2/38 掌の上
天啓に打たれたかのように固まった後穏やかな表情を浮かべたエル。
そんなエルの前で紅茶を啜る私。我が義弟は何かを理解したようだ。でもそんな悟りを開いたかのような顔をされてもまだ人生は序盤なのでもうちょっと俗世にまみれて良いと思う。
よし、話を変えよう。変えようっていうか戻そう。一番最初に、戻そう。
いやほら、忘れ去られたかのような勢いだけどもともとは誘拐事件にまつわる私の目的と本音を聞きたいという会合なわけだよこれ。
「……そうね。つまりはそういう背景を私は知っていたから、今回の『誘拐事件』の顛末になったのよ。だから私のエゴだけれど、ある意味エルの為ともいえるわね。ちょっと手荒だったのは認めるけれど」
反省はしている。しかし後悔はしていない。
しかしながらここで、エルは眉をひそめた。悟りの世界から帰ってきたようだ。しかし。
「……えっ。姉上。まさか、あれは狂言誘拐……?」
失礼である。いや狂言誘拐計画してたけど。私が首謀者ならもうなんぼかうまくやる。舐めないでいただきたい。
「当初の計画としてはね? でも、あれらは阿呆などこぞの子爵が送り込んだ無知な誘拐犯よ。私が手配した狂言誘拐だったらエルに怪我なんてさせるわけないじゃない」
何を自信満々に言っているのだろうという顔をされたが事実だ。安全第一である。問題はそこじゃないという視線は受け流した。その安全の為だけに一日ほどかけて誘拐犯役のごろつきお兄さんズを指導したのだ。とてもやりがいがあった。全部無駄になったけど。
まあね、と続けて私は息を吐いた。
「さっきも言ったとおり私は優しいわけじゃないの。エルの為だけにあの事件を計画したなんて言わないわ。白々しいもの。……ちょっと役作りが過ぎたとは思ってるわ」
ははっと笑いながら最後はちょっと目を逸らしました。ええ、後悔はしていませんがノリにノッていたせいでさながら悪の女王のようだったとは思ってる。だから反省はしてるんだって。
「……あれは、本当に、本当に……『はあ?』と思ったよ……」
うん、『はあ?』に感情がこもってるねエル。『はあ?』って顔実際してたしね。マジ切れだったからね。
いや、恐怖・絶望より憎悪・憤怒に舵を切ったあたり本当に狙い通りなんだけど。
「言ったでしょう、手段なんて選ばないのよ?」
ここぞとばかりに澄まして笑う。ため息をつかれた。ため息をつくなよ。これが私だ。
「どうすれば姉上を掌の上で転がし返せるのかな……」
「精進あるのみね」
「……そうだね……。国王陛下も手玉に取る姉上だもんね。僕頑張るよ」
私の義弟が分かっていらっしゃる。今後に期待である。でも腹黒はやめて。ストーカー王子で本当に充分だから。自分の武器を磨いて。いや、武器を磨かれると可愛い義弟+美少年眼福でいいように転がされる日も遠くない気もする。それはそれで平和な未来なんだろうか。
うむ、と考え込む私、何か振り切れたのか奮い立つエル。
が、ここで。
「……あ、そういえば。姉上が護りたいものって、結局なんなのかな?」
こてん、と無垢美少年全開で早速攻撃してきたエルに私は胸を撃たれました。クッソ可愛い。
いやまだ負けない。ごほんと咳払いをして。
「……私が護りたいのは、公爵領の領民や友人、公爵家の家族よ。勿論、エルもね」
荒療治で思いっ切りトラウマ抉っただろうとかいうのは蒸し返されても困る。それとこれとは別。私の目的のためなら何でも利用する信念と矛盾はしていない。だって、そもそもエルが大切でなければここまで強引なことをして力を引き出そうとはしなかったのだ。色んなタイミングや利害を考えた結果、厳しいことをしたとは思うが、必要な荒療治だったというのは譲れないし、譲るつもりはない。
いやまあ第三者というかエル本人から見ればそれこそ『はあ?』だろうけど。だからフェードアウトありきの計画だったんだけど。エルの懐が深かったお蔭で私は今もランスリー公爵令嬢継続のようです。
だがしかしそのエルの現在はというと。
……まあ、見事に。
固まってるんだけど。放心状態である。
いや、なんで?
訝しく見れば、ゆらゆらと揺れる瞳と声で。
「噓、だ。だって、僕を家族、だなんて」
思ったより問題が根本的だった。なんという自己否認を植え付けてくれたんだアッケンバーグ伯爵家。いやあれか? 荒療治の私の悪役ぶりが悪役過ぎたのか。なんてこった。
でも、ここでうやむやにするのは悪手だろう。ならば。
「……ええ、正直に言うわ。ちゃんと家族として認めたのは、こないだの事件の時だっていうのは否定しない」
苦笑すれば、ばっとこちらをみた。
でも仕方がない。誤魔化しが欲しいわけじゃないだろうし。――それに。
「だってエルも、私のことを家族だと、認めていたわけじゃあないでしょ?」