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ヴァーサと別れてエトワールはエディラの軟禁されている部屋へ近づいた。竪琴を持って日参した甲斐あって咎められずに中に入る。エディラは寝椅子に掛けていた。扉に背を向けているので、その様子はよく分からないが誰かが入ってきた事は分かっているはずだ。エトワールが近づいても振り向く気配が無いため、エトワールは一声掛けた。
「あの……」
その声にエディラが振り向いた。泣いていたのか、目の周りが真っ赤に腫れている。
「近寄らないで!この悪魔!あなた達の思い通りになんかならないから!」
声と同時に手近な物も投げてよこす。
(あーあ。すっかり仲間にされてるよ。とにかく騒いで周りに警戒されない様にしないと)
慎重に飛んでくる物から身を避けながら少しずつ近寄る。隙を突いて腕を掴んで、すばやく囁く。
「必ず国に帰すから。今は信じて。俺自身を信じなくて良いから、頼むから今だけよくよく状況を考えて」
始めは強く抵抗していたエディラだったが、次第に繰り返される言葉に興味を惹かれた様に大人しくなる。
「どうするつもり?あなたを信じる気にはならないけど、それでも機会を失うのは利口じゃないわ」
「さっき着いた船。あれを乗っ取る。偶然だけど、向こうにイングリアの仕官がいたんだ。俺がなんとかチャンスを作るから、その時が来たら、向こうに移るんだ。まだ手立ても何も無いけど、カイが来た事で皆の注意がカイに向く。きっと何か隙ができるはずなんだ。今日にも船はイングリアへ向かって出航するはずだから、そのどこかで、必ず……」
最後は自信無さげなエトワールの様子にエディラにもそれがかなり難しい事だと察せられた。それでもどんな状況でもここから逃げ出さなければならない事は、まだ十分に幼いエディラにも理解できた。
エディラの様子から、何とか説得できたのでは無いかとほっと一息つきたいエトワールだったが、その時扉をノックする音が聞こえた。
「今の計画は絶対に秘密だよ」
エトワールが小声で言うのをエディラが深く頷くのを確認して、エトワールは扉を開いた。外に立っていたのは意外にもクルゼンシュテルンだった。このまま部屋に付きっ切りでの見張りをされるとまずいとは思ったが、立ち去る様子も無いのでエトワールはクルゼンシュテルンを部屋へ招じ入れた。
クルゼンシュテルンはエディラを認めるとまぶしそうに目を細めたが、ゆっくり近づき寝椅子の前に膝を付く。
「我が君は……尊敬に値する方であり、この世界をやがて手中に収めるにふさわしい方であり、その……婚姻は……」
「嫌よ」
珍しく、しどろもどろなクルゼンシュテルンに対して、エディラは取り付く島も無い。何で今、カイの株を上げに来たんだろうとエトワールには不思議でならない。
「誰だか知らないけど、私の国をどうこうする様な人は嫌い」
最後まで言う前にエディラはそっぽを向いている。クルゼンシュテルンは驚いたような、やや安堵したような表情を浮かべている。
(この間から、こいつの反応がどうもおかしい気がするのは気のせいじゃ無いかな。思うに、忠誠を誓う主が恋敵になってしまって、戸惑っていると言うか)
思わず笑い出したい衝動を抑えるのに苦労するエトワールである。普段ほとんど無表情のクルゼンシュテルンだが、エディラの機嫌を損ねた事にやや肩を落として、部屋を出て行った。




