22
闇の中、サランドラは静かに手を滑らせた。滑らかな指先に規則的な呼気が伝わる。その指先に僅かに引っかかりが感じられた。ほの灯りに透かしてみると、そこには引き攣るような傷痕が浮かび上がっている。まだ真新しいそれは、何かの拍子に開いてしまいそうにも見える。
「酷い傷」
そっと労わるように傷痕を辿っている白い手がやがて大きな手の平に包み込まれるように止められた。サランドラの頭がゲオルグの裸の胸に預けられる。
「起こした?」
「いや」
ゲオルグは空いている手でサランドラの滝の様に流れる髪を撫で始めた。その顔半面を覆う傷以上に大きな腹部の傷痕にそっと触れながらサランドラは囁いた。
「……もう、海に出ないで」
「……」
「また、こんな事があったらと思うと……私……」
サランドラの悲痛な呟きは、ゲオルグの唇に吸い込まれた。長い口付けの中でサランドラは悟った。何かが一つ変わっている。
「それでもあなたは、また海へ出るのね」
ゲオルグの隻眼はサランドラの瞳を見つめている。その瞳をサランドラも見つめ返す。ゲオルグの瞳に熱が無い事に気づいてしまう。
「あなたの恋人はいつまでも海。いくら想っても、ここへは時折立ち寄るだけなのね……」
サランドラは愛おしそうにゲオルグの頬に刻まれた傷痕を辿った。これが最後と分かっている。
「私、決めたわ。身請けの話が来ているの。それもお金持ちの後妻なんかじゃなく、娘として大事にしてくれるって。今まではとてもそんな気になれなかったけど、これで決心がついたわ。後でいくら手をついたって、振り向きもしないから」
大きな瞳に涙を滲ませながら、サランドラは微笑んだ。その微笑をゲオルグは腕に抱きよせた。
夜明け前、静かに起き上がった男をサランドラは見送らなかった。