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コルミナから少し離れた港町で黒髪の青年は憮然とした表情を崩さなかった。コルミナよりは劣るものの、この町もなかなかの賑わいである。めっきり暑さを増した戸外で、青年の額にはうっすら汗が滲んでいる。漆黒の瞳が海洋の果てを凝視していた。それは以前グロリアの火傷を治す薬を渡した青年だった。傍らの日陰になったところで彼をディンと呼んだ銀の髪の少年が佇んでいる。
「何だか騒がしい気配がいくつもある……」
青年の呟きに呼応するように、どこから現れたのか人影が返事をした。
「海王が動いたようですね」
それは、白い肌をに素晴らしく美しい黒髪を持つ女性の姿をしていた。振り返らずに青年は呼びかけた。
「ドーラか」
「はい。海王は今は落ち着かれ、ご自身の国へ戻られました。その際に妖精を一人連れて戻ったご様子です」
ふぅ。青年がその答えに吐息で返事をする。何だか胸の奥底がざわついて落ち着かない。
「天使過敏症じゃないかなぁ」
背後から気安く声をかけて来た者を振り返って確認する。
「そんなものあるか。今までどこにいたジャスパ」
ふてくされたように返事をする青年をくすくす笑いながらジャスパと呼ばれた浅黒い肌を持つ少年は嬉しそうにトンボを切る。
「ルギオンが霊力を使った痕跡があるよ。気になるだろうからさっき見に行ってきたけど、海上にルギオンの羽を持ってる者がいたよ。ルーディン」
やっかいだな。とルーディンは思い巡らす。ルギオンと言えば天界を混乱させた罪で堕天使として冥界へ送られた事になっている。それが冥界で大人しくせずに人間界に干渉しているとなると、天界から何を言われるか分かったものではないなと暗澹たる気分に襲われる。以前もルギオンの痕跡を感じた者に薬を分けてやった事があったなと思い出す。ルギオンが動くたび、胸がざわつくのでは本当に過敏症とやらにでもなりそうだった。
ふと目をやると、銀の髪の少年が一点を凝視していた。ルーディンがそちらに目を向けると、胸のざわつきが酷くなった。そして、その視線を受け止めて、一人の青年が振り返った。ルーディンの瞳が見開かれ、相手もまた同様に驚きが瞳に宿る。
「ルギオン!?」
気づいて走り寄るが相手の姿は雑踏に紛れて消え失せていた。
「あれ?ご本人登場じゃん」
ジャスパもあちこち見回すが、同様にルギオンを見失っている。
「冥王はあの天使の身元引受だったはず。あの様でよろしいのですか?」
澄ましてドーラも口を挟む。もちろん良いわけが無いのは百も承知だった。
「冥界へ戻れる日はもうしばらく先になりそうですね」
ドーラの口ぶりが恨めしく思うルーディンだった。