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混濁した意識の中に様々な情景が浮んでは消えて行く。しかし、そのほとんどは意味をなしていない。渦巻く迷宮に意識を漂わせながら、エスメラルダは混沌を彷徨っていた。時折懐かしい光景が閃く事もあるが、それはすぐに彼方へと漂い去って行く。圧倒的な情景の渦に次第に意識が沈んで行く様な感覚があった。
(ここは……?)
茫漠とした寂しさが迫る。あの幼い日からずっとエスメラルダにまとわり付いていた虚無感とでも言うものだった。今、エスメラルダは侘しさを抱えて長い眠りにつこうとしていた。
(……誰か……)
その呟きが聞えたのか、エスメラルダの目の前にやがてありありと人影が浮かび上がった。
(誰?)
目をこらしたエスメラルダは我が目を疑った。
(父さま……?本当に?)
(おいで。エスメラルダ)
手を伸ばした人影に戸惑っていたエスメラルダだったが、その懐かしい姿におずおずと手を伸ばす。自分が小さな子供に戻った気がする。ただ重ねる日々がどこまでも優しかったあの頃に。失ってしまってからどれほどその手を欲した事だろうか。エスメラルダの伸ばした手を父が優しく取ろうとした時、轟音が轟き天地が裂けた。
「戻っておいで!」
白く輝く裂け目に細い姿が揺らめいた。凛とした姿は輝きを放っている。そして、その後ろに立つのは巨大な影だった……。
「その手を取るのは自由だけれど」
エスメラルダの手が止まる。そして、思い出す。士官学校に入ってからは孤独と無縁になったのだ。あの人がいたから。
(私はまだあの人の隣に立っていたい……)
伸ばした自分の手を見つめて立ち尽くすエスメラルダに父の影は優しく微笑むと、やがてゆっくりと溶けるように消えて行った。
「大丈夫か?」
うっすらと目を開けたエスメラルダの目には頼もしい顔が映った。しかし、そのまま瞼は閉じてしまう。待っていたのはあの混沌とした世界。
「もう大丈夫ね」
混沌とした世界で彼女はエスメラルダに微笑みかけた。彼女の煌く翡緑の瞳が笑っている。その宝石のような瞳を魅せられたようにエスメラルダは見つめ続けた。
彼女へ抱いていた感情がどんなものだったのか、今はよく分からなかった。それでも、ここから引き上げてくれた事は分かる。
(ありがとう)
エスメラルダの声が聞えたのか、彼女は大きく跳ねると水飛沫を上げて消えた。やがて、エスメラルダはゆっくりと目を開いた。