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ふといつの間にか、ゲオルグと2人きりになっている事にエスメラルダは気がついた。甲板の喧騒が僅かに伝わってくる。ゲオルグは熱心に海図に何か書き込んでいる。今後の針路を決めかねているようだった。何か手伝える事は無いか、そう言いかけて自分では思っても見なかった言葉が口をついて出た。
「あの人を迎えに行ったんじゃなかったのですか?」
少し声がうわずっている。そう、ぼんやりと頭の片隅で考えていると、驚いた様にゲオルグが振り向いた。エスメラルダの瞳がゲオルグの隻眼とぶつかり合う。目線の鋭さに負けて、先にエスメラルダが目を逸らす。
ゲオルグは、はははと乾いた笑いを漏らしたが、その様子はエスメラルダの目には入っていない。
宙を彷徨うエスメラルダの視線をどう取ったのか、ゲオルグはエスメラルダの頭をくしゃくしゃっとかき混ぜると「あぁ」とだけ、言った。その答えにエスメラルダは堰を切った様に続けた。
「ずっと準備してたんじゃないんですか?養女に入れてくださる家を見つけて……」
「あぁ」
「時が来たら、迎えに来るつもりだったんですよね?」
「あぁ」
「それなら、どうして?さっきのは何があったんですか?」
「お前、反対だったんじゃないのか?機嫌が悪いのはそのせいかと思っていたが」
「……それは、そうですが」
「流石と言うか、お前も色々良く知ってるな」
ゲオルグは少し困ったように苦笑いを浮かべている。
「でも、それなら分かるだろう?そうする事に意味が無いって事を、さ」
びくっとエスメラルダの動きが固まる。一つ大きく息を吸い込む。
(意味が無い)
エスメラルダがその言葉を反芻している間にもう1度ゲオルグはエスメラルダの髪をくしゃくしゃにして、部屋から出て行った。
エスメラルダはそのまましばらく立ちすくんでいたが、ある疑念が湧いてきた。<山吹の子猫亭>のサランドラではなく、ゲオルグの心があの人にあるとしたら……?
それは、人の世では無く妖の世界に踏み入れる事を意味している。そう考えただけでエスメラルダは不安で押しつぶされそうになる。まるであの日の様に。