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海面を張り切った緊張が走る。陽は早や天弧の頂点に届こうとする時刻に、穏やかな海原には爽やかな風が吹き過ぎる。その中を良く通るハインガジェルの声が響き渡った。声音の余韻が消えてもなおの静寂を破ったのはサフランの高らかな笑い声だった。
「あーはっはっはっはっは」
釣られて海賊共も笑い始めた。
「これは面白い!つーいに兄者は気でも違ったか?大陸の覇者なぞどこにいる。今だ乱れて、小国同士が争い合っているのが今の世の中だろう?争いを収めるフェナももういない。こいつらを見ろ。生まれつきの海賊などいるものか。皆、どこぞの国から喰いっぱぐれての海賊家業じゃないか。兄者の後ろの者達も、どこかで見たような顔の奴らばかりじゃ。皆、昔の傷は癒えたのか?」
サフランは顎でハインガジェルの背後の者達を指し示す。そういわれると、間違っていないだけに訂正しようも無いなとハインガジェルは心の中でひっそり思う。しかしすぐに思い直す。それをどうにかするために、俺はここにいるんじゃないか。海賊家業を引退する時に後継に長兄のハインガジェルではなく、サフランを指名した父の顔が思い浮かぶ。その時の悔しさがこみ上げてきた。ぐっと拳を握って周りを軽く見回し、船員達が戦意を喪失していない事を確認する。そして、口に出してはこういった。
「そんな事はこの間までの事だ。今は違う。俺はこいつ等と、そしてナイジェルニッキ殿と新しい一大覇王国を作り上げる為にここにいる」
その言葉が最後まで終わるか終わらないかの間にサフランは止まらないと言った風情で再び笑い始めた。その余裕な様子がハインガジェルには腹立たしかった。
「あれがこの辺りの海賊の頭領か?」
すっかりその存在を忘れていたがハインガジェルのすぐ後ろにいたクルゼンシュテルンがサフランから目を離さずに聞く。
「あぁ」
苦々しげに答えるハインガジェルに不思議そうに、だがきっぱりとクルゼンシュテルンが言う。
「お主の血縁の様だが、あれが海賊となると予定通り討伐しても構わないか?」
「あぁ。問題ない。が、あれがこの海域で最強の女海賊だから、油断は出来ないぞ」
「海賊船1隻落とせない様では、先が思いやられる。我が主にも是非とも海の戦いと言うものをご経験いただく良い機会だ。どうだ?やれるか?」
「やれなくて、どうする?」
ハインガジェルの不適な笑いにクルゼンシュテルンも深く頷く。そうだった。まずは出会う海賊船とイングリアの軍船は沈め、それ以外は略奪するというのが当初からの計画だった。イングリアを大陸諸国から孤立させる。そして、ナイジェルニッキの軍勢がイングリアを攻め落とす。簡単ではないが、さほど難しいとも思えない。それを今実行するだけだ。更に雇い主に力を見せる良い機会なのに、すっかりサフランのペースに乗せられてしまっていた。