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<我が女神号>は帆桁という帆桁に朝露を宿らせている。ちょうど昇ってきた朝日が朝露を輝かせて、その優美な姿を飾り立てている。イングリアの技術の粋を集めたこの船をサグレスはいつまでも眺めていられると思った。
惚れ惚れと見惚れているサグレスの横をすり抜けてサランドラが駆け出していく。港にゲオルグの後姿が見えたからだった。そしてゲオルグと話しているのは評議員のロクゼオンの様だった。
ロクゼオンが最初に気づき、それに釣られてゲオルグが振り向いた。その様子を見て更に嬉しそうに駆け寄るサランドラは、しかし途中で凍りついた様に立ち止まってしまった。
輝く<我が女神号>の船首にも徐々に光が当たり始め、獅子のたてがみに顔をうずめるように絡みつく、少女の像がはっきり見て取れる様になってきていた。少女の瞳はサランドラに注がれるかの様にまっすぐに向いている。そのすぐ上の舳先にはエスメラルダの姿もあった。エスメラルダの視線も同様に地上に注がれているようだった。
それはいずれも曇る事の無い、碧の瞳。緑は魔の色・人外の色。ゲオルグが自分から離れたのは自分に飽きたのではなく、何か大きな渦に巻き込まないためだったのではないのだろうか・・・・・・?
急に立ち止まったサランドラに不思議そうにゲオルグが近寄って来た。
「サラ?」
ゲオルグに優しく抱きしめられてもサランドラは舳先の方を凝視している。お互いの視線が絡み合っているかのようだった。
髪を撫でようと腕を上げたゲオルグの手に優しく触れて、やっとサランドラはゲオルグを見た。
「・・・お別れを、言いに来たの・・・」
ゲオルグの瞳には優しい光が浮かんでいる。今朝分かれた時と何ひとつ変わらない瞳だった。何かがあって、何かが変わったのだという事をサランドラは唐突に理解した。もう、自分はゲオルグが戻る港では無いのだろう。
ゲオルグの腕の中で、サランドラは再び船を振り仰いだ。早朝の輝きは消えていたが、それでも船の柔らかな曲線は変わらず美しかった。
そっと、腕の中から抜け出すと、サランドラは元来た道を歩き始めた。一度も振り返えらなかった。途中でサグレスとすれ違った時だけ、サランドラは小さく頭を振った。けれども一言も発せずに、彼女の姿は小道に消えて言った。
後に立ち尽くすサグレスには朝日が眩しくてゲオルグの表情が見えない。
空は蒼く、高く、晴れ始めていた。