異世界転生、転移テンプレの主人公は、何故オタクでニートなのか。
このエッセイは、私が書いている小説に寄せられた感想にあった、とある素朴な疑問から着想を得ている。
私は、書きながら考察をするタイプなので、乱文、乱筆のほどはご容赦いただければ幸いである。
1・主人公が、オタクでニートで引きこもりである
2・オタクでニートは神話的ギミックに通ずる
3・エンターテイメントの形と、主人公のスタイルの親和性
4・再生の物語
この四つの項目に分けて考察してみたい。
ちなみに、ソースは示さない。
これは純粋に、私が今まで読んできたなろうテンプレと、自分が書いている小説から考察したエッセイである。
1・主人公が、オタクでニートで引きこもりである。
様々な、いわゆるテンプレと呼ばれる作品において、異世界へと転生・転移する以前の主人公は、不遇な境遇に置かれることが多い。
これは、オタクであること、ニートであること、引きこもりであること、などなど。
例外はあるだろうが、何らかの不幸を抱えている主人公が多数なのではないだろうか。
彼らは得てして、社会から断絶された存在である。
人間は社会的動物であるからして、社会から断絶されることは即ち、彼という存在が社会から認識されないことを意味する。
それは広義の死と同義では無いか。
つまり、オタクでニートで引きこもりな主人公は既に死んでいるのと同じなのである。
2・オタクでニートは神話的ギミックに通ずる。
神話で言う英雄は、神であったり、あるいは神の子であったりする事が多い。
少なくとも主人公は特別な人間であり、神の関与がそこにある。
主人公となるものは誰でも良いのではなく、その主人公でなくてはならない、というケースばかりだ。
オタクでニートである主人公は、このケースに合致するのではないかと私は考えた。
無論、彼らが神の子であるわけではないし、ましてや神自身ではありえない。
だが、彼らが神の声を聞き、神に導かれて特別な存在になるのは、そうなる存在が彼以外であってはならないからなのである。
古来の英雄は、試練を得てそれを克服し、英雄となる。一大叙事詩を作り上げる。
オタクでニートである主人公は、最初から試練に頭までどっぷり浸かった状態である。自業自得であれ、仕方のない状況であれ、彼らは前述したように、社会的には死に等しい底辺真っ只中の状況からスタートする。
この時、主人公に食事を運んでくる親の存在は鑑みない。
多分に自己の状況を不幸と断ずるのは、自身の内面的な意識が中心となるからだ。
アフリカの恵まれない子どもたちに比べて、一流企業で過労死するサラリーマンは幸福だと誰が言えるだろうか。
安月給でこき使われる中小企業社員と比べて、それなりの企業に勤めて肩たたき部屋に追い込まれたが、既に転職できる年齢ではない独身サラリーマンは将来安泰で幸福であろうか。
3・エンターテイメントの形と、主人公のスタイルの親和性
漫画家である荒木飛呂彦氏が仰っていた言葉に、
「主人公が現在の状態から、常にプラスになり続ける事がカタルシスを産む」とかなんとかいうニュアンスの名言があった気がする。
正確では無いだろう。うろ覚えだから。
だが、この状況は我々が直面する様々な場面で、確かであると言えるのではないか。
RPGはレベル1という弱い状態からスタートし、ゲームを進めるほどにレベルアップして、初期よりもどんどんプラスの状況になっていく。
高度経済成長期のサラリーマンは、中卒などで上京して会社の底辺からスタートし、景気の上昇に伴って生活レベルと己の地位を上げ、初期よりもどんどんプラスの状況になっていく。
神話に語られる英雄は、試練に遭った瞬間から、徐々に試練を克服し、やがて物語のスタートよりも成長を遂げ……つまり初期よりもどんど(以下略)
異世界テンプレに多い主人公も同じである。
オタクでニートの主人公は、これ以上に下がるなら死ぬだけという状況からスタートする。
お分かりいただけただろうか。
既に主人公は勝利している。
これ以上落ちようが無いから、上がるだけなのである。
彼の行先には、カタルシスしかない。
常にプラスになっていくというエンターテイメントしか無いのである。
まあ、そこに試練を付け加えたり、さらなる地獄に叩き落すのは作者ごとの趣味や性癖が関わってくるであろう。
神から棚ぼた式にチート……凄まじい超能力を与えられる。
英雄が神から武器や才能をもらっているわけだから、ニートがチートをもらっても何もおかしくない。おかしくないのである。
出会った美少女ヒロインと相思相愛になったり、ハーレムが出来たりする。
英雄色を好むと言う通り、彼らが魅力的な女性や女神と色恋沙汰を繰り広げるのだから、ニートが繰り広げても何もおかしくはない。おかしくないのである。
異世界に転生することで、現実から逃げているのではない。
彼は既に試練の只中にあり、異世界に転生することはそのまま、試練である現状から繋がっている、主人公にとっての現実なのである。
異世界において、彼がどんどん成功し、「さすが主人公」「やっぱり主人公には勝てねえや」となっていくことは、全くもって正しい。
何故なら、これら全てはどん底であった主人公が、プラスに転じていく過程だからだ。
あとは適当なところでエンディングにすれば一丁上がりである。
4・再生の物語
最後に、拙作「熟練度カンストの魔剣使い」をサンプルとして挙げる。
拙作の主人公もまた、オタクでニートで引きこもりである。高校デビューに失敗して引きこもり、家族との人間関係も悪く、理解者はゲームの中に一人しかいない。
その理解者ともリアルの事情で分かれることとなり、彼は完全な孤独に陥る。
オタクでニートで引きこもりの彼は、自己肯定感が非常に低い。
自力で物事を達成した経験もなく、増してや複数人で物事を成し遂げた経験も無い。
自己承認欲求はあっても、人との繋がりが無いからそれが満たされることはない。
彼はゲームに埋没し、ただひたすら、孤独にゲームの剣術スキルを上げていくことになる。
それこそ、トイレに行く暇をも惜しみ、ペットボトルに己の黄色いサムシングを注ぎながら……。
ここにおいて、主人公が引きこもりのニートであり、社会から断絶される必然性が存在する。
物語において、主人公は剣術スキルをカンストさせねばならず、さらにはある程度若い人間である必要があるからだ。
誰の目も気にすること無く、淡々と剣術スキルを上げる単純作業を、死んだ魚のような目で行える才能を持った主人公を生み出す必要があった。
彼は、オタクでニートで引きこもり以外ではありえなかったのである。
私が描く物語の主人公は基本的に屈折しており、自己肯定感が低い。
物語の主眼となるのは、主人公が自己肯定を出来るようになっていく過程である。
そこには、モラルも社会性も介在しない。
ただ、主人公が己を認め、己を愛することが出来るようになっていく、その過程を描く。
オタクであること。
これは、読者にとって分かりやすい屈折の形である。
人よりも飛び抜けて、特定のジャンルに対する愛情を持っているということである。
例えば、異世界の事物にぶち当たった時、彼は特定ジャンルの物事に例えて異世界の事物を説明するであろう。これが主人公のキャラクターの説明にもなるし、主人公がその事物をどう捉え、己の中に消化したかの証左となる。
ある程度そのジャンルに詳しい読者であれば、共感も可能であろう。
そのジャンルに疎い方で、奇特な方は、主人公が吐いた単語を目の前にある箱でググってみるとよろしい。
ニートであること。
これは、読者にとって一言で分かる屈折の形である。
ニートで歪んでいないものはいない(失礼)。
故に、ニートが極限環境に放り込まれ、己の殻を破らざるを得ない状況でのたうちまわる様子を描写するだけで物語になる。
これは、ニートを引きこもりと置き換えても良い。
もう、この「ニートが極限環境に放り込まれ、己の殻を破らざるを得ない状況でのたうちまわる様子」とかいただけでご飯が三杯はいけそうである。
もうネタが浮かんできた。何か書きたい。
そのような訳で、異世界転生、転移テンプレの主人公は何故オタクでニートなのか。
それは、物語を展開する上で、状況を常にプラスに持っていきやすく、エンターテイメントと親和性が高いためである。
それは、物語を説明する上で、端的に状況の悲惨さや人物の捻くれ方を読者に理解してもらいやすいためである。
それは、物語を完結する上で、人間的成長を描きやすく、彼自身が己の殻と向き合うだけで物語そのものになりうるからである。
以上が、私が書きながら考察した表題の理由である。