
低いが良く通るサフランの声が響き、手下がすぐに応じた。サフランはハインガジェルに向かって指を刺す。
「今日は引くけど、次は覚悟するんだな。兄者。この決着は次に必ず付けさせてもらうよ」
ハインガジェルは応じようとして、止めた。次などごめんこうむりたいのが正直なところだった。今は海賊に構っている場合ではない。
エトワールは自分に合図しているヴァーサに気づいた。何故か顔を隠している。ヴァーサは目立たないように、こちらに移れと言ってるようだった。エディラも行方が知れない今、確かにこの船にいる必要は無いだろう。エトワールはそっと渡し板に近づいて行った。
クルゼンシュテルンはいつの間にかナイジェルニッキの側で周囲を警戒している。クルゼンシュテルンにしてもエスメラルダの弓技は油断ならなかった。
「戻ってくるぞ!舷側のロープを全部海へ落とせ。グロリアとデワルチは操帆始め!引き上げ次第、一旦ここを離れるぞ!」
<我が女神号>ではシークラウドが潮時と撤収を指示していた。
「大丈夫か?しっかりしろ」
「ざまぁねぇな」
イーグルは自分のシャツを脱ぐと、いまだに出血が止まらないゲオルグの腹部を覆うように縛り上げる。ゲオルグの顔に血の気は無い。シナーラは側で周囲を威嚇している。
イーグルは舷側に掛かっている鉤を外すと、そのロープにゲオルグを括り付ける。シナーラを振り返り残りの鉤を外すように指示すると、付いてくるように合図し、ゲオルグと共に海に飛び込んだ。慌ててシナーラも船同士を繋いでいた鉤を外すと海へ飛び込む。
運よく潮は<我が女神号>へ流れている。船から垂れているロープの一つに掴まると、気づいたラディックが引き上げてくれている。隣を見ると、ゲオルグを抱えたイーグルも引き上げられている。その間ゲオルグは気でも失っているのか、身動きしなかった。流石にグァヤスだけでは手に余るのかシークラウドが手を貸している。よく無事に戻れたなとシナーラはほっとしたが、その間にも何本かの矢が飛びすさび、エスメラルダの援護のお陰だと気がついた。甲板に上がると休む暇なく、操帆に加わる。嵐が来ていた。船同士がぶつかるのを避けるためにも一刻も早く離れる必要があった。雨のお陰で砲撃が無いのが救いだった。
「サグレス……」
海面には大きなうねりが見えるだけで、人の姿は何も無かった。