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「海王様」「海王様!」
一斉に人魚達が海王神に向かって口々に心配そうに声をかける。しかし、遥か上空の海王の耳に届いているのかどうか。巨大なフェナはゆっくりこちらに歩みを進める。波のうねりは益々大きくなり、甲板に伏せていても時に投げ出されそうになる。静かな歩みにも係らず、周囲は嵐の様相だった。
「なんで今、フェナが現れたんだろう?」
「良く分からないけど、この船に何かあるんじゃないのかな……」
ちら、とシナーラとナリュを振り返り、グァヤスがサグレスに答える。
「私達の命を繋ぐために、船にまじないがかけてあるのです。そして、まじないの禁忌が船に女性を乗せる事……」
済まなそうにエスメラルダが呟く。
「それでしたら、船が沈む事で済むだと思うのですが、フェナ自らが現れるというのが不思議と言えば不思議ですね」
グロリアが心底不思議そうに言い、士官候補生達も同意する。
「禁忌が発動する前に、事を納めようと思った私が馬鹿だったわね。こんなにすぐに海王に気づかれてしまうなんて……」
その時ファランにナリュが走り寄った。
「あの、あの。私のせいなんです。この人たちは何も関係無いんです。どうか、どうかお慈悲を!」
ファランが口を開こうとした時、虚ろな瞳の海王がファランを見つけて喜色に輝いた。しかし、すぐさまゲオルグに気がついたのか、その瞳が見る見る曇る。
『大地の娘。お前は陸に帰ってしまうのか』
言葉が終わらない前にその大きな瞳からぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。やがてそれは滝の様に後から後から溢れて流れた。
そして、サグレスは村に立ち寄った吟遊詩人が歌った海王の神話を思い出していた。フェリオと呼ばれる神界に神々は住んでいたが、ある時海王は海を治めるためにフェリオを去って海に行かなければならなかった。しかし、その侘しさに海王は三日三晩涙をこぼし続け、海の水を倍にしてしまった、と。
これには一の神リューンも心を痛め、やがて大地母神ガーナが海王と結ばれる事で落ち着いたと言う事だったはずだ。そして、ガーナを恋しい海王の話がいくつも伝わっている。
目の前にする海王は確かに巨大な姿をしているが、その顔は良く見れば整ってはいるもののどちらかと言えば幼さが残っているのが良く分かる。そして、今ファランが自分の元から去ってしまう事を恐れているのか……?
船を取り巻く嵐は荒れ狂う一方だった。