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じきに海岸線が見えなくなる。島国のイングリアからは港を離れるとやがて陸地は点になるが、大陸からは延々と続く家並みや山並みが次第に線になり、遂には海と空の境目に消えていく。これだけ離れていると目の良いイーグルでも陸地は見分けられなくなっていた。
商船は慣れているだけあって、潮の流れも風の読みも完璧で順調な滑り出しと言えた。今までは見張りが終わるとそのまま寝床へ直行の士官候補生たちも十分な休養を経て、まだ元気いっぱいだった。修繕も済んでいるのでやる事の無いサグレス達は自然と食堂や寝床でくつろぐ事が多かった。
一人で食事を取っていたサグレスを見つけて、グァヤスとデワルチが同じ卓に付く。
「あれ?シナーラは?」
「何かやる事があるって、食べ終わってさっき出てった」
「へー?何だろう」
自然と話はゲオルグの事になる。グァヤスが口火を切った。
「そういえば、ゲオルグって凄い怪我してるじゃない?前に噂で聞いた事があるんだけど、航海中に人魚に出会った船があって、その時怪我人が出たとかって話知らない?あれに関係あるんじゃない?」
「俺も聞いた事があるが、俺は死人が出たって聞いた」
グロリアも相槌を打つ。サグレスは思い当たる事が無かった。
「どういう事?」
「何でも人魚の宝を盗んだやつがいて、それで怒った人魚が呪ったとかって話だ」
「呪い殺したりってちょっと怖くないか」
「いや、かなり怖いだろう。船乗りの中には人魚に対して恐怖心持ってる者も多いよな」
(でも、俺の会った人魚は俺を助けてくれた……)
サグレスは行きの航海で出会った人魚を思い出していた。キラキラ光るヒレと大きな緑の瞳が目に浮かぶ。
「人魚ってフェーンの一種だろ?海王のフェーンだって話だよ」
「フェーンって何だっけ?」
「あれ、サグレスは知らない?神々(フェナ)の神力の破片みたいなもので、フェナから溢れた力が人の形になるってやつ。それなりに不思議な力を持っていて、妖魔なんかとはまた別の存在。妖魔は自分の利益に貪欲だけど、フェーンは元になったフェナの利益を最大限に考えているらしい」
「妖魔っていうと一括りになっちまうが、妖と悪魔はまた別物だぞ。悪魔はフェナから分派してるが、妖は自然発生的に何かの力が集まって出来るらしい。神々が去ってからどれもほとんど姿を見ないって話だが、まだ時々どこかで出くわすって話があちこちにあるぞ」
デワルチが突っ込む。ややこの辺りの事には詳しいようだった。
「ややこしいなぁ」
サグレスがぼやく。
「緑の瞳には気をつけろっていう迷信があるな。緑は魔の色、妖の色ってな」
デワルチが茶目っ気たっぷりに言う。
(エスメラルダもシナーラも緑の目だぞ)とサグレスは密かに思う。どっちも人間じゃない?そんな訳無いと思いながら、釣られて笑ってしまった。
ふとサグレスが思い出す。
「そういえば、行きにシナーラがスレイを見たんじゃなかったっけ?」
「あー、そういえば西風のスレイね。再生の女神ファンのフェーン」
「スレイに会えれば国に早く着くって船乗りの迷信にあるな」
「へー」
その時、船鐘が激しく打ち鳴らされる音が響き渡った。グロリアとラディックが声を限りに叫んでいるのが聞こえる。サグレス達はすぐさま立ち上がった。