30
無人の廊下を、しかし、何とはなしに足音を忍ばせながらサグレスは歩いていた。ふと、背後で軋み音を聞いたような気がして、サグレスは振り返った。並ぶ扉の一つが小さく開いている。そこから微かな音が洩れてきた。そのまま立ち去るには余りにも切なくてサグレスはそっと扉から中を窺った。
開いた窓辺に凭れて座っているのはサランドラだった。その顔を靄の広がる窓外に向けているので、産毛の一つ一つにまで細かな水滴が宿りその顔は輝いているようだった。
(あれ……?)
サグレスの疑問が形になる前に、気付いたサランドラが振り返った。その表情はとても大人びている。
「あら、あんた。今、帰り?」
(違う……さっきは泣いてたと思ったのに?)
儚げな印象は一瞬にして、溶け去っていた。サグレスの沈黙をどう取ったのか、サランドラは笑い始めた。
「お連れはみんなお帰りだよ。それとも、今夜もお泊まりかい?」
「……そんなつもりじゃ……」
「商売女に熱上げられても迷惑だよ。坊やは早くお帰り」
「な!何でそんな事言うんだ!」
赤面するのを隠そうと、思わず振り上げた拳の先の行き場が無くてサグレスは言い返した。
「偉そうな口聞いたって、みんな同じ……」
ふと、語気が弱くなると、サランドラの大きな瞳から涙がこぼれ始めた。
「ご、ごめん!言い過ぎた」
慌ててサグレスは側に寄ったが、そのまま手を出しかねておろおろと立ち尽くした。しかし、当のサランドラの方が驚いているようで、しばらくしてサランドラは涙を拭わずに微笑んだ。
「ありがとう。泣けるなんて思わなかった……」
その顔は妙に晴々として見える。
「何かあったの?」
恐る恐るサグレスは問いかけた。サランドラは答えに躊躇していたが、結局は簡単に答えた。
「……別れたの」
「え?あいつと?」
言ってから、しまったという表情を浮かべたサグレスにサランドラは不思議な笑みで頷いた。たいして年も違わないはずなのに、その大人びた仕草がサグレスの胸を打った。
「どうして?だって、あんなに……」
言い募るサグレスにサランドラは首を横に振った。突然サグレスは立ち上がるとサランドラの腕を掴んだ。
「そんなのダメだよ!一人で泣くぐらいなら、もう一度あいつと……」
サグレスの勢いに押されるようにサランドラは立ち上がった。