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「え!?」
不意の事に、一瞬戸惑うイーグルにしっかりとした視線でモカルはイーグルの前に立ちはだかった。
「ホルスト!剣を納めて!この方を責めないで!」
「やはり……カッツィーナ……?」
目の前の小柄な少年がうなずくのを見て、イーグルは奈落の底に沈む様な感覚を覚えた。髪は短く、見慣れない少年の出で立ちに違和感を感じ、また少し大人びた目をしているが、あの少女と見紛う筈もない。生きていた。生きていてくれた。その事実がイーグルの気持ちを揺さぶった。
「私は今まで心を閉じ込められていたけれど、この方が本当はお優しい方だと知っていたわ」
「どうして、ここに?」
「それは……」
カッツィーナが話そうとした時、カッツィーナの背後で物音がしたと同時にナイジェルニッキの口から断末魔の声が漏れた。皆が振り返った先には楽師のエトワールがナイジェルニッキの背後に立っており、その手に握られたナイフはナイジェルニッキの背に突き立てられていた。エトワールはザースの様に不意にそこに現れたのだった。その体から白い羽がはらりと落ちた。
「カイ……俺は、お前が俺にした事を許せない……何故、あんな事を……」
ナイジェルニッキは声も無く、エトワールに寄りかかる。その瞳にエトワールは映っているが、それは既に暗い色をしていた。カッツィーナの悲鳴が高く響き渡った。
「俺たちはシィエン様が愛されたこの国になんて事をしてしまったんだ。もう、終わろう」
エトワールの声は心の底から絞り出されるかのように嗄れて、普段の快活な快い響はどこにも無かった。そして、誰の止めるのより早く、エトワールはナイジェルニッキを伴って船べりから身を乗り出すと、海面へ滑り落ちて行った。慌ててカッツィーナがナイジェルニッキの服を掴んだが、そのまま重みで一緒に引きずり込まれてしまった。
「カッツィーナ!!」
イーグルが伸ばした手は空を掴んだ。何人かが舷側から海面を見透かすが、誰も再び浮かび上がってくる事は無かった。イーグルはそのまま泣き崩れた。
「お前の主は逝ったぞ。俺もな」
ゲオルグが一息ついてクルゼンシュテルンを振り返ると、クルゼンシュテルンはゲオルグの足を掴んだままこと切れていた。ゲオルグはそっとその目を閉じさせてやると、静かに<我が女神号>へと戻って行った。
エディラを庇っていたサグレスを助け起こすとシナーラは陰り始めた空を振り仰いだ。サグレスも一緒に空を見上げていた。空がとても広く感じた。
「終わったな……」
「終わったね……」
見回せば、サフランが号令をかけて海賊たちをまとめ上げているのが見える。脅威はこれで去ったのだった。司令船から空砲が放たれ、呼応するように砦からも空砲が放たれる。終戦であった。