嗚呼
木下菜々。
それが、あかねが教えてくれた彼女の名前だった。
彼女の名前だけ告げれば、案外簡単に病室まで案内してもらえた。
つい最近まで僕が入院していた個室と同じような造りの病室だった。そこのベットに、彼女はいた。
眠っていた。
「思い出したの?」
不意にかけられた声にびっくりする。後ろを振り向くと、病室の入り口に看護師さんがいた。僕の担当をしてくれていた看護師さんだった。
「…いえ」
「そう」
看護師さんは僕の隣に並んで彼女に目を落とす。その瞳に、どんな感情を宿しているのか僕にはさっぱりわからなかった。
「君がここに来るときは、もう少し取り乱すと思ってたよ」
看護師さんが静かに笑う。看護師さんは僕よりずっと大人な雰囲気で綺麗だった。
「自分でも、よくわからなくて…これでも混乱してますよ?」
「そうには見えないけど。でも混乱して当たり前だよ。大丈夫」
大丈夫。その言葉に、救われるときがくる。何の実感もないまま、そう思った。
「彼女はずっと眠ってるんですか」
「ええ」
「身体に異常でもあるんですか」
「君と同じよ」
同じ。なのだろうか。身体に異常はないという意味だろうけど、僕と彼女は同じではない。
「ちがう」
「え?」
「同じじゃない。だって僕は」
目が、覚めてしまった。
「この人を置いて。僕はーー」
ゆっくり、ゆっくりと、染み込むような感覚。
思い出すときは、もっと衝撃的だと思っていた。
ドラマのように強い頭痛が現れることもなく、意識が飛ぶこともない。
嗚呼、と脳みそとこころで紡いだ。
看護師さんがハンカチを差し出してくれた。
僕は静かに泣いた。




